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石膏像ドットコム スタートアップ物語

(はじめに)

 2010年にスタートした石膏像の通販サイト「石膏像ドットコム」の歩みについてまとめてみました。長文です。一子相伝で事業継承してゆくような小規模事業者の方で、ネットを含めた展開を模索してらっしゃる方がご覧になると少し参考になるかもしれません。

 2008年頃から準備作業を始めましたので、ほぼ10年間の記録です。普段の石膏像を作る作業はほとんどが手作業で、機械とは縁遠いい職人気質な世界です。インターネットに触れたことさえ無かった石膏職人が、パソコンについて学び、ブログを書き始め、やがて本格的なネットショップを開店させました。現在では売上の8割以上がネット経由になり、もはやネットショップ抜きには商売を考えることができない状況にまでなりました。そこへ至るには商売上の様々な事情がありましたし、色々な困難もありました。10年経過して振り返ってみると、可能な限りの奮闘努力を続け、一定の成功を成し遂げた実感があります。なんのスキルもリソースも持っていなかった一介の職人が、ほとんど独力で日本全国のお客様を視野に入れた小売販売チャンネルを手に入れることが出来たのです(しかも日々の職人仕事をこなしつつ)。

 この10年の歩みは単なるネットビジネスの立ち上げとは少し異なります。事業者として既に60年以上の実績があり取引関係も確立していた商売を、時代のニーズに即した形に作り替え、再度競争力のある地位に復帰させるための道のりでした。ネットショップはその中のツールの一つという位置づけです。ネットショップを成功させるために払った努力と同じくらいの労力を使って、既存の取引業者との関係の整理・調整を実行していきました。ネットへの進出は、結果的に商売の全体像の見直し・再構成へと繋がっていったのです。

 かつて主従関係だった取引先との関係は、この10年でフラットで公平・対等な関係に変化しました。そして、東京の特定の取引先に縛られなくなったことで、現在は都心部にある工房についても、必要があれば地代の安いどこか遠い場所へ移転することも可能だと考えるようになりました。このような大きな変化は、ひとえにIT技術の進化と、物流の劇的な発展がもたらした恩恵です。ITは商売上の旧弊な取引関係に付きまとっていた制約・限界を打破するためのツールになります。

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 ネットショップへの歩みは、先代の父から工房を引き継いだ三代目の私が、自分なりの商売のスタイルを確立する過程でもありました。ずっと心掛けていたことが幾つかあります。

①シンプルであること
②終わりを意識すること
③ファイターであること

①のシンプルさについては普段の生活の中でも常に念頭にあります。石膏像の製作方法、商品ラインナップ、取引関係、ネットショップの構成、人間関係・・ありとあらゆる分野で出来るだけ単純でミニマルな形を模索したいと考えています。従業員を増やしたり、工房の規模を拡大したいという願望は一切ありません。私共の石膏像を必要としてくださるお客様にしっかりとお届けして、相応の収入が確保できればそれで十分なのです。

②の“終わり”については、堀石膏制作の終わり、日本に於ける石膏像製作という商売の終わりという意味です。終わりを見据えることによって、今するべき事、今後何十年かに渡って対応すべき課題が見えてきます。明治期に始まった国内での石膏像製作の仕事は、近い将来消滅すると予想しています。工房の数が減り、技術を継承する後継者がもう見当たりません。なによりも石膏像需要の大半を担っていた美術教育機関(美術大学・美術予備校・小中学校・高校など)の衰退によって、我々の存在意義は今後も更に危ういものになってゆくでしょう。でも本当に石膏像の需要が無くなってしまうまでには、まだずいぶん時間があります。それまでの間、自分がどのように行動すればこの仕事で生き残っていけるのか?少ない需要でも商売を発展させる余地は無いものか?悲観的な終局を見つめることは、現状に対する前向きなアプローチを生み出します。これは①のシンプル志向にも繋がっています。

③についてはそのままです。②のような悲観的な未来を考えるなら、闘って生き残らねばならないのです。同業者とはもちろん闘いますし、取引関係に対しても常に有利な立場を得るための闘いの連続です。石膏像の需要が減り続けてゆくのなら、最後に一軒だけ生き残る工房でなければならないのです。

1.堀石膏制作の歴史

 石膏像のネット通販サイト「石膏像ドットコム」は、東京都豊島区にある私の工房「堀石膏制作」によって運営されています。堀石膏制作は1950年創業、親子三代にわたってすでに68年の歴史があります。

 初代の堀豊吉(とよきち)は埼玉の農家に生まれ、戦前に製麺会社・菓子問屋などで働いた後、遠縁の親戚にあたる大内芳氏が駒込で営んでいた石膏像工房に弟子入りすることになりました。大内氏、松平氏の工房などで実地の製作訓練を積み、技術の習得に励んでいたものの、第二次世界大戦で徴兵されることとなります。その後無事に兵役は終えたものの、戦中・終戦直後は石膏像の需要が無きに等しい社会状況だったため、大倉陶苑に職を求めるなど糊口をしのぐ日々が続きました。1950年になると、豊島区雑司ヶ谷に工房を設立し堀石膏制作を創業しました。

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 創業68年と書くと長い歴史のように聞こえますが、実は日本国内の石膏像製造業者としては最後発のグループに属します。石膏像が我が国に伝来するのは1876年(明治9年)の工部美術学校の設立時です。イタリアから招聘された美術教師たちがデッサン教育の素材として携えてきたものが起源で、その後それらを複製する必要から石膏像を取り扱う専門の業者が発生しました。1887年(明治20年)の東京美術学校の設立以降は、美術教育の広がりもあり石膏像の需要が増加し、幾つもの石膏像工房が設立されました。大正~戦前の時期に、画材取り扱い業者と石膏像工房との間には既にそれぞれに密接な関係が構築されており、堀石膏制作がスタートする1950年代には業界への参入余地があまり残されていませんでした。

 そこでやはり後発の、値引き販売でその存在感を増しつつあった小売店とタッグを組むことになりました。高度成長期ということもあり順調に販売は拡大し、堀石膏制作の製品ラインナップも増え生産量は増加していきました。1964年に娘婿として工房を引き継いだ2代目の脇本正勝は、美術予備校や学校教材卸業者などとも取引を開始し、工房の規模の拡大に尽力しました。

 1990年代初頭、バブル経済の終焉とともにそれまでずっと右肩上がりだった画材業界にも変調が訪れます。経済状況の悪化は、実利的な面が見えにくい美術教育全体を軽視する風潮につながりました。美大受験志願者の減少、美術大学入試に於ける石膏デッサン課題の比重の低下(世界の美術の潮流と乖離しているのでは?という理由から)、少子高齢化による新設学校の減少(小・中学の減少、統廃合)などにより、石膏像の販売量も漸減し始めます。 三代目となる脇本壮二は、そんな状況下の1994年に工房で働き始めました。

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2.2008年以前の状況

 三代目の私は、1990年の大学卒業後コンピューターシステムの会社に3年ほど勤め、主に金融機関のシステム設計などを担当していました。興味深くやりがいもある仕事だったのですが、いつしか家業の石膏像製作の仕事へと気持ちが傾いていきました。退社後は1年間ほどフランスに遊学し、ヨーロッパ各国の主要美術館・遺跡などを巡り西洋彫刻についての見識を深め、1994年に帰国して28歳のとき父の運営する堀石膏制作で正式に働き始めました。

 前述の通り、石膏像の市場規模は1990年以降縮小傾向にありました。この状況は石膏像の製造業者の淘汰も促すこととなり、70歳以上の事業主が運営していた石膏像工房の何軒かは、需要減退の傾向を踏まえてのことなのか、後継者を見出すことなく衰退し、やがて廃業していきました。2000年を迎えるころには、日本国内の石膏像製造業者は3~4軒が残るのみという状況になりました。業者が減ったのだから、その分一軒あたりの受注が増えそうなものですが、堀石膏制作の業績は依然として漸減傾向が続いていました。2008年の販売金額は、ピークであった1990年と比較すると3割以上の減少という惨憺たる状況でした。

 1994年から工房で働き始めた私は、最初の10年間は石膏像を作るためのノウハウの吸収に忙殺されていました。売り上げの減少傾向は重々承知していたものの、それに対する具体的な方策を考えるところまで手が回らないというのが、正直なところでした。


3.アメーバブログ「きょうの石膏像」スタート

 90年代初頭にコンピューターシステムの構築を請け負う会社に勤務していたにもかかわらず、退職後はまったくコンピューターに触れない生活を続けていました。友人たちがいち早くパソコンを手に入れ、徐々にネットショッピングの利用などを始めていることは知っていました。しかし全てがアナログで手作業の石膏像制作に追われる日々の中では、パソコンとの接点などまったく見いだせなかったのです。2008年頃、当時小学校の高学年になった子供たちのためにと、義理の母がパソコンをプレゼントしてくれました。初めて触れるインターネットの世界は親にとっても全てが興味深く、無限に広がるネット世界の探検に熱中する日々が続きました。

 当時隆盛を極めていたネットショッピングの世界を垣間見て、朧気ながら販売量の回復の鍵がネットにあるのではと考え始めました。ネットを通じて石膏像を販売する。自分でネットショップを開設し、そこで直接販売するのが理想だろう。今まで卸価格で仲介業者に販売していたものが、小売値段で直接顧客に販売できる。究極的には生産する全ての石膏像を「中抜き」で販売すれば、売上も利益も劇的に改善するに違いないと。ここまではすぐに思い至りましたが、問題はどうやって?という部分。ウィンドウズに触れるようになって数か月、いまだ右クリックを知らないような状態で、ホームページってどうやって作るんだろう?という段階です。ホームページビルダーを触ってみたり、ショッピングカートのパッケージソフトを調べてみたりとゴソゴソ動いてみるものの、ネット上に何らかのコンテンツをアップロードするなんて遥か遠い道のりのように感じていました。

 そんな時に、当時中学生だった甥がブログを書き始めたと知りました。興味津々で覗いてみると、内容はともかく、自分なりに書き連ねた文章がちゃんとネット上で閲覧できる。立派なホームページやネットショップとはかけ離れた存在だけど、とりあえずコンテンツをネット上にアップしている。中学生にできるなら自分にも出来るはずと思い、同じアメーバブログ上でブログを書いてみることにしました。端末サイドで動作するパッケージソフトとは違い、クラウド上の環境にアクセスして、そこで全てが完結するブログは思いのほか容易に取り組むことができ、初期設定などもスムーズでした。

 ブログに何を書くかはすぐに決まりました。石膏像の紹介と、そのオリジナル彫像に関する情報を書いていこう。親子三代で長年石膏像の製作に取り組んできたわけで、石膏像に関してはすでに相当な量の知識の蓄積がありました。でもそういった情報はごく内輪の石膏像製作者同士で共有されている程度で、世間にはほとんど知られていないような状況でした。一点ずつブログに紹介記事を書いていけば、やがては石膏像の認知度も上がり、最終的に販売量の向上に貢献できるとのではと考えました。一日一点の石膏像を紹介してゆこうと思い、ブログタイトルは「きょうの石膏像」(NHKの「きょうの料理」に倣って)としました。この作業を継続してゆくことで、自分に不足しているネットリテラシーを向上させ、やがてはネットショップへと到達できるのではないかという目論見でした。

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 毎日更新とはいかなかったのですが、それでも頻繁に更新し、たくさんの石膏像記事をアップしていきました。またこの時期は、ブログ記事の作成のために集中して石膏像を撮影しました。それまで蓄積していた映像は全てフィルムだったのでデジカメで撮影しなおす必要がありました。石膏像は受注生産が基本のため、工房に実物があるのはほんの一部です。注文に応じて製作した石膏像で未撮影のものがあれば、その都度撮影する日々が延々と続きました。写真撮影は忍耐の必要な作業です。石膏の粉だらけの作業場に黒い幕を張って撮影するため、すぐに幕が白くなってしまいます(今になって思えばどうしても黒バックである必然性はないのですが、この当時はなぜかそう決めつけていました)。また真っ白の被写体を撮影するためにはライティングへの配慮が必須ですが、そのための環境も設備も不足していました。この時期の後悔は一眼レフのカメラを買わなかったこと。これは大失敗でした。コンデジで全てを撮影してしまったので、結局現在のショップの映像もそのままになっています。もう一度全部を撮影しなおす機会があるかどうか。今後の大きな課題です。

ブログを書き進めるうちに石膏像・西洋彫刻についての勉強量も増えていきました。アップするからには正確な情報をと思い、図書館に毎週通い西洋彫刻関係の本を片っ端から読み漁りました。オリジナル彫像の作者、テーマ、収蔵場所、時代背景、発掘の経緯・・・調べるべきことは無限にありました。ネット上で商売をという当初の目的からは一時的に離れたような状況でしたが、この時期の活動は重要でした。誰にも負けない石膏像の小売業になるためには、圧倒的な商品知識が必要だと考えていましたし、ショップを構築するためには、全ての石膏像のデジカメ映像が必須だったからです。

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4.ブログからカラーミーショップへ

 当時のアメーバブログは、ブロガー同士の横のつながりの広げやすさに特徴がありました。自分のブログを読んでくれた人の足跡を辿ることが容易で、そこから発展してコメントを交し合うことで、たくさんの交流が生まれました。

 ブログを書き始めて一年くらい経過したころ、西洋アンティークをテーマにしたブログと出会いました。英国在住の方が書いていたブログで、何度か伺っているうちにサイドのカラム内にネットショップへの誘導バナーを見つけました。なるほど、こんな風にブログからネットショップへの導線を作るんだ。スポード、ミントン、ロイヤルウースターなどのヴィンテージ洋食器がズラッと並んだネットショップは、カッチリと作りこまれた美しい画面で、こんなショップが実現できたら最高なのに!と羨望の眼差しで眺めていました。ある時、画面の最下部に「powered by カラーミーショップ」の文字を見つけます。あれこれ調べてみると、カラーミーショップはASP(Application Service Provider)の事業者で、ホスト側にアプリを置く形でネットショップ構築サービスを提供している会社だと知りました。SE時代にIBMの3270手順(ホスト主導で端末に画面を供給する)を取り扱った経験から、すぐにピンと来ました。これだ!と。

 求めていたのは完璧にドレスアップされたカッコ良い画面のネットショップではなくて、とりあえず開店できて、とりあえず商売を始められる環境。ある程度管理会社が面倒を見てくれて、支払い・決済面などを安全に確実に実行できる環境。そういう意味ではASPサービスに辿り着いたのは必然でした。

 カラーミーショップが素晴らしかったのは初期費用が安かったこと。本当にお客さんが来てくれるかどうか分からないのに高額の初期費用はかけられません。モールへの出店も検討しましたが、楽天などは最小のプランでも初期費用が十数万ということで、最初から除外して考えざるを得ませんでした。カラーミーショップはその十分の一くらいですから、まずは安心感がありました。

 一年前に絶対無理だと思って諦めたネットショップが現実味を帯びてきました。ここからは猛スピードで調査・学習し、ブログも一時休止して集中してショップ構築に取り掛かりました。6月にカラーミーショップに申し込み、8月に開店した記憶があります。毎晩、仕事から帰宅し最低限の身の回りのことを済ませたら、深夜までずっとパソコンに張り付いていました。

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5.「石膏像ドットコム」のスタート

 創業以来、生産者として卸業者との間に築いてきた信頼関係を考えると、自分達が小売りに進出することは簡単な判断ではありませんでした。製造者が直接販売を行えば、卸業者は当然良くは思いません。既存の全ての取引先との関係が消滅するかもしれないという覚悟でネットショップのスタートを決断しました。2000年以降の販売状況はその決断を迫るほど悪化していましたので、背に腹は代えられない状況でした。

 堀石膏制作の工房で作る石膏像は全部で約450種。写真、製品サイズ、価格、石膏像の詳細なデータなどを一点ずつ入力していきました。写真はまだ揃わないものも多く、正面カットだけでした。石膏像のオリジナル作品についての文章はブログ記事から要点だけをコンパクトにまとめ直して収録。こちらもまだまだ不十分なものがたくさんありました。最もシンプルな画面構成を目指していたにも関わらず、膨大で気の遠くなるような作業量でした。ずっと座り続けるので、とにかくお尻が暑かったことだけよく覚えています。

 ネットショップの価格設定はすごく慎重に行いました。というのもこの時点で卸業者から攻撃されるのを警戒したからです。既存の取引先には二つの大口がありました。①画材の店舗小売最大手(最低価格販売を標榜)②学校向けの美術教材販売最大手です。ネットショップの価格は、①での小売価格を下回らないように、②の販売価格よりは安いレンジに設定しました。②の顧客層は学校予算での購入のため価格は重要なファクターではない。だからネットにそれを下回る価格が存在しても②の業者が過敏に反応することはないだろうという想定です。

 とにもかくにも、日本初の石膏像専門サイト「石膏像ドットコム」は2010年8月にオープンしました。

 最初の注文メールが来たときの喜びをよく覚えています。SEO対策も十分ではなかったと思いますが、開店から2週間後には何件かの受注がありました。その後の数か月の運用で確実な手ごたえを感じていました。でもその年の年末の時点でのネットショップの売上は、全体の5%くらい。まだまだ卸業者との取引が中心でした。ショップの決済機能は銀行振込のみでクレジット決済にも対応していませんでしたし、なによりターゲットとなるお客様の大多数にまだまったく認知されていない状況でした。卸業者との取引を大切にしつつ、ネットショップの成長を推進する難しい時期が数年間続きました。

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6.Amazon、Yahooショッピングへの進出

 オープンの一年後、2011年にはクレジットカード決済への対応を実現。この時に全国一律送料無料化にも踏み切りました。ヤマト運輸からの発送実績を踏まえて、顧客単位の購入金額が高い石膏像のネットショップであれば送料の無料化は可能と判断しました。2012年にはAmazonのマーケットプレイスに出店。さらに2014年にはヤフーショッピングにも出店しました。これらのショップの改善、新規出店は、その都度大きなチャレンジではありましたが、最初のショップ構築ほどの作業量ではなかったように思います。ひとつの雛形が出来上がってしまえば、後はコピー、応用することで対応できます。ネットに関する様々なスキルも自然と向上していきました。この間、ネットショップへの受注は常に右肩上がりで増え続けました。

 逆に卸業者との関係は衰退の一途となりました。といってもこれは目論見通りだったのです。石膏像はウルトラニッチの商材なので、限られたお客様の数しか存在しないと感じていました。ネットショップの開設で目指していたのは、新しいお客様をたくさん生み出すことではありません。それまで卸業者を通して購入していた極少数のターゲット層のお客様を、確実にネットショップに誘導することだったのです。ネットショップがよりリーズナブルな価格とサービスを提供すれば、お客様は自然にネットに流れるはずという確信がありました。

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7.旧来の取引業者との関係の再構築

 ネットショップが成長軌道に乗り始めた頃から、旧来の取引業者との関係は整理・縮小する方向に向かいました。ネットショップを構築・改善してゆくのと同じくらいのエネルギーを注いで、卸業者との取引を出来るだけ円満に縮小するための施策を次々と実行しました。具体的には①価格②納期。この二つをコントロールすることで、ネットショップの存在をより優位な存在に押し上げていきました。

 取扱量の少ない業者とは取引を終了し、より大口の業者を通じての購入を呼びかけました。10社以上あった取引先は最終的に3社にまで縮小しました。見積もり、受注連絡、出荷作業、会計処理など各社ごとに対応していたものが大幅に簡略化されました。卸売価格は段階的に引き上げてゆきました。従来卸売価格の改定には取引先との綿密で粘り強い交渉が必要でしたが、ネットショップの規模拡大を背景に、強気の要求を押し通すことが出来ました。

 納期については、それまで個別案件ごとに短縮した納期の要求に対応していたものを一切取りやめ、受注後10日以内の出荷という明確なルールを打ち出し、これを徹底するようにしました。逆にネットショップ上では、お客様と直接お話できるので納期についても柔軟に対応しています。可能な納期であれば出来るだけ努力しますし、無理な場合はハッキリとお伝えしています。これは在庫状況、工房の稼働状況を常に完全に把握している当事者だからこそ出来る対応です。

 結局、ネットショップの開始から3年程度で、これらの卸売業者とは非常にドライで適度な距離感のある関係へと変化してゆきました。頭を下げて買ってくださいとお願いし続けていたものが、必要でしたらどうぞご注文ください、誠意をもって納品させていただきます、という間柄に再構築されていったのです。

 石膏像ドットコムをスタートする時に、卸業者とネットショップの両方を伸ばそうとせず、片方を諦めたのは正しい判断でした。もちろんこれは石膏像という商材の特性あればこそだと思います。製造業者が極端に少ない寡占状態で、市場全体の商品の流れ、取り扱い業者とお客様の動向が容易に把握できる状況だったからこそ可能だった対応です。普通の商品だと同業他社の存在があるので、ここまでシンプルに物事を考えるわけにはいかないと思います。100%ネットショップを優先してゆくという方針を貫くことで、石膏像ドットコムは大きく成長することになりました。

 ここまで書いてきたことをご覧になると、仲介業者への敵対心のようなものを感じると思いますが、最初からこんな発想だったわけではありません。それはネットショップのスタート後に徐々に形成されてきたものです。生活の糧を提供してくれている相手に反旗を翻すのは勇気が要ることです。でも自分で小売りに直接参入したという事実を突き詰めていくと、最終的にはこういう意識にならざるを得なかったというわけです。


8.2015年の勝利と「石膏像図鑑」

 あらゆる方向からネットショップ「石膏像ドットコム」へと顧客を誘導する作戦が一定の成果を見せ始めたのは2015年くらいだったと思います。それまで学校教材卸売業者経由だった学校関係(特に大学・高校)からの受注が急増しました。価格、ショップの継続性、料金後納への対応などが周知されるまでにずいぶん時間がかかりました。ネットショップの価格は2010年の開店以来ほとんど変更していないため、相対的にリーズナブルな販売価格として認知されるようになったのでしょう。

 2009年に開始したブログは結局3年くらい頑張って継続しましたが、次第にマンネリ化を感じ始めたのと、ネットショップの注文管理、メール対応などが多忙になり徐々にフェードアウトになりました。ただここで蓄積した石膏像に関する知識・情報はやがて書籍として結実することになります。

 ブログで石膏像について書き続けたことで、何人かの学術研究者との交流が生まれました。中でも「石膏デッサンの100年」(2018年アートダイバー刊)を出版した美術教育研究者の荒木慎也さんとの関係は重要です。2011年に博士論文執筆の取材で堀石膏制作を訪れてくれた荒木氏とは、その後もずっと継続して情報交換する間柄になりました。荒木氏の持つ美術教育分野の知見に触れることで、自分の中に乱雑に蓄積されていた石膏像に関する知識が次第に秩序だった形に整理されてゆきました。

 ネットショップが小売業として成功するためには、誰にも負けない商品知識が必要だと考えていました。石膏像については誰よりも詳しいつもりでしたが、荒木氏と交流することで、それを何か目に見える形で提示できないものかと模索し始めました。書籍として出版・・いやそんな素人の学者ごっこに付き合ってくれる出版社など存在しないだろうし、第一買ってくれるお客さんがいるはずがない。出版なんて夢のまた夢だと逡巡していたのが2013年頃。それなら既出のブログ記事をすべてワードで整理整頓して、プリンターで印刷して冊子を作ろう!と決めました。でもいざ作業を始めてみると次第に欲が出てきました。あれこれ調べると最近はネット出版というものもある。それならばもういっそ自費ですべて印刷してしまおうと考えました。ブログでは掘り下げられていなかった石膏像の調査をさらに半年、必要な資料を整えて具体的な紙面を作るのに半年間費やしました。こうして2015年の春に380ページに及ぶ「石膏像図鑑」が完成しました。手前味噌ではありますが、これは画期的な書物になったと自負しています。手つかずの知識の鉱脈を少しだけ掘り下げた実感がありました。

 2015年後半に期待薄な気持ちで石膏像ドットコムのショップ上と、Amazonマーケットプレイスで石膏像図鑑の販売を開始してみたところ、予想を大きく上回る反響がありました。5400円(税込・ほぼ印刷代+送料の実費)という高額な価格設定にも関わらず、これまでに230冊以上を販売しました。「石膏像図鑑」を提示できたことはネットショップの信頼感向上につながったと思います。私自身もこの図鑑を使って様々な質問メールに迅速に返信できるようになりました。

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 2015年末にはネット販売の比率は全体売り上げの7割以上に達し、この図鑑の出版も相まって、2008年以降に展開してきた活動がひとつの完成形に到達したように感じました。自分で小売に参入すること、石膏像の知識を飛躍的に向上させること。この二つは同時進行でした。どちらかをやってから次というのではスピードが足りず上手くいかなかったかもしれません。混沌の中を手探りで進んだ7年間。過ぎてみるとそれは楽しく充実した時間でした。

 ネット上に「石膏像ドットコム」というお店があり、そこでは国内で入手可能なほとんどの石膏像を全国一律送料無料で購入でき、「石膏像図鑑」が販売されている。AmazonとYahooショッピングにも同様の商品ラインナップ。これが私が7年くらいかけて完成させた体制です。

 2016年以降は変革のスピードは緩やかになりました。進化すること、向上することに鈍感になってしまう怖さはありますが、今は製造・販売のルーティーンをこなすことだけで十分忙しい毎日です。2016年末にTVの取材があって賑やかだったり、今年は賞をいただいたり。ポツリポツリと嬉しい出来事があって、なんだか遮二無二頑張って来た日々へのご褒美をいただいているような気持ちです。

 いまだ現役で仕事に携わっている父が引退するようなことになれば、また新しい扉を開く(もしくは古い扉を閉じる)ときがやって来るかもしれません。それまでは日々の仕事を大切にして頑張るのみです。こんな風にズラズラと書き連ねたりするけれど、つまるところ商売なわけですから。

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