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ゲームデザインを改善/批評するための時間構造モデル「ワンダールクス」

geekdrumsと申します。インタラクティブミュージックの連載でこのnoteをフォロー頂いている方が多いかと思いますが、実はそれと比べるとあまりバズってないゲームデザインの連載も書いていました。

たしかに本業はプログラマーだし専門は音楽なんですが、コミケで2度も「ゲームデザインの魔導書」という同人誌を頒布するなど、ゲームデザインの研究活動も同人レベルで行ってたりします。

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この同人誌に執筆したのが、表題にあるゲームデザイン理論「ワンダルクス」です(魔導書という体裁のため、魔法の名前っぽくしています)。

既に01号のワンダールクスの記事は無料公開してたり、また日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)の夏季研究大会で発表したりなど、少しずつ公開しており、各所で反響を頂いておりました。しかし、これらは少し古かったりアクセスが良くなかったりしてたので、改めてnoteにまとめて広く普及させたいと考えました。


「実践的な汎用理論」を目指して

最初に、この理論が目指すところを共有しておきます。

「理論」と言っていますが、利用する「情報」「反応」「遊戯」「進行」などの概念はすべて独自のものであり、学術的な接続や引用は行っておりません。これはコミケやDiGRAなどで発表を行ってきたうえで、私としては、正しさを追求する事よりも、各人が自分なりに解釈して使い勝手の良い武器にできるような、より実践的な理論を目指そうと考えたからです。詳細な意図については長くなるため、記事の最後に書くこととします。

この理論では可能な限り広い範囲をゲームと捉え、同じ概念を使って比較しやすくするため、汎用的な理論を目指しています。ビデオゲームやアナログゲームにとどまらず、教育や食事や仕事なども含めて「ゲームと捉えることができる」ものとし、人間の行為に関わるあらゆる情報をゲームの文脈になぞらえて「情報」「反応」「遊戯」「進行」という4要素にまとめます。

汎用性を高めるため、ゲームジャンルによって個々に必要となるテクニックは含まれていません。例えば「RPGの敵パラメータはどうやって設定したら良いか?」とか、「ランダム性をどのようにゲームに取り入れるべきか?」といった各論は、各レイヤーの「魅力」として抽象化してしまっています。その代わり、「あのゲームの魅力をこのゲームに取り入れるべきか?」とか「このゲームはどの魅力をコストをかけて磨くべきか?」といったゲームの根幹に関わる疑問に理由をつけて答えることができるようになり、「こんな事をやっていて面白くなるのか?」といった根本が揺らぐような不安を可能な限り抑えることができます。


4つのレイヤー

この理論では、ゲームから得られる情報を4つのレイヤーに分類します。

(1) 入力と独立した情報は単に「情報のレイヤー」
ex. 背景、キャラクター設定や世界設定、音楽、環境音

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情報の例:かわいいキャラクター、イカした音楽

(2) 入力へのフィードバックは「反応のレイヤー」
ex. ビジュアルエフェクト/サウンドエフェクト/振動

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反応の例:敵を倒して飛び散るインク、こだまする悲鳴

(3) 能力へのフィードバックは「遊戯のレイヤー」
ex. 戦闘、アクション、謎解き、パズル

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遊戯の例:インク状況を把握し最適な戦略を即座に考える

(4) 努力へのフィードバックは「進行のレイヤー」
ex. 物語の進行、キャラクターの成長、ソーシャル的な繋がり

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進行の例:ウデマエが上がる、装備を揃える

これは、人間の可能な行動が時間のスケールによって「情報の認識」→「単純な入力」→「能力の発揮」→「継続的な努力」といったように質的に変化していく事に対するゲームの応答をモデル化したものです。

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各レイヤーで与えられる情報には、プレイヤーが認識するために必要な時間と、それによって得られるモチベーションの持続時間があり、認識するのに時間がかかる情報の方が、与えられるモチベーションも大きい、という傾向があります。

この関係は、ちょうどRPGにおける魔法の強さと使用MPのような関係と言えば、ゲームに親しい皆さんにとってわかりやすいのではないでしょうか。
大魔法=システムや伏線を理解した上でのカタルシスを与えるには、相応のMP=長時間をプレイヤーに注ぎ込んでもらう必要があります。

ここでは、
後半のレイヤーの高コスト・高火力の情報を「大きい情報」
前半のレイヤーの低コスト・低火力の情報をより「小さい情報」、
と表現します。


ゲームデザインの「ボトルネック」

突然ですが、「ゲームデザインの目的」とは何でしょうか。

私の場合、そのゲームで与えたい最も大きな情報まで、プレイヤーを導く事と仮定しています。最終的に与えたい感情はクリエイターごとに千差万別でも、そこにスムーズに導くまではゲームデザイナー共通の目的と言えます。

娯楽の少なかった時代はまだ期待だけで長時間プレイしてくれたかもしれませんが、手頃な娯楽があふれる現代では、短い時間、少しの時間、多少の時間、長い時間……と、プレイヤーの没入を途切れさせないことが重要になってきます。

4つのレイヤーによる分類の利点は、大きな情報を与えるまでのボトルネックを可視化できることにあります。

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上図は、縦軸をその情報の魅力、横軸をその情報がゲームサイクルで与えられる頻度とした上で、次の○○が見たい!というモチベーションの持続時間がゲームを理解していくに従って少しずつ長くなっていく様子を、レイヤーを1段階ずつ通過する事になぞらえて図式化したものです。

参考:
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のすばらしさを図で説明してみる。あとデジタルゲームにおける「楽しさのテンポとリズム」の重要性について
>>たとえば、遠くに見えるタワーや祠を見つけては、まずはそこを目指して向かっていく。道中では、落ちている素材を拾ったり、動物や虫を捕まえたり。あるいは敵と戦ったりというイベントがありつつ、目的地に近付くに連れ、じつは途中に崖があったり、ゴブリンのキャンプがあったりして、どうするかの判断に迫られる。タワーに着いたら着いたで、今度はそこから景色を見下ろしているうちに、新しく行きたいと思う場所が現れ……。また新しい場所を目指して冒険を繰り返していく。
本作では、このプレイのサイクルが、とにかく小気味よく、そして有機的に繋がっていくのである。

情報のレイヤー(Information)=I
反応のレイヤー(Reaction)=R
遊戯のレイヤー(Play)=P
進行のレイヤー(Story)=S
という略を使い、IRPS図として簡略に表記します。

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情報のレイヤーでは、魅力的な世界を感じてコントローラーを手に取り、
反応のレイヤーでは、気持ち良い手触りでもっと遊びたいと感じて、
遊戯のレイヤーでは、面白い駆け引きを乗り越えて次に進みたいと感じて、
進行のレイヤーで、今までの行為が実を結んで遊んで良かったと思える。
というのが、一番わかりやすいゲームの理想形です。

情報や反応の魅力、すなわち絵や音から感じる魅力が足りなければ、遊戯や進行の魅力、すなわちシステムやシナリオを理解するまでモチベーションが持続しなかったプレイヤーがゲームを離脱してしまう「ボトルネック」がある状態となります。

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ゲームデザインの改善は、このボトルネックの改善と捉えることができます。

まずは、ボトルネックを太くする=反応のレイヤーの魅力を改善するという工夫がイメージできます。

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あるいは、ボトルネックを短くする=ゲームのテンポを早めることで、提供したい魅力まで届きやすくする、という改善方法もあります。

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ゲームによるレイヤー構造の違い

AAAタイトルであればすべてのレイヤーの魅力が充実している事を目指すかもしれませんが、実際は作りたいゲームによってどのレイヤーにコストをかけるべきかは変わってきます。

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例えば格闘ゲームのような、遊戯のレイヤーの魅力が主眼となるゲームの場合は、背景や音楽の演出、エフェクトの演出が長いとテンポが悪くなってしまうので、情報・反応のレイヤーは圧縮し、遊戯に関する情報を次々と与えるような構造になっています。

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あるいはアドベンチャーゲームのようなシナリオの進行が主眼となるゲームであれば、遊戯のレイヤーを省略してテンポよく進行感を与えるような構造になっています。

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このような構造の違いを意識すると、あるゲームの魅力を他のゲームに適用する時の効果が予想しやすくなります。似たような構造のゲームの魅力は取り入れやすいですが、構造が違うゲームの魅力はそのまま取り入れても、過剰になったり、かえってテンポを悪くして邪魔になることさえあります。


レイヤーの分類

各レイヤーの魅力と関係性について。

情報のレイヤー:入力と独立した情報

情報のレイヤーとは、その世界に居続けたいと思わせるような、背景、BGM、環境音、それらの変化などの、いかなる入力とも関係のない魅力の集合です。

キャラクターの設定や世界観なども情報のレイヤーの魅力ですが、それがプレイヤーの能力や努力によって変化すると遊戯や進行のレイヤーの魅力にもなります。

奇妙な平行投影世界を探索するアクションアドベンチャーゲームの「FEZ」では、謎めいた世界と美しいピクセルアート、緻密なサウンド、そして背景の多重スクロールや光のゆらめきで、常に画面を動かしています。

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(FEZ/Polytron Corporation)
https://store.steampowered.com/app/224760/FEZ/

「風ノ旅ビト」や「ワンダと巨像」なども情報のレイヤーの魅力が大きいタイトルとして挙げられます。光の表現が非常に凝っていて、どこかに実在するかのような世界に魅せられます。

参考:
「ゼビウス」がなければ「ポケモン」は生まれなかった!?———遠藤雅伸、田尻智、杉森建がその魅力を鼎談。ゲームの歴史を紐解く連載シリーズ「ゲームの企画書」第一回
>>杉森氏:ドットの技術も凄まじいと思うんですよ。光の当たり方なんて、リアルじゃないですか。一番明るいところは白く飛んでいて、真っ黒い影も落ちている。あれがもう、とてつもなく格好いいんです。バキュラなんて、もうキラキラ光りながら回ってるように見えましたからね。

入力と関係ないということは、映画やアニメなどの映像作品でも同じように情報のレイヤーの魅力は存在しており、ゲームデザインの理論としてこのような概念が組み込まれることは少ないかもしれません。しかし、プレイヤーの没入はコントローラーを握るより以前から始まっているのです。停止した画面や、聞き飽きたサウンド、どこかで見たことのある景色はそれだけで没入感を奪い去っていき、逆に、常に新鮮な世界を提供できればそれだけでプレイヤーにコントローラを握る能動的な理由を与えることができます。


反応のレイヤー:入力へのフィードバック

反応のレイヤーの魅力とはすなわち気持ちよさ。入力の結果として認識される情報で、ビジュアルエフェクトやサウンドエフェクト、身体的なフィードバックなどの事です。

少し厳密に言うと、ここでの入力とは(遊戯のレイヤーにおける「能力」との区別のため)ほとんど無意識に実行可能な行為と定義しています。

入力とフィードバックの間が多少開いていても、RPGのコマンド選択とコマンド実行など、入力に対応する結果として認識されれば反応のレイヤーと考えています。

コンボ入力など、無意識にできるようになるまで練習を必要とする場合は、その操作を意識的に行っているうちは遊戯のレイヤーに属しており、無意識にできるようになると反応のレイヤー、という感じです。

インタラクティブミュージックの歴史においても金字塔と言える「ゼルダの伝説 風のタクト」では、すべての剣戟がリズムや音階をつけた音楽的なエフェクトで装飾され、音楽と一体となるような戦闘が可能です。

(ゼルダの伝説 風のタクト/任天堂)

ゲームにおいて「手触り感」は命であり、多くの伝説的なクリエイターも、最後まで手触りを追求することの重要性を語っています。気持ち良い手触りがあるからこそ、プレイヤーは「このゲームをもっと触っていたい」という能動的な欲求を持ち続けることができます。

参考:
「不思議のダンジョン」の絶妙なゲームバランスは、たった一枚のエクセルから生み出されている!? スパイク・チュンソフト中村光一氏と長畑成一郎氏が語るゲームの「編集」
>>ローグのとっつきにくさ解消法――2.手触り感を徹底的に高めた
>>中村氏:そう。コンピュータゲームは中身のルールも大事だけど、まずは触っているだけで気持ちいいことが重要なんです。それまでのローグ系のゲームで、あれほど高速でダンジョンを進む作品はなかったと思います。でも、あのゲームを繰り返し遊べるのは、ガーッとスピードを上げて走り回るのが気持ちいいからなんですよ。もしあれが、必ず一歩一歩進んでいたらと考えてみてください。とても何回もプレイできない。もちろん、これはルールのような内容の面白さとは別の話ですが、やはりゲームには求められるんですね。


遊戯のレイヤー:能力へのフィードバック

遊戯のレイヤーはゲームの本体と言える部分、プレイヤーの能力への評価として認識される情報で、「戦闘」「パズル」「アクション」「ステルス」「謎解き」などが含まれます。

この理論において遊戯はあくまでゲームを構成する4つの要素のうちの1つであり、他の部分の魅力も含めて全体をデザインすることがゲームデザインである、との立場をとっています。

とはいえ、遊戯というものが、ビデオゲームにとって中枢的な要素であることには変わりません。他のあらゆる娯楽の中からビデオゲームを選ぶ最たる理由は遊戯にあるでしょう。

遊戯のレイヤーの魅力はまさしく「面白さ」と言われる部分で、それを実現する方法は実に多様です。私自身は、「戦場のヴァルキュリア」や「Splatoon」といったタイトルに見られる、位置関係が複雑に絡み合うようなシステムに大きな魅力を感じています。

面白さとは何か?という議論は大変難しいものですが、CEDECで行われた「意識の統合情報理論」というセッションで、実験的に定義された意識の「統合情報量」という概念が、どうもゲームにおける「面白さ」に近いような気がする……という仮説も立てています。

遊戯のレイヤーでは「創発的」なシステムを開発する事で、他のレイヤーと比べて少ないリソースで多くの情報を生み出せるという利点があります。
10の感動を作るのに10個のシーンを作るのではなく、1のシステムから10も100も創発的な状況を作り出せる可能性があり、プレイヤーを多くの時間楽しませることができます。

参考:
ゲームメカニクス おもしろくするためのゲームデザイン | アーネスト・アダムス, ヨリス・ドーマンズ 第3章 複雑系と創発型の構造
なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の本質 | 渡辺 修司, 中村 彰憲 第11章 ルドとゲームデザインのメカニズム
しかめっ面にさせるゲームは成功する 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン | イェスパー・ユール Chapter4 ゲームにおける失敗のあり方


進行のレイヤー:努力へのフィードバック

進行のレイヤーとは、それまでのゲームプレイに「意味があった」と感じさせてくれるような、努力の結果として半永久的に残ると認識される情報です。

物語の進行や、新しい景色や音楽など到達を表現するもの、成長によるパラメータの変化やアイテムの取得、キャラクターの関係性や状況の変化、ゲーム内だけではなく現実世界での友人関係の強化や、ユーザーが作り出すコンテンツなどが該当します。

進行のレイヤーはゲームサイクルの取りうる幅が最も大きく、何日もかけてクリアした!という場合もあれば、クッキークリッカーのように入力するだけでどんどん進行していく!という場合もあります。


進行の魅力は、「半永久的に残る」事が重要であり、そのデータや思い出が、どれほど残りやすいか、という事も魅力に繋がります。「Detroit: Become Human」などのアドベンチャーゲームは進行の塊とも言えるジャンルですが、通ってきたルートを視覚的に残すことにより、自らの選択が小さな思い出以上に意味のあるものとして感じることができます。

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(Detroit: Become Human/Quantic Dream)
フローチャートシステムを使って、自分が今までに通ったシナリオ、まだ見ていないシナリオの存在が一覧できる。

小さな達成でも、それを実績(トロフィーや勲章、称号など何でも良い)として閲覧可能にすることで、進行の魅力を高めることができます。実はこの効果を最もよく応用しているのがスポーツの「野球」であると考えており、遊戯としてはテンポが悪すぎる部分を、その合間に解説などで打率、奪三振率、盗塁成功率、本塁打数、などなど、過去のあらゆる統計を持ちだして「称号」やその進捗率を提示しており、ゲームでもこれくらい詳細なデータを教えてくれたら魅力が上がる可能性があります。

逆に、セーブデータが消失してしまったり、運営型のゲームで運営が終了してしまったり、対戦型ゲームのレーティングを落としてしまったり、永久性が失われる、という事もありえます。こうした事実、またはその不安が大きくなってしまうと、せっかくの進行の魅力が削がれてしまいます。

参考:
ゲームメカニクス おもしろくするためのゲームデザイン | アーネスト・アダムス, ヨリス・ドーマンズ 第11章 進行型のメカニズム
なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の本質 | 渡辺 修司, 中村 彰憲 第12章 ナラティブとナレーム


ワンダールクスの応用

応用時の諸注意について。

汎用理論ゆえの強み・弱み

この理論では、各レイヤーの魅力は例示にとどめており、魅力の中身を定義していません。これは、ある情報を魅力的と感じるかどうかは個人の経験や嗜好に左右されるため、汎化しづらい部分を抽象化することで汎用的な理論とするためです。

どうすれば、ワクワクするとか、気持ち良いとか、面白いとか、感動するといった感情を呼び起こせるのか?というのは、共通部分もあれど、多様性の方が尊重されるべき要素かと思います。

一方で、どうすればモチベーションを保ったまま目的の感情まで導けるか、というレイヤー構造に関しては、目指すゲームの形式に応じて、統一理論を用いて評価・改善できるのではないか、というのが本理論の狙いであり強みとなる部分です。

同時に、「魅力」についてほとんど何も語っていない、というのがこの理論の弱みでもあります。ゼロからゲームを考える時にこの理論だけで面白いゲームが作れるとは思えません。あくまで、目指す体験があったうえで、それ以外の構造や他のゲームの魅力と比べて不安にならないように、という効果が大きいと思います。

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ゲーム製作段階の「不安」に立ち向かう

ゲームの製作段階においては、重要な魅力のうちのほとんどが未実装である段階が長く続くことになります。そして当然、遊戯の魅力も最初は思ったように成立しません。

この時、本理論におけるボトルネックが発生しやすく、制作上でのモチベーション維持やゲームへの正しい評価が難しくなります。そもそも遊戯に至る前にモチベーションが持続できていないのに、漠然とした「面白くない」というネガティブな反応を受けて、遊戯や進行に問題があるのではないか、と疑ってしまうケースがあります。このような場合、製作者は未完成のレイヤーによる評価を補正しなければなりません。手触りをよくしたりテンポを良くすると、同じシステムでも「面白い」に変わる可能性があります。

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効果音や音楽の実装は後工程になる事が多いと思いますが、長いこと作って全然面白いと思えなかったものが、音が入った瞬間に別物のように面白く感じる、という経験は多くの製作者がされているのではないでしょうか。

また、他のゲームを遊んで「このゲームはこれがあるから面白いんだよな、自分のゲームにも……」などと考えてしまう事はよくありますし歓迎すべきことですが、レイヤー構造が全然違うゲームの魅力と比べて不安になる必要はありません。魅力を与えるにはその時間が必要です。そのゲームで伝えたい魅力に至るまでに、その時間を追加する余地があるかどうか、ゲーム全体のレイヤー構造を意識すると判断しやすくなります。


すべての行為をゲームとして捉える

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実は、この理論の最大の強みはビデオゲームの範囲を大幅に超えた汎用性にあります。

今まで、例示にはビデオゲームで馴染み深い用語や概念を使ってきましたが、レイヤーの定義における「入力・能力・努力へのフィードバック」という構造は、人間のあらゆる行動に見て取ることができます。

私にとってゲームデザインとは、「ある情報まで能動的に導くための仕組みづくり」であり、その行為の目的が遊びであっても生活であっても仕事であっても、どこにでもゲームをデザインする余地があると考えています。つまり、人間の行うすべての行為は、ゲームとして捉えることができる(その中に、面白いものと面白くないもの、デザインされているものとされていないものがある)という考え方です。ある意味ではゲームの定義を放棄していますが、その方が、ゲームの知識を横断的に利用するのに都合が良いため、自分の中ではそうした考え方をしています。

レストランはゲームなのか

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例として、レストランでの食事をゲームとして捉えてみましょう。

レストランは外観、内装、店内のBGM、食事の盛り付けなどに情報のレイヤーの魅力があります。

サクサク、ふわふわなどの食感、そして味は文字通り「他では味わえない」反応のレイヤーの魅力です。

食事で遊戯を味わう事は少ないでしょう、なぜなら、求めている最大の魅力は「味」という反応のレイヤーだからです。しかし、どのメニューを選ぶか、どの順番で食べるか、どのように合わせて食べるか、といった部分で工夫するのが楽しい時もあります。

レストランに何度も通っていると、進行のレイヤーの魅力を感じる事も出てくるのではないでしょうか。メニューを制覇したり、新しいメニューが出てきたり、店員さんと親しくなったり、様々な変化を知ることで、通う事がさらに楽しくなったりします。

ビデオゲームの強みを応用する

●アナログゲームはビデオゲームに比べて反応のレイヤーが弱い。
●スポーツは触覚による反応が強いが人によって遊戯が難しい。
●勉強は進行が非常に大きいが反応も遊戯も弱い。
など、弱いレイヤーがあるということは、そこを強化してもっと面白くできるという可能性を想像することができます。

特に現実世界では、進行のレイヤーは強い(ゲームと違って世界に終わりが来る事が無い、というか世界の終わりを仮定してしまうとこんな事言ってる場合ではないし、人との関係性や自分の能力はそのまま世界で生き続ける)ので、そこに至るまでの情報・反応・遊戯のレイヤーに、ビデオゲームにおける知識や経験が生きてきます。

逆に、ビデオゲームとしては現実の進行の魅力を応用して、データをちゃんと残して整理して閲覧できるようにしたり、シェアできるようにしたりする事で新たな価値が生み出せる可能性があります。


まとめ

プレイヤーに与えられる情報を「情報」「反応」「遊戯」「進行」の4つのレイヤーに分類し、各レイヤーをその魅力とゲームサイクルによって図式化することで、大きい情報に導くまでのボトルネックが可視化されることを示しました。

各レイヤーについては例示とともに、ゲームによってどんな魅力を作り出しているか、またそれがゲームにとってどのように大切であるかを紹介しました。

汎用性の高さを利用して、ゲーム制作時の不安に立ち向かうための理論武装をしたり、ビデオゲーム以外のあらゆる行為をゲームとして捉え直してお互いの利点を共通の概念を用いて比較する方法を示しました。


本記事が含まれる、ゲームデザインについての連載はこちら。

著者のTwitterはこちら。


この後は記事を楽しんでいただけた人に向けて、ゲームを批評する事に関する正直な気持ちとか、この理論をおよそ4回くらい書き直して発表してきた上で見えてきた限界など、おまけ部分を有料とさせていただきます。

食後にデザートはいかがでしょうか?

2022/11月追記:だいぶ経ったので無料にしました。

有料(だった)部分の目次

●ワンダールクスの発端
●ワンダールクスの限界
●批評家は悪なのか
●理論と製作の両輪


補足

「独自理論を作る」事に対する自分のスタンスをまとめておきます。
細かいことを気にしない人は飛ばしてください。

大学まで数学の世界で生きてきたためか、「定義する」事や「仮定する」事は、社会で使われているかどうかというよりも、本質的であり便利であるという事を優先しています。言葉の認識は基本的に人によって違う事を前提として、ある人の定義が自分のものと近ければ受け入れやすく、違えば自分なりに言い換えたり変換して応用すれば良い、と考えています。

便利を優先しているため、研究や業界の文脈の上でどのように使われているか、といった接続は行っていません。よって、この理論における「遊戯」とか「ゲーム」の定義には何ら社会的な意義はなく、便利に思った人が自由に使えば良い、ただし、使う際にはそれを自分の言葉で言い換えたり、ワンダールクスという独自理論においては、という注釈付きで言及したり、という注意を払ってほしいと思っています。あくまで趣味として(常日頃このように考えてしまう質なので)作っている独自理論なので、その正しさや効果を保証するものではありません。

「ゲームデザインの魔導書」という活動を行っていたように、他の人の独自理論を聞くのも大好きです。是非これを読んだ方も、自分なりに解釈したうえで、オリジナルの理論を構築して聞かせていただけると嬉しいです。



ここまでお読みいただき&ご購入いただき、誠にありがとうございます。
ゲームデザイン理論のこれまでとこれから、について書き足しておきます。


ワンダールクスの発端

学生の頃にゲームを作り始めた時から常にこういった事を考えており、自分の好きなゲーム、とくに任天堂のゲーム、ゼルダの伝説シリーズなどを分析して、ストーリーが実は蛋白なのにここまで楽しめるのはなぜだろう?戦闘が実は単純なのにこんなに面白いのはなぜだろう?などと考えた結果、情報や反応のレイヤーの魅力がゲーム全体のモチベーションにも繋がっている!という感覚を言語化したものです。

初期の構造分析はこちら。情報のレイヤーがまだ無く3レイヤーで、入れ子構造になっているのが特徴です。

ゲーム制作者コミュニティ”Kawaz”のブログでも、一つずつのレイヤーをより詳細に取り上げて「ゲームデザイナーになろう!」という連載をしていました。

現在のように情報のレイヤーを足して、「ボトルネック」という概念を生み出したのは、ゲームデザインの魔導書の記事として執筆する過程で他の執筆メンバーと切磋琢磨する中で新たに見出した考え方でした。IRPS図は視覚的に分析できるので非常に強力なツールとなりました。


ワンダールクスの限界

1つ目は、無料部分にも書いた通り各レイヤーの「魅力」そのものについて分析をしておらず、魅力の中身のほうが重要になってくる時に役に立たないことです。そこはゲームごとに個別のノウハウなので、このジャンルではこういった工夫が有効、という理論をもっと多くの人が発表してくれたらいいなと思います。

2つ目は、ゲームの繰り返し構造を前提としている事です。「ゲームサイクル」という概念が有効なのは、ビデオゲームがプログラムで作られるため、何らかのシステムの繰り返しになることが多いからです。しかし実際は、例えば突然タライとホース集めが始まって進行の速度がガラッと変わってしまったり(※風タクのトライフォース集めの事です)、ゲーム全体を一つのゲームサイクルでは図式化できません。そもそも、ビデオゲームという形式は内部にゲーム的なものをいくらでも詰め込むことができるので、好きなゲームを選べるゲーム、次々と違うことをやらせたり見せたりするゲーム、など別次元のフレームを持ち出すとこの分析が使えなくなります。

3つ目は、「期待」を組み込めていない点です。ストーリーへの期待が顕著なのですが、作品自体の進行にまだ魅力が無くても、○○シリーズの続編だからとか、○○監督の作品だから、という期待によって、我慢しながらも最後までモチベーションが続く場合があります。ただ、そういった期待があったとしても、それに依存せずに、小さな情報のレイヤーからモチベーションを積み立てていった方が、良い作品にはなると思います。


批評家は悪なのか

よく、批評家になったら製作者として終わり、という言説を目にします。

正直つらいというか、理論を作りたいし理論を見たい自分からすると、本当に困る風潮だなぁと思っています。

自分もゲームを作っているので、こんな理論に時間を割いていては製作が滞るのは明白です。しかし私は本当のところ、作品より理論を作りたいのではないかと考えています。

作品は理論を証明し、説得力をもたせ、広めてくれる道具になります。理論が作品作りの道具ではなく、作品が理論証明の道具なのです。これは極端な考え方だと思いますし、そのくせに理論作りを本気でやっていない(学術的な接続を行っていない)と言われればその通りなのですが。

幸せとは何か、と考えた時に(突然ですが)、私は一度の偶然による成功ではなく、分析された上で再生産可能な成功が幸せだと考えています。そして他の人に「自分にもできるかも」と感じさせるものであれば尚更です。


理論と製作の両輪

成功した作品の製作者が、理論を語る上でも正しいとは限りません。それは他者には真似しがたい卓越した技術を前提としたものかもしれないし、偶然の成功かもしれません。もちろん成功しているので、その人のやったことに間違いはありません。しかし、他の人が応用可能か?という視点からすると、必ずしも成功者が語る理論は万能ではありません。

成功しながら理論立ててそれを説明できるクリエイターも多いです。ヨコオタロウさん、桜井政博さん、故・岩田聡さんなど。そうしたクリエイターは実際にヒットを連発し、より一層その理論に磨きをかけ、説得力を増していきます。私は彼らを尊敬しています。

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私自身がそのような製作・理論を両立するハイパークリエイターになれるかどうかはわかりませんが、そうした理論派クリエイターの助けになりたいと思います。皆さんが制作物だけでなく、その過程で考えた理論も少しずつ発表していきやすい世の中に近づく一助になれば幸いです。

ゲームデザイン理論を語りたい人がまた一定数集まるようであれば、(自分が書くことはもうなさそうですが)魔導書の続刊を企画しても良いかなと思います。

サポートいただけたら、連載への励みになります!