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大同の万里の長城 by 高見邦雄(GEN副代表)

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 長く通いつづけた大同は長い歴史をもち、たくさんの文化遺産を有しており、万里の長城もその一つです。いくつかの名所をとりあげるとともに、そのもつ意味を考えてみます。
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 万里の長城というけど、そんなに長いの? こういう表現って大げさになりがちだもんね。いまの中国の1里は500mで、日本の4kmよりずっと短い。中国サイトで調べると、長城の総延長は21,000km余りだそうで、万里よりずっと長い。一直線にそれだけあるんじゃないのです。山西省大同市あたりでは、地図でみても長城は北と南、二重です。

 北の長城は外城と呼ばれ(漢族側から)、山西省と内蒙古自治区の境界と重なっており、大同にも数か所の名所があります。西から順に、まずは新栄区。長く長城が延び、いくつもの狼煙台が連なっているのを眺めることができます。大同の長城は土を固めた土長城です。版築といい、板枠に黄土を詰め、杵や複数人で扱うタコで突き固めます。雨が少ないこともあって、千年以上ももちます。
 新栄区では長城に5つの口が開いています。戦時は閉ざされても、平時は交易も行われ、北からは馬、南からは茶、絹が物産の代表だったよう。高くて厚い土壁で囲われた村が長城近くにあり、名前の尻に堡がつきます。有名なのが得勝堡で、私たちのツアーもよく訪れました。

 つぎの名所に陽高県の守口堡があります。西から山の稜線を伝ってきた長城がふもとの平地に下ります。山を上ったり下ったり、立体感があって見栄えがします。
 守口堡村の横に内蒙古にぬける道路があり、それを睨む山の上に狼煙台があります。馬の背を渡り急坂を上るので、日本なら絶対禁止ですけど、以前はよく登り、凧揚げもしました。
 ふもとに小学校付属果樹園を建設したのは1996年春で、イオンリテールワーカーズユニオンの前身、全ジャスコ労働組合の最初のツアーが汗を流しました。長城を背景に、満開のアンズの花は絵になります。


 さらに東に進むと天鎮県の李二口があります。守口堡で平地に下りた長城が再び山に駆け上がるところ。ところがその場所を通り越し、あわてて引き返して山に上り、部分的に二重になっています。指揮官が眠っているあいだに工事が進んだのだそう。

 年間降水量400㎜のラインと長城とが重なると教わりました。灌漑に頼らない天水農業の限界が400㎜だそうで、農耕のできる限界まで漢族が押し出し、そこに長城が築かれました。長城をはさんだ対立は生産様式の違いであり、草で家畜を養う人と、土を耕す人とが相いれなかった。

 南の長城は内城と呼ばれます。南の勢力が強いときは外城が国境となり、北の勢力が押し出すと内城が境界になりました。大同の支配民族はたびたび交替し、複雑に入り組んだ歴史を残しました。
 内城で有名なのは霊丘県の平型関です。日本の板垣師団と中国側とで激戦があり、日中戦争で中国側が最初にあげた勝利とされました。この県には内城に置かれた狼煙台がいくつも遺っており、黄色い大形のレンガを張った立派なものです。

 大同の長城は内・外の二つだけではありません。渾源県の恒山近くにも見られ、広霊県で出合ったこともあります。連続してはいませんで、異なる歴史時期に築かれたものが幾重にも存在するよう。
 素敵なのが河北省保定市涞源県の烏龍溝長城で、いまの協力地・蔚県の近くです。明代の建設で、修復の手は入ってないけど、きちんと整形された花崗岩を土台に、黄色いレンガ張りがよく残っています。美観は軍事目的にないでしょうけど、ああ、日本の城が美しいのと同じか、と思いました。

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