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一人で勝手に死ぬ前、90年代とスクールカーストを語る (実話本編1)

1.いじめが無かった小学校・低学年の記憶 時代ー『ミニ四駆』、『スト2』、『ひらり』、『クレヨンしんちゃん』、『XEXEX』
(ノンフィクションですが、登場人物は一部変更してあります)

1. 一番古い記憶って、どれだろうか? 私の場合、幼稚園の頃の光景はほぼ覚えていない。朧気だけど、砂場の女の子に砂をかけられたことや、節分の日に来た鬼が怖くて隅っこで泣いていた記憶がある。人の顔や名前は全く覚えていないので、いじめの無い平和な日々だったはず。断言して言えるのは、トラウマという心理用語があるように嫌な記憶や罪悪感が残る出来事は鮮明で、死ぬまで忘れることはない。
 記憶が曖昧なのは恐怖を感じる出来事がなく、穏やかな日々が続いていたという証拠。私の場合、しっかりとした記憶があるのは小学校の入学式あたりからになる。入学式が終わり、保護者と生徒たちは教室に集められた。教卓の前に立った女性の教諭はガタイが良く、自分が若干太っていることをネタにして自己紹介をした。まだ語彙力が少なかった私は、太っているの言い換えである『デブ』の単語が頭に浮かび、大きな声で「デブ」と口にした。
 保護者たちも周りの子たちも凄く笑って、笑わせたことに快感を覚えた。人を笑わせると、自分も笑いたい気分になる。周りの子たちを笑わせられるキャラに成ろうと、この瞬間自分の役割を決めた。
 当たり前のことだけど、子どもは自分が楽しいと感じる方向へ行動する。わざわざ苦しい、つまらないと感じることをする子どもなんていない。嫌なことでも我慢しているのは、大人の世界だけの話。帰り道でなんとも言えない表情をする母に怒られた。理解力が足りていない私は、周りを笑わせたのに母一人だけ怒る理由が全くわからなかった。

 木に登るだけで楽しい。天気がいいだけで楽しい。ドッジボールは下手でも友だちと一緒なら、毎日やっても楽しい! 子どもの脳ミソは、楽しい感情以外に入る隙間がない。入学して間もない頃は人見知りをして、見兼ねた担任が「山田くんと遊んであげて」と友だち作りを協力してくれた日があった。最近で言う黒歴史に値するようなエピソードなのだろうが、子どもは一度一緒に遊べば直ぐ友だちで、これを皮切りに周りの子たちと仲良くなれたのだから素直に感謝している。
 当時の自分は外で遊ぶのが大好きで、わんぱくタイプの子だった。おじいさんが生物の教師だったこともあり、生き物や花が好きでドッジボールの途中でも虫が飛んでいるのを見かけたら追いかけにいくほどだった。人を笑わせる快感も残っていて、面白いと思うことがあれば率先して笑いを取りにいく。そんなどこのクラスにも居る、落ち着きのないムードメーカーだったと思う。
 楽しいばかりの毎日のまま一年が過ぎたところで、担当教諭が入れ替わった。新しい担任の佐々木先生は見た目がかなりおばあちゃんで、歳をとっているだけで子どもが好きそうな印象を受けた。しかし実際は聞き分けの良い学級委員タイプの子だけが好きで、手の掛かる子たちのことを嫌っていた。口癖は「おバカちゃんたちは決まっているわね、山田でしょ、永井でしょ、市橋でしょ・・・・・・」と、毎回決まった生徒の名前を列挙していた。給食の時間はかかさず教室のテレビを点け、NHKの朝ドラ『ひらり』を見ていた。ビデオの時間録画機能も優れていなかった時代なので、朝間に合わないと給食の時間に見るしかなかったのだろう。一度こんなやり取りをしたことがある。
「ねえ、どうして毎日ドラマ見てるの? 家で見ればいいじゃん」
「ドラマじゃなくて、時間を見てるのよ」
「でも、時計あるよ」
「もう、山田はうるさいわね!」
 本人曰く、右上にデジタルで表示される時間を見ていたらしい。
 
(注意)この先進学する中学校、高校でも想像を絶するようなダメ教師に私は出会いました。この手の先生たちは割とどこの学校にも居て、その経験から世の中で教師に対する風当たりが強くなったのだろう。極端に教師の立場が弱くなり、モンスターペアレンツや生徒の暴力にも耐えるしか無くなってしまったのが現代の現状だけど、本当に子どものためを思って教師に成った人たちには不幸な話だと思う。もしも今君が学生で、可哀想に感じる先生が居るならちょっとだけ優しく接してあげて欲しい。「ありがとう」の一言を掛けてあげるとか、そんな単純なことでいい。真面目な大人は心の病に成りがちで、子どもと同様に追い詰められると死を選びがちです。たった一人の生徒の気持ちが、そんな先生を救ってあげられることだってありますので、私からのお願いです。

 小学校の話に戻ると先生なんかどうでもよくて、学校が終わってから親友の峰くんと『スト2』をすることばかりを考えていた。峰くんが操作するキャラはどれも強くて、ゲームに慣れていない僕はキャラの進む方向に合わせて自分の体も動き、峰くんによくぶつかっていた。
山田家は暗黙のルールで、ゲームが禁止されていた。代わりにマンガやおもちゃは買ってもらえたが、定期購読していた小学館の学年別雑誌で『スト2』の記事があったりするのに肝心のスーファミ本体はやはり買ってもらえない。そんな私にとって峰くん家の環境は、自分ん家より遥かに恵まれていると思った。
 まず『スト2』以外のソフトが、結構ある。友だちが帰って一人に成っても、一人プレイのソフトができるなんて羨ましい・・・・・・。
 更にゲーム用の小さいテレビがある。山田家は一台のテレビで、夜は親父が野球を見ている。日曜日に父が家に居るときは、テレビを独占していた。しかも父はテレビ番組の悪口を言っては1分単位でテレビのチャンネルを替えるので、番組のことなど頭に入らず口にした悪口ばかりが記憶に残った。それなのに、峰くんはテレビを2台持っている。ゲームが無いなら、テレビを見ればいい。マリ・アントワネット並みに、恵まれている。
 近頃ネットの掲示板で「団地の子と遊んじゃダメ」というスレッドを見かけるけど、ネットのネタで実際にそんなことを言う人はいなかったと思う。団地が学校の側にあるので、生徒たちも団地で育った子が多かった。子どもからしてもゲームを沢山持っていればお金持ちで、それ以外で人の家が貧しいかどうかなんて考えたことも無い。
 『昇龍拳』に『波動拳』に、ときどき違う技。かっこいいキャラの真似をすると、自分たちも強く成った気がする。ゲームやアニメのキャラを真似るのは通過儀礼だが、このとき流行っていた『クレヨンしんちゃん』は最も子どもに見せたくないアニメとして、社会問題になっていた。一人称が僕でも私でもなく、“オラ”も良くない言葉使いとされ、目上の先生にケツだけ星人を見せるしんちゃんは問題児とPTAが認定していた。私たちにとってのしんちゃんは他人をいじめたりしないし、皆が笑顔に成れるように振る舞っている。男子も一部の女子も、世の中の評判など関係なしにしんちゃんの声や口調を真似て、戻し方がわからない日もあった。
 この時の私は、未来で『クレヨンしんちゃん』の映画版は、大人も泣ける作品として紹介されることなんて想像もつかなかった。こんな風に度々世の中の意見や見方が、180度ガラッと変わる。いい風にも悪い風にも、そこに居る狭い社会でがらりと変えられてしまう。

 外でやる遊びがドッジボールからサッカーへと、変化していった。野球と違ってサッカーの格好良さは、ゴールした後ポーズが決められるところだ。カズダンスは勿論、両手を広げて走ったり、洋服を脱いだり、祈ったり。対戦ゲームの勝敗が決まった後に見せる、勝ちのポーズに似ている。クラスではJリーグチップに入っていた選手のカードを自慢する子が居たけど、見ても誰? というのが心の声だった。周りは読売ヴェルディのファンばかりだったけど、私はどこかのファンに成りたい心理が理解できなかった。もしもこれが運動会なら、当然自分の所属している色を応援する。紅組だったら赤を応援するし、白組だったら白を応援する。だけどサッカーは、自分の所属しているチームじゃないので良くわからないし実はチーム名も覚えていない。それなら決める要素は、色かキャラの可愛さくらいしかない。マスコットすら知らないので、コアなチップスの代わりにJリーグヌードルを買って、付属のJリーグバッチを一通り揃えた。そこで水色が綺麗なフリューゲルスも捨て難かったが、鹿のキャラが可愛い鹿島アントラーズのファンになりことにした。母親に鹿島モデルのシューズとサッカーボールを買ってもらった日は、家の壁に向かって一日中サッカーボールを蹴り続けていた。
「タイガーシュート!」
 キャプテン翼の影響もあって、シュートで人が吹っ飛んでゴールネットに穴が開くのを想像しながらボールを蹴り続けた。理想のポジションはハンドが唯一取られないキーパーで、ゴールを守りながらシュートで人を吹っ飛ばす最強キャラをイメージしながら、壁に穴が空くことを心配していた。
応援するチームも決めてサッカーデビューを果たしたが、一つ気がかりなことがあった。クラスメイトの一部が、鹿島のファンはダサいと言い出したのだ。ダサいって、どんなとき使う言葉だろうか? ゲーム脳だった私は、ゲームに置き換えて考える癖があった。確かに使用できるキャラクターを選べるゲームでは、格好悪いキャラクターを選ぶとダサいと感じる。弱い仕様になっていたり、見た目が格好悪かったりすると、ダサいで形容される。きっと、鹿のマスコットがダサい人にはダサいと感じるのだろう。このとき「ふーん」と流すことができた、ダサいやダサくないという感情、この感情が成長するに連れていじめを引き起こす引き金になっていくとは幼い私には知る由も無かった。
 
 年上のいとこ、マキちゃんとりっちゃんが大好きだった。父は山田家の長男で、弟と妹が居た。父の妹の娘がマキちゃんとりっちゃんで、それぞれ4歳か7歳くらい離れたお姉さんたちだった。田舎に行くと、とくにマキちゃんに可愛がられていた。当時の私はNHKで放送されていた『生命40億年はるかな旅』に夢中で、多摩センターのバージェスモンスター展にも行ったし、鬱陶しいくらいアノマロカリスやオパビニアの話をしていた。そんな私の話をウザがらずに聞いてくれて、テレビを見るときも、寝るとき隣に居てくれたのもマキちゃんで田舎から帰るときに決まって悲しいのはマキちゃんとの別れだった。
 父親のことは正直、好きではなかった。いつもなにかに苛ついているし、怒るとグーで顔面を殴ったり、ランドセルを外に投げて泣きながら外に出ると家の鍵を平気でかける。わんわん泣きながら窓を叩いても絶対に鍵を開けない、殴られた顔が腫れてもまるで気にしない。口癖は「俺の金で買った」で、学校へ行けるのも家があるのも俺のおかげだといつも言っていた。母はそんなとき、とくになにもせず黙り続けている。今の時代では躾の領域を超えているが、日常的に殴っている訳では無いので虐待まではいかないグレーゾーンなのだろう。そんな親父は、外の人と話をするときは見たことがない程ニコニコしていて、それが余計に私を苛立たせた。
 2つ上の兄は好きじゃないを通り越して、嫌いの部類に入っていた。例えば田舎でスリッパが外に投げ捨てられていたり、自宅の歯ブラシが消える事件が起きたりすると決まって私が犯人にされた。クラスでも落ち着きが無くて、勉強もしない私は悪さをするイメージを持たれていたのだろうか? 歯ブラシの嫌がらせは、まだまともなほう。
 当時、ミニ四駆が流行り始めていて、近所にミニ四駆を走らせるためのサーキットが用意されていた。ミニ四駆は電池を激しく消費するので、母が僕と兄のそれぞれに充電池を2本ずつ買ってくれた。サーキットの真ん中には充電器が置かれていて、1本をセットして兄に
「トイレ行くから、取られないように見てて」
と、伝えてその場を離れた。そそくさと用を足して戻ると、電池が無い。電池の目の前には、別のクラスの熊切と、兄が立っている。
「ねえ、電池返して」
「はっ? 知らないよ」
 熊切は知らないと言うけど、二人のどちらかしか居ないじゃないか。
「ねえ、本当にしらない?」
「ここで見てたけど、知らないよ」
今度は兄が言う。
買ってもらったばっかりの、高価な充電池。ほとんど使っていないのに、一本になってしまった。
 家に帰り母へそのことを伝えると、母の言葉が出る前に「電池は熊切が取ってったよ」と告げた。体がその場で凍り付いた。
「えっ、だってさっき知らないって言ったじゃん」
「熊切がもっていったんだって」
「だって、知らないっていってたじゃん!」
母はこういうとき、だいたい私の話を信じない。いつも内申書に授業中落ち着きが無いと書かれていたからだろうか? 子ども同士でもわかる嘘も、どういう訳か母は兄が言うと追求しなかった。
この頃くらいから、兄の行動は少し異常だった。例えば喧嘩をすると私の目に殺虫剤を吹きかけたり、クラスの集合写真が載った記念マグカップを叩き割ったりする。それはただの喧嘩の域を超えていて、それでも兄に甘い母にどうしょうもなく腹が立った。腹いせに母を困らせてやろうと、私は母の小銭を盗んで近所のゲームセンターで使うことにした。ミニ四駆のサーキットへ向かう途中におばあさんが切り盛りしている駄菓子屋があり、脇に置かれたアーケードゲーム、『XEXEX』が気になってしょうがなかった。スーファミよりも映像が美しく、タイトルの読み方がわからないのも好奇心をそそる。母の財布から取った50円だったが、同じ家の中でのお金なので、罪悪感はそこまで強くなかった。父はよく、「俺の金だ」と口にする。僕の金も父の金だし、母の金も父の金。どっちも父の金だから、私が使っても母が使っても変わらないじゃないか。そう思いながらも、お金を挿入する手は確かに震えていた。

お札まで持ち出すつもりは、全く無かった。だけど私はアーケードゲームの戦略に、すっかりはまり込んでいた。『XEXEX』は横スクロールのシューティングゲームだが、その手のゲームは初見では普通クリアできない。ゲームは失敗を繰り返して、攻略方法を覚えていく部分が多い。しかしゲームをプレイするなら、誰もがエンディングに辿り着きたいと願うはず。そんなときに、『continue』が表示され、プレイヤーに課金することを促す仕組みになっている。相変わらず方向キーと一緒に体まで動くほどゲームが下手な私だったが、お金さえあればクリアできると信じ千円札を数枚持ち出した。しかし下手なのに加え、もう一つ大きな障害があった。
駄菓子屋の脇に置かれたアーケードゲームゲームだったが、必ず中学生の不良がたむろしていた。そいつらがいたずらで、50円玉を入れた瞬間に本体のコンセントを引き抜くのだ。そんなとき店のおばあさんは不良を追い払うがキャッシュバックはしてくれず、仕方なくもう一度50円を挿入する。しかし不良たちは直ぐ戻り、またコンセントを引き抜いた。こんなことを繰り返しているうちに、お金があっという間に消えていく。合計で5千円くらいだろうか? 
ついに私の後を付けていた母に全てがばれ、母の信用を更に落とすことになった。駄菓子屋のおばあちゃんに話をしていた母は、くすねたお金でプレイしていたことを報告したのだろう。
*この歳で振り返っても、したことの中ではこれが一番の悪さだったと思う。万引きは牢屋に入るイメージしかなかったし、他人のものは盗ったことがない。初めは母にムカついてしたことだったが、課金の誘惑にどんどんハマってしまった。ある意味、スマホの課金ゲームが無い時代でまだ助かったのかもしれない。
 この頃の私は不安要素を少し感じながらも、頭の中ではまだ楽しいだけを考えていた。

本編2へ

https://note.mu/geekmogura/n/n20a4522ac751

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へえー 1へぇ
6

山田 葉介

1990年代実体験を一週間テスト連載。スクールカースト形成前の小学生編 1話 https://note.mu/geekmogura/n/n75d2abc95872  連絡用Twitter https://twitter.com/Geekmogura

一人で勝手に死ぬ前、90年代とスクールカーストを語る

東京のような神奈川のような街で起こるノンフィクション
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