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セサミストリートがTVから消えなかったら・・・

どうやら大人の事情で折り合いがつかず、残念ながら放送終了してしまったセサミストリート。
私が子供の頃は、英語のままで放送されていたので、何を話してるのか全くわからなかった。それでもなんか楽しみで、日曜日の朝テレビをつけるのが楽しみだった。

はっきりいって見た目もかわいいというより、シュールなパペットたち。でも、その動きや声で、今楽しいのか、喜んでるのか、困ってるのか、悩んでるのか、悲しんでるのか、友達を助けようとしてるのか、意地悪してるのか・・・いろんな想像が、子供でもできたのです。だから、なんだかとても共感する。多分、言葉がわからないから、より一生懸命観察してみていたのだろうと思う。

私のお気に入りキャラクターは、エルモとバート。
エルモはいつも天真爛漫でかわいい。バートは友達のアーニーにいつも振り回されるけれど、とてもやさしくしっかり者。キャラクターだけど、安心感がある大人な感じでホッとできる。子供の頃はバートとアーニーは兄弟だと思っていたけれど、どうやら親友だったらしい。
言葉がわからなくても、ストーリーを想像して、何を伝えたいのか、がなんとなく心に響く素晴らしい番組でした。

言葉がわからないから、画面をしっかり見てたのですね。
人は言葉より、ノンバーバル(非言語)で人の思いを理解することは証明されています。きっと会話が日本語で聞こえてきたら、何かしながらテレビを聞いていたかもしれない。
でも言葉がわからないから、画面をしっかり見て理解しようとする。
そのほうが、言葉よりもずっと思いが伝わる、共感できるというのは納得できるのです。


それと、セサミストリートでは、多種多様な国籍の人が参加していました。パペットも全部違う色と形。誰一人一緒じゃない。気が弱い子、優しい子、のんびりな子、元気な子、うるさい子、意地悪な子、いろんなタイプがいて、みんな違う。でこぼこをお互いが補いながら、生きている、それでいいんだ、と思える世界を見せてくれていた。 

これがダイバーシティなのですね。

ヒーローが悪いものをコテンパンにやっつけるストーリーも大事な要素はありますが、許し合ったり、補い合ったりするエンディングがあるストーリーも、その後の人の価値観には大きく影響を及ぼすのではないでしょうか。


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