すぐ言うーーーー服部真里子のエアホッケーの歌

【ゴチャゴチャ言わんと誰が一番おもろいんか決めたらええんや/ぴあ (2003/12)】

にはバッファロー吾郎・木村によるダイナマイト関西(大喜利ライブです)出場者への人物評のようなページがあって、たとえば次長課長の河本とか…と名前を挙げて【『好きな食べものは?』に対して、『うどん』と応えるくらいの速さでおもしろいことを言える芸人は他にもたくさんいる】と書かれている箇所がある。  

このイベントからテレビの世界へ羽ばたいていく者がもっといていい…という熱気でもって件の一文は締められていて、ぜんぜん本筋じゃないけど、『うどん』って言われたとしても笑うよなあ、という気持ちが初読から時間を置いた今でも起こる。ポイントは「速さ」にもあるのだと思う。  

たとえ「うどん」だったとしても、〈すぐ言う〉ことで凄くなる「うどん」がある。「くりぃむしちゅー」も確か、まさにこれと同じ質問を内村光良から受けた有田がこう即答したことで起きた笑いをお墨付きにしたような新コンビ名だった。  

すぐ言える、のはたぶん本気(マジ)か本心(マジ)かだからで、それに対してこちらは「マジじゃん」と喜んだり、慄いたりができる。「マジ」に向かって自己や自作を磨き、他者や掲出作からは「マジ」を受け取ろうと努める…詠み/読み  の流儀をまだまだ強~く感じる一方で、うどん、を『うどん』にするための〈すぐ言う〉に注がれる「マジさ」こそを見つめたくなるような歌が、『遠くの敵や硝子を』(服部真里子)には多いと思う。ちょっと通り過ぎれない強度の〈すぐ言う〉とでもいうか。紙が夏から置きっぱだったので貼る。


あなたが覗きこむとあなたの湯豆腐が薄いむらさき色に翳るよ
エヴィアンの残りを捨てる髪のように黒々と輝(て)る夜中の河へ
遠雷とひとが思想に死ねないということ海が暮れてゆくこと/服部真里子『遠くの敵や硝子を』

北窓の明かりの中に立っているあなたにエアホッケーの才能
夕暮れにやさしくながくのびている岬よたまに犬を走らせ  


腕時計したまま水に入る夢覚めてあなたの頬にさわった
すぐに死ぬ星と思って五百円硬貨をいくつもいくつも使う
金雀枝の花見てすぐに気がふれる おめでとうっていつでも言える

引いた歌からざっくり、「速さ」を含まない良い歌を①、「速さ」を含む良い歌を②、その両方の美点が混ざったような歌を間の二首にグループ分けした。こちらの二首だと、より良いのは【北窓の〜】の方だと思うのは、【エアホッケーの才能】の授受のほうが【犬】の走行よりも「速く」感じるからだ。「速い」とおもしろい。遅くておもしろいこともあるけど。

エヴィアンの残りを捨てる髪のように黒々と輝(て)る夜中の河へ

①の歌だが、6音ではさまってくる【髪のように】は少し「速い」かもしれない。こちらは、上の【捨てる】と下の【黒々と輝る】の両方にかかっていることで読みが幻惑され、夜中の河という唐突な景を無理なく想像させられる脳にされる【髪のように】であると思う。元はと言えば【エヴィアンの残りを捨てる】で自らの口内、を思わせるところから始まった一首が【】と続き、飲んだミネラル水に髪が入っていたような感覚の否応もなさの後それを【夜中の河】に吐き出させてくれるので、読み手がすっきりする…ための動線がきちんとしているなぁという印象を受ける。感心はひとまず笑い声を引っ込めるので

北窓の明かりの中に立っているあなたにエアホッケーの才能

そうなるとやっぱりこれだよなぁ、と思う。エアホッケーの才能がマジで急で笑ってしまう。

あなたに】と言っているときの「わたし」は【北窓】を持つ部屋(2階以上の高さにある)の中にいる。そこの【明かり】が四角く照らす夜の地上(なんか雪まで降ってるし積もってもいて、これは【北窓】の「北」が連れてくる寒さかもしれない)に【あなた】は寒い中がんばって立っていて、そのがんばりの褒章として室内から【エアホッケーの才能】を授与されたのだ……と読むとき、①エアホッケーなんだ→「固有名詞による本当っぽさ」→じゃあたぶんマジでもらえた【才能】なんじゃん ②エアホッケー?って一瞬は思ってしまっただろう【あなた】 ③【才能】を授与できるこの人は何者なんだよ ④そして「がんばり」と「褒章アイテム」の因果関係の「分からなさ」 と、色々な味がする。



ほほえみを あなたの街をすぎてゆく遊覧船の速度を 風を/服部真里子『行け広野へと』
たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて/服部真里子『遠くの敵や硝子を』

言える、歌をこうやって字にして並べてみると、自分は服部さんの歌に対しつくづく「速さ」を期待しているんだなぁということに気づく。

金雀枝の花見てすぐに気がふれる おめでとうっていつでも言える/服部真里子『遠くの敵や硝子を』

【すぐに】と【いつでも】が、同じ「反射神経」の言葉であるということを思うと、

(…)そうですよ、こういうのはノリとスピードが大事なんです。今度ご一緒にお食事でも、と言ったって未来永劫ダメなんです。来週の何曜にどうですか?  もっと言えば今晩どうですか?  とこう言わないとダメです。相手に考える暇を与えないと同時に、自分にも考える暇を与えないんです。そうすると他意がないんですよ、自分でも。本当に何も後先とか深く考えてないから。もうひとつは、まず最初にガツンとインパクトのあること言って、間髪入れずにトーンダウンしていくことです。
 これが森野流話術である。
木下古栗『いい女 vs いい女』  

そろそろ心配になってくる。

【いつでも言える】ことで照らせる心や、【自分にも考える暇を与えない】ことで回避できる他意があることは疑わないうえで、森野流・服部流実践者の本体がおそらく引き受けていく損傷…もなんとなくあるような気がしていて、それは誰のどのような方法によって救われるのだろう‥‥と書くとそろそろ短歌や小説の評の言葉ではなくなってくるのだが、放出されなかった暴力性は、くしゃみに急いで閉じた口のようにやがて首から上を吹っ飛ばすのじゃないか‥‥というスリリングさが僕には現段階においての服部作品のたのもしい味方であるように感じてしまうとき、かなり後ろめたい。

唾液で汚してよい顔は当然無く、〈すぐ言う〉とおもしろい、うえで損傷されない本体が時おり放つ、【エアホッケーの才能】みたいなうける言葉。