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窯焚

窯焚きが遅れている
昨年、何月に窯焚きをしたのだろう
今回、これだけ 空いたことは無い
一体何が有ったのか

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風邪をこじらせて微熱が続き一週間ほど寝込んだことも有った
山で薪を切り出していて膝のじん帯を伸ばしたことも有った
次女が3人目の出産で孫二人とやってきた
何やかんやで作陶の時間が減ったためだ

その上に昨年「フラクタルの森 玄明 陰陽学」という本を幻冬舎から出版した後、量子力学に興味を持ったことが一番の原因だろう
量子論と陰陽学とがピッタリはまって、今まで学んだ真理を全て素粒子の持っている性質で翻訳するとメチャクチャ面白い

何だか時空がねじれてくるような感覚だ

ただ、問題に感じているのが、創造主とか根本仏とか神さまのことを物理学的、科学的に翻訳してしまいそうなことだ
ただ、その存在を単純に擬人化して、神さまとか創造主としてイメージすればよいのに、なんだか血が通っていない存在かのように捉えてしまう
隔たりが無くなってしまう

こう書いていても思うことは、神を意識するのにも左脳的に理解する面と、右脳的に意識する面とが有り、両面が必要なのかもしれないということ
左脳的に神さま、創造主を見ることと
右脳的に見ることのバランスが取れていることが必要なのだろう

フラクタルとは元々数学用語であり、CGの技術に使われるらしいけれど、右脳的な表現が許されるなら「似ている」ということだ
ミクロとマクロが似ている
部分と全体は似ている

感覚的(右脳的)に翻訳して、その似ているということの中に法則が有るだろうとして考えてきた
それがよく使っている図である

簡単に二つの似ているモノを並べると面白い

原因と結果
思いと行い
あの世とこの世
宗教と科学
陰と陽      陰陽学
ミクロとマクロ  宇宙
波と粒      量子論

全て、右脳的なモノと左脳的なモノに分類できる
卵が先か鶏が先かという議論が有るように、難しそうに見えるが、
あの世が実在であり、この世は仮の世界であるということから考えたり、結果の前に原因が必ずあることを考えても、先に在るものは陰の要素だということは間違いがないだろう

思い、意識が先に在り具体化されたものが出てくるだけだ
光であっても、先に波としての波動が有り、その変化形が様々に在り、粒として、光の粒子と見えている
光が当たり温かさを感じるのは、粒として変化して。それがぶつかり壊れることで熱などのエネルギーが伝わってくる

波が粒として存在するのはホンの一面でしかなく、量子もつれだか何だか知らないけれど観測者によって波が粒として存在できるという
まるで宗教の世界のようだけれど、よく分からない

この波とは不思議なのだ
目に見えている粒(物質)と同時に波が有ると考えると、全ての物質から放射されている放射線が有るらしいけれど、その波の本質をつかむことが出来たなら、おそらく重力の秘密も霊界の秘密も宇宙の秘密も明らかになって来るのではないだろうか

宗教の意味も科学的に解明されるときが来るだろう

・・・・・こんなふうに、別のことを簡単に書こうとしても、ついついこちらに入り込んでしまう
文才も無いのに書きながら考えながら文にするために、まとまりを得ずにいつも迷惑をかけている

ただ、次の窯出しの時は、案内することを伝えたかっただけのことです
窯出しは3月に入り温かくなってからになります

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