あの頃のヒップホップは

私が夢中になった90年代初頭のヒップホップ/ラップミュージックでは、いつも誰かが“痛み”を表現していた。

Tragedyのシングル曲"Grand Groove (Remix)"は冒頭で自分の人生を(産まれた時の記憶があるという詩的な演出込みで)振り返りながら、今はなきストリートの仲間たちや家族へ捧げたメッセージが展開されてゆく。

同じく彼のシングルヒット"Street Life (Return of the Life Mix)"は、シングルマザーとなった少女の悲劇や、ストリートのハスリングで命を落とした人々の物語を描いてゆくものだ。もちろん彼らとは状況が異なるが、明らかに他人より貧しい育ちで、中学生の時国家権力に自分の家を更地にされるという経験をした自分は、当時彼らの痛みのメッセージをどこか自分に重ねながら聴いていた。

Naughty by Natureみたいにラジオで爆発的なヒットをしたアーティストも、ゲトーの痛みを曲にしている。"Everything's Gonna Be Alright"は幼少期の荒廃したストリートでの経験、父親のいない苦悩をTreachが詩にしたものだ。

大ヒットしたToo Shortの"The Ghetto"もシリアスにまとまっている。

Geto Boysの"Mind Playing Tricks On Me"はゲトーに苛まれ幻覚に襲われる彼らを表現したもの。

映画『Menace II Society』('93)のサントラ"Straight Up Menace"は、映画の内容にあわせるように、MC Eihtの凄惨な幼少期を述懐したもの。

G. Rapの"Streets of New York"では端正な映像的表現でニューヨークのストリートで起きている現実を淡々と描写してゆく。

Parisの"Assata's Song"は、Tupacの叔母でブラックパンサー党員のAssata Shakurを引用に、アメリカで苦労する黒人女性たちへの愛を語った女性賛歌だった。

大ヒットしたWuの"C.R.E.A.M."も凄惨なストリートで成り上がってゆく姿勢を示したものだ。ここには確かに彼らの痛みが表現されている。

これらの曲は今パッと思いついたものを挙げただけだが、当時は冗談じゃなく、こんな曲がラジオでも溢れていたし、ヒップホップとはこういうものだと思っていた。自分たちの生い立ちを表現することでアートになるのだと。

ところが今のヒップホップ/ラップと呼ばれる音楽はどうだろう。というかこんなのもう10年ぐらい言っている気がするが、完全に何か別物になってしまったように映ってならない。少なくともメインストリーム市場ではポジティヴなメッセージが忌避される傾向にあるように思える。アーティストも豊かになって言うことがなくなったのか、ポジティヴな曲を作る動機がそもそもないのか、レーベルから売れないものは作るなと言われているのか、全ては謎だが、本当にポジティヴな内容を見聞きすることが少なくなったように思えてならない。例えばよくコンシャスと評価されるKendrick Lamarというアーティストがいるが、彼が最近出したのはこんな曲だ。

"Family Ties"というタイトルは普通に読めば「家族の絆」だろう。つまり、このタイトルだけ見ると、おそらく家族の物語やファミリーヒストリー的なものを聴かせてもらえるのではないかと多くは想像したと思う。ところがどっこい、この曲は、「家族の絆」とは何の関係もない、精々「仲間のつながり」程度の意味である。また、フックのラインを聴けば、そこに登場するおびただしい数のbitchという語。これは"jump in that bitch" , "thumbin' that bitch" , "cum in that bitch"という連呼を聴けばわかるが、女性を車に喩えた曲だ。つまりbitchを代名詞として「モノ」扱いしている。

「家族の絆」というタイトルで「ビッチに乗って、ファックして」というような曲を聴かされることになるとは想像していなかった。いや、表現とは時に驚きをもって迎えられるものだ。想像していない方が悪いのかもしれない。もはや何が正解かはよくわからない。

何でこの曲でこのラッパーたちは携帯を二台持ちすることを仄めかして、車でビッチたちをヤルことを誇っているのだろう? 何で今私は浮気を示唆するような曲を聴いているのだ? 世間では彼は「コンシャスラッパー」だったのではないか? 何でこのラッパーは「政治的なギミック」や「一夜づけの活動家たち」を避けることをボーストしているのだろう。『To Pimp a Butterfly』('15)の発表後、彼を聖人君子のように祭り上げ、史上最高のヒーローのように盛り立てていた人たちは、この曲を聴いて何を思うのだろう。というかそもそも以降もずっと聴いているのだろうか。色々な思いが頭をよぎった。

少なくとも、私が90年代前半に衝撃を受けてのめり込んだヒップホップと、これらのヒップホップ/ラップと呼ばれているものは、何か別物のように感じてならない。答えは出ないが、最近頓に過日の日々を思い出してしまう。


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