さつまいものおかし の感想(それぞれへの)

【スーパーゴメスセット / curumaisuさん】

ファンタスティックピクニックさんの 「人殺し」が好きで、ほんとに、アカウントへ何度も見返しにいっている。もちろん画像ファイルとしてiphoneへいただいてもいるんだけど、「人殺し」というテキスト付きで保存することはできないので(そういうふうに保存したスクリーンショットもあるけど)何回も「c」でユーザー検索をしてーーfantasticpicnic から改名してしばらくの時期はフォロー欄から見つけられなくなって焦ったーー見にいく。ということを繰り返してる。

目当ての画像にたどり着くまでに目に入るほかの絵もちょっと見たりして、イラスト集なんて僕の家には一冊もないけど、そういうものが好きで本棚に置いてる人なんかはこんな感じの楽しみ方をしてるんだろうか、なんて思う。とにかく、生きてて感じるやりきれなさみたいなこととはまったく一線の引かれた空気が作品空間から香ってるし、この空気を吸いに行って助かっているという点においてcurumaisuさんのアカウントはインフラです。
けつのあなカラーボーイは、そんなふうに思う人が多くいる集団だけど、いちごヨーグルト祭りがいちごヨーグルト祭りで稼げてるのと同じくらい、curumaisuさんがcurumaisuさんってことで良い思いをしてないのにはやりきれなさを感じる。

 「フーセンガム」「ゴールデンレトリーバー拳」を楽しんで読んだ身としては、「スーパーゴメスセット 前編」は手放しで良かった!とは言いにくい作品でした。ご本人もアカウントの方で書いてたけど、まずセリフの字がちょっと小さすぎる。「ひーひっひっひ!」や「きっきっき!」というキャラの笑い声に、簡単な処理のように見えてこれはcurumaisuさん的、な造形だなぁとにこにこしつつも、例えば「けっ マーボのやつ感じ悪いぜ 俺より弱虫のラッコマシンには甘いくせに俺のことはいつも馬鹿にしやがって 大活躍して見返してやるからな!」などというセリフはちょっとワンブレスで長くしゃべりすぎなんじゃないだろうか。台詞のひとつひとつに毎回、新しい言葉が出てくる箇所もあったりして、なんだかデスノートの若い巻を読んでるみたいな負担があった点で、習作、という気分で読みすすめました。

タイトルにくっついた【前編】も、「これだけ大変大変して読んでも読後感、という気持ちよさは得られないのか」と思わせる効果を果たしていてよくなかったと思う。作品の一部分の絵を、冊子の発売前にアカウントのほうであげられていたけど、そのときに感じた素敵さ・・を1つのお話として「ひらく」ということは、ほんとうに大変な作業なんだなと思いました。話の運び つまり引っ張り、には売り物の漫画を読んでるみたいな技術、を感じたし、それはcurumaisuさんがこれまでに楽しんできた娯楽作品の血肉化、みたいなことがきちんと裏打ちされているものなんだとは思うけど、たとえばプロペラ博士、さんやアクメ屋台さんの頁などと一緒の冊子に収められた作品であることを心のどこかに置きながら「スーパーゴメスセット」を読むとき、読者はこの労力差に窮屈さを感じてしまうところがあると思う。

なんというか、作品に元手をかけすぎているcurumaisuさんにお客さんながら気を遣ってしまう、というか。でも、そういう姿勢から「人殺し」「回復の石」などが生み出されていることも確実なので、読めるならば、【後編】で彼らが〈レストラン〉から生還を果たせるのかが見たいと思います。

【名誉毀損中 ~前編~ / ぼく脳さん】

わりと変な言い方だけどぼく脳さんの書くものが読める、ようになってきたなというのが読後の嬉しさとしてありました。

「キャイ~ンをどう思う」
「横と縦だと思います」
「奴らは悪だ。あのキャッイ~ン!というポーズ、あれは屋久杉を地面に戻すためのウォーミングアップなのだ。戻されるぞ。それでも奴らが好きか」

という部分にあぁ、となったのは、「横と縦だと思う」と答えている者に対して、『キャイ~ンは悪』という説明を始める相手方の台詞が「それでも奴らが好きか」という、噛み合ってなさ、で締められていることからでした。「横と縦だと思います」と答えているこいつの言葉にはどこにも「好き」というニュアンスは無い。にも関わらず訊かれる「それでも奴らが好きか」は、これは読んでいる我々の側にいる、「漠然と・キャイ~ンに良い印象を持っている人たち」に投げかけられている。つまり僕らのほうを向いて、こいつらは話をしている。ぼく脳さんは、その絵作品において「こちらを向いている者」を出してくることの多さからも言えることだけど、基本的にはステージングの人なんだなということを再確認しました。この冊子を読む人に「キャイ~ンに良い印象を持っている」側はあんまりいないと思うし、どっちかと言うと(村田似さんのツイートなんかでそれは顕著だけど)悪意、によって消費されることを望まれている存在なんだろうけど、その「望んでいる存在」という読者、の快感のためにこういう部分を、ともすると支離滅裂で続きかねない文章の途中で挟んでくることから見ても、ぼく脳さんは身勝手に好きなことばかりしている作り手ではないということが分かる。

あと、【後編】の「三人乗りの自転車」をこいで「人生をショートカット」しようとしている、という話のあとの頁に「皆 急げ!次のページで幸せになるぞ!」と走る人の絵、が描かれている【なるぞ / 都さん】が続く、という流れで、この冊子に参加されてる人たちの「既知から」「未知へ」という精神性がある程度共有されているものであることがわかりやすくされていると思いました。(笑った)

【キックオフ / どろりさん】

先のnoteの中で書いた「自由のきかなさ」「他者性」というところに関連付けるとすれば、 このキャラがカーセックスの車によって轢かれる、というところまでは「どろりさんの選び取った部分」で、その後の「ゆっくり轢かれていくキャラの細かい細かい一瞬の絵」を「描くことになる」というところこそがどろりさんの手を離れた「他者からの強制力」であるのかなあと思う。そこで得た「自力以外」を、サッカーのフィールド配置?のメンバーへ割り当てる、というところで「自力」に戻す、というどろりさんの手腕の、なんというか「コケにしている範囲の広さ」に怖さを感じるし、こちらは【わいわいやろうよ】 の「女優への道」のパワプロくんのコマの謎の競技、という終わり方にも通じるものがあると思う。どちらもゲーム、という本質的には〈虚〉なものへ「女優オーディション」や「死」という社会的な事情が到達して終わる、というこの無意味さの指向がほんとにすがすがしいです。途中の、「そういうの許容される場じゃなかったの!?」が「そういうのが許容される場だろ!」では決してない「揺れている」言葉、だということに、けつのあなカラーボーイの今、という場が変わりつつある、のが現れているのかなと思う。

【栗長 / ポテチ光秀さん】

スピード感。や、44ページの「ハァ~~」「ドンドンドンドン」などのコマの絵としてのおもしろさ、というか「この人は、わかっている人だ」というような信頼感、でもって読者を掴むまでの手際にほんとうに危なげがないのがポテチ光秀さんだなあということをまず思います。【さつまいものおかし】全体の空気をcurumaisuさん作品の「もがき」が支配しているとすれば、【ガイコツが現れたら】の始まりがポテチ光秀さんであることが、あの冊子の読みやすさ、を獲得していたんだなということを実感します。

神田うののタイツの漫画、の終わりの「まだタイツの中よ!」のときにも感じた、「その現場、ではそういったことが本当に起こり得るんだろうな」という説得力を、52ページの〈タオルをほどいてくれない〉というところに再び感じました。ウソの話なのに、とんでもないリアルさがある。

【BILLY THE KID 彼が死んじゃうまで / ナミキさん】

元手、という言葉を別の感想で使ったけど、ナミキさん作品の風通しの良さ、の要素にはこの元手のかかってなさそうさ、みたいなものが関係してるんだろうなとあらためて思う。下手な絵、なんかでは絶対にないのに、なんとなくこれらの一連のコマを描いているナミキさんの大変そうな表情ってまったく浮かばない。むずかしい握りのコードの練習中に取り上げられたギターでさらっと省略コード、での同じ音を弾いてみせる先輩のかっこよさがナミキさんの漫画にはある。57頁の馬の足を見ていると、特にそういう快感がある。

ポテチ光秀さんのところでも書いたけど、「わからないけど、現場ではそうなんだろうな」に通じる妙な説得力を、「撃てるときにサボらないってのが大事なんだよ」などの台詞に感じる。映画や漫画作品などでナミキさんがいつかに知った知識に裏打ちされた言葉なんだろうかと思う一方で、まったくのでたらめであってもほしいなという気持ちがある。そういう意味では、ストーリーテリングにもある「省略コード感」というか。

「おやすみプンプン」9巻の、二人が逃亡旅行中に泊まる旅館の布団

やソファーかけの布の柄

に僕は「見たことないんだけど、どっかで絶対に見ていた瞬間があった」かのような暗示力、と怖さを思ったんだけど、【BILLY THE KID】に出てくる黒人少年を見たときにも、同じような「見たことないのに、分かる」を感じました。こういう話に出てくるこういう伝令の子、はこういう目の、こういう黒人少年しかないっていう気がする。

【は~い!ラブ谷先輩 / プロペラ博士さん】

【メテオやめてお / 日下部さん】の頁を読むときは、他の人の作品を読むときよりも強めの「お前は私(プロペラ博士/日下部)が好きなのか?」を尋ねられている気がする。「電柱に隠れてるグラサンの子」の絵や「ただのヤバいばあちゃん」を読むときの「うっとり」は気分として申告しつつも、自分の得意なことをしている人たちだな、ということ以上の感想はいまのところないです。プロペラ博士のアカウントのヘッダー画像の桃のジジイの鼻と、日下部さんの「長すぎて渡れない橋」には未だにいろあせない良さがあると思います。

【事故現場 / demioさん】

「なんでこの瞬間を描くことにしたんだろう」と思わせる場面(こちらはナミキさんのガンマン、の知識とは逆に、実際にこういう映像が絶対にあってほしい、と思う)の切り取り、というdemioさんの「自力」から、怪我をしているつらそうな顔やアザの位置、が、実際にこうだったんだ・・という動かせない現実、って「自力以外」まで飛んでいるところには、どろりさんのゆっくり轢かれている人外キャラの頁、と似た感覚の見たことのなさ、がありました。

こういった市井の人、の不如意を「ただ見ていることができる」という娯楽は、カス動画祭っていう興業を発見したけつカラの人たちの独自だよなあって思います。次のカス動画祭が唐突に楽しみになった頁。

【ギャグの奴隷 / kagemさん】

「ハイツ岩戸」の最後の頁に感じる「不安の種」みたいな恐怖表現、とか、「悪・即・斬」のスピード感とか、体得してきてる技術の多さに、ただただの「すごいなあ」がある。そういう志望、の友達がいたりしない限りは自分たちの読む漫画、ってすでに売り物の形になった状態で目の前に現れるものだから、kagemさんの頁の感想、からはちょっと離れてしまう言葉だけど、これだって「見たことのなさ」だし「感じたことのなさ」だ、って思う。自分が漫画を描く身、だと仮定してkagemさんの変遷を追って見てる気持ちを想像してみるんだけど、どうなんだろう。漫画を描く人、が【ギャグの奴隷】みたいなものを読んだときって新人の台頭、みたいな怖さがあったりするんじゃないだろうか。

矢部の「うせやん」をこういう書き方、言え方 で再現したのってkagemさんが初めてですか? さらっと書かれててそれだけでも驚きがありました。

「うんこだろうか」という疑い、から「未知」への欲求、を持ち「両の眼」という恩寵、を得たあとの気づきが「うんこか」ってのにはなんか、勝手に勇気づけられるところがありました。女の子の目、ってのも重要だと思う

【莫大な借金 / 蟹江さん】

「福山通運のヘッドライト」「ブラックサンダーの小さいの」「おもしろ動物画像も送ってこなくなる」「世代を間違えてしまった」「プレステージ」「〈注射器〉」といったところに惹かれながら読んだんですが、たぶん事前に決めたこと少なめで始めて自動速記、みたいな運動性でもって一作ノした、という印象を受ける文章で、そういった書き物って蟹江さんの好きな事、がモロにでるのかなあと思う。とにかく「~のような何々」が多い。【ガイコツが現れたら】の「こんなイイ日」の、不如意感の無さ、みたいなところとはまたちがうところの目指されてる書き物、と思いました。

「こんなイイ日」と比べて登場人物が格段に多くなってるということから、とうぜんその登場人物たちに喋らせる必要が各所各所で出てくるんだけど、これがどうにもうまくいってないような気がしました。見た目上は他者、なので他者性、のあふれる結果になりそうなんだけど結局口調のちがう、しかもちょっとウソな蟹江さんの「」の連続、というふうに読めてしまう気がして、どっちかと言うと一人で一人のことを掘っていく、ってところに蟹江さの本領があるのかなと思いました。そうなると虚構よりはドキュメント、エッセイってよりは手記、の人なのか。より不幸、というふうにとらえてくれると嬉しいです。

「プロペラを止めた、僕の声を聞くために。」の「僕よっぽど、(WASABIは)おもしろくないですよー、って言おうと思って」、とか、バッファロー吾郎の「うわっ、(聖闘士星矢は)今読んだらぜんぜんおもんないっ!」、そして【莫大な借金】の「いいんすいいんす。(浜田雅功の「読め!」は)全然面白くないから」に笑いながら、こういうのほんとうにいいよな、と思います。終わり方もいいですね。

【ごくせんせい / 医龍さん】

【ガイコツが現れたら】でイナムヤックの絵を描いてたのが医龍さんだったことは、ブログに感想を書き終え、ある程度読まれたあとに知って、医龍さんにだけ感想を書いてない状態になっててやってしまったと思っていました。

赤西?の絵なんでしょうか、あんまりこういう感じのイケメンを漫画、で見たことないので独特、はまずそこに感じました。へんに色気があると思うんだけど、これは赤西じたいの色気なのか、医龍さんの絵によって異化された赤西からの色気なのか、まだ判然としないところがあります。どこかで「医龍さんがいちばん達者」ということを目にしたんですが、イナムヤックの写実的、とはたしかにまたちがう良さを。赤西?には感じました。

お話、という部分になるとあまりにけつのあなカラーボーイ風・・な幕切れの、掴む前に終わられる感じだったので、「熊井」のページに描かれてる遠い熊井、にウケた、とか、そういう部分的なところになってしまいます。その直前のガンダムの絵もおもしろかった。なんか、絵のうまいヤンキーが机に描いてる単車の絵とか、のおもしろさのあるガンダム、だと思います。

【イイハナシダナー / くちばしさん】

筋斗雲とか「社長――」の人とか「はい93万円」の人とか「やだーこわーい」の人とか、横スクロールでハケていく人、がなんでこんなにおもしろいんだろう、と思う。最後のページの最後のコマの、手の位置、とかも。

くちばしさんに描かれるまでは、その状態の絵、がおもしろいことってくちばしさん本人にさえも本当のところはわからないはずで、そうなると「描いてみても、おもしろくないかもしれない」怖さで描きはじめられない、はずなのに、それなのに【もう散々アイランド】の逆立ちをして・話してる人の方は向かないで会話しているキャラのおもしろさ、とかが紙のなかに存在しているのにほんとに感動してしまう。くちばしさんの空き時間、が今後の人生で多いことをただただ祈る一人です。

【靴 / 爪切男さん】

最初に読んだときは、ちょっとあまりにも早く終わっちゃったのでさすがにこれはないんじゃないかと思ったんですが、【さつまいものおかし】になにを書こうか、と思ったときの爪切男さんの近くには朱肉があったんだな、とか、あったからって捺印するのか、ってとこまで考えるとこんな1頁にでさえちゃんと爪切男さんがいるんだな、というふうに思えたページでした.
リクエストが許されるなら、「しようよ」のやり方で、また新しいのが読めると嬉しいです・・と書いてみてハっとしたんだけど僕は爪切男さんの「ツイート」が読みたいのかもしれない。

【カニマンガ】 【大銀杏ロングビーチ / てにをはさん】

小さくした豆電球、をTwitterのアイコンにしてたころくらいからしか僕はてにをはさんは知らないんだけど、作風のイノセンスを思い出しながらてにをはさんのツイートも振り返ってみるとき、実はてにをはさんってかなり吠えている人なんだよなってことにあらためてちょっと面食らってしまう。特に、ロンブー淳とか、この頃のまっちゃんとかの、ちょっと鈍化させたおもしろで食ってる人/食えてる人 の動向や発言にたいしてわりと気性が荒くなるところがあると思う。

ってのはたぶん、てにをはさんが一般人でありながらかなりの数の大喜利ライブをしてるっていう、おもしろかったり・自分でもおもしろがれたりしなかったらほんとうに意味のないことになる、って空間に身を置く時間の多い人だからなんじゃないか。こういうところにいるひとは、許せないことも多いはずだ・・・というところでまたてにをはさんの「歯のマンガ」とか「海の向こうで野球がはじまる」、そして【カニマンガ】【大銀杏ロングビーチ】なんかに戻ってくると、こういうのを描くひとなんだよなあ、とまたも面食らって、しまう。「普段もわりと、お仕事のときと同じ感じなんですね」を言われるのが嫌で、ぜんぜん違うんですね、って言われる方がプロっぽい感じで嬉しいって言ってたのは板尾日記での板尾だったけど、そこの点ではもう「ぜんぜん違う」をクリアできてるってことにはケチがつけようないところまできてると思う。そうなるとあとはもう「笑えた」「笑えなかった」は読者の個体差、くらいのものでしかない。

てにをはさんの漫画にでてくるキャラってみんな ⌒ ⌒ みたいな目をしてるけど、普段の吠えているてにをはさんの切替えスイッチはこの⌒を描くところから始まっているのかもしれない。以後、⌒ な目のキャラの言いそうなことしかキャラたち、へは許されない磁力がそこには働いて、コマのどこにもてにをはさんがいなくなる。これは、curumaisuさんの現実世界との線引きとはまたちがった強度の達成だと思います。

と、思っていると「根の優しさが出たー!」(P170)のような、いかにもおもしろい若手がいいそうなこと、を無理なく混ぜてくるこの「無理なく」に、てにをはさんがこれまで楽しんできたおもしろの素養、みたいな。元手。ですね。元手がかかってる、感じも受ける。この両翼で、まだまだ描くんだろうなと思います。ただ今回のはちょっと長すぎるんじゃないか、とは、本人もアカウントで言われてたけどやっぱりそう、思います。てにをはさんに要る「他者性」「外圧」は、枚数制限、というわりと単純なところにあるのかな、という感じです。

【うんち色のおちゃけ / シュラ種種種さん】

基本的にはくちばしさんに対する感想と同じノリで言う感想になるというか、おもしろいし、あんまり長くそれをいうことでもないのかなあという前提で「おもしろかった」、を言いたい人がシュラ種種種さんです。※ で書かれてる言葉のコマ全部おもしろいです。シュラ種種種さんの漫画を読むと、組み合わせによってまだまだ面白い語呂、ってあるんだなということに嬉しくなります。銭伊豆もだしおちゃけ。もだし和辞丼もだし。
どうしてここに現れることができたおもしろ、なのか毎回不思議になる、って点でも、くちばしさんとかなり似ているところがあると思います。

【なるぞ / 都さん】

野菜たちがたくさんいるページで、一瞬酉ガラさんの作品かなと思いましたが都さんでした。幸せってこういうことなのか?と考えてみたんだけど幸せってこういうことだよなと思いました。
アゴのしっかりした女性。こういう顔の女性はほんとうにいるんだけど、東京にはいないという気がしました。

【ある飼育委員の行き来】【時井の事件簿 / 金玉さん】 

この人もいつまでもおもしろい人だなあと思う。たとえば人botが僕にはあいかわらず面白くて、笑ったあとに、これはアクメ屋台さんの書いたやつなんだろうな、と向こう側にアクメ屋台さんが見える、みたいなのと同じような塩梅で「ブルーババア」などの金玉さんのツイートに笑ったあと、向こうに金玉さんみたいな人が見える、ときがあってこれはほんとうになぜなんだろうだしすごいことだと思います。だって「ブルー」も「ババア」も今までに何回も聞いた言葉で、そういった言葉にらしさ、を貼り付けることなんてできないはずなのに「ブルーババア」で金玉さんが見えるのはほんとうに不思議だ。

そういう意味では、時間をかけてそれ、を書いている金玉さんには申し訳ない、申し訳ない・・と思いながら金玉さんの虚構、を読んでる間も僕は金玉さんのなるべく早い「本人登場」をしか願っていない。読んでいる、ようで読んでいないし思い浮かべているようで思い浮かべることができていない。そうしてるうちにやがて金玉さん本人が「おわり」と言いながら登場する。極論を言えばもうこの「おわり」があればいいという状態にある。

【2コMEN / 小野ほりでいさん】

たとえば「持ってないのに持ってるかのように振舞ってくる棒」の右下に、「お気に入り」のすごい数字が見えた気がする。
そういうおもしろの基準とか、ありがたがり方さえ小野ほりでいさんの嘲笑の的なんだろうなと不安になりながらも、小野ほりでいさんがこういう数々のこと、を思いつくことが嬉しいです。おもしろい。

【サマーウォーズ / 酉ガラさん】

どういう設定だよほんと、という第一印象から今回も読み始めました。

「まず自分(うんこ)を宝物にしてあげないとネッて事・・・」(P127)のような、おなじみの「ワザと良いことを言おうとしている」感や(でもこんな台詞、この漫画のこの状況以外で使うことはできないからやっぱりただの気のふれた言葉だという我に返り がある)、「電気グルーヴにだけは~」のような、聞いたことないけど言ってる人は絶対にいるんだろうなな発言、に加えて今回は、武田鉄矢であることをこちらが忘れかけてたころの武田鉄矢、をもう一回武田鉄矢に戻す(P128)というウルトラCまで繰り出していて、全体として一個頭が抜けているのが酉ガラさんだと思いました。

「物を買わないで~~!!」のセリフが、どろりさんの「そういうの許容される場じゃなかったの!?」に似た、というか、その先、にある、【さつまいものおかし】全体、そして、これを読んでいる人たちへの神託めいた言葉としても機能しているのに震えてしまいます。
買う、という行為からは商品、という「既知」しか得ることはできない・・娯楽、を越えた「未知」は「物を」「買う」に類する行為への嫌悪、な態度によってしか目撃ができない・・・という宣言、だと受け取ることができます。

【サマーウォーズ】の作品中でもこの台詞は、宝高(ぽーてぃー)という「未知」をレジ会計、という「既知」によって邪魔しようとする客、に対してぶつけられる言葉でもある、というところに実は読み解きの親切さが見えたりする、という点でも良いものを読めたなあ。の気持ちです。

【内藤剛志が考えた4コマ / たかさん】

暴力→死→死→暴力→暴力 という流れの4コマ作品群ってことからだけでも、たかさんの原理主義的なところが受け取ることができて潔い・・・というか。やってくれてる、嬉しさ、があります。一転、終わりの3つの写真のものでは死も暴力もなく、ただ馬鹿らしく笑える、という紳士的、も感じられる。大人だ・・という感想を、たかさんの漫画から受け取る日がくるとは思いませんでした。書きもの、だとこの達観、感じることはけっこうあるんですが。

「魔力がいる人」「めちゃくちゃ疲れる人」という言葉の並び、言葉の現れ方、はこれもやっぱり、先にシルクハットの絵を頭にはめてみた、ところから掴み取ることのできた『他者性』の言葉だという気がします。136ページの3コマ目にいる刑事さんは、清川さんにどこか似てる感じがする。

【良かった頃を思い出して / アクメ屋台さん】

これもすごかったです。

ほかの方の、わりと好意的に感想を書いている作品でも一回目に【さつまいものおかし】を読んだ際には歯が立たない部分があったりもして・2回目でハねた感じだったんですが、【良かった頃を思い出して】に関しては1回目で冊子いちばんの笑い声が出ました。言葉あそび・・のようなところもあるんだけど、内面のどうしようもない暗さとか、どことなく暴力の予感みたいなものをたったこれだけで書けて、終わったあとにやっぱりアクメ屋台さんその人が見えた、という気持ちにさせられます。 「ゲイのチームが解散する瞬間」も「カトちゃんの4コマ」も面白くて、それよりも【良かった頃を思い出して】(なんてタイトルなんだろう)は、おもしろかったです。


感想が出てないらしい・・という情報のあとでの自分の『さつまいものおかし』の感想、をぼんやり思うとき、その感想、は自ずと「感想がないということへの」「感想」みたいなものまで含まってくるわけで、さいしょにそれ、を言い出した人が悪いとかそういう意味ではもちろんなくての「やっていく」ことって大変なんだなあ・・というか。そういう「同情」の骨格をもった「感想」を、けつカラの人たちはどんな気分で読むのか・・みたいなことをぐちゃぐちゃ考えてたらみんなの8月は10月になった。と。これはそういう「感想がない」なんだと思います。冊子の出来とか不出来とかではなく。

けつのあなカラーボーイという「未知」が「既知」になりはじめだしちゃうくらいには、そして「異変」が「商品」みたいになりはじめだしちゃうくらいには、けつカラはけつカラをやってきたんだな、というか。そのことを誇れ、と言われたって困るだろうけどそういう推移が起こるということだけでちょっとした偉業のように、僕は思います。でも、「異変」に対して「反応」を取るのにくらべて「商品」に対しての「感想」ってどうしても億劫なところがあるから(それは、我々が「コカコーラ」や「吉野家牛丼」を飲食した感想などをそのつど言ったりはしない、というような意味で、です)どうなんだろう、やっぱりけつのあなカラーボーイは難しい時期に入っていくのかな、ということを読んでいる間も読み終わったあともばくぜんと、思いました。

執筆陣のみなさん、今回もおもしろいもの、をありがとうございました。