日々読書‐教育実践に深く測り合えるために

加藤哲夫『市民の日本語 NPOの可能性とコミュニケーション』ひつじ市民新書、2002年。
 
 本書から、私が紹介したいのは、トーキングスティックという、流木なんかを持って、持った人がずっと話していいという方法です。この方法は、もちろん、たとえばぬいぐるみとか、鉛筆とか、何でも構わないのですが、そうした一本のトーキングスティックを持った一人が与えられたテーマについて自分の意見を話します。他の人は黙っていて、それに絶対割り込まない。終わったら、次に話したい人が話します。
 ここには、「誰か喋れる人が喋って、聞く人はただ聞いて、わからない人は喋れない」という場とは異なって、「その問題についてどんなに稚拙なことであっても思っていることを時間が保証されて、ちゃんと聴いてもらえて、喋れる」という経験があります。多くの議論は「勝たなきゃいけない、やっつけなければいけない」という自分の主張を通すために行われますが、そうではなくて、この方法では、誰かが話しているときには、遮ったり、非難や攻撃をしたりできないというルールになっています。極端に言ったら、トーキングスティックを持った人が一時間喋っていたいなら、みんなは一時間聴かなきゃいけない。でも、そうすることで、初めてことばが届くのではないかというのです。少なくとも、順番に発言を促す輪番形式で進行するときのように「次に自分が話すことが控えていると思うと、ほとんど他人の発言は耳に入らない」という状況は回避できるのではないか、という指摘がトーキングスティックという方法にはありました。
 この本は、コミュニケーションの問題を扱っていますが、「人の話を聞きましょう」とお説教があるのではなく、「他人の話はなぜ聞けないのか」を考えているものでした。

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