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風格ある円柱が金色を絵のように切り取る…新宮熊野神社「長床」の大イチョウ(福島県喜多方市)

これまで撮影した紅葉の写真を見ていたら、昨年(2022年)11月21日撮影の喜多方市新宮熊野神社の大イチョウの写真が出てきました。

新宮熊野神社長床って?という方は、喜多方市観光協会のホームページにどうぞ♪

残念ながら紅葉の盛りは過ぎていましたが、その分、枝に残った葉が金色の線香花火のようで、これはこれでいい感じ?と自画自賛(;^_^

長床への写り込みもきれいでした。

長床の大イチョウの紅葉は、喜多方市内のほかのイチョウに比べ、かなりスローテンポなのですが、今年はさすがに落葉していると思われます。全くタイムリーじゃない情報で申し訳ございませんm(_ _)m

金色の光のようです。

平安時代後期、前九年の役の戦勝を祈り、熊野の神を勧請

ここで、Wikipedia情報をもとに新宮熊野神社の歴史を簡単にまとめますと…

新宮熊野神社の歴史は、平安時代後期に遡ります。
陸奥国奥六郡(岩手県北上川流域)の土着豪族、安倍氏が朝廷に対して「叛乱」ととられかねない不穏な動きを起こします。いわゆる「前九年の役」のはじまりです。

その安倍氏を討伐するため、陸奥守として奥州へ赴いたのが、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝のご先祖にあたる源頼義でした。
頼義は天喜3年(1055)、戦勝祈願のため、熊野堂村(会津若松市)に熊野神社(熊野三山)を勧請。それが新宮熊野神社のはじまりといわれているそう。

その後、後三年の役の際、頼義の子である“八幡太郎”こと源義家が現在地に熊野新宮社を遷座・造営します。
同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営。のちにこの2社は新宮社に遷され、その後は本宮・新宮・那智社の3社を祀るようになったそう。

立派なしめ縄

最盛期には300余の末社や寺院・霊堂が立ち並び、100人以上の神職がいたともとも言われる新宮熊野神社ですが、その歴史は他の多くの寺社同様、衰退と再興の繰り返しでした。

平安時代後期に衰退するも、源頼朝が200町歩の領田を与えたことで、勢力を取り戻します。
この地に熊野神社を遷宮した源頼義・義家父子は、頼朝さんのご先祖。ご先祖が勧請した神社を再興したいという思いもあったのでしょう。

しかし、余談ですが、源氏といえば、義家さんといえば、八幡神社では? 福島県内には各地に「源義家公が戦勝祈願のため勧請した」と伝わる八幡神社が多数鎮座されていますが、なぜに喜多方市では熊野神社? 

……などと書いていると先に進まない。先へ進みましょう。

戦国時代には新宮氏の庇護を受けますが、同氏が会津の蘆名氏に滅ぼされると、再び衰退。戦乱の影響もあり、社殿も荒廃していったそう。

慶長年間には蒲生氏郷の子で、会津領主となった蒲生秀行が50石を支給。

しかし、慶長16年(1611)の会津地震で、本殿以外の建物はすべて倒壊。3年後の同19年、時の会津領主蒲生忠郷が、かつてよりも一回り小さい拝殿(長床)を再建します。それが現在の長床なのだそう。

会津松平氏時代は、たびたび藩主の代参が行われましたが、明治初期には、廃仏毀釈のあおりを受け、多くの仏像や文化財を紛失。

現在は神社近隣の集落の人びとが保存会を結成し、維持管理をおこなっているとのこと。御朱印もたぶん保存会の方が書いてくださっています(数年前から御朱印をいただかなくなってしまったので、現在は変わっているかもしれませんが)

※通常は宝物殿を含む拝観料300円がかかりますが、ライトアップ期間中は無料となります。変わっているかもしれないので、ご確認の上、おでかけください。

円柱が金色のイチョウを切り取る…吹き抜けの拝殿「長床」

以下写真でご紹介♪
鳥居から長床と大イチョウを写す。正面に見える吹き抜けの建物が長床です。

杉木立越しに見える金色の光

「長床(ながとこ)」と呼ばれるのは、吹き抜けの拝殿。正確な建立時期は不明とのことですが、型式・技法から平安時代末期から鎌倉時代初期には拝殿として建てられたといわれています。

前述しましたが、慶長16年の大地震で倒壊したため、元の木材を用いて3年間に再建。そのため、一まわり小さい建物になってしまったそう。
昭和38年(1963)、国の重要文化財に指定。その後、修復がおこなわれ、かつての姿を取り戻したといわれています(ここでの「かつての姿」は、慶長19年に再建されたときの姿でしょうか?)

長床の平面は間口27メートル、奥行き12メートル。その名の通り長方形の建物です。直径1尺5寸(約45センチ)の円柱44本が約3メートルごとに10列×5列並び、柱と柱の間に壁がなく、吹き抜けとなっています。

柱の上の組み物などにも特徴があるらしいのですが、しっかり解説できないので、それについてはこのへんで……とお茶を濁します。

屋根の茅葺き部分が分厚い! 軒の垂木もいい感じです。
現在の長床は約400年前の慶長年間に再建されたものですが、木材は「旧材を使った」とのこと。つまり現在の柱や床などは400年以上前から伝わるもの。確かに長い歳月を経てきたものが持つ風格を感じます。

長床の最大の魅力は吹き抜けであること。そのため、柱と柱がフレームとなり、金色に輝く大イチョウの美しい姿を1枚の絵のように切り取って見せてくれます。先ほども書きましたが、床への写り込みも美しいのです。

もちろん、茅葺き屋根と大イチョウの組み合わせの素晴らしさはいうまでもなく。

等間隔に並ぶ直径約45センチの円柱。

床も柱も金色に輝く。

金色に光り輝く樹齢約600年の大イチョウ

長床前にそびえ立つ大イチョウは、高さ約30メートル、根本まわり約8.1メートル。樹齢約600年といわれる巨木で、紅葉の時期は遠くからでも一目で「長床の大イチョウ」とわかる存在感を放っています。

特にライトアップの時間帯は、暗闇と鬱蒼とした社叢のなか、金色の光が浮かび上がるよう。幻想的で神々しい姿を見ることができます。

金色のイチョウを背景に狛犬さん。ライトアップ時期の激混みに狛犬さんもびっくり?

うーん…もうちょっと明るくしてもよかったかな?

見ごろの時期には、その姿をなんとかレンズに収めたいというフォトグラファーが県内外からプロアマ問わず集まり、「人が入らないように写す」のは至難の業かも(;^_^

下の写真は「ならばいっそ、人を入れて」と撮影した1枚。イチョウを背景にスマホでツーショ撮影中のおふたりさん、無断でモデルにしてごめんなさいm(_ _)m

残念ながら今年は諸々の事情により遠征はかないませんでしたが、いずれは塩川町→喜多方市の蔵を撮影→喜多方ラーメンを食す→新宮熊野神社「長床」の大イチョウライトアップを撮影…と「秋の喜多方観光スポットめぐり」を正しい(!?)ルートでめぐりたいと目論んでおります。

……塩川町→喜多方市の蔵を撮影→山都町のそば祭りへ→新宮熊野神社「長床」→喜多方ラーメン…もいいかも? 

だけど、喜多方ラーメンのお店は、その時間には閉店かも? 

ということは、喜多方市か会津若松市で一泊→喜多方ラーメンで朝らー→塩川町→喜多方市の蔵を撮影→山都町のそば祭り→新宮熊野神社「長床」かなあ?

などと、構想だけが膨らんでいく…。ぜひとも、この構想を現実にしたいものです。

いただいたサポートの半額は、跋扈するニセアカシアの伐採をはじめ里山保全に取り組む日本野鳥の会郡山支部に寄付いたします。残りの半額は、生態系に関する活動をされている方の取材費(おもに交通費)に使わせていただきますので、サポートよろしくお願いいたしますm(_ _)m