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水野和夫 日本は「身分社会」になる

なぜ上海株式市場は急落したのか

―― 上海株式市場の急落により、世界の株式市場は一時、同時株安の様相を見せていました。その後、株価は持ち直したものの、市場は不安定な状態にあります。

水野 今回の混乱が中国から始まったのには理由があります。グローバリゼーションの時代になり、先進国は有り余って使い道のない資本を中国に投下し、工場をたくさん作ってきました。中国は「世界の工場」と呼ばれるようになり、海外への輸出を積極的に行ってきました。中国が今日まで急成長を遂げることができたのは、先進国が中国の製品を購入してくれたからです。

 しかし、先進国の需要には限界があります。先進国の消費者たちはテレビや自動車、あるいはTシャツやスニーカーなどの日用品を一通り購入してしまったため、これ以上の需要は見込めません。その上、アメリカのサブプライム問題や日本の派遣労働問題に見られるように、先進国では中間層が没落してしまったため、かつてのような消費ブームが再び起こることはありません。そのため、中国は他の市場を探す必要に迫られています。

 ところが、世界を見渡してみても、13億人の中国人を支えられる市場は存在しません。「アフリカに10億人の人々がいるではないか」という意見もありますが、彼らの内の8億人はサハラ砂漠以南に住み、大変貧しい生活を送っています。そこでは約4億1千万人の人たちが、国連が定める絶対的貧困者の基準、すなわち1日1ドル25セント未満で生活しています。彼らは中国製品を買いたくても買うことができません。それ故、アフリカには事実上、サハラ砂漠以北の2億人のマーケットしかないのです。しかし、北アフリカもテロなどによる政情不安のため、安定した経済秩序を期待することができません。

 このように、中国の外にはもはや大きな需要は残されていません。しかし、中国はこれまで多くの工場を作ってきたため、過剰な生産能力を持ってしまっています。例えば、2014年の中国の粗鋼生産量は8・2億トンでしたが、粗鋼生産能力は12・5億トンあると言われています。つまり、余剰生産能力が4億トン強もあったということです。粗鋼生産能力が過剰だということは、粗鋼を材料とする自動車の生産能力も過剰だということです。

 いくら生産能力があったとしても、需要が限られている以上、利潤を上げ続けることは困難です。利潤を上げることができれば、それだけ株価が上がるのは当然ですが、利潤を上げられていないにも拘らず株価が高いとすれば、それはいずれ株価下落という形で調整されることになります。今回の株式市場の混乱が中国発だったのは、中国が最も生産能力を積み上げてきたということであり、そしてついにその調整が始まったということです。

中国バブルは崩壊したのか

―― 中国は人民元の切り下げや利下げ、年金基金の株式投資などによって株価を維持しようとしています。

水野 彼らは人民元の切り下げによって輸出を伸ばし、過剰生産能力のはけ口にしたいと考えているのでしょう。しかし、先程も述べたように、中国の外にはそれほど大きな需要があるわけではないので、効果は限定的だと思います。また、利下げも一時的な「痛み止め」に過ぎません。ひとまず株価の下落を食い止めることができたとしても、それは本来あるべき株価からますます乖離するということですから、その後に来るショックはさらに大きくなると思います。

 中国が現在の混乱を収束させるためには、過剰生産能力を解消するしかありません。しかし、生産設備などをどんどん処分していけば企業は倒産し、実体経済に大きな影響を与えてしまいます。一度作ってしまったものを廃棄するのは極めて困難なのです。

 歴史を振り返ると、現在の中国と同じように生産能力過剰に陥った例を見つけることができます。それでは、かつては過剰な生産能力をどのように解消したのか。それは戦争によってです。戦争により生産設備などが物理的に破壊されることで、短期間の内に過剰生産能力が調整されてきたのです。私たちが生きてきた戦後の資本主義の黄金時代も、第二次世界大戦で失われた数千万人の命と引き換えにもたらされたものなのです。

 とはいえ、核兵器が誕生した現在では、もはや戦争をすることは不可能です。そもそも過剰生産能力は大都市に集中しているため、戦争によって過剰生産能力を解消しようと思えば大都市を攻撃するしかありません。しかし、大都市では多くの市民が生活しています。もし民間人を巻き込んでしまえば、すぐにインターネットに映像を投稿され、国際社会から厳しく非難されることになるでしょう。結局のところ、中国が過剰な生産能力を解消するには、実体経済に影響を与えないように気をつけながら、長い時間をかけて徐々に整理していくしかありません。

―― これほど株価が乱高下した以上、中国のバブルは崩壊したと見ていいのでしょうか。

水野 FRBのグリーンスパン議長は現役時代に、「バブルは弾けて初めて、それがバブルだったと認識できる。バブルの最中にはそれがバブルだとはわからない」と述べました。彼は同時に、「とはいえ、一つの目安として、短期的に株価が3割下がればバブル崩壊と見ていい」とも指摘しています。債券市場では「短期」と言えば1年のことを指しますが、株式市場は債券市場以上に値動きが荒いので、株式市場の場合は半年と考えていいと思います。既に上海株式市場は3割以上の急落を経験したので、バブルが崩壊したと言っていいでしょう。

 もっとも、これはあくまでも株式市場のバブルに限った話です。日本のバブル崩壊の際には、株だけでなく不動産価格も暴落しました。それ故、中国の場合も、不動産価格の暴落が起こった時に初めて中国経済のバブルが崩壊したと言えると思います。

アメリカの実体経済は回復していない

―― アメリカ経済は回復に向かっていると言われていましたが、上海株式市場の急落によりニューヨーク市場も大きな打撃を受けました。

水野 アメリカ経済が回復していると言われたのは、FRBが量的緩和を終了し、利上げに踏み切ろうとしているからだと思います。しかし、アメリカが量的緩和を終了できたのは、日銀が代わりに量的緩和を行ったからです。アメリカの株式市場がリーマン・ショック前の高値を更新できたのも、日銀と欧州中央銀行(ECB)が量的緩和を行い、ゼロ金利を維持してきたからに過ぎません。

 雇用を生み出しているのは実体経済ですから、株価は最終的に実物投資の利潤に見合ったものに収斂していきます。もし今回のチャイナ・ショックによってニューヨーク株式市場が1日に1千ドルも下がらなければ、アメリカの株高は実体経済を反映したものだと言えたでしょう。しかし、1千ドルも下がったということは、利潤が増加していたのはウォール街だけであり、ウォール街の景気回復をアメリカ全体の景気回復と錯覚していたということです。

―― これまで日本も株高でしたが、今回のチャイナ・ショックによって大きな打撃を受けました。日本の現状についてはどのように見ていますか。

水野 アメリカや中国と同じように、日本の株価もいつまでも実体経済と遊離しているということはありません。いずれ実体経済に見合ったものに調整されていくと思います。

 今、日本政府がしなければならないことは、これまで掲げてきた「企業のROE(株主資本利益率)を8%にする」という目標を取り下げることです。ROEとは、株主資本を使ってどれだけの利益が得られたかを示す数値のことです。これは本来、ゼロ金利政策とは両立しません。ゼロ金利とは、マーケットでの利潤率がゼロになるということです。マーケットで利潤を上げられないような状態にしておきながら、ROE8%を目指せと言っているわけですから、明らかに矛盾しています。

 このような矛盾した政策が表面的であれ成り立っているのは、量的緩和を行っているからです。そうすれば、ROEが8%以上ある企業のPBR(株価純資産倍率、株価/一株当たり純資産)が高まることによって、株高が維持できるからです。

 また、ROEを高めるためには利益を出す必要があるので、企業は労働者の賃金を低く抑えようとしています。安倍政権が派遣法を改正したのもそれを後押しするためでしょう。これまでの派遣法では、労働者は3年以上派遣されると、派遣先に直接採用されることになっていました。ところが今回の改正により、たとえ3年間勤めていたとしても、別の課に異動させれば再び派遣労働者として雇用できるようになりました。これでは「非正規の終身雇用」と言わざるを得ません。これにより日本の格差はますます拡大していくでしょう。

資本主義の終焉を直視せよ

―― フランスの経済学者、トマ・ピケティの『21世紀の資本』が日本でベストセラーになったのも、格差に対する危機感からだと思います。

水野 かなり以前に東大生の両親の年収が慶應大学の両親の年収を抜いてトップになったことからもわかるように、日本では教育格差が生じています。また、このままいけば、ピケティが指摘しているように、2100年には相続の黄金時代が来るでしょう。

 日本では既に、教育資金の一括贈与については、30歳未満の孫一人当たり1500万円まで非課税となっています。また、消費税が10パーセントに増税される際には、住宅の贈与についても最大4500万円まで非課税となります。

 その一方で、金融資産を保有していない二人以上の世帯の割合は1990年代になって急増し、2014年時点で30・4%に達しています。1987年には3・3%だったことからすれば、驚くべき急上昇です(左頁図参照)。また、年収200万円以下の人たちも1千万人を超えています。年収200万円で生活することは困難ですが、共働きであれば年収400万円になります。安倍政権が「女性の活躍」と言っているのは、女性も年収200万円以下で働き、家計を支えろということでしょう。一方で働けと言っておきながら、他方で子育てもしろと言っているわけですから、滅茶苦茶です。

 要するに、安倍政権はフランス革命以前のような階級社会を作りたいのだと思います。当時のフランスには、第一身分・第二身分・第三身分という階級が存在しました。政治は圧倒的少数である第一身分・第二身分の人たちのためだけに行われていました。これが安倍政権の目指す社会です。自民党は名前を変え、「第一身分党」にした方がいいでしょう。

 ピケティはこのような階級社会が生まれることを防ぐために、資産に対する年次累進課税の導入を提唱しています。しかし、年次累進課税とは現在の資産に対する課税であり、その資産が過去何十年にわたってどのように蓄積されてきたかは問題にされません。その資産が相続によって受け継がれてきたものであったとしても、その相続自体は正当化されるということです。

 それ故、私は、例えば不動産であれば、取得原価と今の評価の差額にも課税する必要があると考えています。もちろん1日で全て払うのは難しいので、長い時間をかけて少しずつ回収していくことになります。

―― 税金をより多くとるためには、国家権力を強化する必要があります。しかし、強大な権力は往々にして恣意的な政治を行いがちです。金持ちから税金をとって低所得者に分配できる権力は、低所得者から税金をとって金持ちに分配することもできるはずです。

水野 それは市場の弊害と、国家が管理することの怖さ、そのどちらを取るかということだと思います。市場原理主義者たちが理想とするような、市場と国家の役割が9:1であるような社会には大きな問題があります。かといって、市場と国家の役割が1:9になるとすれば、それもまた問題です。上手くバランスをとることが重要になると思います。

―― 今後、資本主義社会はどのように進んでいくと考えられますか。

水野 もし中国の株価だけでなく不動産価格も暴落すれば、中国もゼロ金利になります。これにより世界中がゼロ金利となり、ついに資本主義は終焉を迎えるでしょう。

 この流れに抵抗することは、人間の力では不可能です。社会は「変わる」ものであって、「変える」ものではないからです。時代はいつしかガラリと変転していくものなのです。オランダの歴史家であるヨハン・ホイジンガは『中世の秋』という著作で、中世から近代への移行を論じました。私たちもまた、「中世の秋」ならぬ「近代の秋」の只中にいるという認識を持つ必要があります。

(『月刊日本』2015年10月号より)

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