見出し画像

札幌 2泊 歌会 石井


こんにちは。

短歌をしております、伊舎堂(いしゃどう)と申します。沖縄の人間です。東京にいます。


石井さんが歌会をしようと呼んでくれたので、北海道に行ってきました。初めて行きました。

短歌をする人間は、歌会(うたかい)と呼ばれる、短歌の人たちで集まる機会を持つことがあります。歌会(かかい)と言う人もいます。一回で3時間くらいなのか。

それぞれの自作の短歌を無記名で紙に印刷したものを、参加人数分。

時間貸しの会議室や公民館、しっとりとした喫茶店などで集まり、その紙を皆で見ながら、

「自分はこの短歌にはこう思う」 

  「なにを言っているのかは分からないがかっこいい」


「自分も上野動物園にあるモノレールに乗れなくなったときさみしかったから、この歌には共感した」 

   「この短歌はここが『は』ではなく『が』であることで、上から目線で断定したような口調になってて、上から目線で断定するって嫌な印象を与える場合が日常だと多いと思うんですけど、この一首ではそれが、この歌が言いたい景色や感情の誇り高さにつながってると思います。

日常会話・業務連絡・言語表現って、それぞれで光らせるべき箇所が違うんですね。それを強く実感しました」くらいの長さで喋っても誰も(長いな)とスマートフォンを見たり、「めっちゃ語るやん笑」みたいな軽(かる)つまらないノリで処理されることもないです。

生きていると、〈できない雑談〉という領域が人には出てくると思います。仕事中の自分→取引先 なんかで考えてみると一番「律されている自分の状態」を思い浮かべやすいですが、それ以外の局面においても、たとえば同僚や友人や恋人とですらしないしできない、そんな会話がある。

絶対に自分を口説いてきてほしくない人と、恋の話はできないですよね。そうすることで、何かを誘発するかもしれないので。だからって今、現在進行中の交際相手とも恋の話はしにくいかもしれない。ってことは、恋まわりの雑談ってトピックとして、人生では余り続けやすいのかもしれない。恋じゃなくても。もっと瑣末なことでも。今日、外で変なカラスを見た。なにか、ものすごくかなしいことを言う前みたいな目をしていた。

あの目。

でもべつに特に、帰っても同居人にはそれを話さない。一緒に見てる野球の話をする。でも「あのカラス」はしばらく、自分の中にいる。

仲が良い友達にも、むしろ仲いい友達だからこそ、自分が昔したエグいことの話はできない。でも「エグかった自分」は今も自分の中にいる。あのしょうもない「自分」を、悔いつつ、しかし悼む、みたいな時間がないものか。そういう人がもしもそんな短歌を作ることができたら、少なくとも歌会では、そのことについての雑談や批評が始まる可能性にエントリーできます。

一方で、もしかしたら会話にすらならないかもしれないもの……さえ飲み込むのが歌会です。

自分は漫画の『寄生獣』が好きで、最終話の「きみ」にたどり着くまでの3人を思うと、こうしてる今も泣けてくるのですが、1巻で新一が「う、うわ~~! 犬が……犬食ってる…!」と言うコマの隅に

「おわり」

と手書きで書いてあったらめっちゃいいなと思うことがあります。1巻の、犬の寄生獣が出てくるところで(完)になる『寄生獣』。後藤も田宮もジョーも、浦上も出てこない寄生獣。

こういうことはもちろん、仕事中には言えません。「口よりも手を動かせ」と注意してくる人だって一瞬 間(ま)を置くかもしれないほどにはこっちの「口」が、奇妙な動きをしすぎているからです。

友だちとのLINE通話でも言わないでしょう。

「はい?」と言われるからです。

友達はあんまり「はい?」と言いません。なのに「はい?」と言われるかもしれないのです。この「はい?」や、「『口』の動き」さえもを雑談可能性(ざつだんかのうせい)として飲み込むのが歌会で、その先にある短歌というジャンルなのかな、というふうに今の自分は思っています。


べらべら喋ってしまいました。自分を律せれていないからです。ここからはただ単に写真が貼られているスペースになります。旅費を半分 用立ててくれて石井さん、本当にありがとうございました。何をすればお返しができるだろう。一体何を。

3月の29日から31日まで自分は北海道にいました。

⚫︎

⚫︎

⚫︎


車両にいる人間が完全に入れ替わったあとも置いてある、すごいにおいの炊飯器からスタート


小平駅→成田空港までは雨。思えば人生で、初めて京都に行った日も雨でした。新潟も、福井も、秋田も雨でした。仕事の日とかは案外大丈夫。楽しいことをしようとすると雨が降ります。

たしか、高田馬場。
町にあんまり人がいないと「旅が始まった。」と思いますよね。

京成スカイライナー。

日暮里から成田空港のあいだ。伊集院光がラジオで昔言ってたジョイフルホンダの広さがどういうことなのかを、窓の外の風景のしばらく変わらなさによって知れました。

自分は昨年に、とあるお笑いコンビが某・賞レースで決勝に行った場合、そのコンビへの祝福として成田空港まで、自分への罰として成田空港まで、家から歩きで行って戻ってくる、と宣言した日があります。

そんなの無理だなと思いました。


印旛沼(いんばぬま)にもテンションが上がりました

到着。 初の成田空港。出発の1時間半前に着けました。まったく焦らないでいい空港って、マジ幸せな場所ですね。写真の右側にガチャガチャのコーナーがあったので見ていたら、小さいUNOが取れるガチャポンがあったので400円を使いました。歌会に持っていく短歌がUNOの歌だったりもしたので。これをトップ票の景品としてあげれるかもしれない。


長い廊下を見ると「グリーンマイルの最後」と思う脳

peachを使いました。お金を浮かせて現地(げんち)で、たくさんおいしいものを食いたいので。 食いていので。

カーペットの柄、立川シネマシティの床くらいな良さがありますね。

これはたくさんの飛行機をマーブルに配置してるのかな。「風立ちぬ」のラストみたいで縁起がいいですね。


けっこうな雨。新千歳空港周辺の霧が濃くて着陸できなかった場合は戻ります。というアナウンスを体感 、3分おきくらいでしていました。

アナウンスきっかけで電話をかけ始めた近くのご婦人が、どうやら揉めはじめてました。

『東京ガベージコレクション』で大沢在昌が平山夢明に「こういうラジオやトークイベントや映画評のコラムのギャラでなんとなく生活が成り立っちゃってるから、お前は全然小説を書かない」と説教しにくる回

⚫︎

飛行機が離陸しました。

離陸後の10分と着陸前の10分で事故の90%は起こる、という説を聞いてからは、この20分だけ怖がればよくなった。でもやっぱり怖いですね。

ここから、小樽の駅前で見た看板の「!」の丸みまで写真が途切れるので、飛行機のなかでは自分のなかの「北海道」をおさらいしました。本当はしてなくて、帰ってきてから東京でしてるんですが、機内モードの時間と、これから着く北海道を思う自分との相性はすごくよかった記憶です。スマホさわりほうだいの日々だと、案外こんな時間がない。

自分の「北海道」。『ハチミツとクローバー』で、自転車で行こうとしてる人がいた。

高校のとき、ここの大学に進学する同級生が〈南端から北端へ〉みたいな見出しで地元紙の新聞記事になってた。

短歌をはじめてからの知り合いが、ここの出身であることが多い気がする。

解散前のナンバーガールが最後にライブをしたところ。

そのライブMCで向井秀徳が名前を挙げてて知ったブルーハーブ。ブッチャーズ。カウパァズ。

高校のとき聴くASIAN KUNG-FU GENERATIONと、大学で知るBloodthirsty butchersの間にある距離。

中学のとき聴いてたキングギドラと、大学で知るTHA BLUE HERBの距離。それに加えて、短歌では、穂村弘にも寺山修司にも、斉藤斎藤にも永井祐にも、それぞれの熱量で言いたいことや、摂取した滋養があるのだろう山田航がいるとなると、素朴にユースカルチャーの発信地、ってよりはそのジャンルの人気者〈の、発展型〉をやりたい人が多いのかなという結論に飛びつきたくなる。

で、まったくそんなことと「北海道」は関係ないのかもしれない。たぶんそうだろう。なにかをする、がそもそも発展型を探す、をやることな部分もあるし。でもやっぱりちょっとは関係があるのかもしれない、というところで名前が挙がった人たちを座右に置くとアガる部分がある。

外側の人間からは、なんかしらの夢っぽい感情を託されやすい場所ではあるかもしれない。こんなnoteを書く人間がいるくらいなのだし。一方で、「沖縄の人はおおらかだ」みたいなことを沖縄の人、として聞くときの自分を思い出せば、この人たちも、自分のような「……。」を抱えている瞬間があるかもしれない。

とにかく失礼がないようにいきたい!
一方で、盗めるものは盗みたい!

指定したわけじゃなかったけど窓側の席で、横に女の子、その横にお母さんらしき人、の3人並びで、「わたし飛行機初めて!」とか聞こえた10分後に(直後だとキモいなと思ったので)、よかったら窓側ゆずりましょうか?とお母さんのほうに言ったら「あ いえいえいえ! 大丈夫です!」と言われたので福島次郎の「淫月」を読む。いま思うと、直後に言ってこないほうがキモいかもしれない。

⚫︎


新千歳に到着。とりあえず端っこ行って海を見るべきだろ、と小樽に向かう。西武線→山手線と来たので、電車のシートが横長〜 でこういうことがすでに嬉しい。

秋田県の、秋田駅から角館に行く電車の座席もこれくらい長かったです。ここが地元の人が交際相手だったので、一緒に行ったときに乗りました。その後別れることになったとき、「伊舎堂さんしか言ってくれないようなことがあった」と「サランラップの切り方が汚くて本当に嫌だった」の両方を言われた。名前を出さなければ何を書いても喋ってもいい、と言ってくれたのでお礼に焼き肉をご馳走して、解散した。

「!」がなんか異様に丸みを帯びて見えました。
今見ると異様とは思わないですね。

山が見えるのはいいですね。

町なのに山が見えると、自分はいま標高が高いところにいる、と思えてお得な気持ちになる。実際 標高も高かったりするんでしょうか。

周遊船に乗ろうとして、1800円、どうしよう。1800円。としばらく料金表の前で口の中をくちゅくちゅさせて、結局イモを引くことにしました。けちすぎる。ウミネコの声が心地よすぎる。

同じ理由で、海鮮丼でもイモを引きました。これ書きながら、おれもおれにむかついてます。何、「ケチって乗らない」って

150円のお茶があるが水道の蛇口があるところまで歩く の「ケチる」と「周遊船に乗るのをケチる」は根本が違う。この差は致命的だ。「周遊船に乗るのをケチる」と手元に残るのは「周遊船に乗らなかった」なので、これでは「生きて」ない。

卑怯さの質が「袖から手を出していない」感じっていうか、がっつりしてない、ケチるにしても、打って出るにしても、世界を、しっかりと腕で掴みに行ってない。じゃあバーガーキングに行くか、くらいも思い切れない。

一回だけ転んで、黒い雪に手が入ったので、メガドンキのトイレで洗いました。

小樽はそんな感じでした。歩いていい歩道なのか違うのか、そういうのも楽しかった。

学生服の山田航さんも帰りにこういうところを見てたのだろうか

山田さん 小樽じゃなかったと思うけど

それから、銭函(ぜにばこ)に行きました。

小樽~銭函間の電車は線路が海のギリギリを走るので『千と千尋』とか好きな人とかはおすすめですよみたいなことが検索で出てきたので、この時間が僕は楽しみでした。

自分じゃない人が運転してる車に自分も乗ってて、車が海のなかに入っていって、おいおい、入ってっちゃったよ、でも意外と車で海って走れるんだな、みたいな夢って定期的に見ないですか。自分が乗る走っているものが海に近づく、を快感に思う何かが人にはあるんじゃないかと思うんですね。それが起きながらに満たせるからファンの多い路線なんじゃないかと思うんですね。

カモメだかウミネコだかがぽつぽつと、フラミンゴの檻くらいいて、遠くには風力発電のプロペラがぬぼーん……と7本ずつくらいで並んでは次の7本、ちょっと空いてまた7本、みたいなそびえぐあいで、美しい人生の最終盤みたいな気持ちになれました。法事で現れるふろしきのむらさきみたいなむらさきの空に火が青くならないときのガスコンロの赤連続(あかれんぞく)みたいな赤みがマーマレード線みたいに混じってて、あとはおじいさんに体がなって、右か左にACの海岸のCMみたいに倒れるだけみたいなトロン感におそわれました。

そしたら隣で「プシュッ」とタブを起こす音が聞こえて、友達のお父さんみたいなおじさんがプレミアムモルツかなんかの春缶(はるかん)バージョンを飲みだすところでおい。と何分か思ってたんですが窓の外ずっと海だし、カモメだしさ、プロペラだしさ、赤い果肉のマーマレードだしさ、ぜんぶどうでもよくなったらおれもまた来て飲むかもなと思いました。このおじさんの動機もそうだろう、という意味ではないです。 人の内心。 決めるのは怖いよー。 でもなあ。 電車で酒飲んだら地獄行きとまではいかんくても、天国でも水はけが悪いところ、とかが定位置にさせられる気がするんですよね。飲むのわかるなあ、でもちょっとなあ。あんなに海ちかくてなぁ。「電車のほうで動いてくれる」となったらなあ。


銭函へ到着。

北海道ってなんか、モダンな感じの建物が多くないですか。新しく建てかえるってよりは、過去に建てたものを引き続きテクノロジーも足して維持していく、みたいな考えかたが主流なのかな。

小樽でたくさん見て、そのあとホテルのある札幌でもたくさん、旧・日銀みたいな、ティファニーブルーみたいな屋根の種物がたくさんあって、このままだとモダニズムな短歌も趣味に入ってしまう、実際 最近ちょっと好きだもんな、うっとりするし、と思ってたら見た、↑のマンションに心が奇妙に落ち着きました。本当に落ち着いた。

駅と駅の間を歩くのが好きなので、ここから手稲駅まで歩くことにしました。

お、「パロディー」

歯医者さんだったんですけど、ササっと撮って帰ってるあいだ、怒った白衣の人が中から走って出てくるんじゃないかと怖かった。

迷惑してるんですね。

いやあ、いいですね。

こういうのになんかゾクゾクするのでスクリーンショット、するようにしてます。

いいなあ。

良さはなんか説明できないけど、いいなぁ。

「青海駅」の画像を検索してウオォ、なるときの感じに近い。

「これ、おれが歩くのか」と思いました

歩く歩く

時計台、見れるかな
「時計台を見よう」と思わないで不意打ちで見れたらよさそうだからそうしよう

ここくらいで「そういえば熊って大丈夫なのかな」を初めて思いました。熊、っているよな。たしか。この世には。背中が寒くなる。

なんか、よそものが軽口でイジってるみたいになってすみません。でるところと出ないところがあるんですよ、みたいなのも、北海道の人と何言か話せれば空気感みたいなのと一緒に得れたのかもなんですけど、北海道に着いてまだ誰とも喋ってなかったので…


セイコーマートの人とはちょっと喋ったな。

この下のパン、家に帰って食べたらほんとにチョコレートが詰まってた。
高校から帰りながら食べたい味。

筆跡がなんかに似てるな、と撮っただけの看板。なんだろうな。
おいしいんでしょうね。

ラブホ旋回(せんかい)、二羽烏(にわがらす)


LUCKY

熊で背中の冷えがおさまらないので、手稲(ていね)のちょっと前の星置駅から札幌にいくことにしました。けっこう歩くと、足じゃなくてリュックをしょってる肩のほうが痛くなってくる。という発見。

ワンフロアーだけ図書館が入ってそう

その図書館で自分は、宮部みゆきの単行本か、綾辻行人のノベルス版を借りてそう

実家時代に何ヶ月かだけあった、離婚とかじゃないけどお父さんとお母さんが一緒に暮らしてなかった時期にお母さんとアパートで二人で暮らした町で、そんな図書館に行った記憶が蘇ってきたんですけど、俺そんな期間って人生に無いんですよね。

これもひとつの旅愁(りょしゅう)というやつなのか。旅愁呼ばわりされる現地の人の「……。」もありますよね。

電車が来るのは12分後くらいでした。

待合所みたいなところに、持ち帰り自由の「星置文庫」の棚があって、創元SFの文庫本とか、有吉佐和子の複合汚染とかがありました。見てる横でおばあさんも、どれを読もうとしゃがみ込んでいて、太宰治の「女生徒」があったのでおぉと手を伸ばしたらおばあさんも取ろうとしてて アすみません、となった。

これは北海道から持ち帰ってきた「女生徒」だ……と東京で思うのも乙だったですけど、まあ普通に入手でいいよな。と今は思います。

なんか長いな。書くの疲れてきたな。

ほんとに、他に読むものもあると思うんでそっちを優先させてくださいね。歌会もなかなか始まりませんね。
ホテルは中島公園駅の近く。中島さんと何回か思って、向井秀徳が味噌ラーメンの話をNHKのラジオで昔してたな。どこかにゆかりのある店無いのかな、と旧ツイッター現エックスで見たら、サインがあるという「狼スープ」というところにいきました。これは五時半くらいの写真ですが、ぽつぽつ並んでる人がいるところがそうです。サインは見つけられなかったですけど、他のお客さんが「あ! ほら見てあそこ。」

「森山直太朗。」

という会話は聞けました。30分くらい、将棋ウォーズをしながら並びました。2回やって、2回とも負けました。浮ついてるからね。チャーシューがほろほろしてて、いつまでもいつまでもスープを飲んで、「北海道」と漢字で何回も思ったと思います。

ホテルに到着。旅先なのにバナナを一房買ってしまいました。朝どうしても食べたくて 習慣をかえたくなくて

部屋に入ったら窓が開いてて、「試練」と、また漢字で思いました。たしかゴキブリがいない、町はこういうことができるしお得だなと思いました。

とあることで、「おれが旅先で悪いことができるわけないだろ、メガネに紐つけてるような人間なのに」と急に思ったので、ちょっとどう見えるか、メガネをベッドに置いて客観的に見てるところ

〈また金借りにきたやつ〉の背中の曲がり


いったん自宅の写真。これの「現代思想」の山田航さんの文章がおもしろいと聞いたので、そこと、小林エリカさんのところとをベッドでうつぶせで読んで、『淫月』を最後までやっつけた。「逝春」の最後すごかった。こういった短歌の作り手たちの作品内においても、女性は周縁化されてた、って話はほんとにそうだなと感じた。

何日か前の雨で、自分は一日外で働くので、財布がこうなってしまい





旅行なのに財布がこれで不安な三日間でした。




でも楽しかったですね、延々ね。何も起きてない時間でも、比喩的にですけど、いい匂いがしてるっていうかね。


翌朝。
アラーム音のパターンくらい普段と変えてもよかったな。

ホテルの朝食バイキングのグラタンの、〈自分が来た時にはすでにだいぶ他の利用者がえぐったあとのえぐられかた〉ってありますよね。あれまた見られてよかった。たくさん食べようと思ったのに、二皿目にまったく何も載せられないくらい、若者じゃなくなったなーと思いました。

かかってた曲だけちょっと聞いてみてください


14時に大通駅ちかくの会議室開始なので、それまで中島公園に行きました。中島さんと思いながら、


歩く歩く
高校生だったら一緒にいるやつに「お前あそこに座ったらいいだろ。」って言ったと思う
こういう『指摘されはじめ』とかに笑って嬉しくなるんだけど、ギュウギュウに集まった後とかに「やっぱりそろそろ狭くないか。」って言ってるおじさんを思い浮かべてるんだと思う
文章上での指定→解除 が、迷惑メール開いたら一瞬見えて消えるメールみたいな速さでグルーヴがあった箇所


匂ウノ獣

いやぁ、いいねいいね。モダンだね。
さよなら絶望先生高校のとき集めてたね。


時計台から流れる歌を作った人のヒストリー映像がおもしろかった


この人みたいになりたいな、という人が喋っていた。ハンサムだ。板尾とかがこのくらいになったらこんな感じなのか。北海道新聞の人で、北海道の音楽史の本を出されているらしい。語りくちが滋味ぶかくて、「押すと映像が流れます」をボタンを二回押して二回見た。


いいねぇ


この記事には無いけど、昔の新聞って「呆れた男」くらいまでは見出しとかで、公的なスペースなのに言ってたりして、おもしろいですよね


かっこいいなこの川端康成

石油ストーブとかの回収の、止め絵のCMみたいな怖さ


押すと、ここでされた結婚式の新郎新婦の写真がたくさん見れました
「昔の人のかけてる眼鏡のでかさ」が自分は好きなので見れる機会には絶対みることにしている
結婚かー

結婚ってあるよなー

あの席に、この部屋に集まった人のなかでは一番人望が無い人が座ってることって無いんだろうな


軍人が話しあったりもしたのだろうか
『Lilith』 『Dance with the invisibles』などが読みたくなる
家から中野区に行くくらいの格好でもあんまり寒くなかった。3月末くらいだと気候も優しいのかな
この人たちは絶対こぼさないけど、おれはある時 こぼすほうのボーイだと思う


江戸川乱歩の家広いなー




いやぁ、すごいですよねほんと。

〈今さっき無責任に思ったこと〉に瞬時に「それについて知ってること」をさ、今回おれがツイートしたから可視化(かしか)されてさ、情報譲渡(じょうほうのじょうと)が発生してさ、江戸川乱歩の家が現在見学できないことが主におれに明るみになったわけだけどさ、おれがツイートしなかろうがその情報を持ってた人がいてさ、そういうのにほんとに衝撃を受けます。

でまた、石川さんは本当にそういう、別に言ってないけど持ってること、みたいなのが多そうな人でね、なんというかちゃんとたじろぎますよね。本棚をどかしたら本棚がある感じね。

自分は昔 土岐友浩さんを「みんなの地元にいるいい人みたいないい人」的に言ったことがあるんですけど、石川さんもなんか「地元」って言葉を使って喩えたくなる人ではあるんですよね。

こっちが高1のときに、なんかで校内で喋る機会があっておもしろかった(非・ドラゴンボール、非・アジアンカンフージェネレーション、非・ダウンタウン的なエリアから届く「おもしろさ」って言うかさ)高3の人と、でもそのときは1月だったから向こうはすぐに卒業して普通に喋れなくなっちゃったしもう会えない高3の人、みたいな雰囲気がありますね石川さんは。

「さまよえる歌人の会」というのをやってる人なんで、興味ある歌集が挙げられてる回があって、関東に来ることがある人は、ちょっと僕が今言ったようなことを確かめに行ってほしいです。かなりそうだと思うな。

いい時間を過ごせました。
出たあとすぐ緊張もさせてくる


おれ ぜんぜん目は悪いんですけど、


これの向こうの店の、




「?」は分かる視力なのが嬉しかったです。

でもたぶん、「?」って遠くからでも視認しやすい形なんだろうな。ケーキ屋のレジのところにある数字のロウソクが、「4」のロウソクから最初に見えてくるみたいな感じで。


来るのが本当に楽しみだった「入」の股ひらきぐあい



アンパンマンポテト以来の眼窩(がんか)のえぐれ具合 

大通駅まで歩く歩く。2キロくらい。

石井さんが歌会の会場に借りてくれた会議室の地下に、入りたかったサンドイッチの喫茶店があったんですが、お昼ごろだったのでたくさん待ってて、あきらめました。

宮の森珈琲、という喫茶店が北海道にはどうやらたくさんあるんですね。

語り手がずっとちょっといらいらしてる本。あと半分くらいある。

いい字

この上の階の会議室で歌会が始まりました。人がズラッと、L字にいた。

実質、旅行中で初めてここで人と喋りました。

第十七回 石井は生きている歌会

ここから、覚えてるかぎりのことをメモします。
写真が見たいだけで、特にそういうのはいいかたは下の、🌵がたくさん並んでるところまでスクロールしてください。

全部で十二首。短歌の明記はなし、メモのみ記載。参加者、12名。「」は聞こえてきたもので覚えてる評。「」無しは自分が言ったようなこと。記憶ちがい、全然あると思うので、がっつり参考にはしないでもらって。歌会ではこれくらいのことを話してるんだな、レベルで取ってもらえますと幸いです。

1首目

「この『として』で歌に生まれてるおもしろみはある」 「この中身のなさは、自分が実作に理想とするところでもある」 「でもこういう歌って票が正選も逆選もひとつも入らないよなーとも思う」

「自分の言った本心が、軽いノリの嘘にされてしまうかなしさを言ってるのではないか」

日常空間として思い浮かべるか、インターネット空間として思い浮かべるだけで殺伐さ、かなしさのトーンが変わる気がする。デジタルタトゥー的なこと、として読むとカサカサに乾いた気持ちになるから、「として」が起こしてることをおもしろがる方向で読みたくなる歌だと思いました。

2首目

これがラップバトルの返しだったら、客席で沸いたかもしれないけど。自ジャンルの作品として読むせいで厳しくなってしまうのか。たぶんそうなんだと思う。この一首を詠む前と詠んだあとで、作者にとっての世界像や、いる部屋の空気感みたいなのがあんまり変わってない、微動だにしてない感じに、「ドアくらいあけてみて、パンフレットくらい貰ってみたらどうだろう?」的な態度になった。

「そういう人が来て→こう返した(心の中で思った)歌ってよりは、『そういう人がくることにこう思った』のように、反撃ではないニュアンスって気がする。

『を』じゃなく『も』だし。自由→それを打ち消す自由、って重ねていくことで『自由』がむなしいものになっていくというよりは、そういう、作中主体の内心の言葉の1センテンスの長さ、みたいなところで自分は読んだ」

3首目

「/」の歌で、これはうまくいってるね!って歌を、短歌ではほぼ最初にやりだしたとおもう五島諭の例以外であんまり見ない気がするので、がんがん掘っていってほしい、とは思った。

「でもここは一字あけじゃなくて『/』なんだろうなとは思う」

その歌を評をする言葉じたいが、うつくしい詩の朗読のようになっていく短歌ってあると思うけど、そういう歌だなと思って評を聞いてた。うつくしい朗読っぽくなってる人と、歌会の評だな、という評の人とがいた。

ものがなしい気分を言いたいなら、できる限りサラサラな韻律にされることで、好み的には説得される。テンション上がってる歌ならガタガタしてても聞ける。読める。

「この『春』なのに、って言い方捉え方は、北海道の人ならではなのかなと感じた」

4首目

8首目も走ってる歌なんだけど、そして、現実で考えると8首目の走りのほうが速そうなシチュエーションなんだけど、この歌の方が速そう。「速いと強い」ですよね。短歌って。だから速さ勝負でこちらに票を入れたような感じです。12首のなかでいちばん、絵の構図がしっかりしてるっていうか、ひらがなの多さもあると思うんだけど、コマの中で何が起きてるのかが一目で分かった。シスターフッド的な角度からも読めるのか。いやぁ。やっぱり速いのはいいですね。

「書かれてる数字が、『九」っていう、一桁の数字では最大の数字ってことがいいのかなと思った。17、とかだと速さが減じる感じ。音の『きゅう』自体にも、速さがあるし。」

5首目

自作。自分はこうされたい、って願望から始まって書いたのに、できたのを見たら「人にこうしてやりたい」って形の歌になってることに、歌会中に気づいた。ちゃんと「自分はこうされたい」で作らないといけないのに。なんでこうなったんだろう。

「」……

なんか、自分の短歌に対してのをネットに書くと怒ってるみたいなニュアンスがにじみそうで、じぶんでやりだしといてなんですけどむずかしいですねこういうの。本当に、短歌は自分が動かしてる紙相撲なんで、どんだけボコッてもらっても「笑」って感じなんですが。

いろいろ言ってもらったことを参考にします。ありがとうございます。

6首目

茶室でコーヒーをたてる……みたいな、和×洋の、妙味をねらった遊びがあるけど、この歌の妙味もそれに似てるなと思った。ってことは自分は月面のことを「アメリカ」だと思ってるんだ、と気づけた。別に月はアメリカのものでもロシアのものでもないのに。なんかそういう、自分のなかの謎の認識が掘られた。

この歌会が終わって、一年後とかの未来に思い出すのは、こういう歌だったりするよなー、とか思った。

「勝つか負けるかギリギリの者が勝てた! ってのと比べて、『まぁ、勝つだろうな』という側が圧倒的に勝つ。青森山田とか、大阪桐蔭とか。の感じを受けた」

「ドラマが生じない感じ」

「実況中継する人の声で聞こえてくる」

「3句目に、煽りの言葉を置いて一応ドラマチックにしようとしてる感じ」

「よく読むと、ところどころで韻を踏んでいる。そこもドラマチックで読める感じ」

7首目

「⚫︎⚫︎で例えてるけど、形状としては⚫︎にも似てる」

「みっちりしたものの中に、『私』を喩として置いてる。みっちりした感じ。逃げ場がない感じ。」

「読み下したときの音も、
みっちりしている。重くなってくる」

「『大量』という言葉を、〈数がたくさんある〉という意味として置いてるけど、量、となると目方の特徴になるので、たくさんの数のこと、を言ってる語句を探すのもいいのではないか」

※どういうことだったか忘れたけど、詠草用紙にメモとして「田中's eye」と書いてある

8首目

歌の中に一箇所ある、こういう、説得力を持ったポップ表現、みたいなものには「友だちがたくさんできそうでいいね」的に卑屈な反応をとってしまう。「えーえんとくちから」とか。「はぷすぶるく、とくしゃみをする」とか。という表明をもって、その表現のポップさに強度はあると認めます、という態度にさせてほしい。

「風を『⚫︎⚫︎』でいうところがおもしろい」

「風に走りにくくされる、ことを言ってるんだけど、走り出したから纏うことになった風だよねということを思う」

「一字空けは必然という感じ」

9首目

大谷翔平が、パートナーと映ってる写真を公開したときのことを詠んだのかなと読んだ。(違った) 
「⚫︎⚫︎」と「⚫︎⚫︎」という、僕の思う暴力的な行為・暴力的なラベリングの言葉が使われてるうえで、それがあっても、という感じで笑わしてもらった。

誰かが誰かを⚫︎⚫︎である、という、本来なら報われてほしさこそあれ、笑ったりはしないようなことが書かれていて、でも、この書かれてる人の⚫︎⚫︎な感情は今後結局どこにも行かない感じがして、それがおもしろかった。おもしろがってもいけないかもなんだけど。

漢語の使われかたが好きだ。おもしろい。漢語の使われ方がおもしろい歌を自分はコレクションしている。

「字だけでみると、意味内容はストンと入ってくるんだけど、声で読むと後半に一回、カクン、と読みにくいところがある」

ほんとだ

「けっこう、時間経過のようなものの書かれ方が捻じ曲がってると思う。さらっと書かれてるし、さらっと読めるんだけど」

10首目

「その後の人生は長いよなー」、みたいなことを思うし言う。

とある犯罪が詠みこまれている歌で、たとえば「 」とか「 」とか、それを含んだ短歌じたいの範囲を越えて、傷つく人が絶対にいる行為を詠みこんだ短歌って今後はさらにどんどん減っていくと思う、みたいなことを言った。ちびまる子ちゃんのとある回で、あの永沢くんを笑っていた空気は当時~それから何年後~ほんとについ最近~くらいまで当たり前にあったわけだけど、今はちょっと読んでてきついだろう。みたいなこと。短歌では「 」や「 」で何も言いたくないし何も言われたくないけど「殺人」とか「核戦争」とかは引き続き短歌にあり続けるだろうことについて、喋りながら思った。

11首目

「二句目で切れるとすごくだるい読み味になる」 「五句目のО(オ)音が続いてることも大事だと思う。すごく体が重たくなる」という読みにちょっと感動してた。

意味でばっかり読んでたけど、これが、非言語的な。
語感とか韻律の。批評だ!と思った。

12首目

みんなで評をしながら、だんだん「もしかしてこの情景を言ってるのかな」という景が生まれてきて(お笑いとかではけっこう持ち出される場面)、歌会おわり後の、作者が誰だったかを名乗り出る解題の時間でその景色のことを言っていて、ふむふむ、となった。

解題前の評の時間に思ったこととしては、言われている内容が明瞭でなくても、読んだときの韻律が流れるようなものだと〈分からないまま体には入ってくる〉ということを起こせるんだなということ。

ご一緒に歌会したかたたち、ありがとうございました。

🌵🌵🌵🌵🌵🌵
🌵🌵🌵🌵🌵🌵
🌵🌵🌵🌵🌵🌵
🌵🌵🌵🌵🌵🌵
🌵🌵🌵🌵🌵🌵
🌵🌵🌵🌵🌵🌵


すてきな3にんぐみ

外へ外へ

石井さんがお店にあたりをつけてくれていた。
二次会参加者で、歩道を移動。

見れた。

もっと、百葉箱みたいな白色じゃなかったでしたっけ?

昔と変わったのかな。

「初対面の人が、散髪したてだった」みたいな、あれ?があった。
時計台って白くなかったですか? なんかおいしそうな緑色+クリーム色に変わってた



ここまでしかテーブルを撮れなかった。照れて

羊のお肉とか、からあげとかお刺身とかおいしかったです。

自分は二年くらい新聞歌壇への投稿期間があり、トンやらグラムやら言ってる歌集を出してからも1年くらいやってたんだけど、短歌を投稿しつづけることの怖さをちょうど「人の道、死ぬと町」(斉藤斎藤さん)の、棺、「棺」内の散文で電気刺激みたいに受け取ってそれでやめれたところがある。みたいな雑談をする。

「最先端の歌人は誰だと思うか」という話題に、最先端、っつってんのに「はだしさんはずっとおもしろい」とか言ってた。
でもはだしさんはずっとおもしろいんですよ。現代短歌、載っててマジでよかったなー 
図書館だからそれはよくないのに、読んでて声出して笑ったもんな

ジンギスカンを食べた、が思い出になる夜だと思ったら、終盤で出てきたホッケがものすごく大きくて、休みなく食べても、話題が3種類4種類くらい変わってるあいだもずっと箸で食べれてるくらい大きくて、ホッケを食べた夜になった。残ってみるまで分からないな、思い出は。

耳が赤いね

何年か前にツイッターで見た、絵を燃やされてるときのもう中学生みたいな背中


石井さんとパフェを食べる。パフェの店まで見つけてくれた。
いつか石井さんを沖縄そばのお店に連れて行かないと。

石井さんと二人きりになるのは岐阜の「短歌道場」の話し合いの週のhttps://note.com/gegegege_/n/n02da52cbb7b5

初日の帰りの信号待ちの時間ぶりくらいじゃないか。「北海道の人は地下街を通る」というアドバイスを受けて、その地下街の入り口まで、狸小路の商店街というところを通った。東横キッズ?みたいなノリの若者たちが、アーケード街いっぱいに引き伸ばされて大勢いるみたいな感じで、この都市で若者やりたかったなとかも思った。
GEOがあったので、3枚1000円がしたくなって入店。石井さんとはここでバイバイした。明日は空港で歌会をする。


いやあ、楽しいね。この右側に、邦画の棚がまだあります。
3枚1000円では邦画のほうが欲しくなる。

【これまでの3枚1000円】


「歩いても 歩いても」がどのGEOでも、三枚目にするかどうかの当落線上に来た後、脱落する。
樹木希林がレコードの話をするところがいいんですよね。

この三枚にする。


観るとき「北海道で買ったなー」と思えるだろうので嬉しい

そんなのまで見せてくれるのかよ。ありがとう。


明日にはもうおさらばかー

あっという間ですね。眠る。

情けないやつだお前は

ヨーグルト濃くておいしかった。
一人暮らしだと(今は母親がいるけど)果物食べないから嬉しいですね。
Tマークシティホテルをチェックアウト。


「?」みたいな部分は除雪車で切断されたのかな。

空港までの電車では座れなかったので、ずっと外を見てた。
北広島市らへんで雪舟えまさんを思う。

目がさめるだけでうれしい人間がつくったものでは空港がすき
見えますか食べものを出しっぱなしのテーブルあれが北海道です
雪舟えま『たんぽるぽる』

短歌をやってると思い出しまくる二首なので、もう雪舟さんどころか「あんたまた来たのかい」っておれに言ってくる、この短歌の顔、まで思い浮かぶ。

両親よ何も怖れず生きなさいニューヨークビッグパフェをおごるわ
(同上)

「パフェ」とか言ってたんですね。気づかなかった。


.


次の写真はもう成田空港とかなんですよね。これは成田空港です。
着いた瞬間、正月の帰省から戻り時(じ)の沖縄→羽田よりムワっとした。これは体験しないと分からないこと。
空港での歌会、写真一枚も撮ってなかったのか。
皆さんと正方形のテーブルに座れて僕は嬉しかった。

第一回伊舎堂を見送る歌会@新千歳空港

同じく、こんな空気で、こういう記憶に残り方でした、級のメモなので、なにかの引用には役立ってあげれません、
6人の歌会は6人の、12人でやるなら12人の、ピリピリだったり、足湯しながら喋ってる感じだったりがある。

空港まで来てくれて、本当にありがとうございます。
めったにない体験ができました。

一首目

この詠草用紙にある、他の三首目や五首目が(短歌の形で読んだときに生じるおもしろみがあるということは前提で)、それぞれ「シャンデリア」「パフェ」という語句それじたいが発散するイメージの中に留まっている歌……という感想を持ったことに比べて、

この「エヴァ」の歌は、同じく語句それじたいは「シャンデリア」「パフェ」のように派手である名詞……連れてくるイメージや思い出の多いもの……でありつつ、【「エヴァ」+作者の爪痕】のような状態になっているんじゃないか?と感じました。

三首目や五首目が、「シャンデリア」の出してるWi-Fiの範囲、「パフェ」が出してるWi-Fiの範囲にいるとしたら、「エヴァ」の歌は、エヴァのWi-Fiに乗っかりつつも、ずるずる……というような感じでその外に這い出てるというか。これを「作者性」や「爪痕」のように自分は感じるのかもしれない。その先で、今度は、結句の「春」っていう〈春から出てるWi-Fi〉、つまり世界から出てるWi-Fi、に捕まってるところがこの歌のキュートさなのかもしれない。

そういう体の見せかたには色気があると思う。何かのWi-Fi部屋から逃げたら、違うWi-Fiにつかまってるみたいな歌。

「『切った』と書いてるわけだけど、その言い方自体はアニメをよく見ている人の言い方だったり、後半の、言っちゃえば〈中二病〉な書きぶりみたいなのはめっちゃ『エヴァ』っぽい感じ」

「エヴァは自分の世代には古典なので、後追いなんだけど、この『切った』には、最初のアニメ放送時にみてたような現役感というか(※伊舎堂補足:これは過去の『切った』話である、と読める部分が該当一首にはある)を感じる」

4句目のキザっぽい書き方に、抵抗感はなく、これによって味になってる感じ。

二首目

票を入れてたかたが、楽しそうに読んでたことが印象ぶかい。他者が外側から喩える、くらいから動きとしては搾取だし暴力だ、なので一瞬すみません、評すると、スポーツの疲れかたをする短歌なんだなと、直後に自分も評してる時間で感じた。
前評者がスポーツの疲れかたをしてたかは分からない。

関係ないけど、前評者(ぜんぴょうしゃ)って言葉がこの世にあるのってちょっとすごいと思う。歌会で、自分より前に評してた人のこと。この言い方をすると、●●さんが先ほどに言ってたように、みたいにその人の名前を呼ばないで発言の引用ができる。

途中からどんどん、短歌に口が喋らされてる、みたいな状態に入ってっちゃって、歌会でこういうグルーヴが生まれる歌ってあるよなを思い出した。

でも、作者じたいはこの歌をすぐに、書いたことすら忘れそうというか、でもそういうところも魅力なのかなと思いました。

「自分はやけくそな歌が好きなんだと思う」

「ちょっとチョケてこういうことを言ってるのだとだめなんだけど、チョケきってるところに魅力があるのかな」

「前半のおもしろの詰まり具合と比べて、後半は、失速してるとも感じたので、そうなると『チョケきってる』が怪しくなるのかもしれない」

「自分は、後半の詰まってなさ、によって、前半の何言ってるんだ感を味わう時間になった感じがしたので、後半がもうちょっと詰まった内容だと立ち止まっちゃったかも」

初期の稀風社の冊子にありそうな短歌。

1年間に一首だけで「日々のクオリア」を書けと言われたらこういう歌で書くと思う。ここを踏んづければ絨毯の向こう側が浮き上がるし、そこを踏めばあそこが浮き上がるし。みたいな、なんというか〈部分〉の多い短歌なので。

三首目

しなくてもいいことをして嫌な気持ちになっている、が理由もなく目の前で起きるので、実は2首目と同じくらい〈速さでもって終わる〉短歌なのかな、とこれは今書きながら思ったこと。

①食べられないものが、②食べたくないもの の形状と大きさに喩えられてるのだけど、サイズを形容する言葉が、ものを食べるときに用いられる言い方なので、②食べたくないもの が口に入ってきたような感覚になり、作者も思いかべただろうのと同じ嫌さに合流して歌が終わる。
ってことが、けっこうこれが「これだけ」の歌になってる理由なのかなという気がする。作者も読者も、同じ気持ちになって終わると、こういう、密閉感、非・浮遊感が生じることになるんですね。

この作者の、すでに知っているような他の歌と比べるとそれは珍しいことが起きているので、へぇと思った。これがもしも発表されて、引用が多かったら、自分にはあれとあれとあれもあるけど、これが引用されるんですね意外。みたいな気持ちになるかもしれない。

分かりやすい歌って、知らないうちに読者たちに人質に取られてるみたいな状態になってることあるよな。
参加者に山田さんがいるから連想したことでもあるけど、乾遥香さんがネットプリントで「山田航が言及されてると思ったら、またペットボトルの歌」みたいな事態の、読み手の怠慢、みたいなことについての苦めな思いを吐露してる箇所があったけどあれ感動的な部分ですよねあのネプリの。部屋のどこにあったっけ。

●●(この歌でいちばん目立つ語句)ってけっこう何しても、●●っぽさの素敵さの棄損しないもんなんだな、とかを他には感じた。発してるWi-Fiが強いっていうかね。

四首目

自作。「●●を貯めてハワイに行こう!」の言い方ってまだ生きてるんだ、ってのがなんかどうも嬉しかったですね。まだ言っていい。この世で。
布団に入って、意識がなくなる寸前でこういうことを思って、跳び起きて書き留める、みたいなやくしまるえつこの作詞法みたいなことが12年くらい続いてる。

「まだなにもおきてないといえばおきていない状態が言われてる」

五首目

それぞれの部分部分を、神経衰弱でペアを作るみたいに隣どうしに置くと、けっこう矛盾を起こしてるところとかがあると言えなくもないんだけど、通して読むと、作者に訪れた内心や状況を、作者を書いた形の言葉として、どこにもあんまり(「あんまり」ってのが重要)嘘はない短歌なんだろうな、と感じた一首でした。

現実の尺度で考えると、この歌の中で起きてることはけっこう達成の難しいことである。というように僕としては結論を持ち帰りました。

「僕も甘いもの好きで食べるんですけど、」

「もっと気分をのせてもよさそうな内容でありながら、結句の、あっさりとした言い方。冷たい認識というか」

「短歌で●●(結句)って言うと●●(歌人)の●●(連作タイトル)、を思う」

六首目

「青空を思い浮かべて終わるように指示が出てる歌なんだけど、それが難しい。打ち消すとはいえ、雲って言ってるからか。」

僕も難しかった。
で、この青空を浮かべるのがむずかしさ、も特徴っていうか特長の歌ってふうに読んだかな。書かれてるのは人の死なわけだから、これくらいとスッと終わらなさがあってもいい。空中から撮ったカメラで思い浮かべる感じか。葬列の中に自分がいるところで思い浮かべるか。自分は葬列のなかで思いうかべました。じとっ……と描写していく書き方だから、空から見るのがちょっとむずかしくなる。

こんなお葬式には出たことは一度もないんだけど、「お葬式像」ってなんかずっとこうだよな、みたいなところが短歌の中で映像化されていた。終わって東京に着いた後、上にある写真のエスカレーターでフジファブリックの「黒服の人」を聴いた。気づけば、歩きスマホをしまくる人間になっちゃったなー。戻していかないと。

12時45分くらいに終わり。

司会をしてくれた石井さん、空港まで長い時間をかけて来てもらった皆さん、ほんとにありがとうございました……
3点リーダーを末尾につけることで「しおらしい私」で喋ることを、それ級のことなので今回はご許可ください。本当にありがとうございます。「このあと空港か」だとそわそわして頭が動かなそうだったので空港でさしてもらいました。キキララみたいな色のマシュマロが乗ったフロート、レモネード、サブウェイだったかフレッシュネスだったかのポテト……

いただいたお菓子等もほんとほんと。ありがとうございます。初めて食べます。

到着。「あ、……羽田じゃなかったからここからも長いのか、」ってやっぱり起きるんですね。
ここから家までもちょっとした旅くらいの時間がある。でも目は笑ってる。仕事に向かう ではない日の移動って、マジでいいから。

かっけー

到着!

旅行は二回も到着できる


なぜか一回 小樽まで連れていかれた駐輪券




ありがとうございました!