見出し画像

パリ・オペラ座の日々1993~1994:5月30日 日本人会のバザー


5月30日(日)

日本人会のバザーに出かける。お昼頃にシャンゼリゼまで出かけた。納豆、シラタキなど面白いものがたくさんあったが、すでに売り切れ続出。日本米を10kgと、パリ大丸で使えるお米券をさらに10㎏分購入。他にもオデンの元など買って帰る。その晩は久しぶりに日本米を食べて、すごく美味しかった。

日本人会お米 300F
バザーの食品 50F
バザーのノート 20F
バザーの古本 6F
地下鉄カルネ 39F
朝市 26F


インターネットが皆無だった当時は、海外生活の中で日本的な要素との接点というのがとても限られていました。それでもパリはメジャーな観光地ですから、日本食材のお店があったり、日本の百貨店の支店があったり、この日記に登場する日本人会もしっかりした組織として根付いていました。こういった日本人向けの機関、店舗のお世話になるのはなんとなくかっこ悪いなぁ…という気持ちもあったのですが、滞在が長くなるにつれて徐々に有難く感じるようになりました。

日本人会は留守電サービスで日本のニュースを流してくれていましたし、オペラ座界隈に何店かあったラーメン屋さん(ヒグマ)、焼き鳥屋さん、JUNK堂書店などは、実際に入店する機会はわずかでしたが、お店の前を通りかかるだけでなんとなく心強く感じたものです。

当時は百貨店の支店もあって、三越、大丸、松坂屋、高島屋がそれぞれ出店していました。三越は独立した店舗を構えていて観光バスが乗り付けるような場所でした。大丸はたしかパレ・デ・コングレという商業施設内にテナントとして入居しており、団体観光客が立ち寄ってお土産品を購入するような場所でした。ちょうどパリ三越には妻の友人が勤務していたり、大丸は日記内にあるお米券を引き換えに行ったりで、何度か立ち寄ってみましたが、僕らにとっては特別な場所という感じではありませんでした。

画像1

(17区のパレ・デ・コングレ。「会議場」の名の通り大きなホール、ホテル、商業施設などの複合体。12月にはここでナンシー・バレエを観た。)


良く出入りしたのは日本食材を販売していた「京子食品」です。オペラ座に近い場所にあって、お米(当時はカリフォルニア、スペイン産の日本米)、味噌、海苔、こんにゃくなど、ごくごく普通の日本食材が確実に入手できる有難い場所でした。

食材はなんでも美味しいフランスですから、日本食にそんなにこだわる気持ちはなかったのですが、滞在期間が長くなるにつれてたまに食べたくなりました。納豆も冷凍で空輸されていて、たしか日本で100円くらいのパックが500円以上でしたが、買った記憶があります。ググってみたら現在も健在のようです。1974年からということで、継続性含めて素晴らしいお店だと思います。

資料を見返していたら、前述のパレ・デ・コングレ内には日本通運の支社があったり、京子食品の近くにはパリのヤマト運輸があったりで、駐在員・留学生が多いパリはそういう面でも便利な街でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?