温 vs 伊舎堂仁(20181216)

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「いい歌バトル」第6試合 

温 対 伊舎堂仁

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(伊舎堂がじゃんけんで勝利。後攻を選択)

―――それでは温さん、推したい歌を開いてください。

温:はい。こちらです。

温:

笑いながらフェラチオしてる君の目にうつるすべてを忘れたくない/ナイス害

好きな歌だったので持ってきました。「忘れたくない」がこの歌の主眼なんですけど、そこに納得感があります。何がこの納得感をもたらしてるんだろう…と考えてみたんですけど、笑いながらフェラチオされている、ってのが構造的におもしろいんじゃないかと思いました。

ごめんなさい、がっちりセックスの話をしてしまうんですけど―――人間のセックスって非日常で、あんまり最中のことを覚えておくタイプの行動ではないと思うんですね。非日常に寄っている。かつ、記憶するエリアに入っていない。対して、普通のデートの時間などは記憶に入りやすいようなことだと思う。「こういう思い出があったよね」というときに、セックスの話は引っ張り出されてこない。

「笑いながらフェラチオ」と書くことで、覚えておかないエリアのことが一気にグッ‥‥と日常方面に引き寄せられてくるから、これは官能的に…セックスしたいからセックスしてる、とは違うなにかがあったこと、として思い出されるっていうか。笑われた、ことで。そこに強い、「生きていてよかった」という感情がついてくる。そういう構造上の引き寄せ方…が、セックスの時間から「非」セックスの時間のほうに持ってきてるこのエンジンが、強く「忘れたくない」に作用している。

「忘れたくない」という願いは、だいたいのことは「忘れてしまう」という前提に基づいて引き起こされてくるものだと思うんですけど、この歌に書かれてるような時間・・・・という特に忘れやすいもの、を「忘れたくない」によって保持する気持ちというか。それを結句に置く感じというか。

そういうところに、「上手い」ってよりかは強く共感、した歌として持ってきました。

伊舎堂:ナイス害かー…。

―――――ありがとうございます。それでは伊舎堂さんからの質問をお願いいたします。

伊舎堂:「忘れたくない」という感情の強さを言うナイス害を疑うのか信じるのか‥‥みたいなことを争点にしたいです。歌に入ってる感情の強さ、を認めないといけない時間が俺は嫌いなんですよ。忘れちゃいそうなことだから、強い「忘れたくない」が要るっていうは分かる、うえで、それを上回るパワーの忘れない努力‥‥を主体はすればいいじゃないかって思っちゃうんですよ。

忘れない…ための努力が十全に払われてない形として「忘れたくない」っていう結句は表れてるように思います。君を、君の目に映る僕を、君と僕を大事にしてる…ように見せかけてなんか最後の最後にはこれを読む読者、のためのなにか、に持ち込んでないか?と。

ナイス害の短歌に関しては基本的に全部「疑い」ってものさしをはさまないと読めなくて…。「本当っすか」となるんですよ。書こうとしてるこれ、よりも「これ」を短歌にすることで手にする副産物の方をナイス害は愛してるんじゃないか、って思ってしまう。「君」よりも好きな何か。

…君の眼に映るもの、はそもそも主体には見えないものじゃないのか、って質問ではどうですか?

温:目の中に映ってる風景が反射してみえてるっていうか。あと、セックスだからもっと一体化した、視線かもしれないです。そういう読み方もありだと思います。

‥‥の一個前に言ってた「ナイス害のことを疑うことから始める」に戻って応えると、すごい分かる…話ではあるんですけど―――「あざとさ」みたいなことにもつながるし―――「ナイス害だから疑う」っていうことを始めちゃうと、そもそも短歌ってそういうものじゃなくない?という所に繋がるというか。ナイス害がそう見えやすい、ってことはあるにしても。ある程度は疑わないで読むことを強いる…のが短歌じゃないのかっていう反論があります。

伊舎堂:んー…

―――――それではお時間、大幅に、ですので伊舎堂さんの推す歌をお願いいたします。

(相田「んー… の内訳は聞きたいです」)

伊舎堂:はい、僕の推す歌はこちらです。


インターネットに悪口書くのやめてくださいカバも迷惑してます/直泰

…えーっと、さっきの平岡さんの歌、永井さんの歌、って「俺が黙ってても別にいい歌」を持ってきたんですけどこれはそうじゃない、歌ですね。俺が助けてあげないといけないって歌。57577にもなってないし…言い終わったあとに生じる何かも、共有されなさそうなやつ、ってことで「俺がなんとかしないと!」ってなるんです。そういう歌。

韻律の力も頼ってないから「ここが字余りですから性急な感じが出てますよね」みたいな手助けも受けられない。発想だけの歌。直泰さんという人が生きてて、こういうことを書けた、っていうところでしか勝負してない、そういう歌なんですよ。

インターネットに悪口書くのやめてください

は「分かる」と思うんですよ。これを言われて「なんで?」ってなる人は少ない。でもその後に「カバも迷惑してます」で「あれ?」ってなる。カバ。カバなんですよ「わたし」じゃなく。ここ…はかなり「嘘」ですよね。迷惑してるカバはいない。でも直泰にカバのことまで言わせてしまうインターネット罵詈雑言空間・・・みたいなのが、嘘だし全然意味わからない、ことで「見えた」感じがするんですよ。

「インターネットに悪口を書くのをやめろ!」が「お前の住所を晒してやるぞ」みたいな方向にいって結果、インターネット空間の嫌さを増してしまう、のでなく、「カバ」の捏造に向かって「は?」みたいなところに着く。イソジンのやつ…みたいなイラストのカバを想像させることで「悪口」を書くことの馬鹿さを、絵柄で相殺するんです。効く、けどかわいい攻撃。こんな歌は見たことがないです。

温:―――二つ、この歌の嫌なところを言いたくて、ひとつは「インターネットに悪口」が少し古いということがあります。インターネット=悪口ってイメージって10年くらい前のものですよね。今現在のネットでの「悪口を書かないでください」ももちろん射抜いてる…部分はあるんですけど、でもこのインターネット=悪口 の取り合わせがそれこそ「電車男」くらいの古さだと思います。今インターネットには悪口以外の色んな不愉快があふれていて…そういう世界に対しての正確なディスたりえていないかなあ、と。

そして伊舎堂さんも自分で言っていた「カバ」のかわいさ…道具として「カバ」を持ってきたことの嫌さがある。なんか、カバ… 「カバだよ。」「和もう」「みんな落ち着こうよ」みたいなセンスって。となるし、「カバじゃなくて自分でいけよ」と言いたくなる嫌さがあります。

伊舎堂:…これはあの、あれなんですよ。「カバ」にも主眼がありつつ、こういうことを言わざるをえない直泰‥‥っていうのも味わうポイントの歌なんですよ。カバを連れてきてしまうくらいに…「直泰を追い詰めたのは俺たちだ」という反省っていうか。そういう感じではどうでしょう。

…でもあれですね、「悪口」よりはもうちょっと次の、それぞれが正しいと思ってることのぶつかり合い…っていうのがインターネット空間の「今」だろ的な指摘をされるとそうだよなって思ってきちゃいますね…

温:あと「韻律を頼っていない」の件なんですけど僕はむしろ逆だと思ってて、「575にあえて乗せないよ」ってスタンスって、かなり韻律に補助されてると思うんですよ。良い歌か悪い歌か、ってところを離れて、そこは指摘しときたいところです。

―――――では最後のジャッジに移りますが…。どうでしょうか。

相田:なんかお互いの持ってきた歌の、下句、への「あざとさ」みたいなところで争ってるようにも感じます。

―――――お願いします!

相田→温
(「『今は「悪口」以外もある』って言われると、そうじゃんってなる」「歌でいうと直泰さんの歌のほうが好きです」「それまではまだ攻めていた伊舎堂さんですけど、温さんの「短歌って、まずは信じないといけないものなんじゃないか」って攻撃のあと、反撃ができてなかった」」)

睦月→温
(「ナイス害さんに疑いを持ってしまう…の件は聞けましたけど、それ以後は伊舎堂さんの、自分の攻撃がぐるぐる自分に回っていったという感じでした」「『インターネット』についての温さんの指摘でクリティカル」)

伊舎堂
(「『直泰がいちばんインターネットしてた時期』が憎いです‥」)

――――温さんの勝利です!全試合が終了!終了!


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全試合のログ →https://note.mu/gegegege_/n/nd4c61472bd03