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業のカタログとしても読めそう〜花散里:素人がゼロから攻略したい源氏物語〜

(4〜5分で読めます。)

源氏物語って、光源氏の恋愛遍歴というよりは姫カタログみたいだ。


そのせいで、どの姫が一番好きか、好みの姫を探したくなる。それに、どの女が正解なのか、というのも見つけたくなる。


それなのに、どの姫も幸せじゃなさそうなんだ。正式な妻と思われても誠実な愛を感じられないまま愛人の生霊に殺された女。自分の悲痛に向き合えない情けない女。自分を愛さない男にパラサイトしたり執着したりする苦しい女。


ああ、源氏物語の世界って、息苦しい。


この世界のどこか片隅に、それなりに満足して生涯を暮らした女がいてくれればいいのに。


最愛の女と言われる紫の上は、しかしながら最高に幸せなようには見えない。美しくて愛されたお人形のような女。つまらん。


もちろん、お人形のような少女や、お人形のような新妻には何かしら相手を惹き付ける魅力があるでしょう。それが、お人形のようなままで中年女になるんですよ。ちょっと怖いです。確かに彼女の人生はしんどそうだけど、もうちょと頑張ってほしかったよね。


身分の高い男に愛されることは生業のようなものだから、羨ましがられることはあっても当人が満たされるのかどうかはわからないし、むしろ問われすらしないのでしょう。そんな世界ですら、自分の人生をしあわせに生きてる姫がいてくれたら。


そんな期待を、わたしは花散里に重ねて見ていたかった。当人の納得なんか問われやしないんだから、本当はしあわせだった、って読みたかった。だって、誰かはしあわせであってほしかった。


でも、そういう叙述トリックみたいな読みはしないのが妥当な世界観として成り立っているのだとしたら? 語り手が言ったことが無謬なら? 


だとすると、花散里は光源氏に愛されなかったことに七転八倒したのでしょう。計画的に性的な距離を広げたのではなく、残念ながらも離れていったのでしょう。愛されても愛されなくても関係ない世界で安定していられる女であってほしかったけど。はあ、しんどいなあ。


なんで源氏物語ってこんなにしんどいばかりの話なんだろ。これはもう、女の一生カタログっていうよりも、業のカタログだよね。


みんな業なんですよ。弘徽殿女御の権力頼みも、六条御息所のサイキックも、カタブツの空蝉も、地味で強気になれない花散里も、すべて女の業。


そうか、源氏物語は業の肯定なんだ。


でも、いいのかな、「業の肯定」は立川談志さんの言葉だ。与太郎とかダメな(あるいは愛すべき)ひとたちが肯定される世界と、古典文学の上流な感じをごちゃまぜにして。


ちゃんとした方々からしたらダメかもしれないけど、源氏物語は女たちの業の肯定のコレクションだって思ったら、年末の多忙で放置していたのの続きを、私は読みたくなったよ。



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