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向井豊昭の未収録短篇「竜天閣」全文試し読み/『骨踊り 向井豊昭小説選』刊行記念

 2019年1月24日、幻戯書房では『骨踊り 向井豊昭小説選』を刊行いたしました。 本書は、昨2018年に没後十年を迎えた作家・向井豊昭(1933-2008)の入手困難な作品から、代表的な長・中・短篇6作を精選した一冊。平成の日本文学シーンに衝撃を与えたデビュー作「BARABARA」等で知られる著者は、近代日本の差別に対する激烈な批判精神と、多彩でアナーキーな作風を併せ持つ、まだまだ全体像の知られていない作家でもあります。 ここでご紹介するのは1966年、著者の個人誌「手」4号に発表された一篇(約2万字)。主人公は、北海道・日高地方にかつて存在した御料牧場周辺に暮らすアイヌの男性。その家族が、アイヌ文化を題材にした「記録映画」撮影をめぐり翻弄されてしまう……その悲しみを劇的に捉えきった名篇です。残念ながら『骨踊り』からは割愛いたしましたが、内容の関わりは深く、読み比べてみるときっと興味深いはず。 この機会に、向井豊昭の巨大な作品世界を是非どうぞ。

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(肖像画・川勝徳重筆)

向井豊昭「竜天閣」

 竜天閣が、秋の光を掠めるように浴びていた。もう六十年もの才月を経ようとするその建物はすっかり老いてしまい、締めきった雨戸の板はささくれだっている。欄干をめぐらした二階の回廊――そりをうった瓦屋根――それは、いかにも古い時代の御殿の姿そのものであり、このあたりの今の風景にはそぐわないものだった。
 かなたの飼料畑では、エンジンの音を響かせて、玉蜀黍を刈りとっていく車がある。ついさっきそばを通り抜けてきた赤い屋根の牛舎では、ミルカーで搾乳をする人々の姿があったし、ブロック造りの官舎がずらりと並んでもいた。
 昔は、こうではなかった。あたりの風景に、竜天閣はまったく調和していたものだった。
 わたし達、近在の徴発人夫がうごめく飼料畑の風景といい、軍用馬のいななく厩舎の風景といい、正に、御殿が存在してしかるべき牧場であったのだ。
 今は、農林省の所管となって、乳牛の品種改良に励むこの牧場は、その昔、御料牧場――つまり天皇の牧場であった。
 天皇は、わたしにとってゆかりのある人間である。わたしが生まれたのは、大正十五年十二月二十五日――大正天皇が死んだ、その当日だった。
 まさか生まれ変りではないだろうが、恐れ多いことだというわけで、わたしは尊太と名づけられた。しかし、実は、その名前には裏があったのだ。
〝そんた〟とは、わたし達の古い言葉、ソンタクに通じていた。
 ソンタクとは糞のことである。四・五才までは正式な名前をつけず、わざと汚物の名で呼ぶことが、祖先からの風習なのだ。糞ならば、魔物にさらわれることはないだろうという配慮なのだ。
 わたしが生まれた大正の末期には、昔からの風俗習慣は、ほとんど日本風に変っていたが、まだそのころ生きていた祖父は、わたしの命名を左右する力を持っていた。
 そのせいかどうかはわからぬが、この年になるまで、病気らしい病気を、わたしはしたことがない。しかし、死が、少しずつわたしをむしばんでいるであろうことは否定できない。この頃は、すっかり疲れ安くなってしまった。一服つけようと仕事の手を休めれば、肩や腰に、鉛で叩かれたような鈍痛が決まってよみがえってくるのだ。
 幹ばかり太くて、中はガランと空洞になった立木があるものだ。ぐっと構えてチェンソーの刃を入れるが、他愛なく倒れてしまう。わたしも、死ぬ時はそうなのだろう。
 父も、そうだった。使えるだけ身体を使って、とうとう貧乏は追い越せず、一生は終りになってしまう。これが、山ゴというものだ。
 わたしが父に連れられて、飯焚き身分から出発したのは、もう三十数年も昔――数え年で十三の時だった。まだ尋常科の六年生だったわたしは、卒業式も待たず、冬山造材の飯場に出かけたのだ。
 わたしは、五人の弟妹を持つ長男だった。家の経済を助けるため、どうしても働かねばならなかった。
 せめて、高等科ぐらいは出たいという気持がなかったわけではない。金さえあれば、中等学校に行ける自信もあった。でも、わたしは、それらの願いをさり気なく捨てたのだ。
 わたしが初めて入った山は、御料牧場の奥につながる御料林だった。やはり、天皇の持山なのだが、戦後は、そっくりそのまま国有林になった。ついさっき、わたしは、その山から下ってきたところだ。
 何年に一度か、ふりだしの地へ戻ってきては仕事をすることもあるのだが、今朝、下ってきたのは、仕事のけりがついたからではなかった。わたし一人、急に山をおりねばならぬ事情が起きたのだ。
 
 昨日のことだった。一台のジープが、現場へ上がってきた。
「新畠サアン! お客さんだヨオ!」
 ジープの窓から叫んだのは、飯焚き女である。飯場から乗り込んで、案内をしてきたのだろう。
 ちょうど一息つこうとしていた時だったので、わたしは、「おい、休むべ。」と仲間に言うと、斜面を下って行った。
 沢を渡り、林道に出ると、運転席にいた中年の男は、細い身体を重たそうに外へ出した。乗っている者といえば、後は飯焚き女だけのようだ。
 ラッシェコートのポケットに右手を突っ込み、男はちょっともずもずさせていたが、すぐに、一枚の名刺をつまみ出すと、わたしに差しのべた。
「わたし、町の教育委員会の鶴岡です。」
「はあ……」と、わたしはいぶかしく名刺を受け取って、男の顔と見比べた。
「やあ、ひどい道路で苦労しましたよ。」
 鶴岡はそう言いながら、道端の草に腰をおろした。やれやれという顔つきである。
「何の、御用で……」と、わたしは見当のつかぬ要件が不安になり、彼の言葉をうながした。
「実は、今度、道の教育委員会で記録映画を作る計画をたてたんですがね……あなたの御協力を得たいと思いまして……」
「記録映画?」と、わたしも草に腰をおろして、彼と並んでいた。
「百年ぐらい前の、冬の生活を再現させたいんだそうですがね……」と、百年前に力を入れて、鶴岡は言葉を続けた。「適当な人がいないかどうか、札幌から照会があったんですよ。それで、管野さんの所に相談に行きましたら、あなたに話を持ちかけるようにと言うのです。」
 百年ぐらい前の生活――遠まわしな言い方だが、要するに、アイヌの風習を記録するというのだろう。わたしがアイヌであることは、この容貌を切り刻んでしまわない限り、隠し通せないことだ。そんなことをしてまで隠したいと思う年でもなくなってしまったが、不意の来訪者の目の中にアイヌとしてさらされている自分を感じると、やはり、わたしの心の奥底から発酵してくるものがある。
「萱ぶきの家を、二軒作ってもらいたいんですよ。それに倉、便所、熊の檻も……要するに、百年前のちょっとした村の風景を作っていただければ、後はこちらで引き受けます。それを背景にして、いろいろ撮影するらしいんですがね。」
 鶴岡は、相変らず、〝百年前〟なる代名詞を使って話をすすめてくる。
「萱ぶきの家なんて、作れるだろうか。」と、わたしは首をかしげた。かしげてから、苦笑をした。萱ぶきの家という言葉を、おうむ返しに使った自分に気づいたからだ。
 いくらアイヌ語が滅びたからといって、家(チセ)という単語ぐらいは知っているわたしなのだ。鶴岡だって、知らないはずはない。気遣い過ぎる彼も、ありふれたアイヌ語を言えぬわたしも、つまりはアイヌが、いやしい人間であると意識しているからなのだろうか。
「管野さんが、あんたに相談するように言いましたけどねえ……」と、鶴岡はけしかける。
 管野というのは、わたしの母の実兄なのだ。酋長の血をまっすぐにひく家柄であり、アイヌの風俗習慣が消え失せた部落の中で、あらゆる儀式のしきたりを胸の底に蔵している、生き残りの古老である。
 実は、わたしは、その叔父に乞われて、家(チセ)作りを手伝ったことがある。日本が戦争に負けた年の秋だった。
 その頃、最早、昔ながらの家(チセ)は、部落にただ一つ、叔父の住家しかなかったのだが、すっかり風化状態になっていたため、建て直すことになったのだった。
 家(チセ)作りは、神祈り(カムイノミ)から始まった。叔父は、さわやかに地べたに立ち、意味のわからぬ言葉をぶつぶつと呟やいた。そして、ゆったりとした手つきで細長いヘラを椀の酒にひたしては、そのしずくを地べたに振り散らすのだった。
 十名ばかりの手伝い人は、厳粛な顔で叔父の後方に座していた。その中では、たった一人の若者であったわたしは、退屈な儀式の時をもてあましていた。
 叔父の前には、二本の木弊(イナウ)が立てられている。三尺ほどに切った、その柳の枝の上部は、小刀で幾重にも剥かれ、まるで紙のように垂れ下がっていた。
 風を受けてかすかな揺れを見せる木弊(イナウ)を見つめながら、わたしは二、三日前の新聞の写真を思い浮かべていた。
 それは、天皇とマッカーサーが並んで写ったものだった。
 天皇は、ひどくちっぽけだった。大人と、子供ほどの違いもある二人の背丈は、天皇を充分にみすぼらしく見せるものだった。
 みすぼらしいのは、背丈のせいばかりではない。マッカーサーがいともありふれた日常の軍服――あの、ワイシャツのような軍服の袖から突き出た手を、気楽に腰にあてているのにひきかえ、礼服に身をかためた天皇は、直立の姿で立っていた。そのいかめしさが、まったく滑稽であり、よけいみすぼらしく思わせるのだ。
 父も母も、マッカーサーの態度を怒った。しかし、わたしは、現人神と称された天皇の、悪掻くような糞真面目が腹立たしかった。
 天皇は、人間だったのだ。神など、どうしてあるものか!
 わたしは、神祈り(カムイノミ)を続ける叔父の背中をじっと見つめた。そして、こんな古い進行の音頭をとる叔父の心を解しかね、五十蔵に同情をするのだった。
 五十蔵は、叔父の総領息子で、わたしより一つ年下であった。彼の下は女ばかりなので、叔父にとって最も頼りになるべき人間なのだが、顔を合わせれば喧嘩をしていた。
 神祈り(カムイノミ)をしたその日、彼の姿は見えなかった。隣村の製材所で原木かつぎをしていた彼は、いつものように働きに出たらしい。
 しかし、彼は、夜になってもわたしの家に現われなかった。叔父一家は、家(チセ)が出来る間、わたしの家で寐ることになっていたのだ。
 その夜、十二時を過ぎた頃、わたしは便所へ起きたのだが、今の電燈はまだついていた。叔母はひそひそと、背を丸くして、わたしの母に話をしていた。
 叔父はといえば、わたしの隣で、高いびきをたてて寐ているのだった。
 朝、目をさますと、隣の布団はもう空だった。
 玄関の戸が開く音が聞こえ、叔父の元気な声がした。
「木弊(イナウ)は倒れてなかったぞ。やっぱり、元の場所でよかった……さあ、神(カムイ)の許しが出たから、やるぞ。」
 わたしは、もそもそと起き出した。叔母は、打ち沈んだ顔で、朝飯の仕度を手伝っていた。
 仕事は、周囲の柱を立てることから始まり、二日目には屋根組みを作った。
 ブドウづるで結ばれたその屋根組みは、新しく東西に立てた三本組みの柱の上に乗せられた。
「この柱は、ケツンニといってな、わし等の祖先が、暮しの中で見出した大きな智恵なのだ。どんな地震にも、このケツンニはびくともしない。」
 叔父は、三方の地べたにどっしりと足を張り、上部で一つにつながれた丸太を見上げながら、晴れ晴れとした表情で言った。
 わたしは、その一本に手をやって揺さぶったが、なるほど微動もしなかった。
 作るということの喜びが、わたしの胸にこみ上げていた。
 屋根と周囲を萱でふき終り、家(チセ)が完成したのは四日目だった。五十蔵は、その間、とうとう姿を見せなかった。そして、出来上がったその夜、家(チセ)は燃えはててしまったのだ。
 どこからか帰って来た、五十蔵のしわざだった。
 なにせ萱で囲まれた建物である。駈けつけた時、すっかりと火に包まれ、五十蔵は、その前で腕を組み、傲然と炎を仰いでいた。
 人家は点在してあったので延焼はまぬがれたが、彼はその場から警察に連れていかれた。唇を噛み、じっと叔父をにらみつけていった彼の顔を、わたしは今でも忘れない。
 それ以来、彼の姿を、わたし達は見ていないのだ。
 焼けあとの整理が終ると、叔父は馬車を頼んで、どこからか古材を運んできた。
 わたし達は、また手伝いに行ったが、ひどく淋しそうに、黙々と叔父は手を動かすのだった。
 出来上がったのは、日本風の、小さな木造建ての平屋だった。
 
「十万円の予算があるんです。その範囲内で、あなたが損をしないようにやって下さればいいんです。」と、鶴岡はいよいよ数字を出してきた。
「でも、わたしは、たった一度しか経験がないんです。」
「一度?」と、彼は不安そうな顔になったが、それを吹き飛ばすように、「大丈夫ですよ。管野さんが手伝ってくれると言ってましたから。」というのだった。
 叔父はこのところ、神経痛と高血圧のために、寐たり起きたりの身体なのだ。手伝うと言っても、危なかしいものである。
 しかし、あれこれと教えてもらえば、昔の記憶を生かして、わたしにだってやれないことはないだろう。わたしは、すこし乗り気になっていた。何よりも、十万円という数字が魅力だったのだ。
 でも、今、家(チセ)作りを請け負うことは、アイヌであることを公然とひきうけることであった。四十男が、そんなことにこだわるのは大人気ないが、しかし、誇りをもってそれをひきうけることが出来るのかどうか、わからなかった。
 わたしは、戸惑った。そして、結局は、十万円がまぶしかったのだ。
「やりましょう。」と、わたしは思いきって答えた。
 
 竜天閣を横に見ながら、わたしはその建物に続くグランドを突っ切って行った。
 大きなバックネットがあるが、それは勿論、戦後の野球ブームが建てたものだ。この広場が竜天閣の真前にあるのは、れっきとした理由あってのことである。
 竜天閣は、皇族や、顕宮名士のための宿泊所なのだが、旅の疲れをいやすための見世物場所が、この広場なのだった。
 母は今でも、その頃の思い出を語りだす。物心ついてこの方、わたしは、耳にたこの出るほど聞かされてきたのだが、母にすれば、それは常に、昨日のことのような鮮度を保ち続けているのだろう。
 その思い出とは、今の天皇が攝政宮であった時代に、竜天閣に泊った時のことなのだ。
 こうこうと篝火が燃え上がる広場で、まだ娘だった母は、部落の女達と一緒に踊りをおどって見せたのだそうだ。
 竜天閣の二階の御座所から見下していた攝政宮は、いつの間にか広場へ出て、ゆったりとしたテンポで踊る円の中央に入ってきたという。そして、鉢巻き(サランペ)を頭に巻き、礼服(チカルカルペ)をまとい、首飾りや耳飾りをつけた女達の正装姿を、しげしげと見つめていたのだそうだ。
「眼鏡に、篝火がきれいに写ってな……それが又、気高く感じられたなあ……」
 そういう母の顔には、うっとりとした回想が漂っている。すべての苦しみが漂白され、一つの記憶のみが、赤々と母の心を照らすのだ。
 
 広場を抜け、松並木を歩いていくと、道は次第に下りになっていく。この牧場は、台地の上にあるのだ。そして、このあたりは、かってわたし達の祖先が住みついていた土地だった。
 明治の初め、ここを追われた人々は、山あいの狹苦しい川岸に下り、僅かな土地を耕作しながら、今の部落を作ったのである。
 何がしかの感慨におそわれないと言っては嘘になるが、胸を締めつけられるほどのことでもない。わたしは、今の部落で生まれ、育ったのだ。ほっと息をつけるのは、やはりわが家である。わたしは坂道をずんずん下っていった。だが、右手の繁みに、ブドウづるのからみついた木をふと目にして、その場に立ち止まったのだ。
 おふくろに取っていってやろうか――そう思って、わたしはがさがさと笹を分けていた。
 手をのばしたが、少しばかり届かない。紫色に熟した粒をながめていると、子供のような気分になるものだ。わたしは木登りをしはじめてしまった。
 背負っていたリュックがふくらみ、木の上で一息つくと、あたりの風景がさわやかに目に飛び込んできた。
 繁みの奥はゆるい傾斜になっていて、その下に沢が流れている。陽の光が砂金のように流れに反射し、わたしの喉は急にかわきを感じていた。わたしは枝にぶら下がり、下に飛びおりると、その沢へ下りていった。
 たてつづけに四、五回水をすくって、叩きつけるように水を口へやった。今まで、何度もこのあたりを通ったのに、こんな澄んで流れがあることを、わたしは気づかなかった。
 今、下りてきた傾斜と同じようななだらかさで、向かい側にも小さな起伏がある。ぐるりと見廻して、電線一本見通しに入らぬ自然のままの状態だ。
 ここだ。ここに家(チセ)を作ろうと、わたしは、この場所がすっかり気に入っていた。
 
 ブドウのつまったリュックを玄関先きで母に差し出すと、わたしは、すぐに叔父の家へ行った。
 声をかけると、奥の方から叔父の声がした。
「上がれ、待ってたぞ。」
 わたしは、たてつけの悪い障子をあけて中に上った。丹前姿で、叔父は奥の間から出てきた。
 一人息子の五十蔵は行方不明であり、妻にも死なれ、叔父は末娘の世話になっている。
 末娘といっても、三十過ぎた母親である。一家でもって、叔父の家に住みついているのだ。
 ダム工事の日雇仕事に今日も夫婦で出かけ、家にいるのは叔父一人のようである。子供達は、外で遊んでいるのだろう。
「からだ具合は?」
「うん、大したことはねえ。」と答えると、叔父はすぐに、「ところで、うんと言ったか?」と、たずねてきた。
「ああ、引きうけてしまった。だけど、何だって、おれのようなものに話をまわしてよこしたんだ。」
「わしも年だからな、身体が言うこときかない。そんなわしをのぞけば、このあたりで一度でも経験ある男は、お前だけだ。」
「源治はどうなんだ。」と、わたしは聞いた。
 源治というのは、貧乏人ばかりのこの部落ではまあまあの資産家で、部落会長をしている男なのだ。民生委員の肩書きも持ち、役場の駐在員でもあった。叔父よりは五つほど年下であるから、まだ七十にはなっていない。仲々元気な老人で、口を開けば、アイヌは誇りを持たねばと嘆くのだった。
「あいつは口ばかりで、アイヌのことは何もわからんやつだ。大体、この部落で真先きに木造の家を建てたのはあれの親父だからな――源治は、生まれた時から日本風にかぶれてたんだ。」と、叔父は頭から決めつける。
「それに……」と、叔父は言葉を続けた。「かりに作れたとしても、わしはお前にやってもらいたい。何といっても、お前は、わしの血につながる人間だからな。」
「でも、気を悪くしねべか。」
「どうして。」
「部落会長だもの。おうかがいをたてた方がよくねええか?」
「今度のことは、アイヌのことだ。世が世なら、わしは酋長の身分でねえか――部落会長に何の関係がある。」
 叔父は強い語気で言った。わたしは話を変えた。
「おれ、采配ふってやれるだけの自信ねえんだ……叔父さん、手伝ってくれるって言ったそうだな……」
「ああ、言ったとも。だけど、ろくな手伝いはできねえ……まあ、地べたさ座って、指図ぐらいはしてもいいぞ。」
「それまでしてくれなくてもいい。ここで、図面書いて教えてくれればいいから。」
「いや、現場さ行かねえば、気分出ねえ……ところで金はいくら出すと言った。」と、叔父はかすかに身を乗りだした。
「十万円。」と言いながら、わたしは、いくら叔父にやるべきなのか、頭の中で考えていた。
「えっ?! やっぱり十万か。それじゃあ出来ん――もっと増やせと、あの鶴岡とかいう男に話しておいたんだが……」
「出来ない?」と、わたしは不安になって叔父の顔をうかがった。
「材料だけで十万はかかるんだ。それじゃあ、手間賃は一銭も手に入らねえ。」と、叔父は断定する。
 わたしは、すっかり気が滅入ってしまった。
「せっかく、いい場所まで見つけたのになあ……」と呟やくと、叔父は、「ほう、もう見つけてきたか。」と意気込んでくる。
「うん、牧場を下ってきてな……」
「うん、うん、あの右手の……」と、わたしが言い終らぬ内に、叔父はうなずいた。
「知ってたのか? あの場所……」
「知らんでどうする。あのあたりは、わしのじいさん、ばあさん――お前のひいじいさん達が住んでたとこだ。」と、叔父は生き生きした表情で言葉を続けた。「すぐ教育委員会さ行ってこい。十五万円に値上げしてもらうんだ。」
 
 わたしは、その日、足とバスを使って早速町へ出かけ、役場の二階にある教育委員会のドアを押した。
 広いとは言えない部屋の中では、五、六人の人間が机に向かっていた。奥の方で執務をしている鶴岡の姿が見える。わたしは、ドアのすぐそばに席を占める若い男に、用件を伝えた。
 男は、不愛想な顔で立ち上がると、隅においてあったパイプで椅子を鶴岡のそばへ運び、そこに広げた。
「どうぞ。」と、奥から男は呼び、さっさと自分の席へ戻ってきた。
 慣れない場所におどおどして、わたしは鶴岡のところに行った。
 今日は、ラッシェコートを着ていない。背広のポケットからライターを取りだしながら、彼は顔を上げた。
「さあ、お座りになって――」
 鶴岡は煙草に火をつけると、ライターをポケットにゆっくり入れた。
 わたしは、どもりどもり、十万円ではやれないことを話した。聞き終ると、彼は、にやにやとあやすように言った。
「とにかく、もう予算は決まっていますから、どうにもなりませんねえ……適当に手を抜いて下さいよ。どうせ映画を撮るだけの背景なんですからね。何とかやりくりして、やってもらえませんか……ね、いいでしょう……もう、札幌にも、連絡してしまったんですよ。雪が降ったら、すぐに撮影したいと言ってるんです……材料については、こちらで交渉してあげますよ……」
 青空の下でなら、わたしはあっさりとことわっただろう。だが、お役所の中は、まるでおかしな気分に人をする所だ。わたしは、まるで命令された者のように、後へ引くことが出来なくなってしまったのだ。
 牧場の用地内に適当な場所があることを話し、借り受けてもらうことの交渉を、材料ともども積み込むと、わたしは廊下へ出た。
 
 家へ着いたのは夕刻だった。叔父に報告のため出かけると、やはり一人で寐ていた。
 起きてきた叔父は、話を聞き終っても、しばらく何も言わなかった。
「適当に手を抜いて、もうけてやるべ。それでいいって言ってたんだ。」と、わたしは元気づけるように言った。
「いくらそう言われたからって、家(チセ)は家(チセ)だ。人の住めんようなもの作っては、見る人が見れば、物笑いの種になるばかりだ。」
「そんな、かたいことよすべ。」
「尊太……」と、叔父は、わたしを見つめた。「人夫は、他人を頼まんで、身内の者でやらんか……奉仕するべ。」
「奉仕?」
「ただで働くべ。」
「馬鹿々々しい。ただ働きするくらいなら、おれ、断ってくる。」
「尊太、わがままをさせてくれんか……お前が、あの場所を見つけたと言った時から、因縁を感じてならなかったのだ。わしらの祖先が住んだ土地に、もう一度家(チセ)を建てることが出来るのだ。なあ、立派なものを建てるべ……」
 そう言う叔父の目には、光るものが溢れていた。わたしは、その涙に負けてしまった。
 
 用意が整い、家(チセ)作りが始まったのは十日後だった。働き手は、わたしと、わたしの妻、それに叔父の末娘であるモト子と、その亭主、幸二郎の四人である。身内といっても、貧乏村をみんな飛び出して、呼べば来る所に誰もいなかったからだ。最も、呼んだとしても、やはり貧乏を振り落せないでいる彼等が、一銭のもうけもない仕事に飛んで来るはずはなかった。わたし達にしても、しぶしぶの仕事なのだ。
「親父さんも、長いことねえべ……最後の孝行だ。」と、道すがら、幸二郎は、わたしの耳元で囁いたが、その言葉は、わたし達の心を代弁するものだった。
 叔父は、どうしても現場に行くと言ってきかず、リヤカーに乗せられてついてきた。だが、それは、その日始まったことではない。材料が整う前、神祈り(カムイノミ)をやらねば駄目だというわけで、無理矢理つきあわされ、おまけに、木弊(イナウ)が無事かどうか――つまり、神の許しが出たかどうかを確かめるために、再度、リヤカーを引かされていたのだ。
 
 叔父は莚の上にあぐらをかきながら、病む腰をさすりさすり、あれこれと指図をした。
 たった四人での仕事は能率が上がらなかったが、手がけ始めると、わたし達は熱中していった。二十年前の一つ一つの手順が、あざやかにわたしの腕によみがえり、わたしは鼻歌をうたいだしていた。
 
 二週間たって、仕事は終った。
 二つの家(チセ)――同じように萱で囲った、男と女の二つの便所(アシンル)――丸太を積み上げた熊の檻(ヘペレセツ)――ねずみ返しのついた庫(プー)――それらの風景を、わたし達は、腰をおろして黙ってながめた。
 あたりの繁みの枯れかかった色彩が、物哀しく調和していた。この風景は一つの幻――逝くべきものなのだ。逝くものは美しい。そして、美しいものはとどめておきたかった。
「このまま、いつまでも置いておきたいな。」と、叔父は、わたし達の心を掬うように呟やいた。
 真白に垂れたあご髭が、心なしかふるえていた。
 
 鶴岡には、翌日検定を受けてもらった。
 わたしの仕事は、それで終ったわけになるのだが、わたしは山へ上らなかった。川原の流れ木を拾い集め、燃料の準備をしたりしては、雪の降る日を待っていた。
 雪が降れば、撮影は始まる――自分の手がけた幻の部落(コタン)で、どのようなドラマが展開されるのか、わたしは見届けたかった。
 
 雪は何度も降ったが、一日たつと消えてしまった。ようやく本格的に積もり始めた十二月の初め、思いがけず嫌なことが起きた。ガタガタと玄関の板戸が音をたて、部落会長の源治が入ってきた時、わたしは勿論、そんな嫌なことを予想したわけではない。
「才末助けあいの寄附をもらいにきたよ。」と、彼は玄関先きに立ったまま言った。
「また助けあいの季節になったか――こっちがしてもらいたいくらいだが、いくら出せばいいんだ。」と、わたしは笑いながら言った。
「お前なら、千円だな。」
「冗談じゃない。百円でたくさんだべ。」
「いや、千円だ。」と、源治は真面目な顔をして言う。
 わたしは、彼のその真面目さにいぶかしくなって、「千円?」と問い返した。
「そうだ。だって、お前、最近すごくもうけたっていう話でねえか。」
「もうけた? 何でまた……」
「家(チセ)作って、たんまりもうけたべ。」
「ああ、あれか、あれなら……」と、わたしはむきになって仔細を話した。
 源治は、それでも、ひどく冷酷な顔をして言う。
「とにかく、千円だ。お前から千円もらえば、役場の割当てがちょうどになるんだ。」
「馬鹿言うな!」と、わたしは我慢できずに呶鳴りつけた。「寄附なんてのは、上から押しつけられてやるもんでねえ! そんなにしつこく言うなら、おれ、一銭も出さんぞ!」
「出すな! 誰がお前なんかからもらうもんか。お前のようにケチ臭い者には、もう何も頼まねえ――田植えにも来なくていい!」
「そんなこと言わねえで――うちの人、短腹だもんだから、失礼なこと言ってしまって――どうか、田植えは、今まで通り手伝わせてください。」と、妻はおろおろして源治に手をついた。
 源治は、戸を開け放したまま出ていった。
 妻は、力なく板戸を閉め、部屋の中に戻ってきた。
「ひどいこと言う!」
 そう言うと、妻は、その場で泣きだした。
「田植えが何だ。今は人手不足で、半年も前から、使う方で頼みにくる時代だ。来てもらいたいとこは、一杯ある。」と、わたしはむしゃくしゃして妻に言った。
「だって、この村では、みんな源治の家さ手伝いにいくんでねえか……うちばかり、除け者にされるのか……」と、妻は泣きじゃくりながら言う。
「お前、家(チセ)を作ること、源治に話したのか。」と、その時、母が横から口を出した。
「いや。」
「それで、へそ曲げたんだべ。あの家は、威張りたい血統なんだ……少しばかりの田畑を持ったからって、威張ることなんかねえ。みんな、親の代に、同族(ウタリ)からだましとったものだ……せっかく耕やした川岸の僅かな土地を、和人(シャモ)にだましとられた者はたくさんいるが、同族(ウタリ)にまでだまされるなんて……情けない……」
 母は淋しそうに呟やいた。
「そんなことがあったのか――」と、わたしは、初めて聞いた事実に驚いていた。
「お前のじいさんも、取られた一人なんだ。病気で、僅かな金を借りたばかりにな……でも、こんなことは自慢できる話でねえ……若い頃小耳にしたけど、お前には黙ってきたのだ……なあ、尊太、金もうけねえば駄目だ。金がねえから、馬鹿にされるんだ……」と、母の声は弱々しい。
 
 源治のおかげで嫌な気分にされたのは、わたしの家ばかりではなかった。叔父の所にいくと、やはり、同じ仕打ちをうけたというのだ。
 いつものような丹前姿で、叔父は娘夫婦と、源治をこきおろしていた。ダム工事が冬期間の休みに入ったため、このところ失業保険をもらって、娘夫婦は家にいるのだ。
「アイヌの誇りも地に落ちた。ここの部落も、観光アイヌに右へ並えをするのか――そんなことを言いやがった。もうけるとなったら、てめえこそ、何にでも飛びつくだろうによ。」と、娘婿の幸二郎は、口をとがらして言う。
「アイヌの誇りなんて、源治にわかってたまるか……アイヌアイヌと言うが、金の力で威張って言えるんだ。あいつから金を奪ったら、後に残るのは骨だけだ。」と、叔父もたたみかける。
 わたしも、むしゃくしゃして話しに加わっていると、車の止まる音がした。
 また、鶴岡がやってきたのだ。
 挨拶が終ると、彼は新しい用件を切り出した。そろそろ撮影が始まるので、それに出る人間を世話してくれと言うのだ。熊祭り(イヨマンテ)と、神謡(ユーカラ)を語るところを記録したいのだそうだが、日当は、一日千円とのことだった。
 わたし達は、顔を見合わせた。源治のことが頭にこびりついていたことは、言うまでもない。
 叔父は吐息をついて言った。
「わし達は、家(チセ)作りだけを請負ったんだ。人を集めるのは、源治のとこさいってもらうべ。」
「源治?」
「部落会長ですよ。」と、わたしが言うと、「なるほど、そう言えば、そちらにいく方が、すじが通っていますな。」と、鶴岡はそそくさと礼をして、その場を立った。
 
 三日ばかりたった朝、わたしの家の前を、部落中の者がぞろぞろと連れだっていくのが見えた。
 どこさいくとこだ――と、わたしは窓から声をかけようとして、言葉を呑んでしまった。源治の姿も見えたからだ。
 源治は、ちらとわたしの方を見たようだったが、そのまま、素知らぬ顔で過ぎていった。
 わたしは、すぐに叔父の所へいった。
 居間には、娘夫婦がいた。
「叔父さん、寐てるのか。」
「うん、今朝起きてきたら、何だかいつもより具合悪いと言ってね、すぐ寐てしまったんだから……」と、モト子が答えた。
 わたしは、奥の間を仕切るふすまを開けた。藁くずの飛び出した布団にくるまって、叔父は目をつぶっていた。
「叔父さん、どうした。」
「うん、何だか身体が下に沈んでいくような気分がしてな。」と、叔父は目を開いて言った。
「医者に診てもらったか。」
「なあに、長い病気だ……今さら診たって、どうにもならん……」と、案外元気な声で言う。
 わたしは、少し不安になってきて、今さっきの源治一行のことを話した。
「撮影が始まるんでねえか。」とわたしが言うと、叔父は即座に打ち消した。
「まさか、わしに何の話もせんで――源治がいくら威張りたくたって、わしよりも若僧でねえか。神謡(ユーカラ)の一つや二つ語れたとしても、わしの足元には及ばん――一応、顔をたてて、源治に話はまわしたが、神謡(ユーカラ)語りだけは、わしに頼みにくるはずだ。熊祭り(イヨマンテ)だって、わしに聞かなけりゃ、本当のものは出来ねえ……」
 その時、ジープの止まる音がして、「こんにちわ。」と入ってきたのは鶴岡の声のようである。
 わたしは、居間へ出ていった。
 鶴岡は玄関の障子を開けて、そこに立ったまま、言い難そうに口を開いた。
「早速ですが……作っていただいたあの家……まずいんだそうですよ……直していただけませんか……」
「まずい?」と、わたしは驚いて言った。
「四方が囲まれていては、屋内にカメラを向けることが出来ないんだそうですよ……」
「そんなこと、今になって言われたって困りますよ。大体、あれを作る時、こまかな指図は受けなかったんだ。とにかく、作れと言ったから、作ったんですよ。」
「どうも、連絡が不充分ですみません。わたしも素人なもんですから……何しろ、夕方から撮影が始まるもんで……今、ジープで一緒にいっていただきたいんですが……」
「夕方から?」
「ええ。」
「神謡(ユーカラ)は、誰が語るんですか。」と、わたしは思わず聞いた。
「ここの部落会長さんが、じきじきにやって下さるそうです……そうそう、管野さん、おからだ悪くて出られないそうで……お加減いかがですか。」と、鶴岡はたずねてきた。
「ええ、まあ……」と言いながら、わたしの心は煮えくり返っていた。いくら叔父の健康がすぐれないからといって、顔も出さない源治が憎らしくてたまらない。
 わたしは、幸二郎に目で合図した、叔父を刺激しないよう、さっと出ていきたかったのだ。
 わたしの心を読んで、彼は黙って靴をはいた。
 裏にまわって、物置から、鋸や鉈を持ち、わたし達はジープに乗り込んだ。
 
 撮影現場は、部落の人々で一杯だった。どこから探してきたのか、アツシを配って着せている若い男は、教育委員会の末席に座っていた人間である。
 女達は手鏡を見ながら口紅をぬっている――口紅、と思ったが、実は、それは紅ではなく、藍色だった。唇ではなく、その廻りをくまどっている。つまり、入墨を描いているのだ。
 その中から立ち上がってきたのは、ベレー帽をかぶった中年の男である。
 彼は、すぐに指図をした。
「この家の、表側の壁を、全部取り払ってくれませんか。柱も邪魔だから、倒れない程度に抜いてください。これじゃあ、せっかくこの中で神謡(ユーカラ)をやっても、カメラを向けられませんからね……リハーサルをやらねばならんし、大至急頼みますよ。」
 思ったより、大がかりな仕事である。二人は、汗だくでやった。
 源治をはじめ、部落の連中は、手をこまねいて見ている。
 終った時は、もう昼を過ぎていた。
「やあ、どうもどうも……」と、鶴岡は気の毒そうに頭を下げて言った。「昼食を用意してありますから、一緒にたべましょう。」
 わたし達は、四人の撮影班、それに教育委員会の若い男と一緒に、鶴岡の運転するジープに乗った。
 松並木の坂を上り、着いた所は竜天閣である。その階下の一室で、出されたお膳をわたし達はたべた。
 戦後になって一般の人も入れるようになり、賄婦をおいて、階下を観光旅行者の宿泊所にしていることを聞いてはいたが、入ってみるのは初めてだった。
 たべ終ってから、鶴岡は、「二階を見せてもらいましょうか。」と、ベレーに言った。
「いいですなあ。是非、この際。」と、即座に返事が返って、鶴岡は、備えつけの電話をかけた。
 庶務課の許可を得ると、彼を先導に、わたし達は廊下へ出た。
 天皇の御座所、を見ることが出来るのだ――わたしは、癪なことに、わくわくしていた。
 二度ほど廊下を曲がると、階段の下に出た。そこを昇ると、やはり廊下があり、左手に、ふすまを開け放した広間が二つあった。雨戸が締め切られ、廊下の右手にある窓から、薄暗い光がさしている。
 すぐの広間には、こまかな花模様を配した真赤な絨毯が敷いてある。
「時価、百万円だそうです。」と、鶴岡は説明した。
 わたし達は、絨毯のまわりを恐る恐る一めぐりして、奥の間へ足を入れた。
 真新しい畳だ。菊の模様がこまかく染め抜かれた茶色のへりがついている。
「ほう、伊藤博文の書ですな。」と、床の間の掛軸の前で、ベレーは感心した。
 わたしには、さっぱり読めない。
 奇妙なことに、ところどころの偏や旁を墨で丸く囲んであり、そのそばに、別の偏や旁が書き込んである。
「これは、どういう意味でしょうなあ。」と、その丸を指してベレーは言った。
「これですか……これはね、伊藤公がいささか酩酊して字を間違ったものだから、それを訂正したんだそうですよ。」と、鶴岡は説明した。
「なるほどねえ。」と、みんなは感心をしている。
 わたしは、ふっと、廊下に出た。
 その奥に何があるのかといってみると、どうやら便所のようである。尿意をもよおし、わたしは木目のあざやかな便所の戸を開いた。
 途端に、わたしは目を見張った。どうやら大便所のようなのだが、こんな金隠しを見たことがない。タイル張りの床の上から、二尺近くも、高々と突き出ているのだ。まるで腰かけのようである。
 ゆっくりと戸を閉め直し、わたしはもう一つの戸を開けた。それが小便所であったのだが、わたしは又も驚いた。青畳が敷いてあったからだ。
 天皇の便所なのだ――わたしは、あたふたと下へ行き、用を足した。
 
 家(チセ)の建つ現場に戻った時、人はさっきよりも多くなっていた。部落の者ではない。話を聞きつけてやってきた弥次馬連中が、撮影を待つ人々にカメラを向けては、シャッターを切っているのだ。
 スター気取りの人々の中に、見慣れぬ老人がいた。真白い、見事なあご髭を垂らし、何が気になるのか、ちらっちらっと手をふれている。わたし達の部落で、こんな髭を持っているのは叔父以外にないはずだった。
 よく見ると、それは源治だった。恐らく、つけ髭をしているのだろう。わたしは、胸がむかついた。
「降りて、見ていきませんか。」と、鶴岡が運転席から振り返った。
 前の座席に座っていたベレー一行は、もう外に出ている。わたしは、幸二郎と目を見合わせた。
「帰りますから。」と、期せずして二人は言った。
「じゃあ、送っていってあげますよ。」と、鶴岡はギヤーを入れた。
 
 ジープから降り、二人はむっつりと家に入った。
「家(チセ)は、どんなふうになってしまったんだ。」と、叔父の声がすぐに奥から聞こえてきた。
「家(チセ)?」と、白ばくれた言葉を返しながら、幸二郎は奥にいった。わたしも、後をついていった。
 叔父は天井を見ながら、「さっきの話、みんな聞いたぞ。」と言った。
 わたし達はうなだれた。
「なあ、家(チセ)はどうなった。」と、叔父は又たずねる。
 わたしが説明すると、叔父はぽつりと言った。
「又、直しにいくべ……」
「ああ、又いくぞ。撮影終ったら、又リヤカーでついていってもらうからな。」と、わたしは叔父をあやした。
 ストーブにあたりながら、わたしはそのまま叔父の家にいた。滅入った心は、仲々元に戻らない。冬の日は暮れ安く、夜のとばりはじきに下りようとしていた。それは、わたし達の心をますますしめらせ、誰も口を開かなかった。
 遊びから戻ってきた子供達は、大人の心もわからずに暴れている。だが、わたし達には、叱る元気もなかった。
 叔父の起きる気配がした。
 出てきた叔父は、丹前を着ていない。普段着を身につけて、「行くべ。」と言った。
「どこさ……」と、みんな一様に口を開いた。
「映画作ってるとこさ……」
「こんな暗くなりかかってから、どうしていける。身体具合悪いって言ってるのに……」と、モト子は驚いて言った。
「さあ、寐るべ。」と、幸二郎は叔父の手を取った。
「寐ていられねえ――源治が神謡(ユーカラ)語るなんて、とんでもねえことだ。嘘八百語っては、物笑いの種になる――お願いだ。連れてってくれ。源治を、わしに見張らせてくれ。間違いあったら、正させねえばねえのだ――」
 叔父は、幸二郎に取りすがって、何度も頭を下げた。
「間違うなら、間違わせておけばいいんでねえか。源治が赤恥かくなんて、いい気味だ。」と、わたしは言った。
「何言う――源治一人の恥でねえ。アイヌの恥なんだ。お前の恥、わしの恥なんだぞ――」
「そりゃあ、そうかも知らんが、大勢の人間の前で、それは違うと源治に言うのは、あんまりひどいんでねえか……そんなことしたら、ますます除け者にされるばかりだ……なあ、とうさん、思いとどまってくれねか……」と、モト子は叔父の肩に手をやって言った。
 叔父は、どたりとその場に座り込んだ。そして、手放しのまま、声をあげて泣き出した。
 子供達は、キョトンとしている。わたし達も、あっけにとられてしまった。
「わしは、口惜しい……口惜しい時は、泣きたいのだ……泣かせてくれ……」
 泣き声の合間に、叔父はかすれた声で言いながら、よろよろと玄関へ立っていった。
「叔父さん!」と、わたしは目を熱くして叫んだ。
「モト子! リャカー持ってこい!」と、幸二郎が興奮した声で言った。
 
 撮影は、もう始まろうとするところだった。
 ライトを浴びた家(チセ)の中では、十人ばかりの男女が、炉を囲んで座っている。中央には源治が、例のつけ髭であぐらをかいていた。
 残った連中は、離れた場所にたむろしていた。熊祭り(イヨマンテ)の雑兵達なのだろう。
「熊祭り(イヨマンテ)は終ったのか。」と、わたしは聞いた。
 誰も、返事をする者はない。今までガヤガヤと話していたのに、急に低い声になり、ちらちらとこちらを見るのだ。
 わたしと幸二郎は、委細構わず、彼等のそばにリヤカーを止めた。そして、叔父を降ろし、撮影が始まるのを待った。
「明日は、やるんだべな。」
「やるべな……でも、熊が届かなくて、また延期になるのもいいんでねえか。」
「そうだな。ぶらぶらして日当もらえるんだからな。」
「これで七百円とは、いい商売でねえか。」
 小さく聞こえる彼等の雑談の中から、七百円という言葉がわたしの耳を射た。鶴岡が叔父をたずねてきた時、確か千円の日当と言ったはずだ。とすると、三百円を源治はピンハネしたのに違いない。
 カチンと、拍子木のようなものが鳴り、源治は神謡(ユーカラ)を語り出した。
 すぐに、ベレーの大きな声がした。
「駄目々々――もっと、沈痛な顔をしてくれないかな。何回NGやらせるんだい。」
 フィルムの回転する音が止まり、撮影機をのぞき込んでいた別な男も叫んだ。
「ぼくは、この作品に賭けてるんだからね!」
「まだ、始まったばかりだ。悲しくもない場面で、沈痛な顔なんて出来るもんでねえ……でも、サワリにきたって、あいつらは意味がわからねえに違いねえ。相変らず、ポカンとしたツラでやらねえばいいが……」と、叔父は耳元できつく囁いた。
「別のとこ、やってもいいかね。」と、源治はベレーに言った。
「ああ、いいよ。声は後で吹き込むんだ。とにかく、今は表情が大事なんだから。」
 ベレーが答えると、源治は、さっきと違う言葉でしゃべり出した。手にした棒切れで、時々、炉縁を叩いては拍子をとる。精一杯の沈痛な表情である。
「ヘッ! ヘッ!」
 炉を囲む連中は、やはり棒切れで拍子をとり、掛声を合間に入れては、源治の表情を猿のように真似ている。
 叔父の、わなわなとふるえる身体が、並んで座ったわたしの身体にふれ、わたしは、おやっと叔父を見た。青筋が、眉間に立っている。
「そう、そう――その調子でね……じゃあ、本番いくよ。」と、ベレーの声がした。
 カチンと、また音がして、源治はやり出した。
 突然、わたしの鼓膜が破れるほどの大きな声で叔父は叫んだ。
「嘘つき! それは、ポイヤウンペが凱旋してくるとこでねえか! 晴れ晴れした凱旋の場面で、そんな情けないツラするやつあるか! 嬉しければ笑い、悲しければ泣く、腹がたつとこでは怒って演るのが神謡(ユーカラ)だ――それが、アイヌの心なんだ!」
 叔父は、むくりと立ち上がって、源治めがけて走り出そうとした。わたしは、あわてて後ろから抱き止めた。
「叔父さん、静まれ! 静かに話せば、わかることでねえか。」
「放せ! 我慢ならねえ! アイヌの仮面をかぶった化物を、殴り殺してやるんだ!」
 水を打ったように静まり返ったあたりの空気を、叔父の叫びはふるわし、わたしの腕の中で、叔父はもがきにもがいた。
 ふと、力が抜けた。わたしの、ではない。叔父の身体は、まるごと、わたしの腕の中にもたれてきたのだ。
 わたしは、ハッとして、顔をのぞき込んだ。叫び続けるかのように、口はカッキリと開かれ、目を見開いていたが、その眸は動かなかった。
 
 神謡(ユーカラ)は、それからどうやられたのか、熊祭り(イヨマンテ)がどのように行われたのか、わたしは知らない。
 叔父の葬式は、身内の者だけでひっそりと営まれた。身内以外、一人として弔問に来る者はなかったからだ。
 葬儀は仏式だった。アイヌの伝統を、びっちりと大事にした叔父の最後に、それはふさわしいことなのだと、みんなの意見が一致したからだ。生半可なアイヌ風の葬儀をやられては、叔父はさぞかし、浮かばれないことだろう。
 骨を埋めた日の翌日、新聞には、アイヌの記録映画が撮影を終えたという記事が載っていた。完成のあかつきには、天皇にも見てもらう予定だという。
「天子様に見ていただけるなんて……智恵を貸して作った家(チセ)が、どんなふうに写ったか……生きていたら、どう思ったべ……みんな、死んでいく……天子様だって、大分の年になったべなあ……あの頃は、わしも若く、天子様もお若かった……眼鏡に、篝火が写ってなあ……」
 母は、しみじみと呟やいていた。
 久方ぶりに顔をあわせた娘や息子――わたしの弟妹達は、その朝、早々と帰っていた。急に静かになり、母の胸に感傷が訪れてきたのだろう。
 わたしは、家を出るために身仕度をした。
 撮影が終ったからには、剥がした壁を元に戻さなければならない。それは、叔父への唯一のはなむけなのだ。幸二郎と相談しよう――わたしは、そう思ったのだ。
 
 叔父の家の前には、見慣れたジープが止まっていた。入ってみると、やはり鶴岡である。
「線香立てに来て下さったんだよ。」と、幸二郎は、わたしに教えてくれた。
「忙しくて、ついつい来られませんでした。悪しからず……」と、鶴岡は、わたしに頭を下げた。
 出されていた茶を一口すすると、彼は、わたし達に言った。
「もう、撮影は終りましたので、あの家は、すぐにほぐして下さいませんか……お取込中、誠に恐縮ですが……」
「エッ!?」と、わたしは驚いて言った。「ほぐさなければ、駄目でしょうか……」
「ええ、その約束で、牧場から土地を借りたのですから……」
「でも、別に、あそこに建っていたからって、邪魔になるわけじゃないでしょう。あれは、叔父の心がこもったものなんです……何とか、あのまま置いておけるように、牧場に交渉していただけないでしょうか。」と、わたしは身体を乗り出して頼んだ。
 幸二郎も、モト子も懇願した。
 たっての願いに、鶴岡は、交渉を約束して帰っていった。
 
 わたしの許に、鶴岡から手紙がきたのは、それから三日後だった。わたしは、せっかちに封を切って開いた。
 
拝啓 この度は、わたしの至らなさから、あなた方のお心を傷つけ、叔父上を死に追いやるような事態を引き起こし、申上げる言葉もありません。
早速、お詫びに参上し、仏の前に頭を垂れねばと思いながら、気持の整理が出来ぬまま、多忙にことよせ失礼を重ねてしまいました。また、二、三日前お伺いした際、深く陳謝申上げねばと心に決めながら、何とも言葉が出ず、さぞ御立腹のことと存じます。どうか、こんなわたしをお許し下さい。
ご依頼された件、せめてもの償いにと、牧場へ交渉したところ、近年、節操のない旅行者が足を踏み入れ、あのあたりにキャンプを張ってはいかがわしい乱稚気さわぎをするとのこと――そこへあの家を置いては、かえって悪用され、悪の巣になりかねない――それは附近に住む牧場の役人の子供達に対して、教育上思わしくない結果をもたらすだろうと言うのです。従って約束通り、撤回を求められました。
わたしごとき下級役人の申入れでは叶わずと思い、札幌に電話をかけ、道の教育委員会より直接頼んでもらうことにしようとしましたが、道では、撮影が終ってしまえば必要ない。後の処分は地元にまかせるの一点ばりでした。
どうか、事情を御推察の上、解体の件、よろしくお願い申上げます。
叔父上の御冥服を祈りつつ       敬 具
 
 読み終った時、わたしの目から涙が溢れていた。なぜ、泣けてくるのかはわからぬが、この気の弱い、善良な役人を、憎むことだけは出来なかった。
「何をしょげてる。」と、母が声をかけた。
 わたしは、もう一度手紙に目をやり、ぼそぼそと、低い声で読んで聞かせた。
「悪いのは、源治だ……せっかく、天子様が御覧になるというのに……例え、神謡(ユーカラ)がまやかしでも、家(チセ)の壁が剥がされても、お前達で作った部落(コタン)の景色を、天子様は見て下さるのになあ……生かしておいて、それを知らせたかった……」
 母は相変らず、天子様を繰り返す。
 
 わたし達は、その日すぐに、いわれた通りのことをやるために出かけた。
 わたしと妻、幸二郎、モト子の四人――リヤカーに乗った叔父の姿がないだけで、数ヶ月前、家(チセ)作りに出かけた時と同じ顔ぶれであった。
 作る時は二週間もかかったのに、こわすとなると、あっという間だ。黙々と仕事を続ける内に、大小の丸太は、山となって積まれていった。
 夕暮れが近づき、仕事は終りそうになっていた。萱は萱で一ヶ所に集め、わたしは火をつけた。
 炎を、見る見る内に大きくなっていく。
 わたしは、ふと、二十年前のある夜の、部落の火事を思い出していた。
 あの夜、出来上がった家(チセ)に火をつけねばならなかった五十蔵の心とは何なのだろう。そのようにしてまで、アイヌ自身を憎まねばならない心とは……
 嬉しければ笑い、悲しければ泣く、腹が立つとこでは怒って演るのが神謡(ユーカラ)だ――それがアイヌの心なんだ!
 叔父の言葉が、わたしの耳の中で鳴っていた。
 ――でも、なぜ、なぜアイヌが、アイヌを憎まねばならぬのだ……
 音をたてて、萱はなおも燃え上がっていく。
……眼鏡に、篝火が写ってなあ……
 母の言葉が、わたしの内部に押し寄せてくる――
 竜天閣の豪華な絨毯――畳敷きの便所――明治憲法草案者のふざけた掛軸――
 かって祖先の住んだこの土地は、今もなおわたし達のものではなく、今も又、追いたてられてしまったではないか――
 あの古びた竜天閣は、決して、古びてはいないのだ――
 小さな部落の中にさえも存在する階層――その階層を見上げて辿れば、頂点にあるものは……下級役人の鶴岡を、さらに上へと辿っていけば、その頂点にあるものは……やはり、今もなお、天皇なのではないか!
 憎まねばならぬものは、アイヌではないのだ!
「尊太、ここは女達にまかせて、丸太片づけをもう少しやるか。」と、幸二郎が声をかけた。
 ……尊太か……天皇の生まれ変り……尊い命だ。太く生きろか……とんでもない。何でおれが……おれは、ソンタクだ。糞だ。一生を貧乏で終るアイヌの一人だ!
 わたしは、燃え上がる萱の中から、棒きれを引きずり出していた。そして、火のついたその棒きれを振りかざすと、竜天閣めがけて走り出した。
 叫び声が後方でする
 幸二郎の足音が、わたしを追ってくる。
 ――腹が立つとこでは、怒って演るのが神謡(ユーカラ)だ――それがアイヌの心なんだ――
 叔父の声が、わたしを馬車馬のように走らせる……

最後までお読みいただき、ありがとうございます。著者の他の作品はぜひ、『骨踊り 向井豊昭小説選』および「向井豊昭アーカイブ」などで御覧ください。

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【目次】
[小説]1(初期短篇)
鳩笛[1970]
脱殻(カイセイエ)[1972]
2(長篇)
骨(コツ)踊り(「BARABARA」原型)[未発表]
3(祖父三部作)
ええじゃないか[1996]
武蔵国豊島郡練馬城パノラマ大写真[1998]
あゝうつくしや[2000]
[資料]
『根室・千島歴史人名事典』より「向井夷希微」[2002]
早稲田文学新人賞受賞の言葉[1996]
単行本『BARABARA』あとがき[1999]
やあ、向井さん[2007]
平岡篤頼「フランス小説の現在」[1984]
[解説]
鼎談:岡和田晃×東條慎生×山城むつみ「向井豊昭を読み直す」
岡和田晃「『生命の論理、曙を呼ぶ声』を聞き取ること」
 向井豊昭年譜
*「竜天閣」文字起こし:東條慎生/テキスト提供・校閲:岡和田晃
*表記については、原文が書かれた時代背景や、著者が故人である事情に鑑み、原則的に初出に従いました。
*本編「竜天閣」について、詳しくは『北の想像力』(寿郎社、2014)所収の岡和田晃「『辺境』という発火源――向井豊昭と新冠御料牧場」を御覧ください。