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『珠光の庵〜遣の巻〜』韓国語版インタビュー②

『珠光の庵 製作ノート』の特別編。インタビュー・その2 の掲載です。
インタビュー・構成・執筆:藤本瑞樹
※公演写真:脇田友

―僕は劇団衛星の作品を初めて観たのが2007年の『大陪審』北九州公演で、そこでの第一印象が「ユーザーフレンドリーな劇団」で、「演劇の可能性を拡張しようとしている」と思ったんです。劇団衛星って演劇の本質的な部分を純粋にやってるな、と感じたんですよ。で、「じゃあ俺が思う演劇の本質的な部分ってなんだ?」と考えたときに、究極的な言い方をすると、子供のときにやった「ごっこ遊び」のあの面白さだと思うんです。それをお客さんに届ける、というのを劇団衛星はやっているんじゃないかと。お芝居を観に来たつもりなのに、お茶会に参加してて、気がつけばみんなでお茶とお菓子をいただいていたとか、ロボットのコックピットに搭乗していたとか。そういう、ごっこ遊びのあの楽しさ、面白さを劇団衛星は届けようとしているんじゃないかと僕は思っているんですが、どうですか?

蓮行 なるほど〜。

植村 私は当時の「ユーザーフレンドリー」っていう感想を見たときに、「この人はわかってくれる人だ」って思ったんですよ。

蓮行 いやあ〜、この流れをバキッと行くけど、猛烈な誤解がありますね(笑)。えー、あのー、…………要は、言語的に説明できないんですよ。言語的に説明できないことを説明しようとすると、宗教になったり神話になったり哲学になったりするんですけど、我々の活動も実はそうで、まるっと合ってる部分と、まるっと誤解な部分があります。そもそも私は「ユーザーフレンドリー」というのはほとんど考えていない。一方で、お客さんがわからないと意味がないとも思っていて。

最近仲良くしている経済学者が出した本で『「闘争」としてのサービス』というのがあって、そこに書いてあるんですけど、メニューなし一食3万円というお寿司屋さんがあって、これが行くと死ぬほど緊張するんだって。まずなんて喋っていいかわからない。でも大将はぶすっとしている。「なんでそれに3万円払うのか?」っていう。じゃあ、「ユーザーフレンドリーにしたらお客さんは満足してくれるのか?」と。

植村 あ、いや、むっちゃ反論したい。ユーザーフレンドリーっていうのはそういうことじゃない。

―まあ、まず蓮行さんの話を聞いてみましょう。

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蓮行 でね、「劇団衛星はお客さんにこれを体験してもらいたいと思って、ユーザーフレンドリーにしているんだ」というメッセージが「ユーザー」に伝わると、誤解をさせてしまうな、と思っている。

―なるほど。僕も「蓮行さんがユーザーフレンドリーにしようとしている」と思ってはいないですよ。どちらかというと、結果的にそうなっている、というニュアンスですね。

蓮行 その寿司屋の大将は、「わしゃあお客のために寿司を握っとる」って思ってるし、実際そう言うんですよ。

―「ユーザー」のために。

蓮行 そう。自分のために握ってるわけじゃないから。食べてほしいっていうのと、一方で職人としての矜持で「自分の握った寿司がそんじょそこらのユーザーにわかってたまるか」というのもある。そういう矛盾した考えがあって、ユーザーににこにこして「いらっしゃいませ」とかは言えないんだけど、わかる客にはわかってもらえるとうれしいと思っている。……言語化できない部分を言語化しようとしているので、とっちらかった話と思うかもしれませんが。

植村 だからそれを「ユーザーフレンドリーだ」と捉えてくれたのが、「この人信頼できる」と思えた、ってことですよ。

蓮行 あーなるほど。わかるわかる。つまり否定したいわけじゃなくて、ベキッと折っちゃうような言い方になるけど、誤解をさせてしまうと困るなというのがあって。このインタビューを読んだ人が「劇団衛星ってお客さんを楽しませようとしてくれるのか」と思われかねないというか。それでふらっと来るとえらい目に合うこともあるので。だから植村さんも藤本さんも、言い当てている部分がある、とは思ってますよ。

植村 私は、劇団衛星のやっていることをお客さんに対しての「優しさ」だと思ったことはなくて、むしろ、「ちゃんと参加しろよ。消費者として、油断して見てていいわけじゃねえぞ」っていう気持ちがありますね。

―それが劇団衛星の「3万の寿司」だ、と。

蓮行 うん。

植村 まあ、私は「能動的に観た方が楽しいと思う」というのが根底にあって。だからそれが、本質的にごっこ遊びを楽しいと思っているから劇団衛星がこうなっているのか、っていうことなのかもしれないな、と今思いました。

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蓮行 僕らもストレートプレイに近い芝居はあるんですよ。お客さんが席に座ってじっと観る、というのもあるし。それは、僕の今の興味とか直感に従ってやっているんだけど、うちの俳優たちは極めて有能なので、それを体現できる技術があるから。「次はこれやるから」って言って「へえ〜」とか言って作れる。

比較的ストレートプレイに近い『サードハンド』という作品の場合は、(稽古場で)まずホワイトボードに情勢図を書いて、「国防軍の第○師団のどこにあり、第○師団はすでにレジスタンスに投じている」という説明をして、「いまのヘリコプターの技術は、こうなっているから、ここで起こっている事件について、神奈川の本部から四国まで何時間で来れるはずだから、こういう作戦行動がある」とかそういうことを彼らは一緒に議論するわけですよ。で、最後には「まあヘリコプターはもうちょっと速くなったっちゅうことでいいんじゃないですか」とかそういう話に落ち着くんだけど。あなたの言う「ごっこ遊び」に近いのかも。

―もうまさに創作過程に「ごっこ遊び」の面白さがありますけど、それを本気でさせる前提を用意するのが、蓮行さんはうまいんだろうなと思います。

蓮行 ものによってはそれをお客さんに客席できちんと観てほしいものもあるし、参加してほしいものもある。

―そうやって作っているからお客さんにもその本質的な面白さが届くんじゃないかなと思いました。届かない人もいるかもしれませんが……。


<続く>



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