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東京・赤坂「サントリーホール」にて、「映像の世紀コンサート」を視聴する~御朱印帳参詣と音楽文化も一緒に

その1:東京駅着~芝公園方面エリアまで

コロナ災禍もようやく越境が、段階的に再開できるような感染状況になってきたので、コロナ前から計画していた、「サントリーホールデビュー」を果たす一泊旅行に出かけました。

まずは、大宮駅まで新幹線で乗り付け(えきねっと「トクだ値」で、早割で35%割引)、そこから東京駅を在来線で目指しました。
(※当日同時間帯、肝心の湘南新宿ラインが線路立ち入りによる遅延を発生させていたため、京浜東北=根岸線快速に迂回しました。)

大宮【10:59】発~JR京浜東北線快速~東京【11:45】着

東京駅のグランスタにある(ガイドブック掲載)洋食軒『STATION RESTAURANT THE CENTRAL』で、名物デミグラスハンバーグを賞味しました。
カウンター席で、ゆったりとランチを楽しめました。接客の質も丁寧で、エキナカでも、回転を急かされる印象はゼロでした。
濃厚な名物デミグラスソースがたっぷりとかかった、肉質の柔らかなハンバーグステーキは、普段、社食や自宅で食べるポークのそれとは、また一つ違う、地元からの長旅の中、元気が出てくる本格派洋食でした。

シンプルなサラダ。フレンチドレッシングが効いて、新鮮です。
ライスとビーフハンバーグのセット。ハンバーグステーキは
肉質が柔らかく、デミグラスソースも濃厚です。
レストラン級の珈琲は、締めにふさわしい味わいでした。

東京駅を後に、京浜東北=根岸線快速にて、浜松町駅へ。
目的はもちろん、芝エリアに行くためです。

東京【12:45】発~JR京浜東北線快速~浜松町【12:49】着

浜松町で下車。
芝エリアに行きたいので、ワールドトレードセンターを抜けて、芝公園方面へ向かいました。
みずほ銀行浜松町支店を道すがら見ましたが、やはり都心のメガバンさんは、圧倒される迫力ですね。

浜松町を後に
「貿易による世界平和」は、米の世界的富豪、
「ロックフェラー一族」の基本理念です。
ちょうど、渋澤子爵の設立された
「第一国立銀行設立の日」の前日でした。
スティーリー・ダンの名作アルバムのジャケット、
"Royal Scam"を彷彿とさせる、天をも貫かん高層ビルです。

芝公園方面へ歩を進めます。
街を歩くと、植え込みや紫陽花などの、目に優しい緑の数々が、よく整備されていました。
街はお昼休みの、みずほ銀行浜松町支店の行員さんたちや、ランチを摂りに向かうビジネスマンで、喧噪としていました。
都心のお昼の時間帯って、こんな感じなんですね。

杉の新芽が、目にも優しい
都会のオアシスです。

街歩きを楽しんでいる内に、最初の目的地の「芝大神宮」に到着しました。
今の時期は、「夏越しの祓」の最中でした。

ここが入口です。
創建当時は、社殿の周辺は、生姜畑で一杯だったそうです。
御朱印帳の受け渡し時にも、「生姜飴」を、オプションで賜りました。
本殿です。荘厳なお社に、天照大御神様と豊受大御神が、鎮まられていらっしゃいます。

『大失恋』での痛手からの早い立ち直りと、その5年間お慕いし続けた先輩にも、新たな良き出会いがあるように祈念しました。
趣深い御朱印と共に、名物の生姜飴を賜りました。お社周辺のビルでお仕事されているアーバン・ビジネスマンの方々も、昼の休憩時にも寄るスポットのようです。

宮崎神宮で賜った御朱印帳(三冊目)
芝大神宮御朱印

次は、江戸・徳川将軍家の菩提寺だった、芝・増上寺に向かいます。

『葵の御紋』のある、立派な瓦葺きの門が眼に留まりました。

大通りの真ん中に整備されている、緑地帯を抜けると…、

朱で鮮やかに彩色された『三解脱門』がお出迎えです。

浄土宗の大寺院です。
渋澤子爵が日本へのご招待に尽力された、第18代グラント米大統領が、
お手植えになった松の木です。
平成以降にお生まれの方は、ご存じないかも知れませんが、
バブル期前夜、『ホテル・ニュージャパン』という
豪華ホテルが永田町にあり、そこで凄惨な火災事故がありました(1982年)。

上記の観音様は、その火災事故で亡くなった方々を慰霊するための像です。
増上寺の境内を静かに、見守っていらっしゃいました。

巨大な大殿のすぐ裏に、東京タワーもそろい踏みで、出迎えてくれました。石段は段差が、大分高めに出来ているので注意です。

本堂の中は大変に広く、大きなスペースの向こうに、ご本尊様がいらっしゃいました。
ソーシャルディスタンスが十分に保たれた状態で、椅子が20基ほど並べられていて、ご本尊様と暫しの間、静かに向き合い、御仏の深淵な世界にお近づきになれます。

増上寺の伽藍は、あまりにも巨大かつ豪華絢爛で、圧倒されてしまいました。やはり徳川将軍家菩提寺の風格は、東京一です。
御朱印・御守り等のアイテムを頂きましたが、オールキャッシュレス対応で乙でした。
賜った御朱印も、徳川の「三つ葉葵御紋」付きで、大変いい記念になりました。
歴代徳川将軍と、戊辰戦争での犠牲者の墳墓にも、お参りしてきました。現代日本のベースを整備してくれた、偉大なる先人達に、感謝と哀悼の意を込めて。
女子旅二人道中の若者達が、寺務のおばさんの話を熱心に傾聴していました。

徳川将軍家菩提寺、芝増上寺(黒本尊版)御朱印

そして、増上寺から愛宕神社に至る、芝公園の風景を愛でながら、色々と見聞を広めました。

芝・赤坂プリンスホテルを、東京タワーと共に臨む
増上寺の遺構、有章院霊廟二天門
同ホテルを、右手から
ルフトハンザ航空・スカンジナビア航空(SAS)、日本本社ビル
夕暮れ前の芝公園
紺色の紫陽花が鮮やか
ここに「札幌農学校」の前身の学校、「開拓使仮学校」が設置されました。
ある立派な古刹の山門(万年山青松寺)

ここで珈琲ブレイク。
エクセルシオールカフェが、公園の北側にあったので入店しました。しかし、ここで痛恨のミス。
疲れていたせいか、注文していたアイスコーヒーを、配膳トレーを片手で受け取るという生意気をしたため、思い切りカウンターに当該の珈琲のタンブラーを倒して、カウンター中にぶちまけてしまったのです…。
マスターも私も最初、何が起こったのか、理解できませんでした。
丁重に謝罪し、「淹れ直した分のお代は、追加で支払いますので…」と申し出たら、「いいえ、大丈夫ですよ」と、ここでも「江戸の優しさ」にお世話になりました。
もう一度言います、カフェの配膳トレーは、必ず両手でしっかりと持ちましょう。

愛宕山方面への迷宮

ここから、愛宕神社・NHK放送博物館に向かおうとしたのですが、グーグルマップアプリがバグったせいで、20分ほどで到着できるはずが、90分以上ロスしてしまいました。
らちがあかないので、幼稚園生を迎えに来た若いお母さんたちに道を聞くと、分かりやすく教えて下さいました。地元の人に道を聴くのも、乙な一案です。
ここで、「道順案内に関しては、ゼンリンと提携しているヤフーマップの方が優秀」、という事実も分かりました。

NHK放送博物館

愛宕山は低山とは言え、標高があるので
エレベーターを使うのが乙です。
NHK放送博物館入場口

「国内AMラジオ放送」が産声を上げたNHKの放送博物館が、この愛宕山にあると調べておいたので、入館しました。
局本体に様々な問題が取りただされているものの、興味深い博物館なので、時間をかけてゆっくりと回ってみました。

「二・二六事件」解決の決定打となった、ラジオ放送「兵に告ぐ」の原本原稿。
館内にはこのように、写真撮影許可の一級品歴史資料も数多くある。

特に、戦前のラジオ放送開始から、この現在の令和年間にかけて、テレビ・ラジオがどう日本現代史に関わってきたか、つぶさに知ることが出来ました。
「NHKは見ない、アンチだ」、とのスタンスの方も、「日本の国内放送」の歴史を知る上で、ぜひ入館して頂きたい博物館でした。
キャットはNHKマニアなので、90分以上かけてゆっくりと観覧しました。
過去の大河ドラマ・連続テレビ小説列伝のコーナーもあり、ファンとしては非常に興味深い博物館でした。

愛宕神社

館内を出て、すぐ向かいの愛宕神社へ。
エレベーターで来てしまったので、急峻な「出世の石段」は、上から眺めるだけになってしまいました。

江戸庶民の心のよりどころ。朱塗りも立派です。
わざと本殿正面を外して撮影して、すみません。
境内の池。紫陽花と錦鯉のコントラスト。
境内の主のような白猫様が、石畳の上で、
ポーズしておられました。
大分ご高齢のようですが、お気分はいかがでしょうか。
これが有名な「出世の石段」ですね。当時の江戸武士は、ここを馬で駆け上ったとか。
何か江戸時代にタイムスリップしてきたかのような、新鮮な気分に立ち返られる神社でした。
愛宕神社御朱印

神谷町で休憩

神谷町にて、本日二回目のドトール
スウェーデン大使館
一等地マンション街

そしてようやく、キャットは芝・赤坂アークヒルズに辿り着きました。
宵の口~ホテルへの入館までは、次号にて。

(2)芝・赤坂アークヒルズ~サントリーホール初体験~
築地のホテルへ、へ続く)


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