【と読む】鈴木ちはね『感情のために』



いしゃどう(以降、「い」):では、では・・・

睦月さんから、好きな歌1首と、これを相手に読ませたい1首・・・みたいな感じでもらえますでしょうか。

睦月都(以降、「睦月」):あ、そんな感じのルールでしたっけ。
ただ単純に2首・・・「好き」かつ「しゃべりたい」2首、で選んできました。

・・・えーっと。まずは『よい島』53ページの、

食えなくなるという仕事に就いていて四大卒の短歌のぼくら
鈴木ちはね『感情のために』

:あー・・・

睦月:??

:うん・・・これか・・・

睦月:あと、58ページの

靴べらで靴へと足を流しこむ こういう時間の先に死がある
鈴木ちはね『感情のために』

この2首を選んできました。

:ありがとうございます。


□ □ □ 読む □ □ □


食えなくなるという仕事に就いていて四大卒の短歌のぼくら

:この歌は・・・「なんでそんなこと言うんだよ」っていうか・・・

この短歌を読む人の、そのほとんどが該当してしまう言葉が置かれてる気がする・・・っていう。まあ、自分が刺さった、からそう思うわけだけど・・・

睦月:たぶん、まさにそういう感じで・・・すずちうさん(=鈴木ちはねさん)って私と同い年なんですけど。だからたぶん感じてきた空気とか、経てきた義務教育の内容とか・・・就職難だったとか・・・そのへんはかぶってるのかなと思ってて。

なんかね、この歌に書かれている「短歌のぼくら」って、少なくとも私たちの世代くらいまでの、あまりにもスタンダードな「短歌のぼくら」ですよねっていう。そこがまずわかっちゃうし、わかっちゃうと痛む。

:『感情のために』って韻律を守ってない・・・けど短歌のふりをしている短歌、の多い一連だという印象でーーこれ褒めてるんだけどーーでもこれはわりかし穏当に、定型に沿っているやつ。

↓だい/そつの/たかの ぼくら、っていう読み心地もいいんだけど、何よりもこの「ぼくら」ですよね。くせものは。この「ぼくら」が良くて。

「ぼくら」って・・・・思ってないだろう、とまず感じてしまう(笑) 連帯・・・しださないだろう。これ(『感情のために』)を書いてきてる人は・・・って思うなにかがある。まあそれを信じて読まないといけないんだけど。皮肉としてね。ひにきり通した、感じがある。

睦月:あー・・・「思ってないだろう」、わかる・・・

本気で「四大卒の短歌のぼくら」だと思って、疑いもなく「ぼくら」って言えちゃう人にそう言われちゃうと「いや、わたしはちがうんで・・・」って拒否したくなる。でも、「感情のために」なんて連作を書いてるようなひとは、ぜったい何回か裏の裏の裏・・・にまわって書いてるでしょ、「ぼくら」を(笑)。

:語順のせいもあるのかもしれなくて・・・『四大卒の短歌のぼくらは~』みたいに始まるといろいろ、警戒する時間がもてるんだけど、「短歌のぼくら」で終わられるから。すとん、と。「ぼくら」を疑う時間を与えてくれないから。

・・・あとこれ、読みながら気づいた感じなんだけど、「食えなくなる『仕事』についていて」なんですね。食えなくなる仕事につくための「学業」をおさめていて・・・みたいなふうにちょっと読んじゃってたんですけど。

睦月:AIに人間の仕事がとってかわられるんじゃないか・・・っていう背景を含んでるんじゃないか、とは。

:まあそれでも、大きく外れてる、わけではないのか。そっちの読みとも。

睦月:まぁ。

:だとすると「ぼくら」を含む範囲はもっと広くなるのか。ほとんどの人が「食えなくなる」かもなわけだから・・・8割くらいAIに置き換わるかも、みたいな話なんでしょ?

睦月:うん、 うん、

:けっこう広い範囲のことを言ったあとにけっこう狭い範囲のこと、を言ってるのか。

睦月:なんかさ・・「短歌のぼくら」って言葉を素直にとれないからこそこの歌を素直に読める仕組み、って、「食えなくなるという仕事に就いていて」、っていう状況設定がそうしてる部分もある気がしてきた。

ってのは・・・8割? 職業がAIに置き換わられる割合。3日に1回くらいはネットニュースで見かける陳腐な話題だけど・・・ 「8割の仕事はAIに取替わられるだろう」って分析を出した人も、それで記事を書いてる人も、その記事を消費してる読者も、全員、「それでも、自分は大丈夫だろう」と思ってる節があるんじゃないか。自分だけは交通事故に遭わないから大丈夫、みたいな心理と一緒で。
そういうものへの欺瞞を感じる心、皮肉、みたいなものをこの歌の後ろにちゃんと感じ取れるからなのなのでは、という。

「四大卒」っていう言葉を選んでくるところの、引いてモノを言ってる感じもそうで・・・「四大卒」って。

:あんま言わないよねぇ、「四大卒」。

睦月:自称で言いそうなのは、「XX大学卒」とか、あるいは「文学部卒」とか学部で絞るよね。「四大卒」って範囲が広すぎて、自己紹介にはならないっていうか・・・「ぼくら」の特性にはなりにくい。

:いま読んでる小説で、いやな上司、みたいなキャラクターが煮詰まった会議の最中に「最高学府まで出た脳がこんなに集まって、出てくるのは愚痴だけなのか」みたいなことを言う場面があるんだけど、この「最高学府」とか。「四大卒」は言葉として仰々(ぎょうぎょう)しいから、皮肉として使いやすいんだな、とも思った。

この歌、おもしろいと思ったんだけど・・・ちょっと学歴、のことが書いてあるなにか・・・をおもしろがる、のって地雷かな・・っていう気がしてて、引用は怖かったところがあって。

睦月:ん、ん。「地雷」ってのは?

:んー・・・・どう言えば、なのか・・・

学歴、のことで笑えた、としても、それをこういう会話の場、だとしてもうまく出せない感じがある・・・というか。自分の中に芯の通ったおもしろの論理、みたいなのがないと足元をすくわれる感じがある・・・ことがらなので・・・すごいひっそりと笑ってた、感のある歌です。

・・・この歌、詞書ついてますけど。

詞書)
私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間私は、

食えなくなるという仕事に就いていて四大卒の短歌のぼくら

詞書もおもしろい一連ですね、これ。

睦月:あー。

これは「28年」の部分で短歌と繋がってる詞書なんだと思ってて。ちはねさんが平成2年生まれのはずなので、言ってしまえば、人生のすべてを平成ですごしてきた自分、というのと寄り添わせてるんだと読みました。

:詞書と寄り添ってておもしろい1首・・・で言うと別で56ページ・・・の

詞書)
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

そのへんのチェーンではないお店より安心できる日高屋だった

の「日高屋」がすごくて。なかなか危ない話だけど・・・もしも天皇制がなくなったとき、もしかしたら用意される〈べつの象徴性なるもの〉・・・厳粛なもの、に自分たちは親しめるだろうか?という気持ちが言い表されてる、うまい「日高屋」だと思ったんですね。で、そのうまさゆえに、好きな2首には引かなかった。「日高屋」と「天皇」を呼応させるなよ、怖いだろ、っていう(笑)

読書として読むと楽しいけど、評論なんかで引くのは怖い、ってライン。日高屋ユーザーとして思うんだけど、「日高屋」ってなんかそういうところあるんですよ。外食の選択肢として。「日高屋でいいっすよ~」みたいなね。あんまり親しさを持って来店してないんだけど、あれがある駅前の、なんかダラっとした安心感みたいなのはあるわけ。これがなんとなく、「天皇陛下が、いる」っていう安心感と響きあう、そうとう上手いたとえ、だとこれは思う。

睦月:ふーむ、日高屋っぽさがわかると

:だから「四大卒」と併せて、詞書がだいぶうまくいってる2首な気が。

睦月:詞書の使いかた・・・でいうと、斉藤斎藤さんの「人の道、死ぬと町」を想起することをふつうに許されてる感じはします。

:まんま「今だから、宅間守」って言ってるところもあるもんね。(59ページ)

今だから、宅間守 と言われてもいまはもういない宅間守

睦月:ですね。

:こんな挨拶歌はない、からね。

睦月:まぁそうですね、(笑)
挨拶歌?っていうか、まぁ・・・。目配せはきいてます、よね。

この手法を持ってくることで、「人の道~」をふつうに想起させてしまうんだけど、その目的ってなんなんだろう、っていう。批判、とかではない気はしますけどね。

:斉藤さんへの?

睦月:うん。あてこすり、とかでは決して無い。逆に言えばここの手法は「新しさ」ではないんだけど、「更新」というか、そういうところを目指してるような気もするし、けど、手法としてより先鋭化しようとしてる気配はなくて、

:方法として強い、から使ったんだって気はしますけどね。

睦月:そのくらいの意識でも読んじゃっていいか。

:斉藤さんの詞書の使い方とは微妙に違ってるところとしては、必ずしも(斉藤作品に多い)フリとオチ・・・のようでもない、という。

睦月:うんうん。

:さっきの天皇陛下の「28年」と寄り添う鈴木ちはね「(ほぼ)28歳」・・・みたいな使い方ですよね。最新版のユーモア、としてとれる。

睦月:(『人の道、死ぬと町』における詞書と歌の関係よりも、)こっちの方が対応関係はゆるやかなのかなーと。
こういう詞書多用の歌はしかたないとは思うんだけど、詞書と歌の対応がよくわかんないと、やっぱり読みにくさはある。

:さっきの「日高屋」ほど気持ちのいいものばっかりじゃないしね。

睦月:うんうん。

斉藤さんの詞書の使い方は読んでて気持ちいいじゃないですか。だんだん一緒に揚がっていく、みたいな。同期していく、感じというか。

:だれかが「短歌の部分がミュージカルでいう歌+踊りの部分で、詞書のところがト書き」みたいに言ってたけど・・・
短歌定型にのったときだけ斉藤斎藤が歌う・・・みたいな。

睦月:うん・・・。ただ「感情のために」で天皇のこのスピーチを採用した感じってわかって、スピーチの緊迫感に相対するように、歌がだらっとしてる感じ。それは多分意識的にしてて。

:・・・こういったところですか。

では、「靴べら」のほうはどうですかね。(p58)

靴べらで靴へと足を流しこむ こういう時間の先に死がある

睦月:靴べらで足を流しこむ・・・・って情景は浮かぶし、あの行動なんだなってのはわかるんだけど、でもこういう言い方はしないよねっていう。ふつうに言うと靴を「履く」かな。でも「流しこむ」って動詞は「履く」よりも詳細に言ってるから、こっちのほうが正解な気がしてくるんだけど、ふつうは「足を流しこむ」って言わないじゃないですか、あの行為について。その「こうは言わなさ」みたいなのがまずおもしろい。

で、「こういう時間の先に死がある」って、足の動作の描写のまま時間の話に流れるからなんかやっぱり、足の差し込み口のカーブからゆるやかに伸びていって「この先」につながる効果をあげてるんだと思うんですね。

・・・靴の中って暗いじゃないですか。上句を読んだ時点ではこの「暗さ」は思い浮かばなかったんだけど、やっぱり「死」ってワードが出てくると、この「流し込まれた」足の・・・・動きの先に死がある感じを浮かべるから、イメージ喚起力がすごい。ぞっとする感じですね。

:・・・おれ一人の読みだと「靴」をはく玄関の暗さ、しか浮かばなかったんだけど、靴の中の暗さ、も含まれてるわけですね。すごい。

睦月:「流しこむ」っていう動詞の選択も、液体っぽい言い方をあてることで、靴の中の闇と・・・あと「死」もやっぱり水、を連れてくるから、よく響きあってるなーーと。

: ・・これなんか、前も似てることやってなかったですか?

車椅子をばこんと開く そういえばこんな気持ちがあったと思う
鈴木ちはね『戸塚ヨットスクール開校四十周年』

(稀風社「墓には言葉はなにひとつ刻まれていなかった」)

・・・「こんな気持ちがあったと思う」か。新しい歌のほうが「こういう時間の先に死がある」だから、そこからちょっと事態は進んでるのね。よりちょっと、厭世的になってる感じ。

「靴べら」でこうなる・・・ってのもちょっと分かって、人は靴べらで靴を履く、ときこういう気持ちになるような気がするというか。

話の角度をちょっと変えると・・・こういう歌が歌会とかに出てきてさ、どういう評がされるんだろうね?

「きれいな歌だと思いました」とかさ、「せつない恋を思いました」とかさ・・・ そういうふうに「いったん」言いやすい、ような歌ってあるけど、この「靴べら」に関してどういう「歌会でのことば」がぶつけられるのかっていうのにちはねさんの歌って、興味がある。

なんかどう言おうとしても、ちはねさんの歌を、ちはねさんが取って評してる・・・みたいになるような気がしてて。全体的にね。

睦月:自解的・・・というか・・・
歌のロジック、というかを言おうとしてしまうってこと・・・?

:なんか、「その評者の味って、出せるのかな」っていうことを思う・・・
「ちはねさんがもしも自解をしたら」っぽさから全然離れられなさそうな気が・・・

睦月:そんなこと考えたこと無かった・・・

:いや、でもそういう歌ってあると思うんですよ。
なんか作者がしゃべってるみたいだな、っていうか。

睦月:あー・・・ んーー・・・

・・・ちはねさんとか、(山本)まともさんの歌とか、伊舎堂さんもそうだけど、の、あたり、の人をーーこれ言うときいつも口ごもるふりをする、んだけど・・・(笑)ーーこうごたんかの・きゅうせんぽう、的な人たちの歌って、

:急先鋒かはわからないけどツボはかなり似てる気はする、

睦月:それぞれの歌、ってことで言うとだいぶ見分けられるようになってきてるけど、やっぱりその歌をいわゆる「よい」と、ストレートにそうおもうことってあんまり無くて、「これは、上手い」「これはここを想起させて、うまい」みたいな分解、の態度に入っちゃうから、

:鑑賞、ではない感じで読んでしまう?

睦月:鑑賞・・・とはちがいますねー。

:採点。みたいな?

睦月:んーー・・・採点・・・・

どうなんでしょうね。(今回の)ちはねさんのやつとか、ふつうに「いい」って思ったから。

:あとで触れようかなって思ってた歌に、58ページの、

旅行が苦手と言う人の苦手な理由はだいたいなぜかいつも面白い

っていう、短歌のリズムで読めない、いきなり初句「旅行が苦手と」っていう大余りなやつから始めてたりするやつがたとえば、ある。まあこれはおれには短歌ではないように見える、と。

・・・でもこれが連作の中に入ると、これを無視して読むことができなくなる。これを飛ばして、次の歌を「黙祷の・・・」という風によむことがいったん、できなくなるわけですよ。だから短歌としていちおう、「旅行が苦手と」を読む、ことになる。で、この「いちおう」読まされてしまう、ということの豊かさってあると思うんで。短歌ではない。小説でもない。ツイートでもない。・・・を、短歌として読まされてしまう、っていう巻き込まれる感じ。作者からすると巻き込む、かんじ。そういうことの営為ってあると思ってるから・・・

そこはおれには歌を「採点」して喜ぶ、ようなことに近いわけ。あ、しれっと短歌じゃないもの入れてきてるね(笑)みたいなね。鑑賞ではないものになる・・・っていう睦月さんのやつで思う、のはそういうことなんですけど。

睦月:この「旅行が苦手と」の歌なんか、伊舎堂さんが言い出しそうな感じがあるといえばあるんですよね。ツイートしてそうな感じ、

:このへんにはすごい共感を持ってしまいますね。ふつうに。

睦月:すずちうさんと伊舎堂さんの歌の切り出し方・・・題材の採用だとかその書き方、って似てる部分があるような気はしてて・・・・ へんなこと言ってたら撤回しますけど・・・

:どこがどう似てると思う・・・まで言えば語弊は生まないのかな・・・
おれも似てるなぁとは思っていて・・・でも、作者からは「こうなってしまう感じ、すごいわかる」としか言いようが無いから・・・

・・・なんか。なんかねぇ。南天の実、とかは間違っても読まなそう・・・みたいなさ(笑) 季節感、とかから歌が出てきてない気配が。

睦月:「批評意識」・・・なのかな、とは。カミハルさんにとっての「戦争」と伊舎堂さんの「戦争」は似てないんだけど、すずちうさんの「戦争」と伊舎堂さんの「戦争」は似てる。カミハルさんの「戦争」はカミハルさんの内部からカミハルさんを脅かすけど、すずちうさんと伊舎堂さんにとっての「戦争」は外部に存在して。

:おもしろいものは当然いっぱいある、うえで、三上さんの短歌の中にいる主体が戦争・・・を思うときの歌って、あまりにも「戦争」そのことを言う言い方に徹してるから、それを読む読者としては茶化せなさ、があるわけですよ。すごい戦争を憎むとしたら・・・みたいな意識で自分は読んでないし、詠んでないので。つきつめると、超絶に韻律のいいおもしろツイートを読みたい・・・みたいに思ってるところがまだある、ので。

睦月:短歌で?

:短歌で。

・・・で ちはねさんは、やっぱりそうは言っても、ちょっと「ウケたさ」が匂うわけですよ。戦争のことを言ってても、「職業」ってなんだ、みたいなことを言いながらも(笑)

睦月:あーーー・・・ああ、ああ!

:その「ウケたさ」があるから「ファン」になっていける、わけですよね。なんていうか。

睦月:「ウケたさ」は、そうかもしれない。ふたりに似た印象を感じるのは、外部に現実に存在する「戦争」を、茶化す、ウケようとするという手段で抵抗している感じね。
〈北朝鮮に必要なのは抱きしめること〉とか、(笑)

起きたのでニュースを見てる 北朝鮮に必要なのは抱きしめること(P58)

:こういう、AC・公共広告機構です、みたいなことを言うわけですよ(笑)「おまえの言葉で、言えよ!」みたいな嬉しさがあるわけ、こういうのに。

睦月:はい、はい。

:三上さんだとこのあたりが、突き抜けるような処理の言い方になってるイメージがあるから、それがおもしろい・・・という場合もあるんだけどそうなると茶化せなく、なってくるから。

睦月:突き抜けてる・・・というか。純粋性、というか・・・

:こういう人いるんだ。ってまず驚いちゃう感じがある、

睦月:でもそういう本気度、みたいなところではわたしはカミハルさんを読んでないけどな。もっとこの人の中の、閉ざされた生態系の中で独自進化したような言葉だと思ってて・・・ まぁそれは置いておいて。

:うん、

・・・おれがちはねさんを好きな理由、は今のでだいたい言えた気はします。

睦月:はい。

伊舎堂さんの選んだ歌、に行っていいですか?

:あー、はい。僕は、52ページの・・・

素手で送りバントさせられる夢を見た 笑い話にできるだろうか(p52)

読みかたは、

素手で送り/バントさせられる/夢を見た 笑い話に/出来るだろうか

ですね。んー・・・

「好きな何首かを選んで話す」っていう時間で、選んできた歌に「笑い話にできるだろうか」みたいな語句が・・・自分、がバレてしまいそうなものが入ってしまってることへの怒り、はまず、あるんだけど(笑)

睦月:直(ちょく)なのは、嘲(わら)えますね。

:これに関しては、さっき「『読まされてしまう』ことで生まれる豊かさがある」みたいに言いましたけど、「旅行が苦手と」の歌はそうは言っても韻律が悪すぎる、ところがあったわけです。あれはまだ、詰めれるじゃないですか。でもこの歌は韻律にかなり沿っていて。

素手で送り
で切って、
バントさせられる 

っていうふうに前半ワチャワチャした読み味にすることで、意味内容てきにも「素手で送りバントやれ」って言われてる、ひどいめにあっている、場面と響きあってるとおもいます。

睦月:素手で送りバント・・・ってどういう状況です??

:ん。ん。

睦月:グローブをしていない、ということですか。

:じゃなくて・・

睦月:(右腕を立てて、バットのように振る)
こう?

:それだと〈バント〉でもないんだけど・・・ バットが無い、丸腰の状態で「ポーズだけやってみ?」って言われてる、状態ですかね。

睦月:ああ、そういう意味?

:ちはねさんはおそらくプロ野球選手ではないので・・・ふつうに働いて帰ってきて寝たら夢で送りバントしろって言われてる、ってだけでだいぶおもしろいんですけど、あとは〈させられる〉の程度の話になりますよね。「フォームを見せてみろ」って言われた、のでもおもしろいんだけど、おれはもうちょっとひどくて、球も飛んできちゃってる。って読んだ。

睦月:こう・・・ではないの?

(右腕を立てて、バットのように振る)

:それだと打てちゃうじゃん

睦月:はい。はい? はい、

:送りバントのフォームをしてるのに、バットがなくて打てない・・・から、「球が私に、当たる」だけになる。ひどいことが行われてるわけなんだけど、それを喰らってる主体が死んだりはしてない、とおもしろいわけよ。大怪我とかはしてないと、笑っていい感じが生まれる。おれのなかの感じ方としてね。

・・・そういう内容を、ワチャワチャした韻律で言ったあとに一字空けして 笑い話にできるだろうか って言うっていう・・・反応としてズレてる、わけです。しないでいい、わけだから。笑い話に。怒るべきなのに。「なんで素手で送りバントしなくちゃいけないんですか」みたいに。ちょっと素直すぎないですかみたいな・・・ 無防備さ?に惹かれるから・・・

睦月:・・・ちょっとごめんほんとに、これが本題じゃないのは分かるんだけど〈素手で送りバント〉がどうしてもまだよく・・・〈素手で送りバント〉が、グローブ無しでさせられてる、のか、〈素手「で」〉って言ってるわけだからバット代わりに腕を振る・・・っていうどっちかなのかなって思ったから、球が自分に当たる・・・ってのはあんまり分からず・・・

:これ・・・(右腕を立てて、バットのように振る)だとバットスウィングになるわけなんだけど、〈送りバント〉だとこう・・・(両手でバットを持っておなかのあたりに持ってくる)なんですよ。だから、待ち構える、ことになるわけですよね、 ・・・睦月さん、送りバント知ってますか

睦月:さすがに知って・・・バット振っちゃいけないのは知らなかったですけど・・・(笑)、
さっきの伊舎堂さんの読みの、体に当たっちゃうっていうのよくわからない。球は非在のバットのあたりにくるから、ここ(からだ)らへんは安全じゃないですか?

:ボールは当たらない・・・っていう。

睦月:そう。で、バットは握った状態で、ふつうはグローブとかをはめるのに、素手でさせられるから血豆とかもできちゃう・・・みたいなイジメの状態、で読みましたね。

:ん、ん・・・ イジメ、でも血豆、だとしても、ポーズとかを厳密に言っていく、とこんだけ言い合えるくらいにはブレる読みなんだけど・・・

睦月:やっぱりこう・・・(右腕を立てて、バットのように振る)だと思うんだけど・・・
(※睦月注:このとき送りバントのことをよく知らなくて、ぜんぜん違うポーズをイメージしてたんですが、後から画像検索したら伊舎堂さんの言ってる意味がわかりました。すみませんでした)

:好きになった歌って、けっこう読みをひいきしちゃって、おもしろさを最大化してる可能性はあるよね。 勝手に、

睦月:うん、

:だから〈素手で送りバント〉って言われたときにおれは、もうバッティングセンターにいるのね。勝手に。で、〈素手で送りバント〉させられてる。それが怖くて・・・

睦月:バッティングセンターで送りバントってしなくないですか・・・

:バントはしないけど・・・

睦月:しないですよね、

:武器が無いのに、攻撃はされる、みたいな怖さなんですよ・・・これは、

ボールは飛んできつづけるのに・・・
(握りこぶしを何回も顔のところに持って来る)

睦月:うん、うん、もう。もう。もう。もう、情景はいいんだけど、(笑)

:あと・・・ あと、〈夢〉ですかねぇ。夢の話っておもしろくないんですよ。こういう夢を見た・・・っていうのは。ほとんどの創作ジャンルで忌避されるから。夢オチじゃん、ってなるから・・・ だから夢の歌でおもしろい、とすごいっていうね、

睦月:・・・っていう評しか聞いたことないんですけどね、 
夢の歌、への。「夢の話なのにおもしろい」っていう・・・

:・・・・・・・。

睦月:「これは夢の話だからおもしろくない」より聞いてる、気がする。

:・・・・・・・・。

睦月:5回くらい

:まあ「おもしろくないと思います」っていう評を率先してしてくる人っていないから・・・(笑)

あとしつこいけど「笑い話にできるだろうか」がやっぱり好きで・・・この夢を笑い話・・・でファイナライズしようとしてる態度の鈴木ちはね自体、がおもしろくなっちゃってる、というのもあると思う。笑い話それじたい、よりも。

睦月:「笑い話にできるだろうか」っていうのが逆説的というか・・・逆照射てきに、主体の暗い心情をうつしてしまうことがよくあると思うんだけどこれはそうでもなくて、ただボケっとしてる、みたいなのが「うまい」っていうか。特殊かもなー。

:たしかに。「いつかこのことを笑えるだろうか」っていうのは痛ましさを連れてくるけど・・・

睦月:痛ましさはない。

:単純に〈素手で送りバント〉のありえなさが理不尽さ、を連れてくるから。飛びすぎてて、暗い心情に結びつきようがないのかも

睦月:はいはいはい、

:まぁそういう感じかな・・・

「夢の話はおもしろくないけど、」って評のありきたりさ・・・まで言われるとヒヤヒヤするよ

睦月:そこは、ごめん(笑)。
ちなみにその隣の歌・・・が私は好きなんですけど、

喫煙者の肺の写真を見せられても感情がないので効かないぞ(p52)

引きはしなかったけど一番すきなのはこれですね(笑)

:あーー・・(笑)

睦月:さいこうだろ、

:いやなアンパンマン、みたいな(笑)「やめるんだバイキンマン」的な・・・

睦月:しかも『感情のために』っていう連作なのに「感情がないので」って言ってるっていう・・・(笑)

:ほんとだ、
答え、もう言ってた。

睦月:でも〈感情のために何が出来るだろう〉って歌もこのあとに出てくるから・・・メインはそっちなんだと思うけど、

感情のために何ができるだろう 東京の地図にある空洞(p56)

:これのおもしろいところは・・・喫煙者の灰の写真を見せてきてる人はべつにあなたの「感情」に訴えかけようとしてるわけではないんじゃないかっていう・・・(笑)

こうなりますよ、っていうもうちょっと・・・実証データじゃないか、っていう、

睦月:(笑)
いや、でもあれは感情に、だよ!

:海外のタバコの箱のね、

睦月:「85%が死にます」みたいな、どうだ怖いだろうみたいな

:それは分かるうえで・・・でも「感情」にうったえようとしてるわけじゃないだろっていう・・・(笑)もっと適切な言葉あるだろ知らないけど、っては思いますね。ここ「感情」じゃないだろっていう・・・

睦月:もっと適切な言葉あるだろ、はそうね。あの人たち「感情」にうったえてきてるのか、みたいなのはたしかにね・・・

:たとえばこれが「頭が悪いので」とか「死んでもいいので」とかじゃあ絶対にだめでやっぱり・・・

睦月:「感情がないので」だよ、ぜったい。
あと感情がない、人はこの「ぞ」を言わないだろという。

:そうだよそうだよ、

睦月:口調でばれてるっていう、

:子どもが強がってるみたいな。押入れに猫を隠してるみたいな・・・

睦月:強がってるっぽさも、なんだったら無い気がわたしはしてて・・・
肺が汚れてる写真きっかけで「タバコをやめよう」って思える、そんな素直な「感情」は持ち合わせてないぞ、っていう読みです、ね。

:この選歌の流れでいうと・・・別に降参したわけではないが・・・〈送りバントさせられる〉よりも〈見せられる〉のほうがおもしろい気がしてきたな・・

なんか、もうちょっとだけさらに強い。「送りバントしてみ?」って言われる状況よりも、喫煙者の灰の写真を「見せてくる」、プランニングをしてる誰かたち、を思わされる、ほうが強いしおもしろい気がしてきた。

睦月:そうね。世界 対、わたし みたいな。

:説明しやすすぎる、のかもだけど。
まあそういうことか・・・・

じゃあ次、おれの選んだもので言うと・・・

ちょっとへんな引き方になるんですけど3首(p46)(p47)(p50)、

ウォーリーをさがせ!を描いている人がウォーリーを描くタイミング いつ

ホシザキのペンギン何をまっすぐに見ているのだろう食洗機から

犬のリードが挟まれたままエレベーターが動くと危険 というイラスト

・・・前置きをすると、短歌ってなんか、「このことしか言ってないのに」「このことも言われた気持ちになる」っていう豊かさを生む場合があるけど、むしろ永井祐以降・・・というか、「このことしか言ってない」豊かさみたいなのもあると思うんですね。

「ウォーリーを描くタイミング」のことしか言ってない。なにもアップデートしない疑問、という。これだけのことを575・・・で言ってくる、という。で、睦月さんにきいてみたいのが・・・

・・・・この3つ、自分的にはほとんど同じことをしている3首なわけですよ。となると、自分以外の人って、たとえば睦月さんは、どのように・何によって好き嫌いの序列をつけるんだろう・・・って言うことが気になるんです。たぶんあるわけでしょ。好きの、順位が。

睦月:歌の歴史の中で煮込まれてたっぷりと出汁の出ているブイヨンみたいな言葉があって、一首の歌にそういった言葉を置くことで書かれてはいない旨味や味わいをどれだけ連れてこれるか、みたいなのがこれまでの短歌のスタンダードなんだとしたら、永井祐以降は〈それだけを言う豊かさ〉の試行なんじゃないか・・・っていうのはわたしも思ってて。・・・ていうか、それわたしが前に伊舎堂さんに話したやつじゃない?

:・・・マジでそうですね、 なのでごめんなさい、

睦月:聞き覚えがあるなと(笑)。で、3首のうちどれがいいかってことですか?

:です・・・ね、

睦月:どうなんだろう、でも「ウォーリー」ですかね?

:ウォーリーになるんだ

睦月:ですね、

:後出しだけど、なんとなく大勢の人に人気投票・・・をさせても「ウォーリー」に集まりそうな感じ、はわかるんですね。でもおれのなかではこれほとんど等価なんですよ。なので分かれる・・・のがすごい、というか。

睦月:どうなんだろうな・・・

・・・でもやっぱりすずちうさんの歌って言外のニュアンスを「連れてきてる」・・・とは思いますよ?
「ウォーリー」なんかもやっぱり。

「連れてこないぞ」っていうのを強く感じるのが・・・一時期のまともさんであったり。歌によっては、伊舎堂さんも?

:まともさんはそうだな、たしかに。
いちばんラジカルなのがまともさんで・・・たまに「色気」にあたるものが出るのが以外、のふたりなのか。

睦月:すずちうさんは結構、叙情的じゃないですか?

・・・書きかたをずらしたりするのが伊舎堂さんだとして、すずちうさんはむしろごりごりに短歌定型を、フルにやる。そういう意味では宇都宮さんとかの方向性に近い、というか。「うまい」、って唸る感じ。口語短歌の一種の完璧さに向かってる。

:反抗心・・・というよりは技術のうまさ、でとっちゃう感じです?

睦月:です・・・ね、反抗心は特に感じない。

:うまく作ろうとしてる歌・・・はちはねさんのできる限りをするし、流す歌、みたいなのはサラっと置いちゃう・・・みたいなのはあるから、読んでて心地よい、のかも。ぜんぶ絶唱・・・みたいな作風に当てこすりたい、気持ちが僕にはある、ので反抗心、をみたくなるんです。

睦月:反抗心、ぜんぜん感じないけどな・・・。短歌定型に対する、愛というのか信仰というのかわからないけど、伊舎堂さんなんかはそういう短歌の真実性から逃れよう逃れようとしてやってるわけでしょ。すずちうさんの歌には、それはない。

:好きな歌人にたいして、この人おれっぽいところもある・・・って思いたい、いちばん恥ずかしいやつをしてるパターンですかね?(笑)

睦月:んーー・・・(笑)それは分からない、この連作わたしも好きだから、わたしもわたし寄り・・・に読んでるところはあると思うし・・・

なんか取り合い、みたいになってますね(笑)

:「うちの畑でとれたやつだ」と、(笑)

睦月:わたしのほうに近いと思うけどな・・・・

:「ウォーリー」単体で、歌会での評、みたいに読んでみるとどうなります?

睦月:「ウォーリー」は・・・ まぁ「そんなところ気にするなよ」っていうことなんだけど。・・・「ウォーリーをさがせ」っていう絵本がゲームフィールドで、プレイヤーである主体はそのゲームフィールドのなかで決められたルールで遊ぶだけなんだけど、この主体はプレイヤーの次元にいながら、神の次元の存在に気付いてるわけですよね。このゲームフィールドの神である「ウォーリーを描く人」を見たくなっちゃってる。

:オープニングスタッフのことまで考えちゃってるから。

睦月:ゲームマスター、のことを考えちゃってて・・・で、ただゲームマスターの存在に気付いて気になっちゃう人っていうのは一定数いるんだろうから、そこまではギリギリわかるんだけど、よりによって気になってるのが〈描くタイミング〉って、そこっ? 気にならなくない??ってなるから。「最初に見つけた人はえらい」っていうか、言われた、時点で今後このことが気になってしまう、っていうね。最初に描くのか最後に描くのか、それともてきとうに途中に描くのか・・・っていう、

:まず2通り考えますよね。ページにいる1人目として描くのを想像して・・・「一方。」みたいな感じで最後の1人として。ウォーリー大(だい)のスペースに描く、っていうところをこの短歌の書き方で思い浮かべられるから・・・コストパフォーマンスでいうとすごくいい、という。このことしか言ってない・・・の文章のなかの「このこと」で読者がさせられる、ことが多いと、笑っちゃうわけ。
「想像、させてくるなよ」というか(笑)

あと、もうひとつおもしろいので言うとこれ「タイミング」なんだよ。〈タイミング〉ってなんだよ、ってならない?

睦月:あ、え??

:なんかすごい嫌な社会人、の言葉な感じするから。「タイミング」。「タイミングが合えばここで済ませてしまいましょう」みたいなさ。

睦月:タイミング・・・  「タイミング」って言わなそうだよね、ウォーリーを描く、ことは、

:嫌々やってる、みたいな気がするんだよ(笑)
「タイミング」なんて言われると。

自分がそば屋で働きはじめたとして、天ぷらそばにエビ天を乗せる「タイミング」を知らない・・・という「タイミング」は分かる。天ぷらそばを作らなくちゃいけないわけだから、

でもまったく関係ない立場として「タイミング」を知らない、を思うときって「なんでそれを知りたいと思うの?」という疑問がくるわけでしょ。そば屋さんの内部事情、を。

え、何、いつかウォーリーを描こうと思ってるの???というかさ(笑)来ないよ??あなたに。ウォーリーを描くことになる日は・・・というさ。このズレがおもしろい。

睦月:タイミング、という言葉のコロケーションから逆算していくと、「合う」「合わない」「分からない」「良い」「悪い」みたいになってきて、不本意性、というかが強い感じがするな、「タイミング」って言葉を使うのは。

:不本意性。

睦月:うん、自分から決めて、進んでやる、感じではないものと関わってする物事に対して「タイミング」って言葉は出てくる気がするから。

:でもウォーリーを描きだす、っていう作業は一人の作業だから・・・やぱりちはねさんのズレた感覚から「タイミング」は出てきてるのかもしれない、

睦月:「タイミング」以外で言いようがない気もするけど・・・日本語で言うと「時機」なんていうけど、うんうん、「タイミング」で間違ってない、間違ってはないんだけど、「ああ、(タイミングが)合わないと描かないんだ」みたいな感じがする(笑)

・・・あー あとさ、言外の意味を「引き連れてこない」ってさっき話が出たけど、引き連れてこない代わりに、なんかウォーリーのことを勝手にどんどん想像してしまう感じ、ないですか? 

で、結句で一字空けのあと二文字で「いつ」とくることの効果もあって・・・

廃村を告げる活字に桃の花ふれればにじみゆくばかり 来て/東直子

の「来て」だと一気に広がる。すごい、廃村をとりまく森とかがぶわっとこの二文字で一気に広がる効果があるけど、「いつ」はどんどん狭めていく、というか(笑)

:「いつ」の狭さはこれ、すごいですよ。

さっきの「感情がないので効かないぞ」でも思ったんだけど・・・ちょっとネットっぽい言い方なんですよ。「タイミング」。

で、「タイミング」よりもっとネットっぽい言い方がなにかって言ったら「正解」なのかなーと。

睦月:あー。
「正解を教えてほしい」みたいに言いますね。

:そうそうそう、

ネットっぽいような言い方をしてしまうことですごい嫌な感じも連れてくるんだけど・・・とことん利害関係の外にある、存在として「タイミング」といわれると純粋におもしろがれる、ところがあると思う。

睦月:たしかに。

:発想だけがあるから。

・・・・でもな~んか、評する、ことでかかるマジックだと思うんだけど、3首ほとんど等価・・・みたいに思ってたけどこうして話していく、ことで「ウォーリー」がどんどん好きになってきますね。

睦月:うん、なんかやっぱり「ウォーリー」が抜きん出てるんじゃないですか。この3首だと。他の2首は着眼点の歌だけど、「ウォーリー」は着眼点プラス発想、だからね。


(佐藤佐太郎『歩道』を読む回につづく)





いしゃどう https://twitter.com/hito_genom

伊舎堂 仁。新鋭短歌シリーズ18から、http://www.amazon.co.jp/dp/4863851685 。現物でほしい、歌集に「緑色研究」。


睦月都 https://twitter.com/xen_00

歌人集団かばん所属。 第63回角川短歌賞受賞。トリビュートアンソロジー同人誌『手紙魔まみ、わたしたちの引越し』販売中。企画同人誌『tanqua franca』刊行。今読みたい歌集は、大西民子「まぼろしの椅子」。