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NieR: Automata ー 音楽によって「接続される」世界

NieRを語るうえで、音楽の存在は欠かせない。あの、独特の残響、寂しさ、その中にある僅かな希望。そして、「歌」

懐かしくなった方は、NieR: Automataサントラの公式サイトなどからご試聴をどうぞ。

NieRの思い出が蘇ってくるのではないだろうか。ゲームの世界とあまりに調和していて気にならなかったと思われるが、NieR: Automataは全部の曲にヴォーカルが入っている。

そう、ヴォーカル。しかも全曲。

電撃 - 『ニーア』を彩る音楽が生まれる地“MONACAスタジオ”ツアー。『オートマタ』のヴォーカル曲数は……全部!? 

ゲーム中にもまったく違和感なく溶け込んでいたので普通に思っている方も多いかもしれないが、これは物凄い事である。何がって、「全曲ヴォーカルなのにゲームに完全に違和感なく溶け込んでいる」ことが。

人間は、人間の声に非常に敏感だ。歌が入ると歌に神経を向けてしまうし、次々と歌ものを聴くのはそれだけで結構疲れる。だから、歌ものはせいぜい重要なイベントやバトルなどに留められるのが一般的だろう。

しかし、全曲ヴォーカル入りのNieR: Automataのオープンワールドを50時間くらい旅していて、歌に疲れたことはあっただろうか?ある歌から別の歌に切り替わって雰囲気が台無しになったりする場面があっただろうか?

無い。一度も無い。無いから、プレイした人はそれが「凄かった」事にすら普通は気がつかない

「歌」が溶け込んだNieRの世界。

もちろん、曲が最高に良い。これだけ独特で気持ちいい曲なら連続で聴いても飽きないのかもしれない。でもこの記事で着目するのはそこではない。

その裏側に隠された、「ゲーム中にヴォーカル曲がどのように制御され、いかにして違和感なく、飽きられず、それでいて歌の印象を残す仕組みが動いているか」を明らかにするものだ。




「ゲームと音楽の関係性」を連載しています。テーマごとに完結しているので、どの記事からでもお読みいただけます。

無料にてご好評をいただいていた本連載ですが、今後は有料の記事も追加していきます(2019/7/20追記:本記事は無料公開としました)。一つの作品に焦点を絞り、その分深く、自分が考える「この音楽演出はなぜ良いのか」「この手法はどのように応用可能なのか」といった、議論の余地がある部分もガンガン書いていこうと思います。

※ネタバレには極力配慮しています。サムネだけでも危ない場合はURLのみにしていますが、動画つきで解説していますので、その点をご理解のうえ進んでください。


1.「アンビエント」が繋ぎ止める世界

「すべてがヴォーカル曲」といっても、ゲーム中常にずっとヴォーカルが流れている、というわけではない。ヴォーカルが入っているフルバージョンから、ヴォーカルを抜いたり、楽器を抜いたりしたバージョンをシーンに応じて使い分ける方式となっている。

ジュークボックスを開いてみると、以下のように、ほとんどが甲・乙・丙の3バージョン(それから8bitバージョンの丁もある)、ヴォーカルのあり、なしが掛け合わされて6パターンの鳴らし方があることがわかる。

変化を実験してみた動画がこちら。

このように、

甲:アンビエントのみ
乙:リズムトラックが少し入る
丙:打楽器を含めた全トラックが入る

というバリエーションが用意されている。

そのため、ゲーム中はアンビエントのみのバージョンや、楽器のみフルトラックでヴォーカルなし、というバージョンも可能なので、ヴォーカルが入り続けることが無いようにはなっている。

インタビューでもディレクターのヨコオタロウさんが音楽の静かなバージョンに関して可能な限り音数が少なくなるように指示を出していて、結果的に世界の音楽変化がよりシームレスになったことに触れられていた。


例えば、先ほどジュークボックスで流した曲「砂塵ノ記憶」は砂漠で流れる曲だが、基本は乙バージョンのヴォーカルなしで流れており、砂漠の団地に入ったところでヴォーカルが入る、などの変化が起こっている。

さて、これらの3バージョンxヴォーカル、一体どこでどのように使い分けられているのか?システムを探り始めた私はすぐに気がつくことになる。

そこにはルールなど無いと。

バージョン名が「デフォルト版」「フィールド版」「バトル版」などとならずに「甲・乙・丙」と番号で名付けられているのもその所以であり、初めから「何の時に流す」と決めて作られたわけではないようだ。

では、何がこの甲・乙・丙やヴォーカルをトリガーしているのか?
なぜ、このゲームには音楽のバージョン違いがこれほど必要だったのか?
その理由が、NieRのプレイヤーがゲーム世界にNieRらしさを感じる理由にもなっている。


2.何がヴォーカルをトリガーするのか

ヴォーカルがどんな所で挿入されているか、実装例を一覧してみよう。

2-1.レジスタンスキャンプでの変化

プレイしていると気がつくとヴォーカル(コーラス)が入っている。さて、何がきっかけだっただろうか?集落の中心に来た時に入るんだろうか?とか思っていた。甘かった。

正解は「アネモネに話しかけた後に入る」だった。

「え、なんで?」

発見した私は驚いたような拍子抜けしたような感覚になった。アネモネに話しかけたからって、ゲーム的にシステム的に何か変化があるわけではない。なぜ、ここで入れたのか?


2-2.パスカルの村での変化

こちらも、パスカル(など)のキャラに話しかけた時に、ヴォーカルが入るようになっている。

なるほど、確かに話しかけるだけで状況は変わってはいないけど、プレイヤーが持つ「この村の住人に対する感情」が変化しているのか、とそこで気がついた。

レジスタンスキャンプも、パスカルの村も、最初は「信じられる奴らなのか」というのが、よくわからない状態で入る。そこで会話をすると、キャラクターの内面が明かされていく。

「良かった、ここに居るキャラクターとは安心して話ができる」

そんな安心感が、歌に乗って心にスッと入ってくる。


2-3.砂漠地帯での変化

砂漠地帯。先ほどは団地に入るとヴォーカルが入る、という変化をお見せしたが、実は、一番最初にメインクエストで砂漠に入るときは、その時だけの専用の変化が実装されている。

最初は必ずこの細い道を通って砂漠に舞い降りる流れになっている。そこで、飛んでいる間はアンビエントなのが、降り立った瞬間に「新しい大地を踏みしめた」という感情を力強くブーストするように、ヴォーカルが加わって曲調も変化している。


2-4.森林地帯での変化

こちらも、最初にメインクエストで入るときは、戦闘時にフルトラックで流れるようになっている。

戦闘から離れると、アンビエント上にヴォーカルが入った状態になる。

しかし、メインストーリーと関係ない時に森林を訪れると、ヴォーカルが入らずに、アンビエントのみの非常に静かな森になっている。

このように、ヴォーカルが入る演出は、どれもシステム敵というより、物語的に意味のあるシーンで、感情をブーストさせるために効果的に入れられている。常に何かの条件でヴォーカルが聴けるというわけではなく、その時々に応じて、ここはヴォーカルを入れて意味があるシーンだと感じてもらうか、アンビエントのままで何気ない場所だと感じてもらうか、というコントロールが細かくなされているわけだ。


3.音楽を実装する「ミュージックインプリメンター」

プラチナゲームズのブログでは、コンポーザーの上田雅美さんが

「今回、私は音楽と環境音の実装のみの担当なのですが、注力出来る分、非常にこだわった実装を行うことが出来ています。」

と綴っている。

ちなみに、上田雅美さんはご存知の方も多いと思うが、バイオハザードや大神、ベヨネッタなど名だたるタイトルで作曲を行っている超ベテランだ。そんな方が、今回は楽曲をMONACAにお任せして、「曲をどこでどう鳴らすか」という「実装」に注力している。

内容としては、音楽をゲームのどこで、どんなアレンジで鳴らして、どのような優先度をつけて、どこからどこに遷移する時は何秒のディレイと何秒のフェードとどんなフェードカーブを使うか、といった所まで多岐にわたる。

海外のスタジオでも最近、楽曲を外部のコンポーザーに託した場合でも、「ミュージックインプリメンター」を社内で配置し、ゲームへの実装に責任を持つ、というパターンが多くなっている。


4-1.何も無くても変化する音楽

先ほどはヴォーカルが入る条件を見ていったが、それ以外の甲・乙・丙のバリエーションはどのように使い分けられているのか。これに関しては、気になる変化を見つけてしまった。

廃墟都市で流れる「遺サレタ場所/斜光」だが、甲バージョンと乙バージョンが、特に何でもない場面で切り替わっている(しいて言うなら、曲が1ループした所だろうか)。このように、単に飽きさせないようにバリエーションを増やす意味でも使われているようだ。

4-2.何かあっても変化しない音楽

↑の動画の最後で、もう一つ気になることがある。何もない時に変化している割には、敵が来てバトルが始まっているのに音楽は何も変わらない

そういえばそうだ、NieRってバトル曲がほとんど無い。(ボス戦やイベント戦みたいにバトルだけの時はバトル用の曲があるけど、フィールド上のザコ戦では、専用曲が一つも無い)

前作のNieR RepliCant/Gestaltでも、戦闘時はアレンジの変化だけで、楽曲の切り替えではなかった。

それにしても、今回は戦闘になってもアレンジの変化すら無い
一体なぜなのか?


5.この世界で、戦うこととは、何なのか



NieRの音楽変化の意味を、考えていた。



NieR: Automataに存在する音楽変化は、すべて「縦の遷移」だ。楽器の差し引きやアレンジの変化だけで、楽曲がサビに行ったり終わったりする「横の遷移」は使われていない。私が知る限り。

最初これは、単にヴォーカルを守るための技術的問題だ、と思った。

歌詞があるものは、小節での切り替えで例えリズムやコード進行的に違和感がなくても、(架空言語とはいえ)意味がつながっていない歌詞になってしまうし、何よりヴォーカルをうまく繋ぐのが難しい。

前作からその特徴的な歌声でファンの心を鷲掴みにした、Emi Evansさん

だから、変化があまり大きくならない、アレンジの変化だけで乗り切っているのではないか…………と、思っていた時期があった。



しかし、こう考えることもできるのではないか。

「アレンジでさらに変化を加えている

のではなく、

「別の楽曲に変わってもいいようなシーンでも、
 あえてアレンジの変化にとどめている

と。



NieRにはバトル要素がありながらも、バトルで音楽が変化しない。他のゲームではバトルといえば一番の盛り上げ時!と言わんばかりに専用曲を流すのに。これはNieRの音楽演出の特筆すべき特徴ではないだろうか。

NieRの世界ではバトルになっても淡々と同じ曲が流れるか、アレンジの変化にとどめている。これはつまり、「戦う事に絶対的な意味があるとは限らない」という世界観を、別の音楽に変えるのではなく、一つの音楽のアレンジ変化にとどめていることによって、表現しているのではないか。

ヨコオゲーの経験者ならおわかりだろう。

ヨコオタロウは常に問いかけている。

「この世界で、戦うこととは、何なのか」

この戦いに、本当に意味はあるのだろうか?

NieRの音楽は、変化を増やすために変化しているのではない。

音楽とともに「世界」と「戦い」が2つに別れてしまわないように、
「一つの音楽で 世界と 戦いを 接続している」のではないかと。


6.音楽のキャンバスサイズを広げる

インタラクティブミュージックの技術が使われる場面には、大きく分けて2種類の意図があると考えられる。それは、普通のゲームで行われる「1シーンに1曲」という単純な実装と比べたときに、

1曲でまかなっていたようなシーンを、さらに細かく割って変化させるのか

あるいは

複数の曲で切り替わっていたシーンを、一つの曲の変化でつなげるのか

という違いだ。

やってることは技術的に同じであっても、意図はまったく異なる。

前者は、各部品が流れる時間はそれぞれ短いが、ゲームに同期したダイナミックな変化を追加しよう、という意図に対して、後者は、従来手法と比べてむしろ同じ1曲が流れる時間が圧倒的に長くなり、変化を抑えてシームレスにしようという意図だ。

「時間」というのは音楽にとってまさに「キャンバスサイズ」と同義であり、後者の場合は細切れになっていた時間を一つにまとめて1曲の変化で表現することにより、大きなキャンバスに大きな音楽を描けるというわけだ。

NieRの場合は圧倒的に後者が多く、長いゲームプレイの中において、音楽がガラリと変わる場面は非常に絞られている。そのため、全体としては統一感、シームレス感、戦闘の日常感が出ており、大きなキャンバスにヴォーカル曲がしっかりと余裕を持って配置されている。


7.ヨコオタロウ流の音楽演出とは

通常は、ゲームに合わせた音楽を実現するために、ゲームの上に音楽をうまく描くような技術が様々に用いられる。しかし、NieRの音楽の使い方はまったく逆だ。

そもそも、ヨコオタロウは「ゲームらしさを損なわずに音楽をうまい感じに流して」なんて考えはしてない、「プレイヤーの心を揺さぶれるためには、音楽に合わせた演出のためにゲームを弄る」事を平気でやる。

個人的に、私がすべてのゲームクリエイターの中でヨコオタロウ氏を唯一、「やりたいことをやられそうで怖いなー」と敵視している理由がこれで、明らかに音楽演出の強さを理解したうえでゲームより優先度を上げて利用している。強い。

例えばChapter1のこのシーンを見ていただきたいのだが、多分夢中でプレイしてたら気が付かないけど、9Sが助けに来るのはHPを削ったタイミングでも何でもなく、彼は音楽に合わせて登場している。何度やってもここで来る。

強くてニューゲームを繰り返すわけなので、2周目以降はあっという間にボスのHPを削ってしまう。そんな時にNieRではどう処理されていたかというと、敵のHPゲージをしれっと非表示にして、「あともう少し戦っておいて」という演出がされている。

おわかりいただけただろうか……


また、発売当初から話題になっていたのでこちらはご存知の方も多いと思うが、そもそも「歌うボス」が登場する

このボスは戦闘全体が音楽に合わせて展開するようになっている。

これ以降はネタバレ注意なのでURLリンクだけにしておくので各自自己責任でどうぞ。

Aエンドのラスボス戦前で※@?*(ピーーー)のセリフが来たあとに落ち着いたアレンジになる
https://www.youtube.com/watch?v=WAxIN1JO3UY&list=PLYB9gFlMyTSIMps3zXB8MumAPxxq-3EFa&index=14
Aエンドのラスボス戦闘中に¥^;@/(ピガーー)が破壊されてから曲調が変化する
https://www.youtube.com/watch?v=oht3Ite5enU&list=PLYB9gFlMyTSIMps3zXB8MumAPxxq-3EFa&index=13
ラストバトル手前の戦闘、仲間の登場は曲に同期されている。
https://www.youtube.com/watch?v=DDNKwcxTCt4&list=PLYB9gFlMyTSIMps3zXB8MumAPxxq-3EFa&index=12

あとほんとに最後の最後であるアレンジの変化は皆気づくだろうし野暮なので言わないけど、何のことかわからん人はEエンドまでやれ!やってくれ!俺からは何も言えん!ネタバレを覚悟で見たいならこのブログを見てくれ


このように、ボス戦は全体を通して展開がいくつもあるにも関わらず、別の音楽には変化しない。アレンジの変化だけで表現する。何ならゲームの方が音楽に合わせる!というのが徹底されている。それによって、テンションや空気感が途中で途切れたりすることなく、音楽変化に合った展開が作られていたというわけだ。

前作NieRのデポル・ポポルの歌や、DOD3でのウタウタイという設定からもわかるとおり、ヨコオタロウ氏が「歌」というものの力を非常によく理解して使おうとしているのがわかる。

それが、今までは技術的な課題もあって表現しきれていなかったのが、今回プラチナゲームズと組んだことにより、トコトン表現できたのがNieR: Automataになったのだろう。

……というか、歌よりも「シューティングゲーム」もっというと「斑鳩」リスペクトが強いほうが理由としてはあるのかもしれない。ヨコオタロウ氏の斑鳩好きは何度も公言されており、斑鳩が音楽に同期したシューティングであることも有名だ。今回のNieR、ほんとにシューティングっぽくプレイできたし。


8.どこまでを1曲とするのか

さて、以上がNieR: Automataの音楽演出の分析となる。

ここから考えられるのは、音楽をどこでどう変化させるのか、という以前に、「どこからどこまでを1曲とするのか」をゲームによって適切に考えるべき、という事だ。

NieRというゲームはそこが少し特殊で、戦闘が物語に深く組み込まれているため、戦闘を含めた広い範囲で1つの体験として、1つの曲を当てた実装となっている。

バトルに限らず、フィールド、イベントなど、ゲームの各要素で1つずつ曲があるのが当然と思われるかもしれないが、本当にそれは、別の曲で良いのだろうか?そうすると、別個のミニゲームを一つの世界にまとめたような、まとまりの無いものになってしまわないだろうか?

あえて、普通は変化している所で「変化させない」というのも、プレイヤーを感動させる演出になりうる。非常によくある例として、いつもはバトルに入るとバトル曲になっていたのに、最終ダンジョンではフィールド曲がバトルでも継続して流れ続ける、という演出があるだろう。アレンジ変化を使わずとも、「ここはフィールドとバトルが一体となってラストダンジョンという体験なんだ」という演出ができている。

そうした演出は、ともすれば「同じ曲が流れ続けていて飽きられる」というリスクもはらんでいるため、ゲームサイクルが見えてくるまで、調整を続ける必要がある、というのが実情だ。NieR: Automataもこれだけのアレンジを最初から計画的に作っていたというよりは、ゲームに合わせて最後まで調整し続けた結果、というように見える。

というわけで、

Take Away: 

● NieR: Automataでは、甲乙丙のアレンジとヴォーカルが随所で細かく使い分けられている

● 「ヴォーカルが入る」という演出は強くプレイヤーに突き刺さる

● 普通は曲を変化させる場面でもあえて1曲のまま、あるいはアレンジ変化にとどめておくことで、「1つの体験」としてまとまった感覚を与えられる

● ヨコオタロウは音楽に合わせるためなら裏で強引にゲームを進める


おまけ

今回の話の軸と少し逸れるので脇に置いてたんですが、なにげにハッキング時の8bitバージョンへの音楽変化は技術的にかなり凄いです。これ、単に8bitアレンジにクロスフェードしているのではなくて、途中まで「トーンフィルター」という独自フィルターで音程検出してサイン波を重ねる的な事をして、そこから完全な8bit化の別音源にフェードという3段階になっており、途中まではほんとに世界の音楽がバグっていくような自然な変化になっています。

気になる方は、プラチナゲームズの公式ブログか

オーディオプログラマーの木幡さんによるGDC講演が無料で見れます

ので、ぜひ御覧ください。


著者について

Twitter: @geekdrums


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