lostageの「海の果実」

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ロストエイジがApple Musicに曲を置いてくれたとして(ほぼ無さそうだけど)、そのとき【必聴アルバム】の欄に表示される一枚は「guitar」か「DRAMA」どっちになるだろうか、ということを考える。

楽しい時間だ。

わからない。In Dreams やプレイウィズアイソレーションになるかもしれない。「ポケットの中で」も「街」も名曲だから。

音楽のサブスクリプションサービスに入って2年くらい。

〈好きな音楽〉に〈サブスクで聴く〉が聴き味としてかけ算されるとき、そこで消えてしまう没入感のようなものはあるとおもう。

楽しむのに孤独感が要る、そんな曲らの話。

言葉にするのも恥ずかしいあの気分ーーーーこの曲を聴いているのは世界で今 自分だけなのではないか、の没入感は、サブスクリプションサービスで起こりにくいと思う。このサービスが〈今も運営されている〉、そのことによりここが世界の端にならない。無人にならない。

CDならどうだろう。この一枚に関わった全員が今はもういない、と思ってみることはむずかしくない。CD、および、それを取り込んだ音楽プレイヤー+イヤホン、で聴くのに向きに向いている、という楽曲はある。

これは自分が属する短歌というジャンルでも似たような体感の話ができて、

短歌がたくさん入った本は歌集(かしゅう)と呼ぶのですが、その歌集、のツイート感想やAmazonレビューには時おり「こんなに余白だらけの本が小説くらいの値段?」なんて書き込まれたりする。

たしかにね。

ひき肉をレジに持っていく感じだと、このグラムでこの値段ならちがうお店で買うよ、となる気持ちは分かる。

こう言えないだろうか……と僕が用意しているのは、短歌の本のこの余白は、本当の話「目の前の短歌と自分が二人きりになる感じ」に大いに貢献している、という理屈だ。
一首を味わうに最適な静けさを金で買っている、というか。

今僕はあえて「金(かね)」と言いました。

物干し竿長い長いと振りながら笑う すべてはいっときの恋
五島諭『緑の祠』

これが僕は好きなんだけど、これを読むにいちばん適した時間と広さを用意できるのは今のところやっぱり五島諭『緑の祠』という本の中なのかな、ってことを思う。

まず何より、タイムラインは騒がしい。

Twitter内のこういうツイート、ということで「物干し竿〜」が置かれている場合、横書きで表示されるというのがもう〈違う〉感じがする。

物干し竿を振る作中人物は、同時に物干し竿の長さをも振っているわけで、そんなその人たちを、カメラを引いていく……ように読者が思い浮かべ見る、ときに発生する画面の広がりが横書きの横方向、であると僕にはちょっとちがうのだ。

竿を振ってる二人、が横に細く引き裂かれる感じになってしまう。

読み進める体感でいうと、

物干し竿

(物干し竿が映る)

長い長いと振りながら

(振っている人らが映る)

(物干し竿の全部を映そうと引いていく画面が、縦方向と奥方向への広がりを持つ)

(僕はこのとき勝手に毎回、砂浜と海の水平線くらいまで目に「見えている」)

笑う

(先ほど浮かんだ砂浜と水平線感、を引きついだニュアンスで、短歌の中のふたりが〈プシャッ〉みたいに笑ってる)

すべてはいっときの恋

(ナレーション、と言ってヤボならば「誰の声なのかわからない声」、「世界がしゃべったみたいな声と言葉」、でもって「物干し竿〜」世界がひとつの景としてガチっと「決まる」)

⑤こんな感じ。

物干し竿長い長いと振りながら笑う すべてはいっときの恋
五島諭『緑の祠』

このツイートの下に「いいね」やリツイート数がついていてもだめだ、と思う。

数(すう)がよくない。

たくさんの人がこの文字列を見ている になって、短歌と2人きりになれない。リプライしてる人なんかいたら最悪だ。ポストされた短歌に「どういう意味?」とぶら下がる、知らん人からのリプライ。おぞましい。ちょっと違う話だけど、五島さんがツイッターにアカウントを持たないことで守られている『緑の祠』のトーンってあると思う。

歌集だとこの短歌には、「作者・書名」にあたる 五島諭『緑の祠』 の補足書きもない。この短歌の右には別の短歌があり、この短歌の左には別の短歌か別の余白かがある。勝手な話だけど、ぼくの好きな短歌の読み味にとっては、付近にある作者名さえかんべんしてもらいたいことがある。アカウント名も、ツイートされた日時も、サイトならばサイトURLも、リンク先にジャンプできるので青くなっている文字も、とにかく短歌以外の文字、が読書中の視界に入らないでほしい。

それ、をすべて満たしているのはやっぱり『緑の祠』という本のなかでこの短歌を見る場合なのかな、ということを思う。

そのほかいろいろいろ、この短歌の付近にマッチングアプリの広告なんかあったら最悪でしょうとか、いろいろ思い浮かぶけど、そこからはもうなんか大喜利なので、それぞれで〈この短歌をネットでみるときに起こりそうないやなこと〉を思ってください。

嫌だなぁ、と思うような絵が浮かんだらこっそり教えてほしい。いままで書いてきたことと矛盾するけど、どんな〈嫌だなぁ〉もこの読み味を毀損できないくらい僕は〈すべてはいっときの恋〉と思って、いる。

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https://youtu.be/2rOidlI63gs

当たり前のように違法アップロードのリンクで紹介してすみません。これを聴いて、よいなと思ったらぜひアルバム『DRAMA』を入手してみてほしいです。

「RED」「ドラマ・ロゴス」「魚はオイルの中」「英雄と人殺し」のような曲を持つアルバムの最後が「海の果実」ってすごいなあ、と思う。

曲を〈そういう人〉だとすると、誰ともペアを組んでくれなさそうな人……みたいな曲である「敵」「ガラスに映る」「リビドー」のような歌を最後、「海の果実」がのこらず抱き止めるのだ。

アルペジオのギターから始まる曲にドラム、ベース、歌、と合流し、ぜんぶの人間が揃ったあと、DRAMAというアルバムを〈終わらせにかかる〉ような音で広がっていく。

自分はここでこみあげてくる。終わらせるために始めることの色気って、なんということだろう、と思う。

「SAW」の最後のシャッターが閉まるときみたいな音でこのアルバムは終わる。