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L-613 天女レリーフ(B・夜)

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石膏像サイズ: 直径31cm D.2cm(縮小サイズ)
制作年代  : 1815年
収蔵美術館 : コペンハーゲン トルヴァルセン美術館
作者    : ベルテル・トルヴァルセン(Bertel Thorvaldsen 1770-1844)

「昼」と対となる「夜」のレリーフです。ニンフはうつむき加減に目を閉じ、抱かれた二人の幼子は眠り、夜を象徴するフクロウが飛んでいます。ニンフの髪には、古代から眠りへの誘いの象徴とされてきたポピー(ケシの花)が編み込まれています。

作者のトルヴァルセンは、カノーヴァなどと同時代の18世紀末~19世紀にかけて活躍した彫刻家で、長くローマで活躍しました。フランス革命の時代を頂点として衰退していった”ロココ”スタイルに代わって、あらたに台頭してきた”新古典主義”という時代を代表する彫刻家のひとりです。

デンマークの美術アカデミーで賞を獲得したトルヴァルセンは、ローマに派遣され、そこでギリシャ・ローマ時代の遺跡や古典作品を学びながら自身の作風を確立してゆきました(当時のヨーロッパでは、フランスをはじめとして、若手の有望な芸術家は、みなローマへ派遣されて修行時代を過ごし、そこで研鑽を積んだのち自国へ帰り成功する、というのが”王道”のパターンでした)。早くからローマでの評価を確立したトルヴァルセンは、自身の工房をローマに構え、ヨーロッパ各地に顧客を持つ大彫刻家として成功します。当時の彼への評価を物語るのが、ヴァチカンの聖ピエトロ寺院に残されている”教皇ピウス7世記念碑”です。ルネサンス以降の聖ピエトロ寺院内の様々なモニュメント、装飾彫刻などの中で、イタリア人以外の彫刻家としては唯一作品を残しているのがトルヴァルセンなのです。しかもトルヴァルセン本人は、カトリック教徒ではなくプロテスタントを信仰していたため、この墓碑にサインを入れることが許されなかったといいます。これは逆に考えれば、そうまでしてもトルヴァルセンに発注を出したかったという教皇庁の高い評価の表れとも言えます。

同時代の良きライバルであったカノーヴァ同様、トルヴァルセンの作品は、ギリシャ・ローマの古典に範を求めつつも、注文主である為政者、貴族、富裕層たちからの貴族趣味的な要望にもしっかりと答えており、パトロンと調和した形で生涯の芸術活動を展開してゆきました。 

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トルヴァルセン美術館収蔵 「夜」 1815年 
(写真はWikimedia commonsより)


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