サイレント・ペイン

 純白の義体が大きくジャンプ! コーナーポストの上部を蹴り、さらに宙高くへ跳び上がり、ぎらついたスポットライトの光源を背に、避け切れないボディ・プレスを繰り出してくる。決まった! 肩口にその攻撃を受けた熾火色の挑戦者、激しく後頭部をマットに打ち付け、フォール。カウント、ワン、ツー、辛くもロープに逃げる。ここまでの状況いかがでしょう、解説の小林さん?
 ええまあ、試合開始から一方的な内容で、とにかくチャンピオンのサイレント・ペインの強さが目立ちます。オッズの傾き方も仕方ないですね。とにかくスピードが抜群で、技の当たり方も正確。今のフライング・ボディ・プレスもあのタイミングで繰り出されると避けるのは難しいでしょうね。
 同じ義体での戦いですが、遠隔操作者のスキルで、これほどまでに違いが、あっと、低い体勢から襲い掛かるチャンピオン、右のアッパーを振り上げ、入った、挑戦者、ダウン! そこへ、止めとばかり繰り出されるニー・ドロップ。ああっ、首元に決まった! レフェリーが両者を分けて、さあ、立ち上がれるか挑戦者。
 冷静な攻撃ですね、この義体のウィーク・ポイントを無駄なく攻めてくる。っと、挑戦者ガルソニック・ワン、立ち上がるようですけど、頸部破損ですね、緑色の潤滑液が口元から血のように滴り落ちています。
 ふらふらとしてますね。ダメージは大きいようですが大丈夫でしょうか、っと、試合再開、脱兎のごとく飛び出すチャンピオン、満身創痍の挑戦者の、その首元にラリアットを振り抜く!
 
 ティーラウンジはどこも真っ白で、広さの感覚がつかめない。硬質プラスチック素材のテーブルも椅子も純白、床も壁も自光式パネルが薄く輝いていて、天国の風景ってこんな風なのかもしれないと思ったりもする。
 シズカはいつものテーブルに銀色の車椅子で待っていた。上下白いスウェットを着ている。これもいつもの通り。きれいに剃り上げた頭部の色は頼りないほどに薄く、長いまつ毛の色も柔らかな茶色に見える。どこか寂しげな幽霊のようで、少し目を離した間に決定的な遠くまで消え去ってしまうかのよう。
 テーブルの上にはいつものダイエットコーク。こちらの気配を感じているはずなのに、こちらに目もくれずにストローに息を吹き込んで、ぶくぶくぶくぶくと遊んでいる。
「お疲れ。昨日も圧倒的な勝ち方だったわね」
 ぶくぶくぶくぶく。
「それ、お行儀悪い」
「お行儀? なにそれ?」
「礼儀作法に乗っ取ったふるまい」
 アラーム音、メッセージ着信。タブレットを確認すると目の前のシズカからの送信だった。動画が送られてきている。
 再生する。
 黒い大きな子犬の顔のアップ。伏せをしていて、その前に水を張った大きなガラスの深皿が置いてある。カメラに視線を向けたまま、右に左に首をかしげて見せる子犬。やがて、その水に鼻づら突っ込んでぶくぶくと水遊びを始める犬。息の続く限りぶくぶくと泡を出し、ざばっと顔を上げ、一声、ワンっと鳴くとまた顔を入れてぶくぶくと始める。
「楽しそうでしょ?」
 そう言うと、またぶくぶくと始める。
「楽しいの?」
 ぶくぶくぶくぶく。

 遠隔操作義体を使った各種競技スポーツが隆盛を迎える、ほんの少し前のことだ。
 各メーカーで生産されていた義体のうち、特にトップメーカーであったガルソニックの最もヒト型に近いモデルGPXを使ってレスリングを模した賭けバトルが流行した。義体自体はまったく同じものを二台、メーカーが新品状態で納入し、そのどちらを使うかは試合直前まで決められていない。製造番号をくじ引きの要領で引き当て、それから義体が各々の陣営によりブートアップされる。
 ブレインハックとも揶揄されるその技術は基本的には脳の活動電位を余すことなく捉え、操作者のイメージ通りに義体を動かす技術である。その操作中、操作者は自分の体を動かすことはできない。視覚、聴覚など、義体側で使用される感覚についても同じだ。
 義体のセンサーが拾う感覚も操作者側にフィードバックされる。義体の目で見て、義体の耳で聞き、そして義体の痛みを感じる。
 この痛みの閾値を越えると、自動的に義体と操作者の接続は強制的に遮断される。首の骨を完全にへし折られた状態となったガルソニック・ワン(これは、メーカーの威信をかけた遠隔操作技術が使われていたようだったが所詮シズカの敵ではなかった)がマットに沈んだ時、挑戦者の意識がその本来の身体に戻った。
 シズカはこのシステムの特異点であった。
 私はその管理をするもの。
 あるいはプロモーターとしてこの賭博行為を巨大にしていく国家公務員。
 母親であったもの。
 生まれつき痛みを感じない身体を持つ我が娘を、痛覚処理のためのデバイスとして扱った母親。

 各々の義体の拾う視聴覚情報は、そのままVRシステムへ流用できる。臨場感については非の打ちどころのない、まったくの本物の闘いを感じることができる。
 そして痛みも、フィードバックされたのだ。
 自分の賭けた義体の相手側の受ける痛み、それを感じることが賭けの成立のために必要とされた。シズカのサイレント・ペインに賭けるのなら相手のガルソニック・ワンの痛みを舐め尽くさなければならない。段階的に百パーセントから五十パーセントの強度で痛みを選べる仕様になっていた。その強弱で配当額が大きく変わるのだった。
 いつしかこのシステムには百パーセント超という賭け方が生まれ、結果数多くの人間がショック死したが今も特に改められてはいない。取り分があまりに大きくなるのだ。

 ハックされてるんじゃなくって。
 この入れ物に入ってるだけなんだって。
 コンテンツ。動画みたいな。
 ワタシは入れ物の方じゃない。
 ボディ・プレスで相手の顎が強く当たった、この脇腹。
 そこに起きたとされるこのうす紫色のギザギザとした光が痛みだというなら、
 こんな美しいものは誰にもあげない。
 ワタシだけの痛み。
 ワタシはここでこそ生きている。

「もう少し試合を盛り上げてほしいのよ。ショー的な要素をね、分かる?」
 ぶくぶくぶくぶく。
「スポーツなんだから、僅差で勝つくらいの方が盛り上がるの」
「わかった」
と、シズカが顔を上げる。かみしめた唇から真っ赤な血がゆっくりと流れ落ちる。コールシステムを使う。看護師たちがわらわらとやってくる。シズカの白いスウェットの胸元が赤く染まっていく。
「スポーツってなんか嫌い。そこはワタシの場所じゃない」
 車椅子が遠ざかる。
 天国のようなラウンジでただ一人取り残される。

       (了)

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