渦の踊り子

 てめぇ、マジ殺す。
 って気のせいだろうけど、
 あん時ゃさすがにあせったね。
 しこたまやってた、ねるの部屋、
 口移しにスポドリなんてしゃれてたら、
 何だかもう一度その気になって、
 首筋に唇、太ももに手のひら、
 押し分けるつもりもなく招かれるように、
 二人してベッドに倒れこんだその時、
 マンションのドアを激しくたたく音、
 開けろ、ねる、いるんだろ?
 と、聞こえてくる声。

「えー、どうやってここまで?」
 乱れた髪を気にしながら、ねるは言う。
「ピンポンなんて鳴ってないよね」
 誰かの後ろにくっついてきたんだろ、
 煙草に火をつけながら考える。
 集合住宅への泥棒の手口、
 と思い出してちょっと引く。
 なかなかのストーカーだろ、それ。
 
 がんがん叩く音がエスカレート。
 開けろよ、ねる、開けてくれ。
 汗やらよだれやらでぬれぬれのまんま、
 シャツをかぶってジーンズ履いて
 みだらな雰囲気ごまかせる空気で、
 友達の振りしてごまかすつもりで見れば、
 ベランダを指さす、ねるの指。

 白くて細くていたずらなそれを見る。
「なんか降りるやつあるから」
 当たり前のようにねるが言う。
 多分あんまり普通に使わない、そんなの。
 こっそり玄関に行き、スニーカーを取る。
 開けろ開けろとかすれた声が続いてる。
 面白がって、スコープ覗くと、
 ちょうど向こうもこちらを覗き込んでて、
 ホラー味あるなとぞっとする。
 
 ほんとは先輩学外バンドでギグのはずで、
 今日は一日自由だと、
 誘われて来て、この始末。
「やだ、あいついやがらせかな」
 と、マジでやな顔するねるの自分勝手。
 そもそもおまえは誰の彼女なの?
 ていうか、他人の女食ってる方がわりいか。
 一口頂戴、ねるが煙草を深く吸い、
 こちらの口に無造作に返す。

 咥え煙草でベランダに出る。
 避難梯子を下まで伸ばして、
 振り返ったらカーテンが閉められた。
 手すりを乗り越え、梯子を下りていく。
 ゆらゆら降りづらいけど、なんとか地面へ、
 上の方、窓が開いて、先輩の声が聞こえて、
 でもそんなの見上げる無駄をせず、
 死角になる方向へと走り去る。

 てめぇ、マジ殺す。
 って聞こえた気もするけど、多分気のせい。
 
 あ、ギターケース忘れた。
 うまく言っといて、ねる。

 ゆっくり回る洗濯機。
 くもり空の鳴門の渦潮の感想。
 重たげな水の色が絵具を溶いたようで
 そんな風景の中に自分もあるのかと
 他人事のように
 少し面白く感じる。
 あの中に落ちたら、くるくると
 バレリーナのように踊るのかと。

 あの後ねるはうまく言うつもりもなく、
 一方的にこちらが恨みを買うままになって、
 何だか学校もさぼってぶらぶらとしてる。
 うまく逃げだしたし、
 証拠があるわけでもないのに
 なんとなく顔を合わせる気にはならない。
 うちらは全員、同じ軽音楽のサークルで、
 ねるはキーボード、先輩はギタボ、
 で、二人は同じバンド。
 こちらは別のメタルバンドでギター。

 四国に入る。
 川沿いの道をバスで行く。
 山間の夜はいつの間にかそばにいて、
 景色は薄闇の色に塗りつぶされている。
 ナビの画面はほとんど緑色で、
 ここがどこなのか、
 どこに向かっているのか自信がなくなる。

「あの後さ、ほんと大変だったの。
 なんであいつのギターがあるのかって。
 めんどくさいから、弟が貰ったって言って
 そのまま宅急便で送っちゃった」
 と、ねるは電話をかけてきた。
「せっかくだから、遊びにおいでよ、実家」
 脈絡もなく話が続き、
 こちらの都合なんてお構いなし。
 ほんと、わがまま。
「しばらく遊んでけばいいじゃん」
 とことんのんきに誘われる。

 通知音、メッセージを開くと
 今どのあたり?
 ナビの画面をスクショして
 このあたりだけど、ここはどこ?
 と送ると、
 バス停まで迎えに行くからダイジョーブイ!
 とフライングVのスタンプ。

 どこ行くのと声をかけられて、
 振り向くとクラスでよく見る女の子、
 軽音の部室と応えると、
「ふーん、ついてっちゃおっかな」
 というのがねると接近した最初のきっかけ。
 一年生は適当に分散されてしまうから
 別々のバンドにはなったけど、
 この日の後からはクラスでも休みの日でも
 話をしたり、一緒に出掛けたりと
 急激に仲良くなっていった。

 バス停の前に一軒、小さな建物があるだけ。
 そこに街灯はあるけれど、
 人がいそうな感じではない。
 昼間だけやってるお店なのかもしれない。
 だからもうこの時間では閉まっているのだ。
 考えたところで周りの薄暗さは変わらない。
 見上げた星空の方が明るいくらい。
 しばらく見上げて首が痛くなったころ、
 闇の中から一台の軽自動車が飛びだして、
 勇ましくぷぴぷぴとクラクションを鳴らす。
「煙草をおくれ」とねるが顔を出す。

「でね、煙管ってやつ、パイプみたいなのに
 いっぱい煙草の葉っぱを貰うんだって。
 いっぱいくれないと、船を沈めちゃうの。
 迷惑だよね? 大煙管っていうの」
 運転席で盛大に煙草をふかしているねる。
 車の窓はあちこち全開、
 喫煙の習慣は家族に秘密だと。
「お客様は大丈夫だよ。喫ってもOK。
 あたしも客間に行くからさ、
 煙草くんないと暴れちゃうよ!」
 真っ暗な細い道をのんびりと進んでいく。

 ザックやランディやウォーレンや、
 線の細いギタリストが好きだった。
 長い髪で俯いたりしているアンニュイ、
 指板の上を舞う細い指がセクシーだった。
 細いジーンズにTシャツ、
 メタルのファッションと音楽とが
 ずっと自分を支えてくれた。
 かっこいいと思って憧れた。
 若いころのギターヒーローたち。

「おじさんになるとさ、変身するよね
 太っちゃったり、髪薄くなったり
 きれいな感じがなくなる」
 カーステでユーチューブつないで、
 BGMはペインキラー、
 咥え煙草でハンドルを握って、
 視線は暗闇に向けて、ねるは続ける。
「瑠璃は大丈夫だね。きれいなまんま!」

 きれいなまんま、か。

「おなかすいたね。お夕飯はさって、やぱっ!
 やぎょうさんが来ちゃーう」
 と、大げさに騒ぐ。
「夜行さんはね、首切れ馬に乗って来るの。
 このアルバムカバーみたいな感じ、
 あ、こっちは顔があるか、えへ」
 ジューダスの話ができるほどには
 こちらの趣味と合わせてくれている。
 ねるは確かに痛み止めになってくれる。

 山奥の集落の奥にねるの実家はあった。
 古くからある大きな平屋で、
 その広さも部屋の数も想像できなかった。
 通された客間に見慣れたギターケースが
 プチプチに梱包されたままで置かれていた。
 とりあえずギターを確認したかったけど
「荷物置いたらさ、お風呂行こ!」
 無理やり引っ張られて浴室へ。
「いいでしょ、ここ。
 お風呂だけは自慢なんだ、この家」
 老舗旅館の大浴場のような広さの湯舟に、
 自分の白い裸体を浮べながら、
「ああ、極楽極楽」
 幸せそうに身体を伸ばす。
 そのそばに浸かりながら
 確かに溶けだしてくくらい気持ちいいと
 ねるの身体を抱き寄せた。

 座敷童がギターを抱えていた。
 おかっぱ頭の子供が青いフライングVを
 弾こうとしてる。
「ちょっと、あんた何やってんのよ」
 ねるが言葉を荒げた。
 お風呂から上がって客間に戻った時、
「だって僕の名前で送ってきただろ」
 と、その子は答えた。
「違うの、それはこの人のギター」
 言われて、はっとした表情を浮べる。
「ほら返して」
 ねるがギターを取り返して、こちらに渡す。
 数日ぶりにウルトラマリンの愛器を触る。
 その子が抱えていたからか少し温かい。
「この子、弟の梨瑚、こちらは」
「瑠璃。初めまして」
 と、挨拶した。

                 了

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