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空飛ぶコッペパン

未明の4時、5時に目が覚めることはなくなってきたけれど、相変わらず朝がいちばん元気がいい。
今朝(26日)は急に料理がしたくなって、スープカレーを作ることにした。人参を大きめに切って面取りをしていると、リビングのテレビからニュースが流れてくる。神戸大学バトミントン部の呆れた所業に対して、大学側が謝罪会見をしたというような内容だった。
大谷翔平選手の元通訳による違法賭博事件の陰に隠れて早々に話題に上らなくなりそうだが、こちらのほうがよっぽど一般人が考えるべきニュースだと思う。

【速報】合宿先の旅館で障子を破り天井を破り・・・ バドミントン同好会所属学生の迷惑行為で神戸大学が会見で謝罪 合宿参加者は学部生から院生、卒業生まであわせて62人

3/25(月) 16:00配信 ABCニュース

Yahooニュースより

もうさ

あきれ果ててものも言えない。大学生にもなって、ここまで善悪の判断がつかないなんて!!

学生側の言い分も紹介されしいた。
「悪気はなかった」
「旅館の人の話を誤解して障子は破いてもいいと思ってしまった」
「破れたら張り直すと聞いたので、だったら全部破ろうと思った」

はぁ!? あほか? 馬鹿か!
ここへきてまだ言い訳をするというのも信じられないが、それにしてもあまりに幼稚すぎないか? 
人の話を自分に都合よく曲解し、自分の非を認めていない。反省どころか言い逃れすることしか考えていない。わがまま身勝手やろうにしか思えないぞ、まったく。

罵詈雑言が口をついて出そうになる。
夕方疲れてくるとまだ危なくなるけれど、朝はちゃんと呂律が回る脳梗塞から3か月半だ。
ブツブツ文句を言いながら、肉団子を作ろうと面取りした人参の破片とタマネギを微塵切りにして豚挽き肉に投入する。グネグネこねる手に良い具合に力がこもる。

それにしても、なぜ、いまどきの大人は若者にここまで気を使うのだろう。甘やかすのだろう。そんなオバカにはサッサと責任を取らせればいい。事実を認めたのだから弁償させるべきだろう。一人前の大人なんだから。
大学が弁償する必要ある?  やった本人たちが弁償すればいい話だ。
酔った勢いといっても、これは非常識どころか犯罪の範疇だ。そんなことになぜ誰も気づかなかった? なぜ誰も止められなかったんだろう。
卒業生、社会人もいたはずなのに。

肉団子のタネから空気を抜こうと、タネを引っ掴んでボウルの底にペシぺシ叩きつける。荒っぽい動作は気分を軽くしてくれる。
──と、ふいにの古い記憶が立ち上がった。

あ、似たようなこと、わたしたちもやったよね。

そう、わたしもやっていたのだ。非常識きわまりないオバカな行為。
あれは中学2年の春だったと思う。
給食後の休み時間、教室の宙をコッペパンが舞った。
誰が始めたのかわからない。教室の前から後ろへ、後ろから前へ、右から左へ、縦横無尽に数個のパンが飛び交った。誰か休んだ人がいて残ったパンだったのか、誰かが食べ残したパンだったのか。とにかく飛び交うパンがおかしくて、みんなが笑い、飛んできたパンをキャッチしては、また、放り投げ、また誰かがキャッチしては放り投げ、ということが起きていた。

わたしの前にも飛んできた。わたしもキャッチして、いや、運動音痴なので落としてしまい、慌てて拾い上げて投げ返した。お腹をかかえて笑いながら。

投げるとき、一瞬、こんなことしていいのかななんていう気分もよぎったような記憶もある。記憶はあるけれども、すぐに打ち消し、みんなと一緒になって笑い、投げ返したと思う。罪悪感など皆無だった。

そのうち数人の男子がパンに紐をつけて自分たちの二階の教室の窓から、一階の一年生の教室の窓の外に垂らし、一年生をビックリさせて盛り上がっていた。そこで、一年の担任の先生が気づいたらしい。
わたしたちの担任はそのとき教室にいなかった。後になって、一年の担任からその話を聞いたのだろう。

翌日のホームルーム。ガラッと大きな音を立て、担任のS沢安吉先生が教室へ入ってきた。
体育と国語担当のS沢先生は、筋肉質の強面。寡黙なタイプで、ただでさえ怖い存在だった。バレー部と陸上部の顧問として、市内、郡内(当時は県大会の前に郡の大会があった)の試合で良い結果を残し、生徒たちから一目置かれた存在でもあった。

そんなS沢先生が、不機嫌極まりない顔で黒板の前に仁王立ちして、わたしたちを見回した。笛の紐をクルクル回して笛を指に巻きつけ、またクルクルとほどきを繰り返す先生の癖が、恐怖を煽った。

「何が言いたいかわかるな」

先生が何を怒っているのか即座にみんな理解した。前日の空飛ぶコッペパン事件は、ただでは終わらないと、みんな覚悟していたということだ。先生が怒っているという噂話すら出ていなかったが、悪いことをしたという自覚があった。

「誰が始めた」

先生の低い声がお腹の底に響く。
誰も何も答えない。

「最初に投げたのは誰だ?」

みんな息を殺し、身を縮めている。笛はクルクル回り続けている。

「1年の教室に悪さしたのは誰だ?」

声は静かなのに、笛のクルクル回しはどんどん早くなっていく。音を立てて先生の指に巻きついては、逆周りをして解けていく。
とうとう首謀者数人が観念したように手を挙げた。
いつもちょっとした悪戯をするクラスのムードメーカーで人気者たちだった。運動部で活躍していたメンバーもいた。

「前に出ろ」

3~4人、すごすごと前に出てきた男子生徒を一列に並ばせると、清沢先生は厳かに言い渡した。

「歯を食いしばれ!」

パシン、パシンと平手打ちが炸裂した。思わず目をつぶってしまった。もう観念するしかなかった。
昭和の中学校だ。体罰はわりと普通のことだったが、頻発していたわけじゃない。S沢先生は普段は頭のてっぺんにゲンコが定番で、のちのちまで男子がよく「S沢のゲンコ痛かったなぁ」と懐かしんでいたものだ。

ただ、そのときはなぜか平手だった。
そこで終わりではなかったからだ。

「ほかにパンを投げた者」

もう、みんな観念していた。そして、おずおずとほぼ全員が手を上げた。
わたしももちろん手を上げた。
ここで逃げるわけにはいかなかった。
そのとき先生と目が合った。

「なんだ、○○○○(わたしの姓)もか」
「はい。投げました」

わたしは優等生だったので、先生も驚いたようだったが、テストができてもパンは投げたのだ。なんだか破れかぶれの気分だったが、正直に言えたことで爽やかな気分もあった。
先生はグルリと教室を見渡し、そして言った。

「よし。全員、立って歯を食いしばれ」

迫りくる恐怖に緊張感が走った。
先生は、教室の右端から順番に前から後ろへひとりひとり平手打ちを始めたのだ。

パシン、パシン、パシン、パシン。
規則正しく頬を叩く音がした。ゆっくりと机の間を進みながら、先生は一人として漏らさず、全員に平手打ちをした。
怖かった。緊張もした。親にだって叩かれたことなどない。軽いコッツンくらいはあったような気がするが、平手打ちなどまったくの未経験だ。

パシン!

みんなと同じ音がした。耳から頬へと振動が走って、痛かった。

パシン、パシン、パシン、パシン。
2年5組の生徒数は39人。一人残らず先生の平手の餌食になった。

いまなら野蛮と言われるだろうか。
先生の体罰が問題になって、教育委員会やらPTAが大騒ぎするだろうか。
時代が違うと言われてしまえばそれまでだが、わたしちは後々まで、そのときのことをなつかしく思い出したものだ。

「すごかったよね、S沢先生」
「全員だもんね」
「あんなことする先生、いまはいないんだろうね」
「先生のほうが絶対、手が痛かったよね」
「最後のほうの人が言ってたけど、先生の手、真っ赤だったってよ」

S沢先生は、陰では「安吉」「安吉」と名前で呼ばれて、生徒たちの信頼と尊敬を集めていた。何かというと
「安吉がさぁ」と、話題になった。みんなS沢先生が大好きだった。

その後、二度とコッペパンが空を飛ぶことはなかったし、わたしたちのクラスは、クラスマッチでいくつも優勝を重ねる団結力のあるクラスになった。きちんと叱ったもらえたことで、全員しっかり反省できた。

そんな教育、うらやましいでしょと言いたいけれど、そうでもないのかな。人と人の、先生と生徒の、生徒同士の距離が、いまよりもっとずっと近かった気がする。

最初の大学生の迷惑行為の話からは脱線したけれど、叱られたことのない若者たちは気の毒な気もするのだ。
反省することを知らない、理屈で逃げようとする、自分を正当化することしかできない若者たちは、とても寂しいんじゃないのかと思う。
叱らない代わりに、けっして相手にしなくなるだろうし、その存在を大事に思わなくなるだろう。叱れないし、注意しても改めなかったり、反省すらしなかったら、そういうやつとサッサと諦めて、距離をとったほうが楽だもの。そのほうが「タイパがいい」というらしいじゃないか。
人との距離が希薄になるわけだ。

空飛ぶコッペパン。わたしは幸せな中学時代を送ったんだなぁと思う。
その後、高校ではバンカラな校風からくる恐怖体験を押しつけられることになるのだが、S沢先生の平手より怖いものは二度となく、半分楽しみながら独特の緊張感を味わった。
あのとき先生に叩かれた思い出は、いくつになっても鮮明で、わたしを強くしてくれた。





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