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地味な彼女をプロデュース(2):素人が源氏物語を読む~花散里~

花散里を読みくらべるという謎計画。第1弾は基礎知識があんまり無くてもカジュアルに楽しめそうな、漫画です。

この巻を漫画化するのは、難しそうなんです。容姿とかキャラクターとかが、この巻では何も描かれない。花散里はごくごく短い巻、それも彼女本人の言動は書かれていないのです。心情についての推量が2つあるだけ。

例えれば、髪の毛とか指先とか映りこむからそこに彼女がいるのは分かるのに顔や全身は画面にはちゃんと出てこない予告編、みたいな。

そこに描かれる彼女は、男への心苦しさを抱いて七転八倒したかもしれない。でもその相手が訪れたら優しく迎え入れたっぽい。そんなオンナは

六条御息所みたいなキャラ濃いやつなの? それとも夕顔みたいに魔性なの? 気になる。でも今はまだ目立たない伏線。

アレンジを幾つか読み返してみて(こう書くと何でも読んでそうですけど、ほんの少し齧る程度です)、この巻は完全スルーされてるケースも結構あります。彼女は

光源氏とのラブラブな場面が無いので地味な存在に見えます。でも無視しないであげてほしい。だって

家系の浮き沈みが入れ替わる世の中で、上中下って行ったら中の家系。下は論外として、中は上がってるのと下がってるのとどちらもある。彼女は凋落したほうの中流の女。マイペースだけど品位はある。濃密な恋を感じさせる場面がないから、清涼感があるようにも思えてくる。出番少ないからイチオシはしないけど、それなりに推せるから。

◆あさきゆめみし完全版(3)

いきなり大本命、大和和紀先生です。同じ絵で宇治十帖まで描かれるという非常にありがたいアレンジです。

漫画版は結構、若紫が光源氏と結ばれて「彼の妻として生きてく」って覚悟するあたりで終わったりしがちです。若紫って無邪気な少女として登場するから、若い読者からしたら一番共感しやすそうですもん。そこで区切るのは納得できる。とはいえ、そこまでだけを源氏物語って思ったら「面白さも中くらいなり」じゃないですかね。漫画版は、わたしは最後まで描いてくれるものを推します。

「あさきゆめみし」は、古文本編で語られない要素については創作でロマンティックにドラマティックに埋めてくれます。場面の切り替わりなども分りやすいですし、ひとつづきのストーリーとして読みやすいです。

◆ ◆実刑と自主謹慎の違い

新規に読む際に分かりにくいのが、左大臣サイドから実刑みたいなのを喰らったらダメだけど、自分から須磨に行けばオッケーってとこ。いやまあ、そりゃ自主謹慎したほうが良いんだろうってのは何となくわかるんですけど、言われて流されたら何か違ったの? ってところが不明だったりする。結局どっちにしろ同じ須磨にいることになったりして、と。

そこを、こんなことがあるんじゃないかーー家族や財産の離散ーーと心内語で補ってくれたりして、すんなり読みやすくなってます。

あと漫画の表現として、成程と思ったのが随身たちと出掛けていく場面。

◆◆随身たちとの移動してるカット

ここでは賢木の巻で野の宮を訪れる場面と比較してみます。

完全版(2)の賢木巻相当の回では、光源氏は野の宮にいる六条御息所を訪ねます。そのときは見開きの上半分を使ってパノラマっぽく、なだらかな山々のある大きな背景の中を進んでゆく御一行を横から捉えてるんです。横への移動として描かれています。光源氏も「こんなに良い感じのシチュエーションだったら早く来とけば良かったなあ」なんて思います。それは同じ水準で捉えられるという意味で水平方向への移動でありましょう。

花散里巻相当の回では、縦に長いコマを上から下に向かって重力に引かれるように進んでゆくのを、真下に見下ろすアングルで描いてあります。緊張感のある雰囲気です。実際は平地を歩いているんでしょうが、深く下降していくように見えます。

思い返してみれば、確かに花散里巻は下降していく感じなんですよ。権勢のあるところが上で、それから離脱していくのが下だとすれば。

権勢を握っている右大臣方面からの風が強くて現時点という水面は波立っているけれど、水底という過去は侵略されることなく穏やかに落ち着いている。そういう場所へと深く沈んでいくことで癒される場合もある。藤壺中宮・尚侍の朧月夜・紫上といった上の品の女たちから離れて、花散里たち中の品と接触する。眩さに疲れたとき陽の当たらない場所へ行って癒されることがある、っていうのは共感しやすいことじゃないかと思います。

◆◆オリジナル・エピソード

花散里と光源氏の出会いの場面が描かれています。そこは創作です。オリジナル・エピソードです。

古文には、桐壺帝の頃の内裏で会ったことがあると書いてありますが、実際どんな遭遇だったのかは描写されません。今だったら細かに書きそうだけど、時代も歴史も違うから、そのときはそれでよかったんでしょう。

こういう説明だけみたいな部分を、リアルタイムの読者たちは順不同に次に手元に来る巻を待ちながら「この二人にはこんな出会いがあったんじゃないかしら」とか想像してたと思うんですよ。なので遅い読者のわたしも、サラッと説明してある箇所はいちおう想像します。クイズじゃないので外れててもいいんです。

大和和紀先生の案は、花散里がイケてはいないけどトンチンカンな女性でもないし、光源氏のような眩い男性とも無理なくナチュラルに話していて、恋愛市場では引き合いがないけど自分の人生を歩んでいこうとする女性のように描かれています。読者からしたら、憧れの対象ではないけど、親しみやすく応援したり参照したりしたくなるような存在です。

初めて出会った場面のやりとりも、他の姫君たちとは違う性質のものになっています。源典侍と対照的な感じです。老女と娘、恋へと発展させようとする女と恋をはぐらかそうとする女、キャリアウーマンと家事手伝い。

お顔立ちは、古文では後々になってから不細工だと判明するのですが、それまでは容貌を褒められはせずとも不細工扱いまではされてなくて、正直よく分からないです。彼女に関しては地味であることと不細工であることが混同されているような気もしています。

大和和紀先生の作画では、カットによって癒し系な雰囲気美人にも可愛げある不細工にも見えるように描かれています。絶妙です。

◆はやげん! はやよみ源氏物語

「中田敦彦のYouTube大学」でもご紹介されていました。桐壺から夢浮橋までの全巻をたった1冊で紹介するという漫画です。

◆◆外見、みんな違って、みんないい。

この作品の素晴らしいところは、姫君たちが全員違うお顔で描かれてるところです。人相もヘアスタイルもコスチュームも、みんな違うんです。

平安時代の十二単の姫君たち、髪も超ロングでカラーとかパーマとか無いんですよ? AKB48のメンバーの区別がつかない程度の相貌認識能力では、正直見分けるの難しいんです。この巻に出てきてるから、あの女だろうなあ、って文脈に頼りきった読み方になっちゃって。

そんな悩みが、こちらの作品だと一挙解決。みんな違うひとに見えるんです。夕顔の、肉食女子を越えて猛禽女子な雰囲気なんかヤバイです。

実際問題、当時の女性たちにとって、よその女なんて身分と噂話だけだったんでしょうから、外見的な違いの情報って不要だったんでしょう。でも、今の私たちは身分社会を現実味をもってイメージすることは難しい。外見から生活レベルや人柄をイメージするほうが容易いです。

◆◆衣配りがカラーページに

正月に光源氏がそれぞれの女性に似合うような衣を見立てて配る、という華やかな場面があります。

衣装の見た目から、それが似合うということは、どういう雰囲気の女性なのか、どういうふうに愛されてる女性なのか分かってしまう、という場面です。

これが、カラーページになっているのです。言語だけだとイメージできない後世の読者にとって非常にありがたいです。ファッション用語が分からなくても、ファッション雑誌のカラーページを眺めたら一発で分かるのと同じ。襲の知識がなくても分かるから。

◆ストーリーのつながり

この巻は、interludeみたいだけど、この次の巻で実際に須磨に行くまでには1年くらい時間があるんです。

花散里の巻が5月、須磨に行くのが3月なので。その間、秋と春の人事異動もあったのに遠くのポストを与えられてもいない。だから実際には退去する意味は無かったんでしょうけど、禊として自粛する効果を狙ったんでしょうか。

私の勝手な解釈は置いておくとして、とにかく古文では、これくらいのタイムラグがあるんです。

つながりが、あるんだか、ないんだか。

でも、今回取り上げた2つの漫画では、どちらもこのタイムラグを感じさせません。花散里と須磨のあいだに同じ繋ぎ目があります。その繋ぎ目が気になる方は、読んでみてください。

◆次回予告

次回は、キャラ濃いめの女性のコードで読み解かれたアレンジ小説です。

今宵も最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。


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