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9.自閉症の生徒とクラスメイト:イタリアの学校のインクルーシブな学習環境づくり|フルインクルーシブ教育の現場を訪ねて~イタリア・ボローニャ滞在記~|大内紀彦

2023年の10月から12月までの3か月足らずの期間、2週間に1度ほどの頻度で自宅のあるボローニャから列車に乗り、アドリア海沿いのリミニからほど近い小さな町に通った。本連載の第3回と4回で取り上げたボローニャ大学の「支援教師」養成講座を担当していたアリーチェ・イモラ先生が、支援教師としてこの町の小学校に勤務していたからだった。実際にその町を訪ねてみると、その小学校は町一番の美しい広場に面していて、中央には円形の噴水が片隅には18世紀に建立されたアーチ型凱旋門が残されていた。

ぼくを受け入れてくれたクラスは、イタリアの小学校では最高学年にあたる5年生のクラスだった。合わせて5度にわたる学校訪問となったが、その間、イモラ先生とクラスに関わる先生方の厚意により、通常の授業に参加させてもらえたばかりか、日本の特別支援学校を紹介する授業をぼくが行ったり、先生方と一緒にクラスの生徒を引率して運動競技会に参加したり、さらには校長先生にインタビューをさせていただいたりと、限られた時間のなかで様々な体験ができた貴重な機会となった。

クラスには障害が認定された3名を含む23名の生徒が在籍していた。下に掲げた時間割表に示されているようにすべての授業に支援教師か教育士、あるいはその両方が加配されていた。障害が認定された生徒のうちの2名は、日常の学校生活の様子を見るかぎり、事前情報がなければ障害の有無をにわかには判断しかねる生徒だった。障害認定を受けている3名のうちの一人がどの生徒であるかは、初日にクラスに入ってすぐに見当をつけることができた。クラスの一番後ろの席に座り、机にお気に入りの玩具を広げて(空いている穴に形の合うパーツを押し込むプットインのおもちゃや魚釣りのおもちゃなど、ぼくにとっても馴染のあるものだった)、遊びに耽っている生徒がいたからだった(以降この生徒を「Gさん」と表記)。Gさんは自閉症と診断されていた。教師からの簡単な指示であれば理解することができ、質問には一語か二語文で答えていた。Gさんは軽度~中度の知的障害を併せ持っていたので、日本の教育制度に沿っていえば、特別支援学校に在籍することになる可能性が高いケースだろうと想像できた。

C小学校の時間割

初回の学校訪問を終えたその日の夜、イモラ先生から1通のメールが届いた。そのメールでは、「クラスにインクルーシブな学習環境を作りだすには、自然の成りゆきに任せていてはだめで、支援教師、各教科の教師、教育士など授業に参加するすべての者が共通した理解を持ち、その共通理解に基づいて綿密な教育計画を立てることが不可欠なこと」さらに「教育がインクルージョンであるべきなのは当然だが、イタリアではそのインクルージョンが上手く機能していないケースもあり、そうした場合には、障害児が教室のなかで軽視されたり、さらに酷い状態になると疎外されていたりすることがあること」などインクルーシブ教育が抱えている根本的な問題が指摘されていた。

その後もイモラ先生との幾度かの意見のやりとりを経るなかで、インクルーシブなクラスを観察するときの注目すべきポイントが明確になっていった。まずはクラスに在籍するGさんを観察の主な対象とすること、そのためにまずはGさんの個別教育計画(P.E.I)を精査し、その教育計画がどのような課題と目標に基づいて立てられているのかを理解し、さらにその計画が具体的にどう実践され、その効果がどのように教育現場に表れているかを観察すること、これが最終的にぼく自身の当座の課題となった。

イタリアの個別教育計画は、ICF(国際生活機能分類)の考え方に基づいて、対象となる生徒の実態を「医学モデル」と「社会モデル」をかけ合わせた総合的な観点から捉えることになっている(注1)。試みに、Gさんの個別教育計画を検討してみると、学校での教育活動にマイナスの影響を与える「阻害因子」として「自由活動、待ち時間、非日常的な状況」などが挙げられており、その一方で、プラスの影響を与える「促進因子」としては「大人の付き添い、構造化された活動、責任の付与」などが挙げられていた。さらに、「インクルーシブな学習環境を作るための介入措置」として「注意力を持続させて活動に取り組むには、大人の付き添いが不可欠であること」、「自発的に活動に取り組むためには、一定の責任を付与し、クラスの一員として役割を担う必要があること」、「活動が構造化されていて状況に見通しが持てると、問題行動を減らすことができること」などの点が記されていた。

また個別教育計画に記載されている「人間関係/相互関係/社会性」についてはというと、「感情をコントロールできること」、「クラスメイトをからかう行動を減らすこと」、「着席して落ち着いて活動すること」などが目標として掲げられていた(注2)。実際にクラスでの様子を観察してみると、授業中に限っていえば、支援教師か教育士のどちらかが付き添って一緒に活動している場面が多かったため、Gさんは着席し概ね落ち着いて作業に取り組んでいた。その一方で休み時間になると、時おり走り回ったり大声をあげたりすることもあったが、クラスメイトたちは平然と接していて、しばらくするとGさんは机を壁側に向け、お気に入りの玩具で遊びはじめたり、特別に用意されているパソコンでユーチューブの動画を見たりして過ごしているようだった。

同じ領域の目標にある「遊びのなかでクラスメイトとの自発的な関わりを増やすこと」についても様子をうかがっていると、給食の後に日々1時間ほど確保されている昼休みの時間には、Gさんが中庭でクラスメイトたちと楽しそうに走り回る姿をしばしば見かけた(教師が遊び始めのきっかけを準備することもあった)。担任の話では、「小学校入学時はクラスメイトとはあまり関わりを持とうとせず、コミュニケーションも上手く取れなかったためか、自分ひとりの世界に閉じこもっている様子が目立っていた。しかし、今では特定のクラスメイトを相手にすることが多いが、自分から関わりを持とうとすることも増えてきた」ということだった。5年生の現在にいたるまで、このクラスは、クラス替えも担任の入れ替えもなく持ち上がりできていた。Gさんとクラスメイトとがお互いに時間をかけてそれぞれの特性を受けいれ合い、学校という場でともに生きるための知恵や距離感を築いてきたのだろうと思われた。それと同時に、もしこのGさんが日本の特別支援学校で生活を送っていたらどうなっただろうかと想像してみたが、障害のある生徒だけが在籍していて、インクルーシブな環境を作るのが容易ではないクラスのなかにいて、目に浮かぶのは一人で遊びに耽る姿ばかりだった。日本の特別支援学校のシステムは、生徒同士の当たり前の関わり合いという点からいえば、かえって子どもたちからかけがえのない可能性を奪うことになっていないだろうかと、ぼくは目の前の子どもたちの姿を目で追いながら繰り返し自問せざるを得なかった。

クラスで行われる各教科の授業についてはというと、どの教科でもGさんにとってはいささか難易度が高く、クラスメイトと同様の内容では理解が難しいだろうという場面に遭遇することもあった。そうした場合の対処法としては、主として二つの選択肢が用意されていた。一つは傍らでサポートをする支援教師や教育士が、要点を絞って個別に内容を説明し直したり、もしくは難易度を下げた教材を準備したりして対処する方法だった。もう一つはというと、Gさんの個別教育計画で設定されている各教科の目標と関連づけながら(個別教育計画を見てみると、たとえばイタリア語の学習目標としては「短文が読めるようになること」、算数の学習目標としては「物の数を数えられるようになること」などが挙げられている)、新たな課題を個別に用意して対処するという方法だった。つまり、Gさんへの支援策としては、クラスで扱われている授業内容を簡略化して対応する方法と、新たに別の課題を準備するという二つの対処方法が用意されていた。いずれにしてもそれらは場当たり的な対応ではなく、支援教師と各教科の教師間で事前に打ち合わせがなされており、具体的な支援策が予め決められたうえでのことだった。各授業の終わりには、生徒たちの理解度を確認するために、教師が質問を投げかけたり、生徒たちが学習の成果を発表したりという機会が設けられていたが、Gさんにももちろん同様の機会が用意されていた。

11月に3度目にクラスを訪れた際には、年明けに始まる外部講師を招いた演劇プロジェクトにむけての準備がいよいよ開始されようとしていた(全15回分の授業が組まれていた)。クラス全体で取り組むべきプロジェクトの一つだった。このプロジェクトでは、Gさんにはどのような役割が振り当てられているのか観察していると、クラスは4~5人ずつ5つのグループに分けられていて、彼はそのうちの演劇のための衣装作りを担当するグループに配属されていた。所属グループのなかでGさんが担う具体的な役割は、「衣装の材料リストの作成と材料の買い出し」だった。そこで改めてGさんの個別教育計画を見直してみると、「自律性/見当識」の領域では、「校外での移動における自律性を高める」という目標が設定されており、それに対して、その目標が達成できるか否かの評価基準として「買い物リストを作成してお店に行き実際に買い物ができる」という具体的な内容が記されていた。つまり、個別支援教育に記載されているGさんの学習目標とこの演劇プロジェクトの活動を関連づけながら、彼がクラス全体に対して貢献ができる役割が考案されていたというわけである。

これまでGさんがクラスメイトと一緒に学校生活を楽しむ様子、そして彼が教科の授業や演劇プロジェクトに取り組むに際して教師たちが行っていた具体的な実践を記録してきた。教室という様々な個性が共存する場において、Gさんとクラスメイトとの間にどうしたらより良い相互関係を築くことができるのか、あるいは教科の学習や特別活動においては、クラス全体の活動目標とGさん個人の特性に基づく学習目標をどのように関連づけることができるか、こうしたことへの配慮や工夫を通じて、インクルーシブな学習環境を作りだすために、イタリアの教師たちがたゆまぬ努力を続けている様子を目にすることができた。ともあれ、インクルーシブな学習環境を構築するための不可欠な前提となっているのが、堅個なイタリアの学校の教育制度・教育体制、つまり小規模の学級編成、クラスに在籍する障害児の少数さ、多様な支援者、教育・支援活動の継続性などであることは、最後に改めて指摘しておく必要があるだろう。

【編集部より】今回訪問したC小学校の校長へのインタビューを「番外編」として公開しています。あわせてぜひお読みください!

(注1)本連載の第8回を参照されたい。
(注2)個別教育計画では、ICF(国際生活機能分類)の分類に基づいて、学校教育に関わる項目として「人間関係/相互関係/社会性」、「コミュニケーション/言語」、「自律性/見当識」、「認知、神経生理学、学習の側面」などが取り上げられている。

おおうち・としひこ………1976年生。イタリア国立ヴェネツィア大学大学院修了。神奈川県特別支援学校教員。訳書に『イタリアのフルインクルーシブ教育―障害児の学校を無くした教育の歴史・課題・理念―』(明石書店)など。趣味は、旅行、登山、食べ呑み歩き。


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