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導いてくれる存在

なるほど、ラクでいていいんだわ。

別に「どういう私であろう」なんて、思わなくていいんだ。

起きるだろうことに、身構えたりする必要ないし。

誰の目も、気にする必要ない。

もちろん、犯罪は犯さないほうがいいけど。

法律が、必ずしも正しいわけでもない。

そもそも、正しいも、間違ってるもない。

すべては、どこに視点を置くか次第なんだ。

起きた現実を、どんなふうに受け取るのか?

それ次第で、本当にすべて変わる。

こんな、世紀末的な世界でも。

極楽の世界で、生きているのと同じ気分で、生きられる。

そういう、ことなのね。

たぶん、突破口は「白か黒か」といった、二元論から抜けること。

グレーがあってもいいし、赤も青も、他にもいろいろある。

つまり、何でもアリなんですよ、この世界。

それを、「こうじゃなきゃダメ!」ってやってるから、苦しくなる。

何でもアリ、曲がったキュウリも食べてみりゃ美味しい。

腐った豆も、よくかき混ぜておまんまに掛けて食べりゃ、最高の朝食になる。

でも…。

「食品添加物を摂取すると、体温が下がってガンになりやすくなる」

「精製された砂糖には、麻薬と同じくらいの中毒性がある」

これは毒、あれには害がある、解毒のためにはこれが必要…。

いまの世の中、過剰すぎる情報に取り囲まれていて、どれを信じていいか分らない。

私だって、つい昨日まで、そう思ってた。

でもね、信じるのは人じゃないよね。

自分だよ。

確かにいま、情報弱者になることは危険なことかもしれない。

だけど私は、必要な情報は、放っておいても入ってくると思う。

自分に必要なものは、自然と集まってくると思う。

「何言ってんの、この人?」って、思われるんだろうけど。

でも私、気付いたらいつの間にか、コンビニに行かなくなってた。

気付いたらいつの間にか、パンを食べなくなってた。

一時期はパスタばぁっかり食べてたけど、それも、いつの間にかやめてたし。

思い返せば甘いジュースや、アイスクリームなんかも、手に取らなくなってから何年も経ってる。

その代わり、一合のお米にティースプーン二杯ぶんのキヌアを混ぜて炊くのは、なぜか続いてるし。

一日二食も、いつの間にか身に付いてた。

毎晩、起きたら蒸留水が飲めるようにセットして寝るのも、苦にならないし。(たまに忘れるけど…)

別に決心したわけでもないのに、今年は冷たい麦茶はつくらず、お湯をわかしてお茶入れて飲んでいる。

そういう、「いつの間にか」とか、「気付いたら」が大事なんじゃないかと思う。

私たち誰もに、導いてくれる存在が、付いてくれてるってことなんじゃないかなぁ。

きっとね。

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