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【作者に訊く】『SHOT』に懸ける想い(第1回) 劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演

 時折吹く風が目線を持ち上げてくれる度に、空の青さを感じるようになりました。劇団ケッペキ 眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演 制作の神山卓也です。

 私たちは、10月6日(金)から8日(日)まで、京都市東山青少年活動センターで、『SHOT』という作品を上演します。
 そこで、この公演の脚本を書かれ、また演出も担当されている増井怜史朗さんに、脚本では言葉にされることのない想いや物語をお聞きしました。今回から4回にわたり、そのインタビューをお届けします。

左:神山卓也、右:増井怜史朗

ゲスト:増井怜史朗
取材・編集:神山卓也
写真:三木のあき


稽古は「ごりごり」と

——『SHOT』の稽古はいかがですか?

増井:
やはり、楽しいシーンをしている瞬間は、楽しいですね。例えば、面白い読み方や動き方が役者や自分自身の頭の中から出てきて、それによって稽古場が盛り上がった瞬間などです。

——それは、単に演出だけが考えるだけでなく、役者にも多くのプランを出すように促しているのでしょうか?

増井:
稽古が始まってからの1か月間は、今回の脚本を書くにあたって参考にした映画や本などの資料を紹介し続けてきたんですね。脚本を書いたのが自分であることによって、必然的に脚本にかけてきた時間が役者より長くなってしまうので。なので、役者にも私と同じように脚本について考えることのできる知識や経験を持ってもらいたいと思って、資料の紹介をしていましたね。その間の稽古は、構図をつけたりプランを一緒に考えたりしていました。

だけど、第1回目の通しが終わったくらいからは、稽古でのやり取りの中で役者から「こう読みたい」「こう動きたい」といった声がたくさん生まれるようになってきました。なので、最近の稽古では、役者に考えてもらうことも多くなって、だからといって私が考える量が少なくなったわけではなく、むしろより深いレベルで考えるその余裕が私にも生まれてきたという印象を持っています。

——稽古を重ねる度に、役者と一緒に深い部分に歩みを進めているという印象でしょうか。

増井:
そうですね。稽古の進捗を擬音で言うと「ごりごり」という感じですね。

——「ごりごり」……?

増井:
はい。一つずつだけど、それら一つ一つはかなり大きいと言いましょうか。「カリカリ」のような一つずつ少しずつという感じではなく、一つずつ、しかしその一つ一つは大きいという印象ですね。今は、その「ごりごり」という感覚も楽しいです。


「自分が生きている世界」を知りたい

——今回は、ご自身で書かれた脚本が上演されるとのことですが、脚本を書きたいと思わせたものはございますか?

増井:
脚本を書くという行為は、自分の中に伝えたいものができたからだと私は考えています。そういう意味でいうと、最近自分の身の回りにしか興味が持てなくなっていたことで、狭い世界に閉じ込められている印象を感じて、その世界を少しでも広げたいなと、世界をより広く見たいなという想いが、脚本を書くモチベーションになりました。

そうしたときに、私自身が21年と9か月生きてきた中で、ずっと「引っかかっていたこと」が一つあるんですけど、それを言葉にして伝えることで、その世界が広がってくれるのではないかと思っていて。そして、それは観る人にとっても、世界が広がるものになってほしいなという思いもあります。

詳しめに言うと、2022年の2月にロシアとウクライナの戦争が始まったんですけど、全く興味が持てなかったんです、その戦況とか何が起きているのかとかに。そして、気がついたら半年以上も経っていて。でも、それってどうなのかなって、日本に生きているからと言って他の国のことに興味が持てなくなることってどうなのかなと考えるようになりました。

——世界をより広く見たいという思いを持たれていたと。

増井:
そうですね。それと、私自身がずっと引っかかっていること、その引っかかりとさっきの狭い世界に閉じこもってしまうのはどうなんだろうという思いがあって、脚本を書き始めました。

——狭い世界に閉じこもることに対するその思いが生まれたきっかけはございますか?

増井:
私の中に、日本語独自のやわらかさや表現の多様さから日本語って好きだなぁという思いがあったんですけど、去年その思いから『風に向かって、道を辿って』という脚本を書いて演出をした時(2022年10月20日(木)~31日(月)まで配信により公開)、日本という狭い世界に閉じこもっていた印象があったんです。

だけど、自分が生きている世界についてより深く知るときには、比較対象が必要なのかなと考えるようになって。他の人の世界を知ることによって自分の世界を知ることができるというか。

そう考えると、去年書いた脚本では、近道なように見えてすごく遠回りなことをしていたように感じて。そういった考えというか気づきから、今回の脚本では、世界を広げて見てみようと思いました。


言葉を紡ぐ難しさ

——先ほど、日本語の表現の多様さが好きとおっしゃられていたと思いますが、具体的にどんなところがお好きなんですか?

増井:
それはふんわりしてます。それ故に、去年書いた脚本では、テーマを入れなさ過ぎたと感じていて。

去年書いた時は、作品を観た後にふんわりとした喪失感やカタルシスを感じてもらえたらなあと考えていたんですけど、稽古を進めていく上で、ぼろが出てしまっていたと思っています。「ここはこういうことじゃないんですか?」と脚本について役者から問いただされた時に、うーんとなってしまっていた。自分が書いたはずなのに、解釈が分からないといったことがあったんですね。

ふんわりと伝えることもあると思うんですけど、ふんわりしすぎていると伝えたいことが分からなくなっちゃうというのが、私が思う脚本の難しいところだなぁと感じています。

だから今回の脚本では、そういうことがないように、自分が脚本に書く言葉にしっかりと責任を持とうと。どういう理由で、どういう経緯でその言葉を書くに至ったのかということをしっかりと説明できるようにつくってきました。

——脚本に書かれた言葉は、独り言や会話における言葉と違って、何度も読まれ、考える対象になるという点で、私は増井さんが去年に増して脚本の言葉を「重く」或いは「厚く」捉えているように感じました。

増井:
言葉を「重く受け止める」ということを考えていた時期もあったんですけど、普段こうやって喋っている言葉って、すごく軽いものだと思っていて。日常生活で使われる言葉に対しても、私たちは「重い」なんて感じながらしゃべっていることは少ないと思うんですね。

そうなったときに、私たちが喋る言葉の「軽さ」を考えながら、それでいて「重く」伝えるためには、どうしたらよいのかと、どうやって役者に台詞を言わせるのかと、そういうことを考えていました。なので脚本は書くだけでなく、声に出して読んで、その声を聞いてまた書き始める……ということをやっていました。


脚本と詩

増井:
この前、『舞いあがれ!』という朝ドラがやっていて、あれは主人公の恋人か旦那さんが詩人で。なのでその朝ドラの脚本家は、朝ドラの脚本も書かなくちゃいけないし、詩人が書く詩も書かなくちゃいけないんですけど、脚本家の人が「詩と脚本は何が違うか」という話そのことについて話していた記事をnoteで読んだんですね。脚本家の桑原亮子さんと俵万智さんの対談でした。

その対談では、短歌は一つの言いたいことに向かって、どんどん言葉を削っていき、脚本は一つの言いたいことのためにその周りを作っていくとおっしゃっていて。

それを振り返ったときに、今回しなくちゃいけないことは、脚本を書くことだし、それは一つの点、テーマに様々な方向から向かっていかなくちゃいけない。登場人物それぞれがテーマを抱え、そのダイアログの中から言葉を出してもらう必要があるし、果たしてその言葉は本当にテーマに向かっているのかということを、特に考えながら書き進めていました。

——増井さんの中で、脚本と詩は別のものであるということを念頭に今回の脚本を書かれたと。

増井:
それでいうと、去年の脚本はそれこそ詩になっていたように感じて。言葉を削りすぎて、脚本として人に伝えられていなかったんです。脚本なのに詩になっていたような気がして。自分の中では、公演が終わった後に、脚本として納得できるものではなかったなっていう思いもあったんです。

なので僕は、役者の人たちにも脚本で伝えたいテーマを何度も伝えていて、役者にはそれに向かってどのように演技すればよいのかということを考えてくれていたらいいなって、思っています。


 第1回の内容は以上となります。第2回では、脚本の執筆にあたる増井さんに注目しています。ぜひご覧ください。

 本日はお読みいただきありがとうございました。

公演情報

眠れぬ瞼を跳ねる羊の晩夏公演『SHOT』
・日時:10月6日(金)18:30、7日(土)13:00/18:00、8日(日)13:00
・場所:京都市東山青少年活動センター
・料金:前売り800円、当日1,000円
・ご予約:https://www.quartet-online.net/ticket/shot
・お問い合わせ:shot.seisaku@gmail.com

 公演公式X(twitter)では、役者紹介やチーフ日記など、様々な情報を発信しております。ぜひご覧ください。

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