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漫画「はいからさんが通る」から女子大を考える

今日のvoicyでは、尾石晴さんが「なぜ女子大があるのに男子大がないのか」という放送をしていました。

晴さんも説明されてますが、日本では旧学制時代に、旧制大学への女性の入学は例外的にしか認められず、多くの女子は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)や旧制女子専門学校のような女子を専門とした高等教育機関へ進学していました。皇族や華族の娘向けには、1877年(明治10年)に創立された学習院女子部に続き、1885年(明治18年)に華族女学校が開校しました。(出典:Wikipedia)
これが戦後になって現在の女子大学になったので、女子大があって男子大がない訳です。

戦前の女学校はいわゆる「花嫁修行学校」というべき存在で、どんなに成績が良くても女性は大学には行けませんでした。私がこの事を知ったのは、大和和紀さんの漫画「はいからさんが通る」を読んでからです。少女漫画の金字塔としてアニメ化や舞台化もされた有名な作品ですね。この作品が発表されたのは1975(昭和50)年、もう50年前になりますが、全く色褪せません。

女学校の生徒も先生も、殆どが「私達は花嫁修行をして、親が決めた相手と結婚して子供を産んで家庭を守る」という決まった生き方に何も疑問を持たない中、花村紅緒と友人の北小路環は颯爽と「それはおかしい、女性だって大学に行くべきだし、自分から男性を選んで結婚すべきだ」と主張していく姿は、見ていてカッコいいですね。紅緒は伊集院少尉の不在の間、実質的な女当主として伊集院家を守るのですが、彼女は環からかなりの思想的影響を受けていますね。
環のセリフは今の時代にも通じるものがあるので、幾つか紹介します。

私達はひとりの人間として、女性として、ひとりの殿方を選ぶのです。平塚らいちょう先生もそう申されています。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く…」私達は殿方に選ばれるのではなく、私達が殿方を選ぶのです。そのための勉強ならいくらでもいたします。

私は親の決めた縁談で見も知らない男の所に嫁ぐなんてまっぴら。

文庫版「はいからさんが通る」1巻より

カッコいいですね〜。😍最後に彼女は恋する男・鬼島を追って満州まで行ってしまうのですが、こういう逞しい女性がこれから必要だと思います。晴さんのvoicyでも、日本女子大学の学長の言葉が紹介されてましたが、ジェンダーの棲み分けを考えないで生きる女性を育てるならば、女子大の存在はこれからも大事だと思いました。
それにしても、「はいからさんが通る」から50年も経っているのに、この男尊女卑の風潮、因習がいまだに残っている日本、本当にヤバいですね。😭

余談ですが、平塚らいてうの「元始女性は実に太陽であった。」は曲になって、中森明菜が歌ってるんですね。知りませんでした。😳

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