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パリ・オペラ座の日々1993~1994:7月17日 ベルヴィル、ビュット・ショーモン公園


7月17日

お昼からお弁当を作ってサン・マルタン運河方面へ出掛けた。まずバスでナシオンまで行き、そこから歩きでビュット・ショーモン公園へ行き散策。その後ベルヴィルの駅まで歩く。イリフネの冊子に書かれていた通り、ベルヴィルは町の半分くらいは既に新しい建築に建て替わっていて、エディット・ピアフ的な要素は少し失われつつあるように感じた。でも風情のある光景もたくさんあって、古き良きパリという印象。中華系のお店が多くて、長芋を購入して帰った。19区はサンパで良いエリア。

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ベルヴィルの街角での一枚。


この日はラ・ヴィレット(パリ19区)方面から、バスティーユ近くのアルスナル港へと流れるサン・マルタン運河周辺を散策しました。流れるといっても運河は1825年に人工的に作られたもので、セーヌに向かって25mの高低差があるため閘門(こうもん:水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である)を使って船などを行き来させています。建設当初は飲料水の確保のために使われていたようですが、今ではレジャー用のボート、小さな観光船などが往来しているだけです。


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バスチーユ広場⇔ラ・ヴィレット間で観光船が運航されています。バスチーユから乗るといきなり地下暗渠部分に突入したり、せまっ苦しい水路をノロノロ進んで、それぞれの水門ではしばし停船して…と、時間に余裕が無いとけっこうイライラします(笑) でもゆったりと運河沿いのパリの街並みを眺めつつ進むのは楽しい時間ですね。少なくともセーヌ川クルーズのデカい観光船よりはずっと風情があります。

この日は観光船には乗らず(冬になってから乗船しました)、ナシオンの広場から徒歩で北上してビュット・ショーモン公園を目指しました。かなり距離があるのでずいぶん歩いたんでしょう(記憶が無い…)。パリ20区の中でも18、19、20区というのはちょっと庶民的なエリアで、1~8区みたいに「The観光地」的な街並みではなくて適度に隙があるというか、古くてボロいパリが垣間見れて楽しいエリアです。

途中には有名人が多数眠るペール・ラシェーズ墓地(20区)があったはずですが、ここは素通りでした(結局フランスにいる間一度も訪れなかった)。僕は夏目漱石のお墓がある雑司ヶ谷墓地のすぐ近くで育ったので、墓地は当たり前すぎて興味が湧かなかったのかもしれません。

ということで19区のビュット・ショーモン公園に到着。

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右手にある切り立った岩山(島)がアクセントになっている公園です。ビュット=丘、ショーモン=禿山、ということで、ここはフランス革命以降に建材のための石膏、岩石を切り出すための採石場として開発されたエリアでした。「石膏」!まさに僕のために用意されたような公園ではないですか!(笑) 

余談ですけど、現在石膏職人としての僕が毎日使う石膏は「焼き石膏」といって、地中から掘り出された石膏原石を一度粉砕して焼成して作られています。原石を焼いて水分を抜くことで、その後自由な形態に加工して強固に固めることができます。この石膏を焼いて使用する技法が広く使われるようになったのはパリが起源のようなのです(それ以前にもイタリアなどで石膏の造形物は作られていましたが)。その証拠に「焼き石膏」は英語では「plaster of Paris」と表記されます。ということでこのビュット・ショーモン公園は、石膏像職人にとっては聖地のような場所だったのではと思っています(もちろん訪れたこの日はそんな歴史的なことは全く知りません。そもそもまだ石膏像職人としての仕事を始める以前の話ですから)。


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(1852年頃、採石場末期の頃の丘の様子)

1860年頃に採石場としての役割を終えたこの土地は、第二帝政下での都市整備の一環として公園が計画され、1867年の万国博覧会に合わせたタイミングで完成しました。


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パリでは5番目に広い緑地面積ということで、広々として気持ちの良い公園です。

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これさっきの岩山の上の神殿風の建物のところで。たしかここでお弁当食べました。


その後は南側のベルヴィル駅に向かってブラブラ歩いて帰りました。ベルヴィルというと、シャンソン歌手のエディット・ピアフを思い浮かべますが、この時の印象では町にそういった面影はあまり見当たりませんでした。どちらかというと中華料理・食材店が目立つエスニックな感じです。

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当時の18、19、20区というのはアジア・アフリカ・アラブ世界からの移民が多く住むエリアで、ピアフの頃とは”庶民”の顔ぶれがずいぶん変わってしまったのでしょう。「TATI」という激安衣料品のお店が話題になっていましたが、何店舗かあった店舗はみんなこのエリアに集中していたように記憶しています(いまググったら18区のバルべスが本店みたい。経営不振で2020年は規模を縮小すると)。

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(タチの看板。”最低価格”…笑)

いずれにしてもベルヴィルがパリ市内としてはちょっと庶民的なエリアだということは、ピアフの頃からあまり変わらないみたいです。


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エデイット・ピアフ 正直なところ代表的な数曲しか知りません。でも秋から通った語学学校で「Milord」の歌詞を詳しく解説する授業があって、ちゃんと歌詞を覚えて歌ってみるとなんとも言えない味わいがあるなと感じました。

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