死後写真の展覧会「永遠の命」展、開催!

 結晶化された古の者たちの深い眠り
 永遠の命を封じ込めた物質に
 肉体を超越する精神の真価を知る―――

 書肆ゲンシシャでは、2017年2月から、終期未定で、「永遠の命」展を開催いたします。

 展示するものは「死後写真」。死の直後に、死者たちを撮影した、ダゲレオタイプを始めとする19世紀から20世紀初頭にかけての古写真です。
 アメリカやヨーロッパなどキリスト教の国々で、死者たちに化粧を施し、まるで生きているかのように見せかける「死後写真(Post-mortem photography)」が流行しました。
 当時は写真を撮影するために高額な費用がかかったことから、子供たちは写真を一枚も撮らずに亡くなってしまうことが多くありました。そうすると死後なにも残らなければ子供たちの顔を忘れてしまう。そこで死後写真を撮る必要性が出てきたのです。
 写真を撮る財力がない家庭では、死んだ我が子を写真ではなく絵画に描いて残していくこともありました。そのため、黒人などの死後写真はとても珍しいものです。一方でペットの死後写真も少ないですが存在します。貧富の格差について考えさせられます。
 キリスト教において、死は穢れではなく、死者は天国に召されていくものだとする死生観のちがいも死後写真を語る上で切り離せません。
 また、当時は写真を撮影する上での露光時間が長く、しばらくのあいだじっとしていなければなりませんでした。すると、生者より死者を撮影するほうが「じっとしている」ことから、むしろ被写体として適していたのです。

 親族が亡くなると写真家を呼び、死後写真を撮影してもらいました。中には、親戚が近くにいなかったために腐乱した状態で撮られた死後写真も存在します。
 死後写真は、手許に、生前愛用していた玩具や、死を悼む花をお供えして撮られました。大切な記憶として保存していくために撮られた写真です。
 死後写真を撮ることは死の美化に繋がると共に、写真の中で死者に永遠の命を吹き込む作業でもありました。

 こうした写真は現代においても強度を保ち、人々の好奇心をそそるとともに、悲しみや寂しさを呼び起こすものです。

 死後写真の文化は、病院で人間が亡くなるようになってから、写真という技術が手軽に、身近になってから、すたれていきました。それまで特別な意味合いを持っていた写真が世俗的に、また死が隠蔽されるようになるにつれ、姿を消していったのです。

 「永遠の命」展は、病院や火葬場で隠蔽された死を、今一度、白日のもとに晒す催しです。 死は、多くの人々を不安にさせ、畏怖させます。そして誰しもが死からは逃れられない。
 現代の管理社会において隠蔽された死をもう一度前面に出す意味合いが今回の展示にはあるのです。システム化された死を、もう一度、肉体的な生のもとに取り戻し、実感するための展覧会です。

 世界的にはテロリズムが流行り、死が身近になったものの、日本ではそれがいまだ観念的なものでしかない。それを結晶化された物質である古写真を通して見てもらいたいのです。

 巖谷國士先生は、先の対談「驚異の部屋(ヴンダーカマー)とシュルレアリスム」で、ネット上の画像ではなく、立体的な実物に触れることの大切さを繰り返し説かれていました。 みなさまにも、TwitterやFacebook、Instagram上の画像ではなく、ぜひ実物に触れていただきたい。
 ぜひこの機会に、ご高覧ください。
 幻を視る館、ゲンシシャにてみなさまのお越しをお待ちしております。

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