ご挨拶__劇団有漏路_主催_小笠原__2_

『猫たちハコの中に』上演台本

おはようございます。
どうも、ポッと出弱小クマムシよろしく劇団有漏路(うろじ)の発起人、小笠原ですよお立会い。
前回の更新から光陰矢の如し。
公演前につらつらと芝居に関して駄文を連ねようかと画策しておりましたが、気づけば「あっという間に始まってあっという間に終わります、その名も『猫たち ハコの中に』」♪ 
幸か不幸か演出、作曲、映像制作、加えて役者の八面六臂の大忙しさと言い訳しこたま抱えて筆不精。本当に申し訳ないったらありゃしない。謝る相手はないけれど気分が随分マシになるってな。
奇しくも千秋楽には、千葉に大きな爪痕を残した台風が丁度差し掛かろうという時分。劇団員の「中止にしますか」という助言を顧みず公演を強行手段で雨天決行。最後の観客の行く末と安否を可及的速やかに済ませ、舞台装置やら備品を劇場から運び出し、行く手を阻む雨風に「千里の道も一歩から!」と座組一同、声を合わせて心も合わせて、えいさほいさと台車をガラガラ三々五々押しては引っ張り悪戦苦闘の艱難辛苦を乗り越えて、心意気だけシルクロードを行くキャラバン。無病息災、平穏無事に終演いたしました。
あれもこれもそれもどれもこれも、皆々様が来る消費増税に眉を顰めながらも繰り返し消費活動をしてくれているからでございます。ありがとうございます。ありがとうございます。全く無関係とは言えない辺りが愉快なところです。
私の前口上はやたらめったら冗長で長くてダラダラと終わりが見えないと巷ではもっぱらの噂でありますが、知ってか知らずかまたもやっ「ちまった」…
くだらないと思った方は孫悟空の才能があると眉唾物のお墨付きを私から贈呈いたしましょう。

ご覧になった方、興味関心を持っていただいた方、ありがとうございます。
今回の舞台は私が学生時代に作成した短編を長編化したものになります。
テーマをひとつ抽出しろと言われれば、「分人主義」といったところでしょうか。サブテーマはいくつもありますが、それは、観客のリテラシーに委ねられることでしょう。

私はリアリズムとドキュメンタリズムを標榜して演劇活動に臨んできました。この度は元々あった物語の骨格に、私自身が社会の一部分に触れたものを血肉として与えたものですので、私と普段から交流がある人物が、この表現を私小説的、あるいは露悪的な表現方法だと感じるのは避けられない現象でしょう。しかし、私と私的な交流がない人物からは上記のような印象は生じず、登場人物同士が織りなす「会話」へ意識が向き、その「会話」を内包した「行為」が紡ぐ「物語」が生じるだけではないでしょうか。
生きていく上で「赤の他人」の方が圧倒的に多くなるのが世の常なので、たった一部の「知人」のために自身の経験をひた隠しにするのも馬鹿げているのではないかという考えに至った次第です。
開き直りですかね。

公演を終えて確実に面白かったと言えることとして、私自身が物語を書いている時、役者にダメ出しをする時に想像していた(全くもって空虚で理想としてた)表現とは異なる世界が作り出されました。
演出としていかがなものかと言われるきらいもありますが、私は役者に対するダメ出し(最近はノートと言うそうですね)を演技の「表層」についてはあまりせず、役者個々人が描く「内面」に問いかけることに重心を置いています。
そして、「観客に分かりやすい演技をするな」と付け加えます。脚本自体が非常に曖昧なセンテンスで溢れているにもかかわらず。

私は演劇を根本的に「見るだけの芸術」だとは考えていません。浅薄な知識を恐れ多くも出させていただくと、かつて演劇という娯楽は「聞くことがメインの芸術(詩・口頭伝承)」でした。英国エリザベス朝のシェイクスピアに代表されるように弱強五歩格の詩としての役割が多かったからです。とはいえ、歌舞伎や能などには動作がある種の形式的な意味をその役者の身体と観客の解釈に一定の意味を生じさせます。
そして一足飛びな気もしますが、昨今の小劇場では嗅覚に訴えるもの、ともすると何か飲食物を供されるもの、下手をすると第四の壁をやすやすと役者が越え、観客とゼロ距離で接するといったものも珍しくありません。
演劇とはきっと、役者も観客もその場にいる「人」が感覚を総動員して発信し、享受する限定的共同体なのではないかと感じている次第です。
そして、これらの感覚に付け加えると、脚本としての不明瞭さと同時に、役者の躊躇いのない曖昧な演技によって、互い(役者同士かつ観客と役者間で)に想像し合う余地と機会をその共時的空間に与え、演劇が生み出した(フィクションとして)人が生きる空間の奥行きとリアリティーを生み出し、肌で感じることができるのではないかと信じています。
ゆえに、役者の内面に重心を置き、役者本人が感じるままに(時に手を加えながら)演じてもらうことで、今回の舞台が生まれました。恥ずかしくもありますが、劇作家として「産みの親は自分だが、育ての親はあなた(役者)」と稽古場ではへらへらと薄ら笑いを浮かべながら発しておりました。
ちなみに、台本を有料部分にて公開いたします。若人に投資を惜しまない人がいらっしゃったら是非。

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