ロッキード事件40年 事件の「もみ消し」を米国に要請した中曽根康弘

 40年前の昭和51年2月5日、朝日新聞は「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」と報じた。

 記事によれば、米上院の多国籍企業小委員会は米ロッキード社が多額の違法な政治献金を日本に行い、約21億円が児玉誉士夫に贈られ、約10億円がロッキードの日本エージェントとして丸紅に支払われたという。

 政界に衝撃が走った。ロッキード事件の発端である。

 約半年後の7月27日、田中角栄が「外為法違反」容疑で逮捕された。

事件の本命は「児玉・中曽根ルート」だった

 ロッキード事件は田中角栄逮捕で一件落着と思われたが、真相は闇に包まれたままである。40年後になって、NHKはテレビシリーズ「未解決事件」で、ロッキード事件を取り上げたが、事件の核心からは程遠いものだった。

 ロッキード事件とは、田中角栄首相がロッキード社の代理店である丸紅から請託を受け、全日空にロッキード社の新型旅客機トライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったとされた、受託収賄事件をさす。

 しかし、事件発覚の時点では、マスコミ報道のターゲットはロッキード社の秘密コンサルタント児玉誉士夫と、児玉と親しい関係にあった自民党幹事長中曽根康弘だった。ロッキード社は当時、児玉誉士夫・丸紅を通じて、対潜哨戒機P3Cと、民間航空機トライスターを売り込もうとしていた。

 防衛庁はロッキード社製対潜哨戒機P3Cを導入したが、この時点でP3Cは1機77億円、45機で計約3千5百億円と、実に巨額の税金が投入された。現在、自衛隊はP3Cを100機保有し、メンテナンス費用などを含めれば約2兆円もの国費が投入されたと言われている。

 ロッキード社が民間航空機のトライスターではなく、巨額の税金が投入され、取りはぐれのない次期対潜哨戒機P3Cの売り込みに全力を入れたのは当然だ。東京地検特捜部は児玉ルートとP3Cの捜査に力を注いだ。

 児玉ルートは自民党幹事長の中曽根康弘につながる。児玉事務所の秘書である太刀川恒夫はかつて中曽根の書生をしており、児玉が中曽根康弘と深い関係にあることは、政界で知らぬ者はいなかった。マスコミでは連日、児玉誉士夫・中曽根康弘の名前が報じられた。

なぜ「児玉ルート」が消えたのか

 不思議なことに、事件発覚後僅か10日ほどで、約21億円という巨額のコンサルタント料を受け取り、政界工作を行ったとされる児玉誉士夫にかかわる「児玉ルート」が、事実上、捜査の対象外になった。

 そして4カ月後、丸紅ルートの関係者が次々に逮捕され、7月27日に至り、東京地検は前総理田中角栄を逮捕する。事件発覚から僅か半年後に、ロッキード事件の主役は、児玉・中曽根から、丸紅・田中へと大きく入れ替わった。なぜ児玉誉士夫が、捜査の対象外になったのか。

 それは児玉誉士夫が「脳梗塞の後遺症のため重度の意識障害を起し、証人として国会における証人喚問に応じられない」という理由から、児玉に対する証人喚問が実現不可能になったからであった。

 事件発覚当時、マスコミは「児玉は埼玉の久邇カントリーでゴルフをしていた」と報じていた。さらにゴルフ場まで児玉を送ったとされる運転手が、マスコミの取材後謎の変死を遂げたという噂も流れた。

 確かなことは、児玉誉士夫の証人喚問が健康上の理由で不可能になったことから、東京地検の捜査が一瀉千里に丸紅ルートに方向転換したことだ。この結果、児玉は単なる脱税容疑で起訴されただけに終わり、事件の捜査は田中角栄に集中して、遂に田中逮捕へと突き進むことになる。

 最大の謎は、ゴルフをするほど元気だった児玉誉士夫の証人喚問がなぜ不可能になったのか、ということである。

 事件発覚4日後の2月9日、衆院予算委員会で証人喚問を行うことが決まる。証人喚問の期日は2月16日、17日の両日。証人は、児玉誉士夫、小佐野賢治と丸紅関係者の檜山広、松尾泰一郎、伊藤宏、大久保利春の4人、さらに全日空の若狭得治、渡辺尚次の2人の計8人だ。

 だが12日になって、児玉誉士夫が高脂血症の悪化により自宅で倒れたという。同日夕方、児玉邸の前で、児玉の主治医である東京女子医大の喜多村孝一教授が記者団に対し、「児玉様の症状から判断して、証人として国会に出頭することは無理です」と発言した。14日(土曜日)夕刻になって、児玉夫人名で児玉の「不出頭届」が衆院議長あてに届く。「脳血栓による脳梗塞後遺症の急性悪化状態により、国会での証人喚問は無理」との喜多村医師の診断書が添付されていた。

 衆院予算委員会理事会は週明け月曜日の16日午後7時、同日中の医師団派遣を決定した。午後10時、医師団が児玉邸に赴き、児玉を診断した結果、重症で証人喚問は不可能と判断する。

 しかし、衆院派遣の医師団が児玉邸を訪ねる数時間前、児玉の主治医喜多村孝一医師が秘かに児玉邸を訪ねていた。この重大な事実がなぜか不問に付された。喜多村医師は医師団が児玉邸を訪問する直前に、強力な睡眠作用と全身麻酔作用を起こすセルシンとフェノバールを児玉誉士夫に注射したのだ。

 当時、喜多村医師のもとで東京女子医大助教授を務めていた天野惠市氏が、この事実を平成13年、『新潮45』に手記を発表し、明らかにした。

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