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意識の被写界深度

私は毎朝5時に起きて、まずは“モーニングページ”(朝の効能 part 2を参照のこと)を書くのだけれど。

最近、このときに必ず、高次から情報が下りてくるようになった。

別の表現をするなら、インスピレーションと言ってもいい。

つまり、モーニングページを書きさえすば、高い確率でインスピレーションが下りてくるようになったということだ。

そんなわけで、今日もかなり重要な情報を受け取ったので、忘れないうちにここに書いておこうと思う。

私の意識は、被写界深度が最浅状態のまま固定されてしまっているらしい。

どういうことかというと、ピントが合う範囲が極めて狭いまま、調整すらきかなくなっているということだ。

これは、常にちょっかいを出してくる母親を意識の外側に追い出すため、子供のときに合わせたもので。

以降、一度も動かされることのないまま、いまに至っているのだそうだ。

この、意識の“深度が浅い”状態が、どのような効果を私にもたらしているのかと言うと。

・目の前の“現実”にフォーカスを合わせる(フォーカスが合う距離感に自分を置く)ことが難しい。

・いったんフォーカスが合うと、深く集中し、深く理解することができる。

・フォーカスが合っている対象から、視線を外しにくい。

さらに「私には必要がない」あるいは「興味がない」と事前に分類してしまっているものが存在するらしく、そういったものにはフォーカスが合っても、無意識にそらしてしまうようで。

それによって「聞いているように見えていても(感じていても)、実は聞いてない」という状況が派生しているっぽい。

ちなみに、いったん視線をそらしてしまうと再び合わせることは至難の業で、不可能と考えていいくらいだそう。

さらに母親が“今ここ”におらず、“過去”にフォーカスしていることが多かった影響で、私にも常に距離感が一定の“過去”にフォーカスしやすい傾向ができているらしい。

ここまで書いたことすべて、かなり私の体感とも一致している。

まとめると、私は他の人と比べて、多くの事象にフォーカスできない。

その一方で、いったんフォーカスできれば、目の前の事象に深く自分を同期できるということ。

このことは私の個性として認め、これからは、これを前提として生きて行かなければならない。

さらに「必要がない」と決めているものに関しては、恐らく「それじゃなくてもほんの少しの対象にしかフォーカスを合わせられないのに、必要ないものに合わせたくない」という意識から来ているのだと思う。

でもこれによって、かなり多くの不具合が出ていることは確かなので。

これからは事前の選別はしないようにするか、あるいは大幅に減らすかの、二者択一をしなくてはならないけれど…。

どちらにするかは、しばらく検討期間を取って決めることにする。

さらに、“過去”にフォーカスしやすい傾向に対しては、発動する前に止めるテクニックを身に着けて行くことが大事だと思う。

方法論は、これから検討してゆく。

いずれにせよ、今日の気付きは、私にとってかなり重要なことだと思った。

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