見出し画像

バウンダリーとは?

そうか、分った。
私、何か「伝えよう」と思ってこれ、書いてたけど。
それ、考えるのやめることにします。
「ニーズを分析したうえで何を書くか決める」とか、「多くの人が読んでくれるはずだからこのことについて書く」とか、そういう考え方は私には合わない。
もちろん、それが合う人を否定するつもりはないけれど。
私は、採用しないことに決めました。
ホントにねぇ、さまざまなキャラクターの人が、この世界には混在していて。
しっくりくるやり方も、人によって多種多様なんですよ。
ムッチャ当たりまえのことだけど、その選択権はあくまで当人にしかない。
だから、人に対して言っていいのは「こんなやり方もあるよね」って、選択肢を示すことだけで。(カウンセラーからの受け売り)
親の側がよくやってしまいがちな「こうしなさい」も「どうしてこうしないの?」も「こうすればいいじゃない」も、主権の侵害。
私は、そう思います。

バウンダリーって、日本語にすると「境界」ってことですけど。
たとえ親子のあいだでも、しっかり守らなきゃいけないものだと思います。
じゃないと私の子ども時代のように、子どもは親の所有物でしかなくなっちゃう。
そうなるともはや尊重も思いやりもなく、一方的に自分の価値観を押し付ける(押し付けられる)だけの関係性になり下がってしまう。
そういうマインドになると、ついつい出てくるのが「こうしなさい」や「どうしてしないの?」ですよねぇ。
だから、どんな関係性であろうと、人のこころの中には許可なく入り込んではいけないんです。
私、ようやくそれが少しだけ、理解できてきました。
でねぇ、改めて思うのは、日本人ってこの理解がない人がほとんどなんですよねぇ__。
かくいう私もつい数日前まで、そうでした。
バウンダリーという概念がないと、脳が「人より優位に立つ」ことを求めてしまいますから、抵抗なくそれに従ってしまうんですよねぇ。
日本人がおしなべて自己肯定感が低いのも、これが原因になっている部分が大きいんじゃないでしょうか?
バウンダリーを尊重しない親の元で育った人は、それが当たりまえになっちゃいますから。
どうしても自分に子どもができれば、同じようにしちゃうんですねぇ。
で、いま現在に至ってこの日本は、バウンダリーなんて気にも掛けない人ばっかりになってしまってる。
パワハラもクレーマーも、バウンダリーとは正反対のメンタリティーを持ってなきゃ、できないですもんねぇ。
言い換えれば、いまの日本の病理は「尊重と思いやりの欠如」とも言えるのではないでしょうか。
この病理から脱するためには、一人ひとりがバウンダリーを学び、相手を尊重する意識を持って人と接していくことしかないと思います。
私自身、過去の自分をしっかり反省したうえで、ここから先は人の「個」としての存在を最大限に尊重し。
不用意にバウンダリーを踏み越えないよう、注意していきたいと思います。
で、逆の立場でいうと「私はここからが不快なので、入ってくるのはここまでにしてください」と、しっかりと伝えることが大事だと思います。
これをすることは勇気がいるし、もしかしたら「傲慢だ」などと取られ、関係性が壊れることにもなりかねません。
でもそれを恐れていては、きっと居心地のいい対人関係なんて、つくれないのだろうと思います。
私はこれまで、この「傲慢」という言葉を恐れ、言われるがままに相手に合わせることが多くありました。
でもこれからは“ほめ言葉”だと受け止め、生き直そうと思います。
自分優先で、居心地よく生きてゆくためには、ゴーマン上等。
それがゆくゆくは「尊重と思いやりの日本」を、つくってゆくことになると信じて…。
そして、愛に満ちた世界は、その先に待っているのだろうと私は思います。
ここから先、やっぱりいいことしかないんじゃん!

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
お気軽にコメントも、お待ちしてます!

では、よい休日をお過ごしください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?