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【作者に訊く】『SHOT』に懸ける想い(第4回) 劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演

 道端の彼岸花の美しさは、私たちの夏への眼差しを奪ってしまう気がします。劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演 制作の神山卓也です。

 4回にわたってお届けするインタビュー。この記事はその4回目(最終回)です。前回の記事は、以下からご覧いただけます。


ゲスト:増井怜史朗
取材・編集:神山卓也
写真:三木のあき


没頭する少年時代

——これまでの回では脚本家としての一面や演出家としての一面に注目してきましたが、最終回となる今回は人としての一面に注目してみようと思います。まずは、増井さんはどんな小学生でしたか?

増井:
小学生の頃はクソガキでしたね。基本的には「自分が」というような、わがままな感じでした。

——象徴するエピソードなどはございますか?

増井:
僕、学童保育とかで遊んでいたんですけど、僕に対して何か言ってくる人がいたら喧嘩になるというか。見境ないわけではないけど、割と感情をすぐ出すタイプで。今思うと、なんでそんなんでも生きられたんだろうって思う時もありました。

——あら、すごく意外。

増井:
でも、別の面で言えば、すごく何かに没頭する節もありましたね。小学3年生の頃からは、校庭で遊ぶんじゃなくて、裏庭でずっと秘密基地を作っていました。あと、小学5年生、6年生の頃、煙草を吸っているのがすごくかっこいいなって感じていたので、木の枝とかをくわえてみたりしていたんですけど、ある時、紙でキセル型の容器を作って、それに雑草とかを詰めて、虫眼鏡で燃やして、その煙を吸うっていうことをしたんですね。

——ええっ!

増井:
その時に「えっ、やばっ!」って思って、しかもその時に多分あまり吸い込んではいけない煙だったからなのか喉がすごくいがいがして「あっ、やめよう」って思いました。そんな感じで、何か面白いことがあると、とことん突き詰めてしまうタイプでした。


「これまで」に宿るもの

——印象的なエピソードがありましたが、これまでを振り返って熱中していたことはございますか?

増井:
小学生の頃は割といろんなことに対して熱中していました。何か月かおきに変わったりするんですけど。カマキリを育てたり、火起こしをしたり、紙飛行機を飛ばしてギネス記録を目指したり。

でも、中学生になって、全く知らない、全く喋ったことのない男子から「お前、舐めんなよ」って言われて、「どういうことだっ」って悩んで、人を信じられなくなってしまって、自信喪失の中学時代でしたね。そこからは、集団の中にいる自分が嫌で。

——すごく大きな転換点だったんですね。

増井:
でも、今の自分に一番繋がっている気がするのは、小学生の時にしたいろいろなことだと思います。

今回の作品の稽古場で一度、自分の人生を振り返ろうということをやったんですね。人生のいろいろを思い出してもらって、思い出せたことを人に共有するという感じのを。自分の価値観はつい最近できたものではなくて、今までの出来事によってつくられているから、自分の価値観ができたきっかけとなる出来事について探ってみようっていうことをしました。2時間くらいの予定だったんですけど4時間くらいになっちゃったんですけど、すごく楽しそうで良かったです。

それで、僕の中学生時代を振り返った時に、僕の中ではなきものになっていて、それよりかは小学生時代に触れたものや感じたことが今に繋がっているなぁって思いますね。

——そうなんですね。

増井:
ぜひ、みんなにもやってほしいです。これは脚本のテーマでもあって、忘れていたことは、忘れていただけだと思うんです。「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで。」という『千と千尋の神隠し』に出てきた言葉があったんですけど、すごく的を射ているなって感じます。

なので、この作品を観て、観に来てくださった方々にも思い返してほしいなって思います。

——日々の生活ではそんなことを思い出せなくても生活が送れてしまうからこそ、それはすごく重要な意味を持つ気がします。

増井:
自分は何を表現できるのか、或いは何を表現できないのかといったことは、自分のことを知らないとできないことだと思います。でも、なぜ表現できるのか、またはできないのかといったことは、絶対に自分が経験してきたことに理由があるはずだと考えているんですね。なので、今の自分が作られている経験を探してみるということをしていました。

……だけど、忘れるということも大切ですよね。そうやって人は生きているとも言うし、思い出す機会があることは良いかもしれないけど、だからといって忘れていることが悪いわけではない。でも、たまには、思い出してほしいものですね。


演劇は何となく始めた

——次は少し時を進めて。増井さんは大学に入学してから演劇に触れられたと思うのですが、演劇を始めたきっかけはございますか?

増井:
よく話しているのは、小・中・高とスポーツしかしていなくて。小学校はバレーボールをやってましたし、中学校はバスケで、高校は硬式テニスをやってて、スポーツばっかりで。でも大学でスポーツをやる元気はないなと。じゃあ、文化活動をやろうということを、高校3年生の頃に考えていて。それでまず考えたのは好きだった音楽なんですけど、ちょっと思っている感じと違うなと思ったんです。本気でつくるなら、個人でやった方が良いのかなと思ってしまって。じゃあ、全く知らない世界に飛び込んでみようと。そう思って演劇を始めました。

なので、きっかけというきっかけはなくて。新しい自分に出逢えるかもという思いで、意気込みでケッペキに入りました。なので、入った頃の自分は想像もしていないと思います、自分が公演の中心人物になっているなんて。本当に何が起きるか分からないものです。


私たちの劇団ケッペキ

——演劇に触れる初めての場が劇団ケッペキだったと思いますが、劇団ケッペキに対して抱いている印象はございますか?

増井:
端的に⾔うと、ちょっと違うなと思うところがたまにあります。仲間意識が強く、俺たちは何でもできるみたいな⼼意気が素晴らしく、それがケッペキの良さだなあと思いますし、僕もそれについていい影響をもらっていたりします。でもたまに、ほんのたまにですがそれが⾏き過ぎることがあって、その時僕は少し離れたところから⾒守ったりします。⼤⼈数の公演をコンスタントに打てることや⾃分たちが満⾜できるものを作ることができる技術や情熱はすごいと思っています。

居⼼地はとてもいいです。話は盛り上がりますし、皆がそれぞれに軸のある考えを持っていてとても⾯⽩いです。ただ、たまに偏ったことを⾔っていると⼼配になります。僕が少し前にケッペキにも演劇にも関係ない⽅と話したことがあったのですが、ケッペキというコミュニティはいい意味でも悪い意味でも異質だなと改めて感じました。異質だからこそここまで洗練された情熱を持ち続けられるのかなとも思います。

「すごい」ということと「優れている」ということは根本的に違うと僕は思っていて、学⽣劇団でそれぞれがやりたいことをやっているというのが良いんじゃないかなって思ってます。⾯⽩い、⾯⽩くないというのは多少なりともあるんですけど、⾃分がしたいことを表現しているそのことについて優劣をつけるのは違うなあと最近は感じています。

——そうですね。自分の表現を追求しているという点においては、どの劇団もどの公演も変わらないし、それ故優劣は発生し得ない。しかしそこに、あたかも優劣があるかのように感じて行動してしまう部分は、私も違うなと感じます。

増井:
ケッペキは他の劇団のことをとても意識しているなと感じます。⾃分たちが⼀番⾯⽩いものを作るんだということを少し考えていたりするのかな。何せ勢いがあります。でも僕はその前にやることがあると思っていて、本当に戦わないといけないのは⾃分であったり、⾃分がどれだけ観客に伝えられるかという点であったりすると思うんです。会場にいるのは我々と観客なのでね。


「普通」だけど「面白い」

——この対談で最後の質問になりますが、読者の方々にお伝えしたいことはございますか?

増井:
最近僕が考えていることなんですけど、普通の人間にとって一番難しいことって何だろうって考えていて。僕は脚本を書いたり演出をしたりしていて、近くから見れば創造性のある人だとか、いろいろ考えている⼈なのかなとか思われがちです。実際僕も何か持っているんじゃないかと⾔うことを諦められずにいます。

そう考えた時に一番難しいことは、自分は普通の人間であるということを認める事なのかなということで。自分はどこか他人よりも優れているのではないかなとか、あいつよりも優れているんだとか、そういう考え方に陥りがちだなと思うんです。でも、それを取っ払って、私は普通の人間なんだと認めることは、すごく難しいことなのかなと思います。他の人の人生エピソードを稽古場で聴いたときも、その人の人生って真似できないんですよ。でもそれは、真似できないだけであって優劣じゃないんだなって。

僕はどうにも無理なんですね。プライドを捨てたいんですよね。僕は、ここだけはあいつよりも優れているとか、そういうものを取っ払いたいんですけど、できないんです。それができたら、普通の人間じゃなくなれるのかなって。それこそ自分を遠くから見ることができるとか、自分を良く理解できるのかなって。だから僕は早くプライドを捨てたいですね。すごいと言われている人と関わる時も、できるだけこの人はすごい人だという先入観を持たないようにしているんです。普通の人間だって思いながら。そうすると、楽になるんです。

少しまとめると、この公演は普通だと思うんですよ。学生が脚本を書き、学生なりの演出をつけ、学生なりの演技をして、学生なりのスタッフワークで魅せるっていうことをしているだけの公演だと思うんです。だけど、それを認めた上で、自分の限界とか、自分のできることとかに真摯に向き合っているので、観に来た人には、普通の公演だと思ってほしいなって。伝えられることを学生なりの言葉で伝えようとしている、ただそれだけなので。なので、普通の公演を僕たちは行おうとしているので、それでも良かったら、観に来てくださいと思います。でも、普通だけど、面白い公演なので。


 第4回の内容は以上となります。今までお読みいただきありがとうございました。

 公演会場でお逢いできることを楽しみにしております。

公演情報

眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演『SHOT』
・日時:10月6日(金)18:30、7日(土)13:00/18:00、8日(日)13:00
・場所:京都市東山青少年活動センター
・料金:前売り800円、当日1,000円
・ご予約:https://www.quartet-online.net/ticket/shot
・お問い合わせ:shot.seisaku@gmail.com

 公演公式X(twitter)では、役者紹介やチーフ日記など、様々な情報を発信しております。ぜひご覧ください。

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