むうう…
おのれ、おのれ、おのれえっ！

くっそう！
彼奴あやつら…よくも、よくも
某それがしに煮にえ湯を飲ませ、恥をかかせてくれおったな…
この屈辱は必ずや、何倍にもして返してくれるぞ…

今、某それがしのおるのは
江戸は神田連雀町れんじゃくちょうに某それがしの開きし
『張孔堂ちょうこうどう』なる軍学塾の一室…

某それがしはつい先ほど
青龍せいりゅうと柳生十兵衛との闘いから
帰ったばかりである
　彼奴あやつらに対する遺恨いこんが、某それがしをこの上もなく苛立いらだたせる

ええい！
森もり！　森はおらぬか？
おったら、すぐさま某それがしの元へ来させよ！

まるで某それがしに呼ばれるのを待っておったかの様に
廊下に通じる障子がスラリと開き

「お呼びにございまするか…？　正雪しょうせつ様…」

「おお、森か…　入るが良い」

森が某それがしの居室へと入って参った
　森は白髪の総髪で髷まげを結ゆい、頬ほほから顎あごにかけて生やせし白髭ひげは胸まで達する長さがある…
　主人である某それがしでさえ、実際の齢よわいを知らぬ老体であった
　外見は齢を重ねた好々爺こうこうやの様に見えるが
　身体の動きはまだまだ壮健で矍鑠かくしゃくと致しておる

「森…　いや、某それがしの前では其方は宗意軒そういけんじゃ
宗意軒よ…
　某それがしは柳生但馬守やぎゅうたじまのかみの襲撃に失敗致した
邪魔が入ったのじゃ…」

「ほう…
正雪しょうせつ様の襲撃を邪魔し、阻止し得る者とは一体…？」

森 宗意軒は一瞬、驚きに目を見開いた後…
また本来の細い目に戻りながら某それがしに問いかけた

「但馬守が倅せがれの柳生十兵衛と、其方そなたにも前に申した事のある『青龍せいりゅう』…
　それに加えて、もう一人の正体は不明なれど老体の僧侶じゃ」

「ふむ…
十兵衛は分かりまするが、正体不明の老僧侶とは…
はて…？」

森 宗意軒が首を捻ひねる

この男、森 宗意軒もり そういけん…
　某それがしと共に既すでに死んだ事になっておるが
　数年前、島原の天草にて蜂起ほうきした『島原の乱』においてキリシタンと農民どもを率ひきい、島原藩と幕府を敵に回し戦った益田 四郎時貞ますだ しろうときさだと名乗りし某それがしの参謀を務つとめた男…

そして、四カ月に及んだ『島原の乱』は幕府軍に破れ…
　某それがしも目の前におる森 宗意軒もり そういけんも、表向きには幕府に囚とらわれた挙句あげくに、刑死した事になっておる
　無論むろん、二人の影武者かげむしゃという尊とおとい犠牲の下もとにな…

　死んでしまった天草四郎あまくさ しろう などと云いう男の事などは、もうどうでもよいがな…

某それがしは宗意軒に説明した
「その老僧侶…
　孔雀明王印くじゃくみょうおういんを結び、何やら一心不乱に念じておった
　その姿は無心に、何かに対して孔雀明王呪くじゃくみょうおうじゅを唱となえておった様に見受けられた
　そのすぐ後に柳生十兵衛の身に大天狗おおてんぐが憑つき、十兵衛めは自在に空を飛んだ…」

　某それがしの説明に宗意軒そういけんは思い当たる節ふしがあると見える

「されば、正雪様…
十兵衛に憑きし霊は役行者えんのぎょうじゃ…
　大天狗おおてんぐとも称された役 小角えんの おづのにございましょう
　しかるに、その孔雀明王呪を唱えたと云いう老僧侶…
　しかも、柳生但馬守やぎゅうたじまのかみと十兵衛を
　己おのが身を挺ていしてでも守ろうと致し、それだけの禁呪きんじゅ法を使いこなせる老僧侶と申せば…
　私の思い至りし者は、ただ一人しかおりませぬ…」

ここで宗意軒そういけんはニヤリと笑って
某それがしの顔を見つめおった

「ええい、宗意軒そういけん！　早う、その者の名を申さぬか！」

某それがしは、いらつきながら宗意軒に先を促うながした

「はっ、これは御無礼仕ごぶれいつかまつりました
その者はおそらく…
　東海寺初代住職にして、今は亡き天海僧上てんかいそうじょうより将軍家相談役をも引き次いで相務あいつとめる高僧、沢庵 宗彭たくあん そうほうにございましょう」

宗意軒そういけんは淀みなくスラスラとその名を口に致した

「何…？
　その方ほうは彼かの老僧侶が、あの高名な沢庵和尚たくあんおしょうだと申すのか…？」

「御意ぎょい…」
　宗意軒は自分の見立てに何の疑問も持たぬかの様に、某それがしに対して静かに頷うなずいて見せた

「ううむ…　沢庵か…
　確かに沢庵ならば、彼かの僧侶の全ての特徴に合致がっち致すし、十分に納得も出来る…」

某それがしは宗意軒の具申ぐしんに否いなは無かった

「今、沢庵は但馬守たじまのかみの江戸下屋敷に
『検束庵けんそくあん』と名付けし一室を設もうけ
逗留とうりゅう致しておる様子…」

　宗意軒の話を聞き、某それがしは腕を組み虚空こくうを見つめながら言った

「ふむ…
沢庵は我らの幕府転覆計画にとって大いなる障害…
取り除かねばならぬな」

「御意ぎょいにござります
　このまま奴めを生かしておけば、我らの邪魔な存在となるは
火を見るよりも明らか…」

そう返事をしながら、
宗意軒が某それがしの目を見てニヤリと笑う

「そうは言うがな、宗意軒よ…
　沢庵の現在の住まいは柳生但馬守やぎゅうたじまのかみの江戸下屋敷じゃ…
　十兵衛が率ひきいる裏柳生うらやぎゅうと、柳生新陰流しんかげりゅう一門の強者つわものどもに絶えず守られておる

しかし…
　真に恐るべきは、必ずや沢庵と共に柳生に手を貸すであろう青龍せいりゅうと奴の魔剣『斬妖丸ざんようまる』…
　某それがしの悩みの種はいつも彼奴あやつじゃ…

　所詮しょせん、同じ力を操る某それがしと彼奴あやつは互いに終生相容しゅうせいあいいれぬ宿命よ
　我らの野望達成の為には、青龍せいりゅうを実力を持って取り除くほかあるまい…
　そうであろう、宗意軒そういけんよ？」

　某それがしが目を向けると、宗意軒は細い目をさらに細く…
　いや、ほとんど閉じたままで大きく頷いた

「御意ぎょいにござります…
　されど、私めの危惧きぐは青龍せいりゅうの『斬妖丸ざんようまる』と正雪しょうせつ様の『妖滅丸ようめつまる』の力が激突した際に生じるであろう、凄まじいまでの破壊の力にございます

　恐らく…その破壊力は、江戸の町を消滅させるに十分なほどのものかと…
　しかし、江戸の町自体が消滅してしまっては
我らの悲願は達せられませぬ…」

　今度は宗意軒そういけんは、細い目を大きく見開いて某それがしを真っ直すぐに見つめて申した

某それがしは、間髪かんぱつを置かずに答えた

　「その通りじゃ…　我らが悲願、憎にっくき徳川からの天下の覇権はけん奪還…
　今は亡き太閤秀吉殿下たいこうひでよしでんかの遺児いじ、豊臣秀頼とよとみ ひでよりが一子いっしである某それがし…
　この、豊臣 藤吉郎秀信とよとみ とうきちろうひでのぶが天下を握る事なり」

　遂に某それがしは、由井 正雪ゆい しょうせつの前に名乗りし本来の自分の名を口にした
　
　「織田信長おだ のぶなが公の成し得なかった天下統一を果たせし、今は亡き太閤秀吉殿下こそ某それがしの真の御祖父君おんそふぎみ…
　主君であった太閤秀吉殿下亡き後、己が護まもるべき主君と成った我が父上の豊臣秀頼を裏切りおった徳川家康…
　某それがしの父秀頼と祖母の淀君よどぎみ様に言いがかりとしか言えぬ罪を着せ、大恩ある豊臣家を『大坂の陣』にて滅ぼせし徳川への恨み…

　豊臣の血を受け継ぎしこの秀信ひでのぶ…
決して忘れは致さぬぞ

　全国の幕府に恨みを持つ浪人どもを我が元に集め、某それがしと宗意軒の操る魔界の者どもと共に、必ずや江戸幕府を転覆てんぷくして見せようぞ
　その幕府転覆の暁あかつきには、正式に我が本来の名である豊臣秀信とよとみ ひでのぶを名乗り征夷大将軍せいいたいしょうぐんとして天下に布武ふぶし、豊臣家を再興さいこう致すのじゃ！

　その悲願成就じょうじゅのためには…
　某それがしが其方そなたより譲り受けし、この魔槍『妖滅丸ようめつまる』の妖力と、かつて『日本一の兵ひのもといちのつわもの』と呼ばれた其方の智謀ちぼうと力がますます必要となる

　これからも野望達成のため、某それがしに其方の力を貸せい！

　宗意軒そういけん…　いや、『島原の乱』以前の戦乱の世において天下随一の名知将と謳うたわれた…
真田 幸村さなだ ゆきむらよ！」

【次回に続く…】