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サンシャイン坂田の夜の高鳴り『芸人は人を笑わせる仕事じゃない』

芸人は人を笑わせる仕事じゃない 


キングオブコント2021の決勝を観た翌日、熱冷めらやぬ想いでこの文章を書いている。

日本屈指のコント師が、全国放送のゴールデンタイムで、人生をかけた珠玉のコントを、魂をぶつけあう。いかに面白くて素晴らしいコントか、そしていかに人を笑わせたか。本来数字化するのには難解な人間の感情を、歴史のレジェンド達からの想いと共に。優勝した空気階段、そして戦った全てのファイナリスト達、自分を含めた予選を戦った全出場者、なによりあの会場の熱を創ってくれた、お客様方の笑い声。全員で創り上げた、尊くて美しい一瞬の積み重ねが生み出した奇跡のような夜だった。

このコロナの世界が嘘みたいだった。そんなもん関係ねえ、全部笑い飛ばしてやる。てめえに構ってる暇なんてねえんだよ。芸人というよりも、人間の意地を、魂を感じた。そんな夜だった。

きっとこの夜を越えて、芸人を夢見た少年少女たちは少なからずいただろう。


話は34年前。
僕が生まれたのは、九州は福岡県の、外れも外れにある山近くのこれでもかという自然に囲まれた田舎町。最寄りのコンビニまでは川を渡った隣町で、車で15分。お菓子や生活用品を売ってる近所の唯一のタバコ屋さんは夜6時には閉まるし、レジは無くておじちゃんがそろばんで計算してた。そんな時間が止まったような、娯楽も何もない町で、僕の唯一の楽しみはお笑い番組だった。

小学校から家に帰ると、真っ先に新聞のテレビ欄に飛びついて、マーカーを引いた。面白そうな番組は全部チェックして、撮れるだけの番組をビデオに撮って、1番観たいやつを生で観た。そんな中、1番好きだった芸人さんはナインティナインの岡村隆史さん。岡村さんは、僕が芸人を目指したきっかけ、僕の人生に光を、そして素晴らしく狂わしてくれた、僕のスーパーヒーロー。
それこそ、めちゃイケからぐるナイをはじめ、色んな番組をかじりついて夢中で観てた。おもしろくてかっこよくて、そしておもしろくて。なんなんだこれ。なんなんだよと。番組を観てる時は嫌なこともなにもかも忘れて、ただただお腹を抱えて笑って。こんなに素晴らしい世界があるのかと。

僕はすっかりお笑いに夢中になってた。普段は大人しく人見知りで暗い僕が、取り憑かれたように真逆のお笑い番組にすがる様は、父親も異様に思っただろう。新聞を隠されたりもしたし、テレビを禁止されたこともあった。だが、それにもめげずに、もちろん毎日そんなに番組をビデオに撮ってたら、それこそテープが追いつかなくて、お小遣いを貰ったらビデオテープを買っていた。兄ちゃんや弟が誕生日プレゼントにゲームやプラモデルをねだる中、ビデオテープ10本セットをお願いしてた僕に、親は引いてたかもんしんないな。

その中に、歴代のキングオブコントやM-1、そして大好きな芸人さんたちが活躍するネタ番組があった。賞レースの独特の熱さ、まるでスポーツの試合のような、格闘技のような、ヒリヒリしたあの空気、真剣な眼差し、そしてあの熱狂と涙。僕も取り憑かれたように、食い入るように、芸人の生き様を見させてもらった。芸人は人生を命をかけて、人を笑わせる、なんてかっこいいんだ。信念のもとに、我が道を行く。侍だと思った。


そして、月日は経ち、僕は今、この吉本興業という事務所で、芸人として11年目を迎えている。

サンシャイン・坂田1

芸人として丸々10年、年に数回テレビに出れるぐらいで賞レースの結果も伴わず、世間一般の知名度からすれば、全くと言っていいほど売れてない。しかし、僕たちには劇場というものがある。売れてない若手芸人は、まずはメディアの前に、劇場での出番が主な活動になる。その出番を勝ちとるためにも壮絶なオーディションがあり、あの頃夢見た芸人はテレビのキラキラした一部分しか見れてなく、現実はしっかりと厳しい。

そんな中、お客さんを目の前に10年間、毎日毎日、劇場でお笑いの腕を磨いてきた。そして今、確信しているものがある。


芸人は、目の前のお客さんを笑わせる仕事だと思っていた。
スーパーヒーローのような、悲しみや苦しみを全て笑い飛ばしてくれる、最高にかっこいい存在。

違った。芸人は世界で一番、笑う仕事だった。
この10年間、僕は毎日毎日めっちゃくちゃ笑っている。
もちろん、金もなけりゃ思うようにネタも作れない、プライベートのことも上手くいかなかったり、そりゃ芸人にも人それぞれ色々あって、それぞれ悲しくて悔しくて涙を流す日もある。でも、それを圧倒的に凌駕する、笑う日々が確かにあった。

一般の世界では非常識だと思われる言動や、過去の壮絶な話など、僕らのこの世界じゃ全てが武器となる。地獄のような不幸話を意気揚々と楽屋で楽しく話してくれる先輩や仲間たちに、腹から笑う夜は何度もあった。ライブでも、もちろんネタライブでも、人のネタを見てめちゃくちゃ笑うこともしょっちゅうあるし、なによりコーナーで僕は何度も涙流して笑った。


ある日のコーナーで、目隠しをして大きな風船を抱きしめて、画鋲だらけの壁にどれだけ近づけるかというものがあった。要は根性試しのチキンレースみたいな。
実際はみんな、一歩進んで、「こえーー!!!」とビビるさまで笑いをとるという形だった。十分それでも盛り上がってたが、ある1人の男が挑戦したとき、空気が変わった。僕の相方、サンシャインのぶきよだ。

一瞬の出来事だった。のぶきよはなぜか、「うわー!!!!」と全速力で画鋲の壁にツッコみ、大きな風船は大きな音をたてて割れ、破裂音と共に吹っ飛ばされたのぶきよが横たわった。倒れたと同時に、腕からそれはそれは綺麗な細い血の噴水がピューと噴き出る。みんながやばいやばいと倒れたのぶきよをはけさせようと足を引っ張ったら、のぶきよは倒れて引きづられたまま、笑顔で「わっしょーい!!!!!!!」と叫んだ。

その瞬間、みんな膝から崩れ落ちて笑った。舞台の上の10人以上が、床をバンバン叩いて、地団駄ふんで、もうたまらなかった。会場のお客さんも満席の大爆笑。僕も笑い過ぎて死ぬかと思った。多分、あの場にいたみんなが「こんなバカなことある!?」と一瞬で共有したのだろう。ヒーヒー言って涙流して、笑った。あのとき、どれくらいアドレナリン出たんだだろう。
なんか脳みそが脳汁出まくって、ぐちゃぐちゃになったと思う。
のぶきよは腕が穴だらけになったのに、顔に包帯グルグル巻いて戻ってきて、それは死ぬほどスベッて、あんなにさっき大爆笑とって次の瞬間に大すべりで、頭がバグったんだと思う。それもそれで、最高だった。

サンシャイン・坂田2


こういう、あれ笑い死ぬかもと思う瞬間が何度も何度もある。
お客さん全然笑ってなくて、芸人だけ死ぬほど笑って変な空気になるときももちろんある。それでも涙流して、袖に戻って、「あ〜最高!バカすぎたなぁ、あのくだりもっかいやってや!」とか、もう正直ずっと笑ってる。
ライブの人前ではなく、楽屋なんかも含めたら本当にここじゃ言えないような話やくだりだったり、逆になんでそんなしょーもないことで笑ってんの?みたいなことで、僕らはゲラゲラ馬鹿みたいに笑ってる。こないだも、ただのシンプルイントロクイズや、変顔10連発見せ合うとか、もう本当にずっと中学の休み時間のように笑ってる。もちろん、真剣に信じられない熱量と試行錯誤で、この変顔の方がいいんじゃないかと何時間もみんなで議論したりすることもあるが、基本僕たちはずっと笑ってる。


芸人の仕事は人を笑わせることだと思ってた。
でも、1番の仕事は自分が笑うことだ。世界で一番笑ってる芸人は、世界で一番面白い。笑ってる人の周りには、笑ってる人が集まってきて、それがどんどん大きくなって、うねりのように笑い声が響いてる。歯茎剥き出しで、グッシャグシャに顔をしわ寄せて、笑うその景色は、尊く美しくて、永遠のような一瞬。僕は世界で一番笑いたい。最高の芸人になるために、最高に笑う日々を送っていきたい。



18歳、この世界に入ることに不安で不安で勇気が無くてどうしようもなかった自分に。


「おーい!とにかくいいからこっち来いよ。なんも心配ねえよ。一緒に遊んで、一緒にめちゃくちゃ笑うだけだ。聞いてくれよ、こないだこんなことあってさ。」


サンシャイン
2011年結成。坂田光のぶきよからなるコンビ。キングオブコント2019、2020準決勝進出。高い演技力と情熱で会場全体を沸きあがらせる青春コントが武器。ヨシモト∞ホールの看板芸人「ムゲンダイレギュラー」の一組。福岡県みやま市観光大使。坂田は、TOKYO FM/JFN系38局「SCHOOL OF LOCK!」3代目校長。著書に「この高鳴りを僕は青春と呼ぶ 」がある。


サンシャインINFO


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著者/ サンシャイン・坂田光

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