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人類〜〜〜〜‼️『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観てくれ〜〜〜〜‼️

妖怪漫画の金字塔、『ゲゲゲの鬼太郎』。そのオリジン、いわば『ゲゲゲの鬼太郎 0(ゼロ)』が劇場版になってやってきた!!

鬼太郎パパ(CV関俊彦)、超〜〜良かった〜〜〜〜

──ということで、原作でも何度か再話されてきた鬼太郎の出生をめぐるエピソードをアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期の設定で語り直した前日譚・『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観たよ〜〜というお話です。

(ネタバレ有りというか、もう観た人向けに書いているのでそのうち観るつもりがちょっとでもある人は観てから来てね!!!!)








あ、思ったより知らん話しとるね!??

僕らの知ってる「鬼太郎の誕生」エピソード、なかなか始まんないな〜〜と思ったらエンドロール無言劇で処理とは思わないじゃん!!!! そりゃまあ知ってる話を延々とされても困るんだけど初見の人は、その、伝わりました!?!?

──ということでですね。原作の鬼太郎誕生周りは最後にサラッと流すにとどめ、思っていたよりオリジナルエピソードの比重が高い作品になっててちょっとびっくりしましたね。この宣伝でここまで無から生やすの、だいぶ強気じゃない!?

あとさあ、めちゃくちゃ犬鳴村っぽいトンネルのある因習村めちゃくちゃ犬神家っぽい家(イエ)系ミステリをやるの、そりゃ楽しいに決まってるけどさあ!! 古舘弁護士をあそこまで再現しちゃったら言い訳できないって!!!!

でもこのあたりのパロディが露骨なおかげで、ドロっと重たい雰囲気ではあるものの基本的には肩の力を抜いて観てよい娯楽作なんだな〜というのが伝わったのは親切設計だったかも。

第3期第101話「妖怪捕物帳」。なんか急に挟まった時代劇パロ回。

まさかの戦争から帰ってこれてない系水木さん

割と良い性格してて好きでした。

水木さんも原作では巻き込まれ型というか、押し寄せてくるハチャメチャにヒーヒー言ってる不憫系主人公なんですけど、今回の水木さんはだいぶギラついたあんちゃんだったのでし、知らん人……!! になってました。

ただ、本作のサスペンス的なカラーには確かにガンガン謎に突っ込んでサクサク話を進めてくれるアグレッシブでクレバーな主人公がマッチするし、かなりアクロバットながら「水木」がこういうキャラである理由もしっかりしていて……良かった!!

空虚な大義によって無数の人が無意味に死んでいく地獄を経てただ生き延びるという一念に憑かれ終戦後も幻影の戦場を孤独に駆け続ける男、水木しげるという人が戦地の極限で見出したものとはかなり違うカタチの"生"を見出した姿なんだけど、必要かつ魅力的なキャラを「水木オルタ」縛りの中でちゃんと成立させてるの、本当にすごいと思う。

でもこれ『鬼太郎』で摂取できていいタイプの良さかなあ!?

パパ、強……いやそうでも……いややっぱ強いな!?!?

結構ホラー存在っぽい演出が多かった。

カランコロンの下駄の音でフラッと現れて飄々としたボケ気味のノリだけど真顔で怖いことも言う、鬼太郎のパパだ〜〜〜〜〜〜!!!! という感じの存在感でめちゃめちゃうれしかった〜〜……!!

あと、原作だとたまに「これ鬼太郎よりおやじのが強ない??」となることがままあるので、全盛期鬼太郎パパの強さがどんなもんなのかへの興味もかなりデカかったのだけれど、バトル面ではそんなに理不尽な盛られ方はしていなくて「まあ一級術師くらいかな……」と思っていたら急に体内電気のバチバチエフェクトで物質を塵にし始め「あ、特級……」と手のひら返しができたのもうれしかった。体内電気レベル100、素粒子レベルでの物質操作だと思えば原子の解体も可能かもしれないけど本当にできるとは思わないじゃん!! 怖……

そこまでやれるならなんで人間ごときに遅れを取ったんだよになるんだけど、人間不殺縛り+幽霊族特効の裏鬼道でかなり不利な戦いを強いられていたのかもしれない。幽霊族特効の裏鬼道!?!?

石田彰、石田彰に求められる石田彰すぎる

にこやかな顔立ちで、村人からの信頼も厚い。

最近の石田彰は普通に良いやつということもありますからね……と思ったら普通に悪いやつでしたね石田彰。しかも幽霊族を地上から駆逐した外法・裏鬼道の陰陽師。盛りすぎ盛りすぎ!!!!

幽霊族を一方的に駆逐、『鬼太郎』本編を見るとちょっと信じにくいお話なんだけど、ラスボスが「呪い返し」って言ってたし幽霊族の力で幽霊族を制すみたいな発想が通底しているのかな、裏鬼道。本編でも幽霊族の人が良すぎる傾向は描かれていたし、なんかうまいこと言われてホイホイ技術供与しちゃったのかもしれない。

石田彰個人の話をすると、奥様への忠誠がちょっとしっとりしてたのも良かったな。何か感情があったとして、沙代ちゃん自身もジジイの実子っぽいし、嫁ぎ先は余所の下品な知らんやつだし、かなりおいたわしい男だったのかもしれないわね。

龍賀家三姉妹、性癖だけど、あの、いいんですか!?!?

急に煩悩の話で申し訳ないんですけど、龍賀家の女性3人がド性癖で困っちゃった。

右上の顔、めちゃめちゃメスガキ ところでメスガキという語、人聞き悪すぎるからもう少し穏当な言い換えないのかな
だるんだるんの下着姿でガブガブ飲酒してるサービスカット、品がなくて良かったけど明らか事後で脳が壊れちゃった
三白眼で目の下にクマがあり釘宮理恵の声で喋り性格が悪い でも夫の石田彰が奥様に湿度向けてるのは普通に可哀想

年齢を重ねた三者それぞれの腐り方、爛れ方から貴腐香のような色気が滲んでいて本当に良かったし、全員程よくカスだから派手に死んでもあんまり心が傷まずに済む、もう、あの、すごく良いんですけどこの良さは本当に『鬼太郎』で摂取していいやつですか!?(2回目)

奥様のメスガキおばさん感(なんなんだよそれはよ)もうわキツ界隈の星になり得る次女陰気な小動物系に見えてしっかりカスの三女も良かったんですけど、ありがたいんですけど、この方向の供給を『鬼太郎』で得るの、なんか……ちょっと……後ろめたいよ!!

ちなみに個人的には次女がいちばん好きで、ケバい感じやだるんとした体型も好みなんですけど、過去写真では明るい元気っ子ぽかったのに今では言動の端々から卑しさが漏れるばかりか姪っ子を最悪のネタで脅迫する最低の人間性にまで歪み果ててしまっているところが好きです。これが人を褒める言葉か……??

そして龍賀家の闇──

ちょっと元ネタっぽいな〜と思った。わからないけど

──いや重い重い重い!!!! シンプルに気分がよくないよ〜〜〜〜!!!! 禪院家と間桐家と織○家の悪いとこ取りか??

これは正直、確かに家系ミステリをやるならひとつのお約束ではあるけど『鬼太郎』の映画としてこれをやるのは……「正気か??」が勝つよ!! ファミリーで来てお子さんに「あそこなんで急にゲロ吐いてたん?」って言われる親御さんの気持ちは考えましたか!?!?

『鬼太郎』、原作を含めればダークなものや性的なものも排除はしない懐の深さというかバーリトゥード性を持ってはいると思うんですけど、その感じともちょっと違うもんな……

もちろんこの「違う」感は僕の恣意的な線引きに過ぎない気もするんだけど、ちょっと別項で言語化を試みたいと思います。

狂骨、マジ!?!?!?!?

劇場版ボス、コイツ!?!?!?

え、狂骨……!? わざわざシークレットにした劇場版の敵妖怪、狂骨!? え、さすがにもう一枚くらい……ないんだ!?? 最後まで狂骨で行くんだ!??!? 神代の邪神ヤトノカミを継ぐ者、マジで狂骨なんだ!??!?!?

──や、ここはたぶんそんな引っかかるところではないと思うし、ここまで大ウケするのは狂骨に失礼だろという気もしないではないのだけれど、劇場版『ゲゲゲの鬼太郎 0(ゼロ)』の敵が狂骨なの、どうしても面白いので今後10年くらい擦ってしまう気がする。ごめん狂骨……!!

真面目に考えるなら、鬼太郎の『誕生』というところに向き合って未来へ命をつなげること未来を奪われ絶たれた命を対比するラストへ向けた人選なのかな……の感触はあり、あとは人間の怨みから生まれました系なのも象徴的だなあと思っています。(これも後述)

ラスボス・胸糞ショタジジイ

みんなも雑コラでつくろう、ラスボス最終形態

何から何まで"厭"だったねこいつ〜〜〜〜!!!! 倒したら倒したで言うて人間だし小物だしで全然満足感というか「倒したぞ〜〜〜〜!!!!」って盛り上がれる感じでもないところ含め、ホンマにこいつよオ〜〜〜〜!!!!

水木が戦地で見出した孤独でギラギラした"生"の果てにいたのはこの世のすべてを己一人のために食い潰す怪物であり、大義のもとで弱者に犠牲を強いるあの日の上官とさえ重なる醜い姿だった──の文脈は水木のラスボスとして完璧だし、呪いを絶って子供たちの未来を守るおやじ/子供たちの未来を消費して呪いを重ね続けるジジイも対になってて綺麗な構図なんだけど、なんだけど!!!!

ま、そういえば6期、人間の醜さみたいなものとめちゃくちゃ向き合ってきたし、このシリーズのエピソードゼロには相応しいボスだったような気もするんだけどいやでも一族の女性全員ワシと寝てますは醜さを急に突きつけすぎるよ〜〜〜〜!!!!

幽霊族の特異点・鬼太郎ママ

墓場鬼太郎のビジュアル。良い笑顔

幽霊族を滅ぼした人類を普通に憎んでいたおやじに人類愛を教えたの、この人だったんだ!? えっこの人すごくない!? ていうかこの人いなかったら人類ヤバかったくない!?!?

こんな人を幽霊族血液プラントにしてたクソ因習村、シャンクスも燃やして正解って言いますよ。「おばけは死なない」→「だから生きてる間ず〜っと血を搾れるってワケ」、まあ合理的なんだけど公式でお出しして良いやつかこれ??

そして個人的にはこのプラントのあたりで「あ、この作品はスピンオフとして見とこ!!」という意識が固まった気がする。『鬼太郎』、今で言う「異世界スローライフ」的幻想を妖怪たちに仮託できるところが僕の中では結構大事だったらしく、この世界線ではそれは……無理やね!? が確信できた段で、逆にちょっと楽になったかも。

全体的に大人→大人の作品

血に塗れた大人たち、綺麗な子供

総じて今回の『鬼太郎誕生』、原作の設定をうまくこねこねした土台で大人が大人へ向けて作った二次創作という感じだな〜〜と感じました。『本当は怖いグリム童話』とか僕も好きだし、そういうジャンルのレギュレーションを変えて見直してみるタイプのスピンオフとして割り切った方が乗っかれる気がする。

そもそも視点人物が大人世代だし、終わってみるとお話自体も良き親のおやじ/親になれると思っていない水木/クソ親のラスボス、という図式だったかもしれない。いま僕自身が子というほど子ではないけど親でもない中途半端なところにいるからその軸を認識するのが遅れたけど、お子さんのいる方はまた違う感想があったのかな。

今日は『鬼太郎』本編を観る心構えで行ったので(それはそうやんね)たぶん100%は楽しみきれていないと思うんだけど、個々の要素や演出はかなり好きだし面白かったので、とりあえず一周して適切な角度適切な距離感がある程度掴めた状態からもう一回観に行ってみようかな〜〜と思っています!!!!

水木作品における"闇"、"性"、"リアリズム"

ここからは蛇足で、「本当はこうなんですよ」ということでもなく、今ぼんやり感じているモヤモヤをちょっと言語化しておこうかな……くらいのやつなんですけど、今回の映画含む6期の「いっぱい血が出る路線」「原点回帰」として語られているのを見るとちょっと……あるよ!! 異議が!! の気持ちがあります。

確かに水木作品では無慈悲に人が死ぬことも多いし、セックスやちんちんも描かれるし、人間の醜さや愚かさをあけすけに描きもするんだけど、なんだろうな。モチーフではなく扱う手つきかな。同じように死や性や人の醜さを扱うにしても、ある程度距離を取りながら「まあ人類って愚かやしそういうこともあるよね」くらいのある種ドライな、ある種優しいテンションがあると水木あじを感じる気がする。(あくまで僕は、という話です!!)

「うおおおお幻想のヴェールを剥ぎ取って醜く残酷なリアルを見せつけていくわよ!!!!」みたいなショッキングで"強い"リアリズムも好きは好きなんだけど、冗談みたいなタイミングでスッ……と降ってくる死だったり、どこか間の抜けたアホっぽいセックスだったり、ときに無慈悲なまでにサラッとさりげないのもリアルだと思っており、個人的にはそっちの方が肌に合うんだろうな〜〜と感じました。(チェンソーとかコワすぎとか。)

「精露丸」より、アホっぽいセックス。コキコキコキ

妖怪は「人間の批判者」か?

蛇足ついでにもう一本蛇足を描くと、そもそもなんで最近の『鬼太郎』が人間の心の闇的な方向に寄りがちなのか、というところにはもう一段根源的な問題があるような気がしています。

このツイートでも書いたことなのだけど、まとめると今の時代って人間VS妖怪で戦うための対立軸がなくない?? というお話で、文明VS自然の軸も近代VS前近代の軸ももう実感しにくい以上、後はもう人間の中の闇をほじくり返して他者化するくらいしかできなくなってるのが6期なんじゃないかな……とぼんやり思っているのよね。

この点では、今回の映画のラスボスが狂骨(狂骨!?!?)(いつまでウケとんねん)+極悪ショタジジイともに人間由来の存在、人の業と悪性を煮詰めた果ての災厄であったことにも、ちょっとだけ象徴的なものを感じています。
原作含め『鬼太郎』というコンテンツ自体に妖怪を通した人間様の自己批判の側面はずっとあったと思うのだけど、今作ではそこの間接性がかなり薄れて、割とはっきりと人間VS人間の自閉的構造になっていた気がする。

(実のところ6期の自家中毒的な形態もひとつの徒花として嫌いではなかったりするのだけれど、)7期『鬼太郎』では人間にとっての"他者"の居場所妖怪と出会うための異界が新たに見出されているといいな〜、という思いも新たにした今回の劇場版でした。



いろんな気持ちがぐるぐるしているのをそのまま書いちゃったのでまとまりがないんですけど、とりあえず超スーパーウルトラグレート狂骨が見れただけでかなり満足感が……ある!! 出世したな狂骨……!! また早起きできた日とかに観に行きたいな〜〜〜〜!!!!

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