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平野貞夫 権力に屈した朝日新聞

朝日新聞はロッキード事件の真相を握り潰した

―― 平野さんは10年前に『ロッキード事件「葬られた真実」』(講談社)を出版した際、朝日新聞に掲載予定の記事がなぜかボツにされたそうですね。

平野 私はロッキード事件当時、前尾繁三郎・衆議院議長の秘書として事件に関わっていました。その後、前尾議長は私に「君が知った事実や必要な事柄などを記録に残しておいてくれ。それが、田中角栄君に迷惑をかけた、せめてもの僕の思いだ」と遺言しました。私はそれに従い、事件から30年後に『ロッキード事件「葬られた真実」』を出版したのです。しかし葬られた真実を紹介しようとした朝日新聞の記事もまた葬られたのです。

 まず事実関係を確認しましょう。1976年2月に発覚したロッキード事件では中曽根康弘元首相の盟友だった児玉氏に流れた「児玉ルート」が疑惑の中心でした。三木政権と与野党は真相解明のため、児玉氏ら関係者の国会証人喚問を求めました。しかし児玉氏の証人喚問は健康上の理由で実現せず、疑惑追及の矛先は児玉・中曽根以外に向けられ、角栄逮捕で事件は幕を引きました。

 ところが、児玉氏の証人喚問が実現しなかったのは、謀略だった可能性があるのです。児玉氏の証人喚問が決まった後、児玉サイドは「国会不出頭届」を出します。児玉氏の主治医だった東京女子医大の喜多村孝一教授が「国会出頭は無理」と診断したからです。

 児玉証人喚問の予定日だった2月16日の正午過ぎ、衆院予算委員会理事会はその日のうちに国会医師団の派遣を決定しました。医師団は午後10時ごろに児玉邸に到着しましたが、喜多村氏と同じように「重度の意識障害で証人喚問は無理」という結論を出しました。結局、このまま児玉氏の証人喚問は立ち消えになり、「児玉ルート」の真相は解明されることはありませんでした。

 しかし、その日の午前11時ごろ、喜多村氏は睡眠作用のある薬物を投与するために児玉邸に出向いていたのです。これは喜多村氏の部下だった天野恵市氏の証言です。

 国会医師団の派遣が決まっていない段階で、喜多村氏は児玉氏に意識障害を引き起こす薬物を投与しに行った。案の定、国会医師団は意識障害を理由に「証人喚問は無理」と結論を出した。あまりにも都合がよすぎます。

 児玉氏の証人喚問を潰したい何者か、それも「今日中に国会医師団が派遣されるはずだ」と見通せるだけの政治的立場にいた何者かが、事前に児玉氏の口を封じたのではないか。そして政界で最も児玉氏と深い仲であり、国会事情に精通していたのは、当時自民党幹事長だった中曽根氏です。

 私は本の中で、この事実を明らかにしました。すると、朝日新聞の記者が取材に来て、記事にすることになりました。記事の内容は、私と天野氏のコメントを紹介しながら、児玉氏の証人喚問が実現しなかった背景に喜多村氏の行動があった事実を明らかにした上で、何らかの謀略があったのではないかと疑問を投げかけるものでした。

 この記事は2006年7月27日の朝刊に掲載する予定で、前日26日の午後には担当記者から最終確認のゲラを受け取ることになっていました。しかし深夜、「『記事の内容が推測だ』という上司からの指示で掲載しないことになった」と連絡を受けました。私は直ちに編集局長と社会部長宛てに「朝日新聞はこれまで推測記事を載せたことがないのか」と公開質問状を送りましたが、返事はありませんでした。

 その後、8月5日の朝日夕刊に「児玉氏喚問見送り『謀略』」という記事が掲載されましたが、喜多村氏の行動や天野氏の証言などの核心部分は削除されました。児玉氏の口を封じた何者かが、その事実を明らかにする記事をも葬ったのだと思わざるをえません。

―― その何者かは誰なのでしょうか。

平野 それを考える上で重要なのは、児玉氏と中曽根氏の秘書を務めていた現東京スポーツ新聞代表取締役の太刀川恒夫氏です。実は朝日の記事では、太刀川氏との一問一答も掲載する予定だったのですが、不調に終わっていたのです。当然、記者は太刀川氏に「平野と天野はこう言っているが、どうだ」という話をしていたでしょう。

 この話を聞いた太刀川氏は、「名指しはしていないが、あなたに不都合な記事が出る」という趣旨のメッセージを中曽根サイドに伝えたのではないか。そこで中曽根サイドは朝日新聞に圧力をかけて、記事を握り潰したのではないか。そう疑わざるをえません。

「議会政治を健全たらしめるのは新聞の存在だ」

―― 朝日新聞は権力に屈した。

平野 朝日に限らず、日本のメディアは国家権力と癒着しているのです。現在、新聞テレビは部数と視聴率の低下に苦しみ、経営難に陥っています。その中で政府広報予算は貴重な収入源です。また日本の新聞テレビは共同経営です。メディアは政府から格安で電波を買って儲けている以上、まともに政府を批判できない。新聞テレビの経営分離ができていない国は、先進民主主義国の中では日本だけでしょう。メディアは権力にすり寄ることで、自社の生き残りを図っているのです。

 本来メディアの役割は「権力を管理する権力」、「社会の木鐸」です。メディアは社会正義を貫くためなら倒産を覚悟すべき職種なのです。しかし現在のメディアは本来の役割を放棄し、私利私欲のために権力にすり寄っている。そしていざという時は、国家権力と結託して特定の政治家を葬るため一斉にネガティブ・キャンペーンを張るのです。ロッキード事件や陸山会事件がその象徴です。これが日本社会の劣化悪化の元凶だと思います。

 大正時代の日本にイギリス型議会政治を導入した加藤高明(第24代内閣総理大臣)は、「イギリスの議会政治を健全たらしめているのは、ロンドン・タイムズ社の存在である」と日記に書いています。健全なメディアが存在しなければ、健全な民主主義は存在しえないのです。国民への情報伝達を担うメディアが狂えば民主主義も狂う。当然のことです。ロッキード事件でも陸山会事件でも、メディアは検察、政府のリークを一方的に垂れ流していました。これでは民主主義は死ぬしかありません。

田中角栄を葬ったのは誰だ

―― ロッキード事件から40年目の今年、平野さんは改めて『田中角栄を葬ったのは誰だ』を出版し、政治、行政、司法、マスコミの「権力の犯罪」を断罪しています。

平野 21世紀のマス社会では、マスコミの支援がない限り、国家権力が特定の人物を社会的に葬ることはできません。しかし国家権力と巨大メディアが結託すれば、自分たちに不都合な人物を社会的に抹殺することができます。私は田中角栄を葬ったロッキード事件こそ、その最初の事例だと考えています。

 実は田中角栄が逮捕される1週間前、当時の検事総長が前尾議長に「田中角栄に議員バッジを外すよう説得してほしい」と頼んでいました。議員辞職すれば逮捕しないということです。この時、前尾議長は私に「検察も有罪だという自信があれば、わざわざバッジを外せなどとは言ってこないな」と呟いていました。検察自身が物証もないまま、憲法違反と非難される免責自白の嘱託尋問調書だけで角栄を逮捕することに疑問を感じていたのです。角栄逮捕が「権力の犯罪」だったことは明白です。

 陸山会事件もその一例です。これは最悪の「権力の犯罪」です。政権交代が確実視された2009年の衆院選前に、検察は法解釈を曲げて小沢一郎民主党代表の公設秘書を逮捕し、小沢氏を代表辞任に追い込みました。政権交代後も、検察が正攻法で小沢氏を起訴できないと分かるや、一部の司法関係と民主党政権の弁護士たちの企みで検察審査会による起訴議決という手段に訴えて、小沢氏を強制起訴したのです。

 国家権力は「小沢一郎内閣総理大臣」の実現を阻止し、二度と立ち上がれないよう執拗に攻撃したのです。実際、当時法務大臣だった森英介衆議院議員は、ある会合で「陸山会事件は俺が検察にやらせたのだ」と自慢げに語っています。

 日本国憲法の理念は、国民を代表する政治権力が健全な議会制民主主義を行うことです。戦後民主主義と言われるようになっても、日本を支配してきた自民党、官僚、メディアは「民主主義が機能しない日本国家」の存続を望んでいます。彼らは「アメリカに依存しながら、自分たちの利権を温存したい」という病的な意識に憑りつかれているのです。そして国民は真実を知らされず、無意識の内にそれを黙認している。日本人は「対米従属シンドローム」に侵されているのです。

 このような日本国家の構造的問題が、日本に健全な民主主義を打ち立て、アメリカから自立しようとする政治家を潰すという「権力の犯罪」を生んでいるのです。そして国民もまたそれに拍手喝采を送っている。その結果、今や「権力の犯罪」はどんどん巧妙かつ極悪になり、日本の民主主義は危機に陥っている。しかし国民は何も気づかない。

 田中角栄を葬ったのは誰だ――究極的には我々日本国民自身である、私はそう思います。だから我々が自らの愚かさを自覚し、「対米従属シンドローム」を乗り越え、二度と「権力の犯罪」を生まないこと、それこそが我々の手で葬ってしまった田中角栄に報いる唯一の道のはずだ――私はそういう思いを込めて『田中角栄を葬ったのは誰だ』を書いたのです。

(『月刊日本』2016年8月号より)

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なお、7月2日に弊社より出版いたしました、平野貞夫(著)『田中角栄を葬ったのは誰だ』は、たちまち重版となりました。昨今の「田中角栄本」とは全く違う切り口になっています。ご一読いただければ幸いです。

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