ジャパネットたかたの回


なんでこんな俺くさくさしてるんだろう、と(スーパーで入れてきた電解水の専用ペットボトルの重みで自転車が倒れて、前カゴからこぼれたのを自宅前で叫んで蹴った)いただいた歌を読んでいて感じたのは、とことん自分は恋や友情や同僚関係の積み上げの先にひとりの「あなた」を築く を失敗しつづけてこの年になったんだな…という思いがこの頃たいへん顕著だからで、誰かにとっての「あなた」の再現、もしくは仮構のされた歌の読みはつくづくここ (右のこめかみを外国人のような表情でとんとん、とする)のゾーンを辛くえぐってきますね。

「あなた」を恋や友情のそれでしか想像できないのは、読解や鑑賞を越えて豊かな生の敗北 という気もしてます。豊かな生 には入れない部屋と混ざれない懇親会があるのも確かなのだがな  

看板のまだ見えてない三文字目クイズ なんだろ なにもない を当ててあなたは/平出奔

場所はこの場合比喩ですけど、ディズニーランドは楽しい。ディズニーランドはすごいと思う。でもそこで撮られた「あなたたち」の写真には胃がキリキリしてしまう。ディズニーランドに入る前にフォーナインをストローで飲んで自撮りしてから入ると楽しい というのは「情報」で、痛む胃がないから「ほうほう」とlike!が押せる。「これは俺が行ったときもやろう」にしか心が動かないだなんてどんだけケチな人間性なんだろう。でも「あなたたち」のすばらしい一首が、誰かにとってものそれ を目指すとき、ひょいっとまたいでみせないといけないものにこのケチさが、それこそ読み手の数だけあるのじゃないだろうか。えらそうなことを言って自分の実作にも響きそうだなと今思いました。「わたしはなかなか褒めない」を通貨にする人がジャンルに溢れるのもグロいですが、少なくとも一首を前に一人でそう思うときそれを通貨だとは思っていないのです


手を振っているようだった 窓を拭くむこうの人はビルの三階/シロソウスキー


シロソウスキーさんやだやさんの歌に評をしてても疲れないのは、少なくともこれらの一首には「あなた」が要らず、何かを「あなた」抜きで思わしてやるよというマニフェストめいたものに同調しつつタイピングができるからだ。自分の普段の文体ともそれだけ親和性が高いということだけど、同じ筋肉ばっかり動かしてて右腕だけ太くなっていくのも怖い。ともあれ疲れない。

窓を拭く動作が、自分への(微量だとしても)(分類すれば)愛の動作に見えた。しかし「ではなかった」ことでちょっと照れちゃった。照れちゃったわたしは目を下にそらし、戻し、そこで得た視覚情報で自動的に窓吹き人のいる高さを「位置情報」として認識し直し、窓拭き人へ自分の人生の時間を使うのをやめた。この一連が一瞥できる、そこが「ビルの三階」であることを知れるところまでいかされてしまう、「所要時間」としての短歌を、この作者と一緒に過ごした気分になれる。

そのうえでこの歌には依然として「あなた」がいないままなのですね。「あなた」がいたかもしれないそこ をカラっと見つめる作者の目つきだけが最後に残る。思うに、歌へ「あなた」が出てくる時そこで起こるのは作者と「あなた」の「2人」を自分「1人ぼっち」で見つめることになる、数の暴力なんじゃないだろうか。


ジャパネット、ジャパネットたかたのおくる夢のクルーズ九泊十日/だや


57577の「5」で読もうとしたらその初句は ♪ジャ‐パネット と伸ばして歌うこともできる語句で、のっけから「読み」に定型と企業ジングル、二方向からの命令がある一首への第一印象は「(俺や)短歌をなめるな」だ。でもすぐにこの気持ちは俺と作者で「短歌」をなめてやろうぜ、という気分に移行する。こうなると強いと思う。なんとかここから、あえて言うなら「短歌的に」抒情してやろうじゃないか、いうノリになる

オリジナルに沿うなら歌詞は♪ジャ‐パネット ♪ジャ‐パネット 夢のジャパネット たかた♪ だから、これを掲出歌の読みに影響させるとすれば「夢の」の置かれてる位置が原文と逆なぶん、すこしの工夫を強いられることになる。この作業が楽しいくらいには、先述した「ノリ」へ読み手を引き込んでいる必要があるだろう。そして僕はそのノリに日々飢えていた。

…ちょっとどうしてもできそうにないので、初句とその次のジャパネットはメロディで歌うことにして、「たかた」から急に歌わない、冷めた言い方で言うことにしよう。

より正確にいうと二句目ジャパネッくらいで急に歌うのをやめて続く「トた」を音素が似た二音をいっしょくたにするように読んで「かたのおくる」と三句目にまたがって〈止まる〉ことでいきなり棒読みになった自分にウケれるし、この棒読みこそがその後の「九泊十日」という大味(おおあじ)な数字ボケに「ほんとうにそんなに泊まらせて大丈夫なのか?」という不安に繋がるのに充分なトーンを作り出す。いや本当にこういう商品があるのかもしれないですけどね。

なんで不安になるんだろうか。なーんかジャパネット側が、もっと言うと高田社長が、この九泊十日のクルーズを「夢の」ものにするのにすごい無理をしているんじゃないかと反射的に思わされてしまうのは、たぶんあの社長の声の高さが僕の「ジャパネットたかた」への印象の第1位だからだろう。あの声は「金利手数料無料」という、ググったら最初にジャパネットが出るくらい象徴的な用語と併せて、すごく無理をしてる感じが強い。「九泊十日」にこの「無理をしてる感じ」が掛け算されることで生まれる、めちゃくちゃになりそうな「夢のクルーズ」のニュアンスが、実態はどうあれ勝手におもしろい。温泉旅行とかに比べて死にやすい「クルーズ」での旅行というのも、すぐそこに崩壊がある感じ、崩壊を引き受けてくれる海が真下にある感じでもって想像で遊びやすい…んでしょうね。シンゴジラやクローバーフィールード-HAKAISHA-を観に行く心象みたいなもんですか。「きゅうはく」で変換したら「窮迫」で出たのもぬかりがないなぁ、と楽しい。夢の、なんて言っちゃうもんだから、その「夢」の崩壊を我々に想像されちゃってる時間がたまらなく楽しいわけだ。そういえばディズニーランドも「夢」の場所ですね。


小粒のミントとばしながらインコがいまたしかに言った シューベルト/沢茱萸


一首の「はじまった」ときの速さがだいたいタニシの歩行くらいのそれだとしたら、「ミント」「インコ」などと並んでいくうちに語句間(ごくかん)で「×」「+」が起きていって、最後の「シューベルト」に着くころには歌へ、乗用車くらいの速度がついてるような特質が沢さんの歌には(用いられている名詞は違えど)今回もありました。語句間に「+」や「×」が感じられるから自然と一首全体が数式に、結句は「=」のその後の解に見えることがこの人の歌には多いんですけど(小粒の/ミントとばしながら/インコがいま/たしかに言った/シューベルト と僕は読みました)、ただ、話を「秀歌性」のGETにしぼるなら、「ついた速度」じゃなく、ピタッと止まる→そのときに見えた良いもの  でGOOD!となるのが短歌なのかなぁというのが私見なので、こういうページで一首評を書くことがあまり補助にはならないような歌(ないし、作風)であるとも思いました。速さ……を速さのなかで楽しんだあとの感想は「速くておもしろかったです」くらいのものですもんね。


以下、いただいたものへの。今月もご送信ありがとうございました。


突き当たりにいたショベルカー的なやつがジュラシックワールドのあれの影 必殺のもやし消費期限を2時間過ぎた豆もやし 途方もないものを見ましたくずおれて明日はいないただ泣くギター 自販機を作業着の手が開くのを覗く小学生を見るずっと見る/布団麻子


流れで話しやすいのでちょっと並べてしまいましたが、こちらも「ピタッと止まる」→「良いものを見せる」というやり方を(この人は破調によって)捨てている歌なので、その分置かれてる言葉の並びとか、見えてくる絵のセンス勝負になっててそして勝ててない‥‥歌のように思えました。

…まで書いて気づいたんですけどこれ一回の投稿フォームで


突き当たりにいたショベルカー的なやつがジュラシックワールドのあれの影

必殺のもやし消費期限を2時間過ぎた豆もやし

途方もないものを見ましたくずおれて明日はいないただ泣くギター

自販機を作業着の手が開くのを覗く小学生を見るずっと見る


の4首をぶちこんだ投稿かもしれないですね。

そうじゃない破調の一首として読んだ場合感想は先に書いたようなものに、5首、で言うと『必殺のもやし』がちょっとおもしろいと思います。「もやし」を「必殺」の手料理として振舞われる〈これから〉が気になるのはこの歌なので。


真夜中にうごめくものらを思いやりおみそスープを飲む祝祭日/ のつちえこ


(印象で語ることにあんまり意味ないかもしれないですけど、評の言葉のとっかかりとして)真夜中にうごめくものが短歌に出てくる時、6:4くらいの割合で「うごめくもの」を【ちょっと自分にとって善きもの、キモかわいかったりグロかわいかったりするもの】として詠んでいる場合と【漠然とした不安…みたいなものが託された嫌なもの】として詠んでいる場合とがある気がするんですけど、「思いやり」ですから今回は「善きもの」としてうごめくもの、なんでしょうね。そこから「おみそスープ」というすこしネットっぽい言い回し・・・が出すのんきな感じ、が結果のんきになりすぎかなぁという感想です。「おみそスープ」と言うことでこの歌が手に入れようとしているものを受け入れられないというか。


火事やべーで検索をしてこの火事をやばがっている人と繋がる/たろりずむ

くちびるを少しずらしてキスをする天使みたいにずるくなりたい/たろりずむ

前科すら愛されたくて八角の香り漂うセブンイレブン/たろりずむ

近いけどインドの人がやるようなマジのやつだったからやめとく/たろりずむ

ふきんしんなものがどんどんけずられてえいりなふきんしんがのこった/たろりずむ

賛美歌をみんな普通に歌っててぼくだけ舟に乗れない朝だ/たろりずむ


この中だと「ふきんしんな~」が一番いいと思いました。


国道を走る軽トラくくられた仮設トイレも法定速度/橙田千尋

なんか今日「速さ」の話ばっかりしてる気がするんですけど、一首で想像できる軽トラと仮設トイレの速さにあんまり感じるものがなくて、その場合作者の発想とか話運びが一首を光らせる「速さ」なんだけどそれも・・・という気持ちでした。

話すことなくて見ていた ぼろぼろのSonic YouthのGooのポスター/坂中茱萸

あんまりどれがどれとかで聴けてないのですが、あれだといいな、と検索したら看護婦さんの怖い絵でも、ロウソクの火のやつでもなくあの二人映ってるジャケットのやつでほっとしました。サーストンムーアとキムゴードン・・・・って名前だったと思う、バンドメンバーの、並んで座ってる男女が煙草すってるかっこいいやつで、シャツの柄とかで見たことある人も多いかもしれない。(見たことある人はなんとなく、楽しかった大学時代がありそう)それをたまたま『話すことなくて』持て余してる時間に主体が見つめる先にあった、という取り合わせの妙、というか奇妙な一致ですね。Gooの二人も別に会話が盛り上がってるようではない感じなんだけど、同じバンドだし、たしか夫婦だったので自分(たち)の「話すことがない」とは無言の色がちがう。「ぼろぼろの」のあたりが、ちょっといい感じではあるけど決定的な何かになれない(それは関係性としてもですし、もっと個の「才」としての不全感かもしれない)「わたしたち」をにおわしてくると思いました。でもこのあたりまで読まれるのは想定内なんだろうなという残念さがあります。

藪医者の鑑のやうな院長がアルフアロメオで定時に帰宅/涸れ井戸

定時に帰って来る医者ってなんか駄目な感じしますね おもしろいなー。「アルファロメオ」で院長がキャラクター化しすぎちゃって、実写で想像できなくなってしまった感じ。マジの人間の「院長」が定時に帰ってくるのを見るほうがおもしろいに決まっているので

さようなら星ひとつない空でしたチョコクランチははんぶんあげる/ 菊華堂

これも「あなた」が出てくる歌に胃がキリキリしちゃう感じでしたかね…

チョコクランチ を短歌でみたのは初めてでした



・月の末日までに届いたどれかへ1首評を書き、翌月の2日にnote(https://note.mu/gegegege_)へアップいたします。
・引用された短歌は既発表作扱いとなります。
(新人賞応募作品等に組み込めなくなります)
・投稿歌・投稿者に関して、文章以外の形で喧伝・口外することはありません。

伊舎堂 仁(TWi ID:@hito_genom)