ネルシア_ヘッド

ネルシア『フェリシア、私の愚行録』訳者解題(text by 福井寧)


 2019年6月24日、幻戯書房は海外古典文学の新しい翻訳シリーズ「ルリユール叢書」を創刊いたします(詳しくは、リンク先を御覧ください)。
 以下に公開するのは、その第一回配本ネルシア『フェリシア、私の愚行録』の訳者・福井寧さんによる「訳者解題」の主要部分です。本書は当初、1775年に匿名出版された、著者の処女小説。20以上の版を重ねる売れ行きを示す一方、一時は禁書扱いを受け、かつスタンダールやアポリネールといった一部の文人たちに根強い愛好家を持った作品でもあります。
 フランス文学史において近年見直されつつあるマイナージャンル「リベルタン小説」の伝統と、それを代表する〈反恋愛〉小説の醍醐味を、とくと御覧ください。

福井寧「訳者解題」(抜粋)

スタンダールと『フェリシア』
〔前略〕今回訳出したアンドレ゠ロベール・アンドレア・ド・ネルシア(André-Robert Andréa de Nerciat 1739‐1800)という作家の小説『フェリシア、私の愚行録 Félicia ou Mes fredaines』(1775)はこのマイナージャンルである18世紀リベルタン文学の代表作の一つである。フランス18世紀リベルタン文学の愛好者の中ではよく知られた作品ではあるが、かといって一般に知られている作品ではない。ネルシアという作家についても同様で、おそらく日本の読者のほとんどが名前を聞いたこともないだろう。先程言及したように、リベルタン文学はフランスでもつい2、30年前まであまり顧みられることがなかったので、ネルシアに関する研究も今のところ極めて数が少なく、その全体像は今も謎に包まれている。

 この18世紀の後半を生きたネルシアという作家の作品の多くは19世紀の間は不道徳な書物として禁書とされ、フランス国会図書館の「地獄」の中に埋もれていたが、20世紀の初頭にギヨーム・アポリネールによって再発見された。2巻にわたる『アンドレア・ド・ネルシア騎士の作品』は1910年に第1巻、1911年に第2巻が「好事家文庫」から刊行され、『フェリシア』は第2巻に収録された。

 それでも100年以上の間ネルシアが全然読まれていなかったわけではない。たとえばスタンダールは死後発表の自伝的作品『アンリ・ブリュラールの生涯』(1835年頃執筆)の中で『フェリシア』に言及している。この作品の語り手(スタンダール)は少年の頃祖父に読むことを禁じられていた悪書をこっそりと盗み出して読むようになっていたが、その中に『フェリシア』があった。語り手はこう言っている。

 僕は全く夢中になってしまった。当時は恋人がほしいとばかり願っていたものだが、もし本当に恋人が自分のものになったとしても、これほどまでに激しい官能を感じることはなかっただろう。

 面白いことに、このスタンダールの自伝的作品の語り手が特に惹きつけられた小説はネルシアの『フェリシア』とルソーの『新しきエロイーズ』だった。そしてスタンダールは『フェリシア』を熱中して読んだことを認めながら、ルソーの表現を使ってこれを「片手だけを使って読む類の本」と呼び、この本を読んで感じた喜びは文学的喜びではなかったと言っている。それでもこの自伝的作品のところどころでスタンダールはこの2冊の小説の題名を並べている。19世紀前半の小説の頂点に立つスタンダールは若い頃に、美徳を奉じるルソーの恋愛小説と、悪書とされていたネルシアのリベルタン小説に同時に惹かれていたのである。

 しかしスタンダール以後は、ネルシアの小説を読んだという作家の証言が途絶えてしまう。ボードレールはラクロに関するメモの中に「ネルシアの書物の有用性」という言葉を書きつけていて、ネルシアを読んだことは確かなようだ。『悪の華』を出版したボードレールの友人プーレ゠マラシが、ネルシアの小説も非合法の形で再出版していて、ボードレールがプーレ゠マラシにネルシアの本などについて問い合わせる手紙が残っている。『フェリシア』は1822年に禁書として処分され、19世紀末まで有罪判決が相次いだが、それにもかかわらず一部の作家に読まれていたのである。


ネルシアの生涯
 アンドレ゠ロベール・アンドレア・ド・ネルシアという作家の生涯については多くのことが知られていないが、18世紀後半を生きた人間の例に漏れずなかなか興味深い人生を送ったようだ。

 アンドレ゠ロベールは1739年4月17日にフランス、ブルゴーニュ地方の中心都市ディジョンに生まれた。アンドレア・ド・ネルシア家はイタリアのナポリに起源をもつ家系だが、イタリアのシチリア島、フランスのラングドック地方やブルゴーニュ地方に子孫が住んでいた。アンドレ゠ロベールはまれに男爵とされることもあるが普通は騎士の称号で呼ばれている。職業は軍人で、若い頃にイタリア、ドイツ、デンマークなどを旅して回り、フランスに帰国後は宮内府に仕える近衛兵になる。処女小説『フェリシア』が匿名出版されたのはだいたい退役した頃、1775年のことだ。退役後は再びフランス国外に向かい、ドイツのカッセルで司書助手の役職を得る。若い頃から音楽に対する情熱をもっていたネルシアは、カッセルで自作のオペラを上演させる。1783年にフランスに帰って軍人に戻るが、この頃から密使、一種のスパイの任務を負うことになったのではないかと考えられている。音楽好きのネルシアはスパイ活動の際の暗号に楽譜を使ったことがあるとも言われている。フランス革命が勃発するとネルシアは再び国を出たようで、1792年には前年に革命政府に捕らえられたフランス王ルイ16世の救命を嘆願する任務をプロシアのブランシュヴァイク公に命じられるが、この任務は徒労に終わる。その後はまたフランスに戻り、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの監視役(これもスパイ活動に類したものだろう)などを担当したようだ。1798年頃には共和国の密使として先祖の出身地であるナポリに向かうが、革命政府のことを快く思っていなかったらしいネルシアはフランスを裏切ってナポリ王国側につく。ナポリ王妃マリア・カロリーナ(フランス王妃マリー・アントワネットの姉)の信用を得たネルシアは、反乱が起きたローマに送られるが、折悪しくローマがフランス軍に占拠され、裏切り者のネルシアは捕らえられて投獄される。1799年頃には釈放されるが、獄中で健康を損なったネルシアは1800年1月に亡くなる(1801年3月の説もある)。

 このようにネルシアの生涯は数奇なものではあるが、ルイ16世の救命の嘆願やジョセフィーヌの監視などの任務、さらに密使の任務は些末な任務だったと思われ、この動乱の時代において重要な役割を担ったとはとても言えない。おそらくネルシアの情熱はこのような政治よりもむしろ文学であり音楽だっただろう。詩は17世紀末に乗り越えられたと考えられ、演劇が文学の第一ジャンルであった18世紀において、ネルシアは自分の戯曲や自作のオペラを上演させているが、好評を得ることは出来なかった。本当は戯曲で成功したかったのに自分の得意は好色文学であることを認めざるを得なかったサド侯爵と同様に、ネルシアもまた好色文学によって後世に名を残すことになったのである。

 ネルシアは生前からいかがわしい小説の作者として知られていた。たとえばジョゼフィーヌの監視役がネルシアであることを報告するためにナポレオンに宛てた手紙の中でネルシアは「非常に出来の悪い卑猥な小説の作者」と呼ばれている。しかしネルシアの息子は父親について「確かに放埒な書物をものしましたが、父は素晴らしい夫、父親であり、忠実な友人で、世代を代表する快活な精神の持ち主であり、愛すべき人間でした」と書いている。たとえ好色文学の作者ではあっても一応の信用を得たのは、その人柄のためだったのだろう。

 ネルシアの名前について一言付け加えておこう。苗字はアンドレア・ド・ネルシア( Andréa de Nerciat )だが、アンドレアはAndréaともAndreaとも書かれる。ネルシアの名はナポリの先祖の苗字になく、フランスに定住したアンドレア家の領地の名前から来ていると考えられる。よって苗字の核はネルシアではなくてアンドレアにあるが、慣習上この作家はネルシアと呼ばれている。


ネルシアが残した作品群
 ネルシアの小説の中で最も有名なのはここに訳出した『フェリシア』だが、『取り憑かれた肉体 Le Diable au corps』と『アフロディテーたち Les Aphrodites』という連作も好事家には知られている。この二篇は戯曲体小説の連作で、18世紀のリベルタン小説の中でもきわめて生々しい性行為の記述によって知られている。自由な性行為を楽しむクラブのようなものを舞台とした作品で、ネルシアがそのようなクラブに通った体験を基にしたものではないかとも推測されているが、その具体的な根拠は存在しない。この露骨な性を描いた連作小説は現代の良識派の読者の眉をしかめさせるのに十分な力を今も失っていない。戯曲体の好色小説は珍しいものだと思われるかもしれないが、近世好色文学の祖とされる16世紀のイタリア人作家アレティーノの対話篇『ラジオナメンティ』を祖とするものだ。17世紀フランス好色文学には匿名作品『娘たちの学校』、ニコラ・ショリエがラテン語で書いた『婦人たちのアカデミー』などの対話篇があり、ネルシアと同時代ではサド侯爵の『閨房哲学』が対話形式で書かれた好色文学として知られている。ネルシアの連作小説はこの系譜に連なるものだ。

 一方ここに訳出した『フェリシア』は若い女性の主人公の独白であり、読者を少年少女ではない成人に限定すべきではあるが、性愛に関する記述は現代の読者の目にはもはやさほど破廉恥なものとは見えず、むしろ明るくユーモラスな語りと18世紀社会の風俗の豊かな記述が興味を惹くだろう。特に自らも音楽家であったネルシアの音楽についての記述や、パリと田舎の違いについての記述などが楽しい。確かに語り手のフェリシアは模範的な賢女とは正反対の「馬鹿なこと」をするのが大好きな女性なのだが、サド侯爵の作品に登場するジュリエットのような悪徳の化身とは程遠い心優しい女性である。18世紀当時のキリスト教の美徳を奉じない女性だが、残酷行為をすることなど考えもしない、単に享楽的な女性である。その語りは通俗的な下品さをもたず、一種の品の良さをたたえている。

 この小説『フェリシア』は最初1775年に匿名出版されたが、作者の同意を得ないものだったので、不満をもったネルシアは3年後に修正版をつくらせる。ここには『フェリシア』がかなりの好評をもって迎えられたことが背景にあると考えられる。もしよく売れていなかったらわざわざ修正版を出そうとはしなかっただろう。1800年までに22種類の版の『フェリシア』が出版されていて、当時としてはかなりのベストセラーだったようだ。この小説の成功に味をしめたネルシアは1792年に続篇『モンローズ、宿命でリベルタンになった男』を発表するが、これは凡作であり、『フェリシア』のような成功を収めることはなかった。

『モンローズ』の翌年の1793年に、先に挙げた連作のうち二作目に当たる『アフロディテーたち』が出版され、一作目の『取り憑かれた肉体』は作者の死後の1803年になって初めて出版された。『取り憑かれた肉体』の執筆時期は1777年以前と考えられるが、アポリネールはネルシアが『フェリシア』の発表前に既にこの連作小説を書いていたと考えている。いずれにせよ、『フェリシア』とこの連作小説の執筆時期はそれほど離れていないのではないだろうか。『フェリシア』の語り手は自分の作品について「貞淑ぶった女や信心深い人はこの本に憤慨するかもしれないし、逆に下品な放蕩者には大した刺激にならないかもしれません」(第二部第一章)と言っているけれど、もしかしたらこれはネルシアが既に下品な放蕩者の刺激になるような連作小説をものした後に書いた言葉だったのだと考えることもできるかもしれない。アポリネールが執筆時期を特定した根拠を示していないのは残念だが、何か決定的な資料をもっていたのだろうか。

 ボードレールの友人のプーレ゠マラシは1864年にネルシア全集の刊行を予告し、最終巻には新しい資料に基づいたネルシアの伝記と、ネルシアとボーマルシェ、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌらとの書簡集も収録されると書かれていた。残念ながらこの全集は刊行されることがなかったが、この資料と書簡がいつか再発見されることを期待したい。

 現在ネルシアのものとされる作品は音楽作品を除いて25篇が存在したことが知られているが、その中には未発見のものもある。15篇の小説のうち9篇は告白体のもの、4篇は戯曲体のもの、2篇は書簡体のものだ。喜劇の戯曲が5篇、物語集が2冊あり、その他のジャンルの作品が存在するとされる。これらの作品のうち約半分が確実にネルシアのものだとされていて、残りの半分はネルシアの筆によるものであるのかどうか疑わしい。ネルシアの作品であることが確実であるのは戯曲が4篇で、そのうちの2篇が未発見(存在が確認されているのは『ドリモン、クラルヴィル侯爵 Dorimon ou Le Marquis de Clarville』[1775年初演]と『コンスタンス、向こう見ずがうまく行き Constance ou l’heureuse témérité』[1781年初演のオペラ・コミック])、告白体の小説3篇(『フェリシア』、『モンローズ』、『私の修行時代、ロロットの喜び Mon noviciat ou les joies de Lolotte』[1792])、戯曲体の小説2篇(『取り憑かれた肉体』、『アフロディテーたち』)、書簡体小説1篇(『一夜漬けの博士号 Le Doctorat impromptu』[1788])、物語集1冊(『新しい物語集 Contes nouveaux』[1777])、未発見の芸術論1篇である。

 18世紀末のリベルタン小説の成功作であるルーヴェ・ド・クーヴレーの『フォーブラ騎士の恋愛遍歴』は『フェリシア』と趣向を同じくするもので、三部作の一作目が1787年に出版されている。ネルシアに関する書誌の多くは、この翌年にネルシアがフォーブラ騎士を題名に冠した作品を発表したとしているが、実物を見た者はないそうで、おそらくそのような作品は存在しなかったのではないかと思われる。

『フェリシア』、『取り憑かれた肉体』、『アフロディテーたち』の3篇がネルシアの代表的な長篇小説で、ごく短い書簡体小説『一夜漬けの博士号』を除くとその他の作品は凡作だと考えられている。もしこの3篇の長篇小説を同時期に書いたのだとすれば、1775年の退役の頃にはもう代表作をすべて書いてしまっていたことになる。サド侯爵全集など好色文学を数多く出版したジャン゠ジャック・ポヴェールは、ピエール・ルイスなどごく一部の例外的な作家を除くと、生涯を通じて好色文学の傑作を書き続けた作家は数少なく、多くの作家は生涯でただ一度だけ恩寵を受けるという好色文学の謎があると言っているが、ネルシアもその例に漏れず、生涯のある短い時期だけ好色文学の恩寵を受けたのだろうか。

 ネルシアはサド侯爵のような書くことの狂気にとりつかれた天才作家ではない。たとえ何かにとりつかれているとしても性にとりつかれているに過ぎない。『取り憑かれた肉体』と『アフロディテーたち』がポルノ小説だとして批判されても、「これは猥褻ではなくて芸術である」という反論は通用しないだろう。この二篇は「地獄」らしい呪わしさを感じさせる作品だが、『フェリシア』は禍々しさをもたず、それがこの小説の魅力となっている。


「愛においてよいものは肉体的なものだけだ」(ビュフォン)
 1775年に発表された小説『フェリシア、私の愚行録』は主人公のフェリシアが語る物語だ。このフェリシアという名前は「至福」を意味する名詞 félicité から来ていて、フェリシアは幼少期を除くと一貫して幸福な人生を送る。

 簡単なあらすじは以下の通りである。美しいフェリシアは孤児だが、シルヴィーノとシルヴィーナという画家夫婦に引き取られ、キリスト教道徳に縛られない自由な雰囲気の中で育てられる。芸術の才能があるフェリシアは特に歌の才能を発揮するようになる。その家では「愛の女神ヴィーナスが熱心にかしずかれていた」と言うフェリシアは自然に性愛に対する関心を高めていき、聖職者「猊下」やデーグルモン騎士などの複数の男性によって性愛へのイニシエーションを受ける。その後フェリシアはパリから地方に招かれて楽団の主席歌手になり、田舎の野暮ったい風俗が滑稽に描かれる。ここで乱交の宴が開かれ、村でスキャンダルになる。この田舎からパリに戻ってくるときにフェリシアの一団は盗賊集団に襲われ、助けてくれた男たち(シドニーとモンローズ)と知り合い、フェリシアは彼らとも関係をもつ。さらにロマンチックな感性を備えた「伯爵」という男性も登場し、最後にはフェリシアの生い立ちの秘密が明らかになる。この小説は性愛をテーマにした一種の教養小説であると考えることもできる。

 この小説が1800年頃まで20以上の版を重ねた背景には、この小説が不道徳なものとみなされながらも当局からは大目に見られていたということがあるだろう。面白いことに、この題名の「愚行(fredaine)」という単語も、「大目に見られるような愚行」を意味する言葉だ。この小説はフェリシアという若い女性が自分の犯した愚行を面白おかしく語る物語で、その愚行の多くは性に関わるものだが、そこに禁忌を侵犯するというような哲学的な意図は介在しない。サド侯爵の小説とは全く違って、幸せなフェリシアはあまり哲学を語ることがなく、ただ享楽的な人生を送るのだ。しかもその語りは自分本位のものですらなく、フェリシアは他人に対する思いやりや気配りを忘れることもない。おそらくネルシアが18世紀フランスの哲学者の中で最も自分に近いと感じていたのは理神論者のヴォルテールであり、ヴォルテールのような諧謔精神とバランスがとれた思想を自らのものとしていたのだろう。フェリシアの態度は反教権主義的なものだが、それを声高に語ることはない。フェリシアの語りには教義に凝り固まったキリスト教信者に対する嫌悪がはっきり感じ取られるが、それはあくまで表面だけを取り繕う偽善者に対する嫌悪であり、この小説に出てくる偽善者の霊的指導者ベアタンはモリエールのタルチュフのような俗物の聖職者だ。『フェリシア』は不道徳であるという理由で19世紀に禁書になったが、この小説に現れるのはモリエールの喜劇の系譜に連なる諧謔であり、同世代の作家サド侯爵が繰り広げるような無神論の側からの激越なキリスト教批判を期待すると肩透かしを食うことになる。

 そしてまたこの小説は他の18世紀の傑作小説『マノン・レスコー』、『新しきエロイーズ』、『危険な関係』とも趣を異とする。フェリシアの語りは常にユーモラスであり、決して盲目的な情熱に支配されることがない。フェリシアは「思いつめた恋心」を嫌い、デーグルモンから受け取った手紙の中にお決まりの「永遠の熱い愛の誓い」が書いていないことに喜ぶ。これは一種の反恋愛小説なのだ。フェリシアが求めるものはただ直接的な快だけであり、愛による救済のようなものには何の関心ももっていない。「愛は短く、友情は長く」というフェリシアの原理は18世紀の博物学者ビュフォンの言う「愛においてよいものは肉体的なものだけだ」という言葉と通底するものであり、ラ・メトリの『人間機械論』の延長上にあるものなのだ。

 しかしネルシアは新しいロマン主義的な感性の擡頭を知らないわけではなかった。この小説『フェリシア』の中に登場する「伯爵」という人物は『新しきエロイーズ』の主人公のサン・プルーを思わせるような情熱的な人物で、自分の激情によって自分を不幸にしてしまう。一貫して明るく快活な調子であるこの小説の中で、ただ伯爵に関するエピソードのトーンだけが他に比べると暗い。しかしフェリシアはこの人物に対しても思いやりを欠かさない。『取り憑かれた肉体』においては、登場人物がみな快楽のための性行為に興ずるばかりで、この伯爵と同様のロマンチックな感性をもつ人物がからかわれて滑稽な存在として扱われるのと対照的だ。ネルシアの本心は『取り憑かれた肉体』の方に表れていて、このフェリシアの伯爵に対する優しい態度は、露骨ではない比較的に穏健な小説の中での仮面だと考えるべきなのかどうかはわからないが、ネルシアが自身の感性とは違う新しいロマンチックな感性も甘受しようとしているということを示す態度であるとは言えるだろう。19世紀初頭のロマン主義は中世の騎士道風の恋愛観を復活させたが、それがこの伯爵の人物像の中に予感される。この『フェリシア』という小説の魅力の一つは、ある種の貴族的な感性が消え去るのを懐かしみ、新しい市民の感性が支配的になるのを少し寂しく思いながらも引き受けた18世紀後半のある小貴族の証言という性質をもっているというところにあるかもしれない。ただ明るい若い女性がユーモラスに物語を語るだけであれば軽薄な小説に終わっただろうが、この伯爵のエピソードが厚みを与えている。

 18世紀の精神を代表するヴォルテールは、『新しきエロイーズ』の主人公サン゠プルーのジュリーに対する一途な激情をからかった。ルソーをロマン主義の先駆者として捉え、ロマン主義の延長上の感性をもつ現代人はヴォルテールではなくてルソーの肩をもつかもしれないが、同時代人のネルシアはヴォルテールの側だった。それでも将来はルソーに軍配が上がることをネルシアは自ら意識することなく予感していたのだろうかとこの小説『フェリシア』は思わせる。


ユーモラスな語り
 18世紀は小説というジャンルが軽視されている時代で、19世紀のように小説が栄えていなかったからこそ、作家はさまざまな実験を試みた。ルソーの『新しきエロイーズ』やラクロの『危険な関係』のような手紙で構成される書簡体小説は18世紀に多く見られるもので、短いものではあるがネルシアも『一夜漬けの博士号』という書簡体小説を書いている。『取り憑かれた肉体』と『アフロディテーたち』は戯曲のような書き方の小説だが、いわゆるト書きでは書ききれないところがあると長い描写が挟み込まれるという特殊な形式をとっている。

『フェリシア』は主人公が一人称で語る告白体の小説で、この形式も18世紀フランスの小説に数多い。この小説は全体が四部に別れ、各部がそれぞれ約三十の章からなる。読者が目次を読んでまず目を引かれるのは、そのユーモラスな章題である。たとえば「読者には退屈かもしれなくて申しわけない章」、「あまり面白くないけど無駄ではない章」、「一部を除いてほぼ脇道」、「読まなくてもいいし書かなくてもよかった章」、「短いけれど面白い章」などの章題がとぼけたユーモアを醸し出している。この章題が醸し出す雰囲気が小説全体に貫かれていて、積極的に笑わせようとする冗談話があるわけではないが、語りそのものに読者をからかうようないたずらっぽさがある。おそらくこの物語の語りの時点で、語り手のフェリシアはまだ10代後半だと推定できるが、この小説は陽気ないたずらっぽい女性がくすくす笑いながら語っているような物語で、若きスタンダールはこのような女性に恋をしてしまったのだろう。

 基本的にこの小説は最初から最後までフェリシアによる一人称の語りだが、第三部を除く各部の最初の章にフェリシアと侯爵と呼ばれる人物の対話がある。第二部と第四部では侯爵がそれまでの物語について批評を加えるという形になっていて、この作品の価値についてネルシアがどのように考えているのかがわかるようになっている。この小説は若い女性の「愚行録」だが、「恋多き若者たち」と「愚行の愛好家」に捧げた作品であり(第一部第一章)、臆病な女、宗教を掲げる偽善者に責められている女、嫉妬深い夫、純粋な恋愛感情を大切にする純朴な青年などが、この小説を読むことで変わることができるのではないかと期待されている(第二部第一章)。第四部第一章ではこの小説が真実であることが強調されていて、たとえ退屈だとしても他の小説とは違って本当のことが書いてあるのだと主張している。

「この小説に書いてあることは事実だ」と語るのはこの時代の小説の常套手段だ。その際に事実を描いたものとは程遠い小説として槍玉に上がるのは頻繁に、純朴な青年セラドンを主人公にしたオノレ・デュルフェの大河小説『ラストレ L’Astrée』と「恋愛地図 la carte du Tendre」で有名なスキュデリー嬢の『クレリー Clélie』という17世紀の小説であり、ネルシアも例に漏れず第二部第一章でこれらの小説を揶揄している。18世紀の作家の多くは、とても信じられないような物語を語る小説を一種の仮想敵とし、この小説は本当の話だと主張したのである。

 ここで問題になるのが一種の語りの経済だ。本当のことを事細かに語った物語は当然長くなる。やはり自分が書いた小説は事実であると主張したサド侯爵は、自分の作品を飛ばし読みしないこと、全部読むことを読者に繰り返し要求したが、それは当時の小説の読者が飛ばし読みをするのが当たり前のことだったからだろう。サドと同じ時代を生きたネルシアもまた当時の読者について同様の傾向を感じ取っていたと思われる。先程言及したようなこの小説『フェリシア』のユーモラスな章題はおそらくこの傾向と関係があり、小説のクライマックスに「この本で一、二を競う面白さの章」という題名をつけるおかしさは、小説のことを長大で退屈なものだと考えて飛ばし読みを習慣にしている当時の一般の読者層を念頭に置いて理解するべきだろう。小説というジャンルが軽視されていたために、読者にはあまり真剣に小説を読む習慣がなかったからこそ、サド侯爵は自分の小説を飛ばし読みしないで全部読むように読者に繰り返し要求し、ネルシアはその反対に性急な読者のために読書の指標をユーモラスな章題に仕立てたのではないか。

 また、著作権思想の基礎をつくったのはボーマルシェだとされるが、ボーマルシェと同時代人のネルシアのこの小説の冒頭から書物が商品として語られていることが興味深い。


『フェリシア』はどのような言葉で書かれた小説か
 18世紀末のフランス人作家の中で、印刷所をもっていたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌは言語の実験的改革を試み、サド侯爵は「ベールをかけない言語」で書こうとして多くの卑語を用い、直接的で暴力的な言語を創造した。レチフも多くの新語をつくったが、ルイ゠セバスチアン・メルシエは『ネオロジー』でフランス語の語彙がアカデミーによって制限されていることに反抗して新語集をつくった。このようにこの時代のフランス人作家はさまざまな仕方で新しい言語を想像しようとしていた。

 ネルシアもまた新語を使う作家として知られているがその使用は控えめで、この『フェリシア』ではほとんど新語を使っていない。ただしcafardという「えせ信心家」という単語からつくった名前カファルド(Caffardot)のように、一部の人名が一種の滑稽な新語だと考えられる。ネルシアの文体は明晰で、曖昧なところがほとんどなく、知性を感じさせる。無造作で稚拙とも考えられるが思考と言葉のスピードが一致した文体で、練り上げられた文章ではないが簡素な文章の魅力がある。『新しきエロイーズ』や『危険な関係』のような同時代の書簡体小説と比べると、19世紀以後の近代小説の語りに近いスピード感をもった文体だ。18世紀末にこの小説は女性にも人気があったと言われている。

 アポリネールはネルシアのことをこう評価している。

 細かい心理の機微をとらえることができて、偏見を全くもたない素敵な作家。新語の使い方がほとんどの場合うまく、いかがわしくも心惹かれる人物。『フェリシア』の作者である魅力的な作家は18世紀が終わるのと同時に亡くなったが、この世紀を誰よりもデリケートで官能的な仕方で表現した。

 しかしネルシアのことをアポリネールのように高く評価した人は数少なく、18世紀当時からネルシアの評判は芳しくなかった。もっともネルシアの小説について言われたような「うまく書けていない出来の悪い作品」というのはすべての好色文学作品に共通した一般的な評価だろう。これからの時代にこのような一般的評価がすぐさま変わっていくとも思えず、悪書が良書になることもないだろうが、それでもこの『フェリシア』という作品の生き生きとした魅力が知られないままでいるのも残念だ。

 この小説の魅力を理解してもらうために、第二部に登場するエレオノールという人物についての描写の原文を紹介しよう。エレオノールは田舎の裁判長の娘で、この裁判長が音楽愛好家なので歌を得意としている。フェリシアとは対照的な気取った感じの悪い女性として描かれている。

Je suis minutieuse, et ne puis me corriger de ce défaut, qui conduit à la prolixité. Il faut que je trace le portrait de cette demoiselle Éléonore. C’était une belle fille, un peu brune à la vérité, mais pourvue des attraits que comporte cette couleur. Une stature au-dessus de la médiocre, des yeux beaux, mais durs ; une bouche dédaigneuse et déplaisante, quoique régulièrement bien formée. La taille était ce qu’on avait de mieux, mais un maintien guindé, théâtral en diminuait l’agrément. En tout, Éléonore était une de ces femmes dont on dit, pourquoi ne plaît-elle pas?
[訳]私の話は細かいですが、この欠点はどうにも直せなくて、饒舌になってしまいます。このエレオノール嬢がどういう人か書かないわけにはいきません。エレオノールは美しい娘で、確かに少し色黒だけど、この肌の色ならではの魅力をもっていました。身長は普通より高く、美しい目をしているけれどきつい目つきでした。口つきは人を馬鹿にしたような嫌な感じだけど、それでも均整のとれたよい形の口でした。スタイルは最良でしたが、気取っていて芝居がかった物腰のために魅力が少なく感じられました。つまるところ、「この娘はいったい何がいけないんだろうね」と言われるような女がいますが、エレオノールはその一人でした。

 フェリシアは小説の冒頭で「すべてを言わなければならない」と言い、ところどころでこのように自分の語りが饒舌であることを断りながら詳しい描写をする。興味深いことにこの態度はサド侯爵のジュリエットにも共通しているので、この百科全書の世紀においてはすべてを語り尽くすことが一つの目標だったと考えられるだろう。ジュリエットの語りにユーモアがないわけではないが、フェリシアの語りにはより屈託のないユーモアがある。これはパリから田舎にやってきたフェリシアの一行の前でエレオノールが歌を披露したときの反応だ。

Le premier cri d’Éléonore nous fit faire à tous un mouvement sur nos sièges. Le président, nous croyant déjà saisis d’admiration, nous disait d’une mine : « Eh bien?  vous ne vous attendiez pas à des sons comme ceux-là ? ― Assurément, monsieur le président, personne ne s’y attendait. »
[訳]エレオノールの叫び声が一声聞こえると、私たちはみんな椅子の上で飛び上がってしまいました。裁判長は私たちがもううっとりしているものと信じて、その顔はこう言っていました。「どうですか。こんな音色は思ってもみなかったでしょう」「もちろんですとも裁判長、こんなことは誰も思ってもみませんでしたよ」
Le chevalier, pour marquer plus de recueillement dans cette importante occasion, cachait son visage dans sa serviette. Lambert avait l’air de souffrir d’un grand mal de tête. Sylvina se composait un peu mieux. Le détestable air finit enfin. Alors tout le monde se ruina en applaudissements ; quant à moi, soulagée enfin, j’eus autant que personne l’air d’être fort contente. Le président ne tarit plus sur la musique et sur l’indulgence des gens à vrais talents, etc.
[訳]騎士はこの大切な機会にさらに精神を集中して聞いていることを示そうとして、ナプキンで顔を隠していました。ランベールはひどい頭痛に苦しんでいるようでした。シルヴィーナはもう少しうまく体裁を繕っていました。ひどいアリアがようやく終わりました。このときみんな割れんばかりの喝采をしました。私はようやくほっとして、誰にも負けないぐらいの満足を見せました。裁判長は音楽について、本当の才能をもった人は寛大だということなどについて話し、もうとどまることがありませんでした。

 このようにフェリシアは裁判長とその娘のエレオノールのことを馬鹿にした書き方をするが、ひたすら残酷なからかい方をすることはなく、滑稽ではあっても善良な人であるがゆえに寛大に接する。このフェリシアのバランスがとれた態度がサド侯爵のジュリエットとの大きな違いだ。


フェリシアはどのような遊女なのか
 はっきりと示されていないが、フェリシアは1756年から1763年にわたる七年戦争中に生まれていてこの小説は1775年に発表されているので、語りの時点でのフェリシアはまだ20歳になっていないだろう。第三部第十六章の時点でフェリシアはまだ16歳である。フェリシアは歌手だが、第三部第六章など三カ所で自分のことを「遊女( femme de plaisir )」と呼んでいる。しかし後に「ふしだらな女( femme de mauvaise vie )」(第四部第二十二章)と呼ばれるとそのことに激怒している。これを理解するためには当時の歌手や女優がしばしば曖昧な存在と考えられていたことを知っておかなければならないだろう。

 モーリス・ルヴェールのサド伝(1991)の中に若きサド侯爵に関する面白いエピソードが紹介されている。1740年生まれのサド侯爵は1763年に結婚するが、1764年にコメディー・イタリエンヌで20歳の女優コレ嬢に紹介され、この女優に熱を上げる。この女性は米国人富豪やさまざまな貴族に次々に養われるばかりでなく、同時期に二人の貴族からそれぞれ月額20ルイ、30ルイを受け取った上に借金を肩代わりしてもらったりしている。そればかりでなく、30ルイで英国人騎士と一夜を過ごしたりすることもあった。『フェリシア』に登場するシルヴィーナやドルヴィル夫人のような女性がこの時代には実在したのである(「猊下」のようなリベルタンの高位聖職者も実在した)。このコレ嬢にサド侯爵は「もうあなたなしでは生きてゆけない」などと書いた情熱的な手紙を出している。ルヴェールはサド侯爵の言葉遣いを相手がどんな女性であるかがわかった上で用いているシニカルな言語だと考えているが、それが当を得ているかどうかは疑わしい。

 この小説『フェリシア』の中でも女主人公は情熱に満ちた手紙を多くの男性から受け取っている。おそらく18世紀のフランス社会にはこのような女性たちに対する社会のコードがあったのであり、サド侯爵もそのコードに従ったまでのことだろう。ここでサド侯爵の「本心」を問題にするのは不適当だと思われる。サド侯爵が手紙の中でコレ嬢の「美徳」を語るのを見てルヴェールはこれがアイロニーだと考えているが、事情はそれほど単純ではないだろう。コードに従った言語を用いることが要求されているところでは、考え方や感じ方もそのコードによって影響を受ける。自分が関係をもちたいと思う女性の美徳を讃えなければならないという決まりが社会によって要請されている限り、その美徳を称える言葉を書いている男性は、社会のコードを完全に客観視しているのでもなければ、自分の言葉を全く信じていないというわけではないだろう。若い頃のサドはまだ社会のコードと距離をとることができていなかったと想像する方が、若い頃から全くシニカルな考え方をしていたと考えるよりも自然ではないだろうか。

 フェリシアに情熱的な手紙を送った男性たちも「フェリシアは娼婦同然の女性だ」と割り切って考えていたわけではないと想像される。フェリシアが自分は遊女だと言うときも、それは娼婦と同様だという意味ではなく、この時代のフランス特有の曖昧な存在を意味していると考えられるだろう。フェリシアのような遊女は「不道徳」な存在だが、この不道徳を享受しうる階級のために存在したのである。『フェリシア』に先行するフジュレ・ド・モンブロンのリベルタン小説『修繕屋マルゴ』(1753)は、やはり娼婦と同一視されることが多かったお針子が男性客を利用してしたたかに生きていく話だが、フェリシアはこれとはまた違う誇り高い遊女の類型をつくり出したと言える。


ネルシアの作品が現代にもちうる意義
 ジャン゠ジャック・ポヴェールによると、世界でいちばん好色文学が豊かなのは間違いなくフランスだという。中にも18世紀はリベルタン小説が多く、20世紀後半からそれまでよく知られていなかったリベルタン文学が発掘されるようになっている。その中でもネルシアの作品に特徴的なのは、性に対する屈託のなさである。これに対し、サド侯爵の作品を筆頭として、放縦な性が侵犯と結びつけられる好色文学があり、そしてそのようなものとして描かれる暗い性がしばしば文学愛好家の興味を惹いてきた。

 しかしこのような発想においてしばしば性的逸脱が犯罪と結びつけられてきたことを無視するわけにはいかない。サド侯爵の小説の登場人物のジュリエットは性欲の塊であると同時に決して改悛することなく犯罪を繰り返す化け物でもある。ジュリエットがフランス文学史の中でも際立って魅力的な人物であることは確かだが、それでもジュスティーヌとジュリエットの物語を完読した人がジュリエットに心から共感することはおそらくありえない。

 19世紀のドイツの匿名作品『ドイツ人女性歌手の手記』の中に興味深いエピソードが綴られている。これが本当にドイツ人女性歌手によって書かれた手記なのかどうかは詳らかにしないが、この手記の語り手が出会ったフランス人女性が、自分の夫はサド侯爵の本を読んだがために放蕩に溺れて死んだのだと語る。しかしこの男にサドを読むことを勧めた人は善意からそうしたのだった。

 私も激しい肉欲に苛まれていたのに、サドの本を読んでそれが治ったのです。反対にあなたの夫はさらにひどくなってしまった。私の方は自然に反する欲望から救われました。「禁欲主義者」になったとは言いませんが、羽目を外して快楽に溺れる人々とは違います。うんざりして目が覚めたんですよ。あなたの夫は魅力に屈してしまった。

 このフランス人女性は絶望して自分も夫のようにサドの本を読んで放蕩の末に死のうとするが、逆にうんざりして快楽を求めなくなる。この女性にサドを読むことを勧められた手記の語り手もまた、サドを読んだために性にうんざりしてしまうのだ。

 サド侯爵の哲学的な小説作品はキリスト教の謹厳な性道徳と相性がいいものではないが、性と逸脱が常に密接に結びついているがゆえに、性が抑圧されたものにとどまってしまっている。これに対して特に哲学的ではないネルシアの作品は抑圧も屈託もない性を語ることができた。後に精神医学によって病理ととらえられるような性の逸脱を描いたサドと違って、ネルシアは大目に見てもらえる「愚行」として性を描いたのである。

 ボードレールは短いメモの中で「ネルシアの書物の有用性」について語ったが、そこで「革命は享楽主義者によってなされた。〔…〕よってリベルタンの書物が革命を注釈し説明する」と言っている。『フェリシア』が革命を予感させる書物であると言ったら大げさに過ぎるが、フェリシアはそのくすくす笑いで常に謹厳な道徳から身をかわしている。ささやかな「愚行」すら許そうとしない顰めっ面の道徳が大手を振り、マゾヒスト風の謹厳な道徳が今か今かと復活を狙っている時代だからこそ、真面目な文学らしい陰鬱さを笑い飛ばす享楽主義者フェリシアのいたずらっぽい語りに耳を傾けたい。

 しばらく前まで、ネルシアと同時代の18世紀末の作家、レチフやメルシエなどについては文学的価値よりも史料的価値の方が高いと思われていた。この『フェリシア』についてもやはり音楽や当時の風俗についての記述がまず現代人の関心を惹くだろう。しかしこれからリベルタン文学の価値が見直されて、天才とインスピレーションの神話から解放された今後の文学史においては道徳的意図も哲学的意図ももたない作品の文学的意義が再評価されるようになることを期待したい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。本篇はぜひ、書籍『フェリシア、私の愚行録』で御覧ください。