見出し画像

世界線ジャンプ

100日間チャレンジ(いまでは110日間)の、35日目。
ようやくのお花見日和ですが、昨日の暴風に桜たちは耐えられたのでしょうか?
何だかここ数年、いつも桜が開花するタイミングで気温が下がったり雨が降ったりで、まともにお花見ができてないような…。
それでもケナゲに毎年、咲いてくれる桜さんには感謝しかありませんが。
なぜか最近、街路樹などが伐採され、無惨な姿をさらしているのを目にする機会が増えているような気がします。
もちろん、弱った木には枝の伐採が必要なこともあるのでしょうが。
やっぱり私は、残念な思いがしちゃうんですよねぇ。
だって昨今の国を始めとした公共事業とされるものの、利権を巡る力学の構図に私たち、もはやうんざりしてるわけで。
そんな中に、ケナゲに生きてる樹木たちを巻き込まないでぇ、って思っちゃうのも仕方ないですよねぇ?

ってなことで、今日はちょっと三次元寄りのとこから始めてみましたが。
さっそく昨日の続きに行きたいと思います。
「世界線」っていったい何なの?っていうのは昨日、説明したのでそれを読んでほしいんですけど(「世界線とは?」参照)。
要は私たちがイメージすることで、いま体験しているのとは別の世界線が生まれるわけです。
ただねぇ生まれただけじゃダメで、昨日もちょっと書きましたけど、その後もたまにフォーカスして、その世界線を「励起させとく」っていうか…。
まぁ分りやすく言うと、栄養をあげて、育ててく必要があるわけです。
実は、ここって「引き寄せの法則」とされる部分でもあるんですけど。
イメージとしては、石が坂道を転がり始めるときのことを、想像してもらうといいかもしれません。
最初は強風が吹くとか、人が蹴っ飛ばすとか、外から何らかのエネルギーが加わらないと転がり始めませんが…。
転がってくうちに、徐々に慣性の法則が働いてきて、やがて勢いよく転がり始める。
あんな感じで、最初のうちはたまにフォーカスすることで、その世界線にエネルギーを加えてあげないと展開していかない。
そのとき、どのようにフォーカスすると効率よくエネルギーが伝わるのかっていうと、波動を合わせることなんですよねぇ。
というのも、現実創造というのはいわば、共鳴現象に他ならないからです。
近似の周波数を持つ波動を向けることで、徐々に共鳴が起こってく。
つまり、すでにそこにいるかのような気分でその世界線にフォーカスしてやると、徐々に徐々に共鳴現象によってエネルギーが伝わていき、やがて励起して勝手に展開し始めるってことです。
ここでもうひとつ大事なのは、展開し始めた世界線に対しては、執着しないこと。
十分にエネルギーが伝わったら、そこから先は下手にいじらず放っておく。
つまり「ないないない」のエネルギーで執着するのではなく、「そうなったら嬉しいけど、別にどっちでもいいやぁ」くらいのおおらかさで、忘れちゃうくらいでちょうどいい。
そんなふうにできてると、ある日あるとき「世界線ジャンプ」が起き、その後は望んだ世界線を生きる自分になってるわけです。
でね、この世界線ジャンプって、実はかなり日常的に起きてて。
一日のうちに何回かジャンプすることも、フツーにあるみたいなんです。
でもまぁ、そんなことには私たち、ぜんぜん気付かず生きてますよねぇ。
それっていったい、どういうことなんでしょう?

結論から言っちゃうと普段、私たちが単独でしているような世界線ジャンプは、整合性が取れなくなるほどの大ジャンプではないってことです。
だから、いまとは正反対の自分になりたいと思ったら、粛々と小さいジャンプを繰り返してゆくしかなかった。

…とまぁ、今日のところはこれくらいにしときます。
どうして最後は過去形を使ったのかも含め、また後日。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?