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H-011 ラオコーン半身像

石膏像サイズ: H.85×W.65×D.35cm(原作サイズ)
制作年代  : 1世紀頃(原作は紀元前150年頃)
収蔵美術館 : ヴァティカン美術館
作者    : ロードス島の三人の彫刻家
(Rhodian sculptors : Agesander,Athenodoros,Polydorus)
出土地・年 : ローマ・トラヤヌス浴場跡 1506年

古代ギリシャ神話のトロイア戦争に登場する神官ラオコーン(Laocoon)の彫像です。トロイア側の神官ラオコーンは、敵のギリシャ軍が送り込んだ“トロイアの木馬”を城門内に引き入れることに反対し、市民たちをいさめます。それを見たギリシャ側の守護神であるアテナ神は、ラオコーンの両目を潰し、海に潜む2頭の蛇を使って襲いかからせ、ラオコーンの二人の子供は食われてしまいました。石膏像はこの光景を表現した彫像の一部です。また蛇を送り込んだのはアポロン、もしくはポセイドンとする説もあります。アポロンはトロイア側を守護する神でしたが、ラオコーンがアポロンの神域で妻と交わったためにこの罰を与えたという物語です。

この彫像は、1506年にローマのトラヤヌス浴場跡(元は皇帝ネロの“黄金宮ドムス・アウレア”のあった場所)のブドウ畑から発掘されました。当時ローマの古代遺物監督官に任命されていたミケランジェロは、その発掘の様子を目撃し大変な感銘を受けたということです。彫像は、教皇ユリウス2世の所有物となり、ヴァティカン宮殿に搬送されヴェルヴェデーレの中庭に設置されました。古代ローマの博物学者プリニウスの著書によれば、帝政ローマの時代に皇帝ティトゥス(在位79-81年)の宮殿にこのラオコーン像が存在していたとする記述があり、発掘物と同一のものと考えられています。古代ギリシャ・ヘレニズム期の紀元前150年頃に製作されたブロンズ像がオリジナルであるとする説もありますがそちらは現存しておらず、発掘された大理石像こそがオリジナル彫像なのか?という点についてはいまだに議論が続いています。

ルネサンス期の発掘後、バッチョ・バンディネッリ(Baccio Bandinelli)など後世の彫刻家が制作した複製像が複数存在し、ロードス島騎士団宮殿、フィレンツェのウフィッツィ美術館、オデッサ、ウクライナの美術館などにも収蔵されています。彫像の発掘当初はラオコーン像の右腕部分が発見されず誤った修復がなされていましたが、1906年に折り曲げられた形の右腕が発掘され、1950年代に正しい形にすげ替えられました。ラオコーン像の持ち上げた腕を背中にまわし苦痛に身もだえして上半身をそらせたポーズは、ミケランジェロをはじめとする後期ルネサンスの芸術家に多大な影響を与え、模倣・援用されました。その影響は、ミケランジェロのあの有名な「瀕死の奴隷」像にも及んでいるとする説もあります。

(写真はWikimedia commonsより)


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