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『魔女の遺伝子』第五話「逃走」

既出の登場人物

エリザベス・アヴェリー:愛称リサ。本作の主人公。やや背が高い銀髪の女子高生(ヴィジュアルはヘッダー画像右)。政府の少子化対策の一環として作られたクローン人間の一人。本人も彼女の友人もそのことは知っている。

ヴァネッサ・ハートリー:誘拐されたリサの前に現れた白衣を着た赤毛のグラマーな女性。肘から先を自在に変形する能力を持つ。

ナタリー・ホワイト:愛称ナターシャ。500年前に迫害を受けていた能力者を束ね、国家転覆を企てた少女。国に甚大な被害をもたらすも、最終的に捕らえられ処刑された。リサのクローン元。

 しばらくしてドアが開いた。そこに現れたのは長身で髪の短い金髪の美青年だった。服装はいたって普通。ジーンズに白いTシャツ、その上に黒いジャケットを羽織っていた。靴もちょっとお洒落なスニーカーで、研究施設と思われるこの場所には似つかわしくないカジュアルないでたちだった。


「エリザベスさん、紹介するわ。彼がさっき私と喋っていたクリスよ」
 ヴァネッサは少し口角を上げてそう言った。
 この男がクリス。リサの想像よりずっと普通で、醸し出す雰囲気もヴァネッサに比べてずっとまともに見えた。
(見た目は優しそうだけど、この人の目的もヴァネッサと同じ……)

 リサは依然身構えたまま、何も言葉を発しなかった。この男はヴァネッサの仲間。ならその目的も同じはず。状況は何も変わっていない。むしろ悪化したといってもいい。ただでさえ逃げられる保証がどこにもないのに増援を呼ばれたのだ。絶体絶命。なんとかして逃げないと、また何かされてナターシャの人格を引き出されかねない。


 クリスはヴァネッサの方を見た。
「あとは俺がなんとかする。お前は指令室に戻ってくれ」
 彼の言葉を聞いて、ヴァネッサは不思議そうな顔をした。
「なんで? ナタリー様にお会いできるかもしれないのに」
「妙な期待はするな。今すぐナターシャの人格を取り戻せるわけじゃあない。お前だってわかっているだろう? それに説得するならお前はいないほうがいい」

 クリスが遠回しに邪魔者扱いするような態度をとったので、彼女はあからさまに不機嫌になった。
「どういう意味? 喧嘩売ってるの? 私がいたら都合悪いことでもあるわけ?」
 クリスの真意はともかく、ヴァネッサは厄介払いのような扱いを受けたことにかなりご立腹の様子だった。

「二人きりでないとできない話もあるってだけだ。俺を信用しろ」
 クリスは彼女を突き放しているようにも見えた。
「……ふん。いいわ。私もあなたに比べればまだ若いですから、ここは年長者の命令に従うとします。ええ、従いますとも」
 ヴァネッサは嫌味ったらしい言い回しで言葉を返すと、不服そうな顔でドアの前まで歩いた。そして振り返ると、クリスを睨みつけた。
「でもいい? ここでの立場は私の方が上よ。それだけは忘れるんじゃないわよ」
 彼女は捨て台詞を吐いて出て行ってしまった。

(年長者?)
 リサは疑問に思った。クリスは自分と同年代に見えるし、ヴァネッサは髪や肌こそ若々しいが、雰囲気は三十代半ばぐらいに見える。いったいどういうことなのか。しかしそれ以上に気になったのは彼らの関係だ。

 二人の仲は決して良好とは言えなさそうだし、クリスにはヴァネッサのような滲み出る邪悪さも感じられない。容貌だけでなく声や立ち居振る舞いも、とても悪人には見えなかった。本当に仲間なのか怪しいと感じるほど、クリスは真っ当な人物に見えた。

 リサの頭が疑問で埋め尽くされる中、クリスはゆっくりと彼女に近づいた。リサは警戒したが、逃げ場がないためただ全身を硬直させるしかなかった。
 目の前に立ったクリスは少しかがんで、リサの耳に口を近づけ、ささやくように言った。
「逃げるぞ」
「え?」

 クリスの口から出た言葉は意外なものだった。確かに逃げると言った。彼はこの施設の側の人間であり、ヴァネッサの仲間のはず。リサの中にあるナターシャの人格を蘇らせ、それでもって社会に復讐をしようと企んでいるいわばテロ組織の人間。それがせっかく捕らえたリサを逃がそうとしている。

「静かに。気付かれるぞ。……ほら、お前が履いていた靴だ」
 クリスはリサが誘拐されたときに履いていた靴を懐に隠し持っていた。彼はそれを床に置いて向きを揃えた。
「服と鞄はさすがに隠し持ってはこれなかった。すまないがこれだけで我慢してくれ」

 リサはクリスが何を言っているのかさっぱりわからなかった。対してクリスは想定済みという面持ちだった。
「なぜ自分を助けるのかわからないって顔だな。安心しろ。信用できないと思うが俺は君の味方だ」
「……」
 彼女はわけがわからず口を開けて沈黙してしまった。クリスはかまわず続けた。

「ここから指令室までの所要時間はだいたい三分ってところだ。もうじきヴァネッサが到着する。この部屋のカメラは君の後方の天井にある。常駐している監視員もまだ状況を察知していないはずだ」
「え? え?」

 靴はカメラから見て死角にある。まだバレていないということらしい。そしてクリスがなぜ自分を逃がそうとしているのかはわからないが、彼の話ではもうほとんど時間が残されていない。

「家に帰りたくないのか? 能力が覚醒していない今の君では、どうあがいてもここから出られないぞ。俺について来るんだ」
「は、はい」
 焦りからか、直感からか、リサは反射的にクリスの申し出に応じた。彼女はすぐにベッドから降り、靴を履いた。

「よし、行くぞ。この部屋を出たら右方向に真っすぐだ。そのあとは俺の後について全力で走れ。いいな」
「はい」
 今はこの男を信じるしかない。彼の言う通り、リサには逃げる手段なんてないのだから。それになんとなく、この男は敵じゃない気がした。会話を交わしてもなお、社会に対する復讐を考えるような邪念は感じられなかった。

 クリスが扉の脇にある端末に指をかざずと、プシュっという音とともに扉が横に開いた。彼は軽く振り返り、右手で進行方向を指さした。リサが頷くと彼は頷き返し、その方向へ走り出した。


 そのころヴァネッサは指令室の手前まで来ていた。そしてちょうど指令室のドアまであと十歩ほどのところで、緊急事態のアラート音がけたたましく鳴り響いた。

「!? なに!? どういうこと!?」
 突然の出来事に彼女は驚き、辺りを見回した。そして急いで指令室のドアの前まで走り、ドアを開けた。

「何があったの!?」
 ヴァネッサが大声で問いただすと、施設内監視用モニターの前に座っている数名の監視員のうち、一人が振り返り声を上げた。

「所長! 緊急事態です! クリス様がナタリー様のしろを連れて逃げだしました!」
「なんですって!?」
 彼女はモニターに駆け寄り、そのうちの一枚を注視した。そこには確かにクリスとリサが走る姿が映し出されていた。

「どういうことよ!? なんでクリスがあの娘を連れて逃げてるの!?」
 ヴァネッサは激昂した。クリスが裏切るとはまったく予想していなかったのか、目に見えて取り乱していた。彼女はすぐさま近くのマイクを掴んだ。
「緊急事態発生!! クリストファー・ブライアント、エリザベス・アヴェリー両名が逃走!! 各員、担当ゲートを封鎖し二人の脱走を阻止しなさい!!」

 号令は館内の戦闘員に伝えられた。
 ヴァネッサの目的は二人を拘束すること。つまり脱走を確実に阻止すれば勝利となる。それをふまえ、彼女は施設内の警備を各ゲート付近に集中させた。

「追跡は私が直々にするわ! 今から二人の位置を逐一伝えなさい! いいわね!」
「「承知しました!」」
 ヴァネッサは直接二人を追うことにして指令室を出た。

「クリス……。この私をコケにするなんて……。許せない。ナターシャ様の左手を保存したあなたでも、私の悲願を邪魔するのだけは絶対に許さないわ!」
 ヴァネッサは通信の受信機を右耳に取り付け、二人がいた部屋の方へ走りだした。


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