さあいよいよ創刊号だ。 9月になったら始めると言っていた1ヵ月かぎりの日刊『楽感的痴呆症新聞』の始まりだ。

やはり自分の事から書き始めてみようと思う。前にも書いたけど、1月22日生まれで74歳、後期高齢者の少し手前。毎月というほど福大病院に通っている病気持ちだ。心臓の病気で心臓弁の1つ僧帽弁というのが人工のものになっている。十数年前にその手術を九大病院でしたのだ。それ以来、循環器内科にお世話になっている。つい先日も1ヵ月ぶり位に福大病院の医者に診てもらったら、少し血圧が高いようだから、血圧の薬も出しましょうと言われた。まぁその程度のものだ。

自分のことと言うと、しばらく糸島市前原という所に住んでいた。糸島という響きが良くて、海岸線をイメージする。しかし実際には交通の便などを考えて前原っていう地域に住むことになって、少しイメージが壊れた。ただちょっと山手で、一戸建て。こじんまりした佇まいと広い縁側とベランダもある立地に惹かれるものがあった。それで、5 〜6年はその借家に住んでいた。

それが友人たちの勧めもあり、思い立って1年ちょっと前にこの団地に引っ越してきた。福岡市の城南区金山団地だ。もともと暮らしていた平尾っていう地域がわりと近い。知り合いの飲み屋も何軒かは残っている。

何度も言うようだが、74歳で一人暮らしをしようという根性を見て欲しいと言って、それほどのものはない。アルコール依存症にもなって3年以上経って、ようやく立ち直ったと思っている自分がいるのだ。

そんな折、このnoteというアプリに出会った。コレだ!と思った。何が何でも1ヵ月間1日も欠かさず書き続ける。それでどんな反響があるのか、実感して、その先の行方を決める。自分にそう言い聞かせて1ヵ月間続けてみることにした。
どんなものになるかは自分でもわからない。自分が何モノであったか?という疑問に答える術になれば良い。70数年、生きてきた自分というものを振り返り、最後の作品を文章という形でどう残すのか、その方向性を見いだすことにができれば、この新聞は責務を果たすことになる。

時の進歩というのは偉大なもので、こうしたちょっとした思いつきが実現できる技術ができたのだ。これは今、音声入力で日本文字に変換してくれている。だからこそ、私にでも日刊新聞の発想が生まれたのだった。
そんな思いで書き始めた『楽観的痴呆新聞』だ。ご批判、ご感想を是非とも聞かせてほしいものだ。

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