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脳梗塞から4カ月半

昨夜から強風が吹き荒れている。今年の春の嵐はかなり手強い。散歩に行くのも躊躇われ、note。

脳梗塞を発症して4カ月と12日。退院後に感じ始めた細かな体の不具合も、ここへきて少しずつ緩和してきているように思う。

上がらなかった左脚がだいぶ上がるようになってきた。利き足なのに、脚右脚よりだいぶ細くなってしまった左脚がいつのまにか太く立派になっているのだ。
美容的には細い方が嬉しいけれど、使えない脚では意味がない。車に乗る時、自力で持ち上がらなくなっていた左脚がすっと動いて、座席に座れるようになってきて、それだけでなんだか嬉しい。

脳が壊れた後遺症というより、絶対安静、動いちゃダメよの3日間と入院中の運動不足で筋肉が落ちただけと考えたほうが良さそうだ。どちらも少しずつあるのかもしれないけれど。

もともと左脚の筋肉は、人工股関節手術で0になったところから1年半かけて復旧したばかりだったから、落ちるのも早かったのかもしれない。一年前と比べれば、スキーで踏ん張れなかった気もするけれど、それは認めたくない老化の範疇ってことなんだろうな。トホホ。

退院後のリハビリについては、迷ったし、悪化しているのではないか、間違った自己流リハビリでかえって壊した部分があるのではないかと、心配になることが多かった。退院後でも相談していいという病院の相談窓口に、電話してみようかと何度も思った。

同じ症状でも、それを正常と思うか、異常と思うかは人によっても違うだろうし、脳梗塞の後遺症といっても正常との境界は難しいように思う。どこまでが脳梗塞の後遺症か、今後の改善が可能か否か。それは人によっても、発症部位によっても、年齢によっても違うのだろう。
それでも、同病の方のnoteなどを読んでいるうちに、小さな不安は解消できている。それはnoteを始めて思いがけず得られたメリットだった。

結局は、1型糖尿病を発症したときと同じだな。
全てを医師にお任せして、医師の言うとおりに食事に気をつけ、インスリンを打ってもうまくいかない。
日常生活には、医師から聞いていなかったようなハプニングが日々起こった。

運動した後、こんなに急激に血糖値が下がるなんて聞いてないよ。
糖質の低い料理が少しずつゆっくり出てくる和食のコースで、低血糖を起こすなんて聞いてないよ。
パスタやラーメンを食べた後、4~5時間後から血糖値が上がるなんて聞いてないよ。

そのたびに右往左往し、本を探し、調べ、実験し、ひとつずつ納得しながら病気と付き合ってきた。
それと一緒。脳梗塞も、いろいろ勉強しながら、そうやって対処していくしかないのだ。

まぁ、自己流もすぎると暴走していることに気づかないといこともあるだろうけれど。そういうときの定期検診。そういうときは、先生に素直に聞こう。

ただ、病院外来のインフォームドコンセントはコロナを経て、かなり後退してしまった。医師が、患者との会話を迅速に済まそうという傾向が強くなったように思う。納得できるまで話せる時間が減った。親身になって話を聞いてくれた先生までそっけなくなった印象もある。
定期的に通ってはいても、ただ、検査をして薬をもらうためだけに行くという感覚。質問を準備しておいて、聞けば答えてもらえるけれど、たいてい5分診療の流れに飲み込まれて聞くのを忘れて帰ってきてしまう。
患者のコミュ力も問われている。

人の話を聞いて理解する力が落ちている。話すときに滑舌が悪くなるのと同じタイミングで、人の話に耳を傾けにくくなっている。集中して聞けないというか、聞こうとすると頭のなかがカーッと熱くなってくる。理解するのが苦痛というか、理解することは、ムリムリ~と投げてしまいそうになる自分を押しとどめ、踏ん張って、頑張ってやる作業になった。
人の話を正確に理解し、文章に写し取ることができる。これこそが、この仕事をしていく上でのわたしの最大の強みだったのに‥‥と思うと焦りも不安も悲しささえ生じてくる。
でも、だからできないのではなく、あえてやる。頑張ってやることがリハビリになり、仕事にもなるのだ。

そんなタイミングで仕事がきた。書くだけなら脳梗塞前と遜色なくできるという自信は、この数カ月のnote体験で会得できた。4カ月半で、準備万端整っていた。
わたしはやっぱり運がいい。


途中から何を書きたくて書き始めたのわからなくなった。とにかく4カ月半経って、イマココということ。
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