読書メモ 『有閑階級の理論』 ソースタイン・ウェブレン


有閑階級の理論』(原題:The Theory of the Leisure Class)

奇才ソースタイン・ウェブレン(1857-1929)が1899年に出版した『有閑階級の理論』(原題:The Theory of the Leisure Class)をちくま学芸文庫の村井章子訳で読んだ。

「他人からすごいと思われたい」
「世間に自分の能力を見せつけたい」

 こんな人間本性を、19世紀末アメリカの産業社会における有閑階級(Leisure Class)の生態を題材に分析しているのが『有閑階級の理論』。
流行の衣装や娯楽から高等教育まで、消費とはいわば「他人への見せびらかし」にすぎない。そんな消費を「衒示的消費(conspicuous comsumption)」と呼び、富を追求し、その富を裏付けに高い社会的地位を欲する人間の振る舞いを描く本書は、序文を書いているガルブレスに言わせれば、「俗物根性と世間体について、これまで最も網羅的に論じた本」であり、人間本性としての虚栄心を考える上でとっておきの一冊だった。
 ウェブレンはアメリカ流資本主義が花開いた絶頂期に出現していた金持ち達をある種の「人類学的な標本」とし、文化人類学者が未開社会の文化や慣習を考察するような眼差しで見つめていて、難解な言い回しや独特な文体故にやや読みづらさはあるものの、ひたすら富や社会的地位を追求する人間の行動様式が記録している。目次は以下の通り。

序論
財力の張り合い
衒示的閑暇
衒示的消費
生活の金銭的基準
美的感覚の金銭的基準
金銭文化の表現としての衣装
労働の免除と保守主義
古代の性質の保存
武勇の保存
運頼み
宗教儀式
差別化に無関心な気質の保存
金銭文化の表現としての高等教育

そもそもこの本を手にとったきっかけは「衒示的消費」に興味があったことにあったので、前半の「財力の張り合い」〜「金銭文化の表現としての衣装」あたりが個人的にはとても面白かった。考察している題材が題材なので、基本的に利己主義的な人間観が徹底されていて、『有閑階級の理論』で描かれる人間観はマキャベリ、ホッブズ、マンデウィルあたりのラインに乗っかってくるように感じた。
いくつか興味深かった箇所を引用しておく。

財産の所有は、世間の尊敬を勝ち得る要因となると同時に、自尊と呼ばれる自己満足を得る必須条件になる。一人ひとりが個別に財産を保有する社会では、自分と同じ階級に属すと思われる人たちに劣らぬ財を持つことが、心の平安を保つために必要だ。(中略)もっとも、財を新たに獲得し、その新しい富の水準に慣れてしまうと、すぐさま以前ほどの満足は得られなくなる。
財による比較と差別が行われる限り、人は財を競い、財力に対する評判を際限なく追い求め、競争相手より格上になることに無上の喜びを見出す。

p76

財の蓄積を競うのは、本質的には他人との比較に基づく評判を得るためである以上、最終的な到達地点はないと言ってよい。
肉体的安楽や体裁のよい生活をどうやって実現し、何に支出するかをかなりの程度決めてしまうのは、他人に負けまいとする対抗心なのである。

p77

私有財産制の下では、確実に目的を達成する手段は、財の獲得と蓄積によって得られる。人間同士の利己的な対立がはっきり意識されるようになると、よりよい成果を求める生来的な傾向すなわち勤労本能は、財の蓄積で他人に勝とうとする方向に向かいがちだ。他人の財に比べて優劣をつけ相対的な成功を収めることがごく当たり前の目的となり、他人との比較で優位に立つことがまっとうな目的と認められるようになるのである。こうしたわけで、無駄な努力を嫌う傾向は、財力を張り合う動機と深く結びつくと言って良い。かくして競争相手が金銭的に成功を収めたとすれば、あら探しをしてあれこれけちをつけるなど、財力で評判を得ようとする争いはますます加熱する。富の蓄積を誰もが納得できる形で誇示すること、少なくともそれを目指すことが立派な努力とされるのである。このように財力を競う対抗心は人々を富の蓄積に駆り立てる動機の中で最も影響力が強く、かつ範囲も広い。

p78

尊敬というものはじつは証拠によって払われるからである。富の証拠はその人の重要性を他人に印象づけ、忘れさせないようにするとともに、自己満足の形成と維持にも大いに貢献する。

p81


有閑階級は、世間の評判という点で社会構造の頂点に位置づけられ、その生活様式や価値観は、その社会の評価の基準となっている。すると下の階層はみな、この基準にできるだけ近づかねばならぬと考える。

体面を保つために消費の必要性や評判を得る手段としての消費の効用が最も大きいのは、人間関係の範囲が広く、人の移動が多い社会だという点である。

都会の住人は互いに相手を出し抜こうと張り合い、衒示的消費の標準を押し上げるので、体面を保つための支出が都市ではますます増えていく。

p123 


有閑階級が、世間のお手本としての特別な地位を利用して自分たちの生活様式の特徴を下の階級に押し付けてきた結果、社会の隅々にいたるまで、そうした貴族的な気質特性が少しずつ植え付けられてきた。

p262

美のためと称されているものの、実はたいていにおいて、高価であることに対する満足感なのである。上等な品物と高く評価するのも、上等であるうえに虚栄心をくすぐるからであって、単に美に対する素朴は称賛ではないことが多い。

p162

なぜなら、自慢できる消費という条件を満たさないからである。人間の手による生産は、無駄が多い。従って人間の手で作られた品物は金銭的評判を得るという目的にはより適している。

p189

ありきたりのものは、たいていの人が金を払えば入手できる。したがって他の消費者と差をつけるという目的に適わないため、消費したところで自慢にはならない。

p190

金銭的評判に結びつく他の品物もこの目的に役立つけれども、衒示的消費の法則の作用がとりわけはっきりと認められるのは、衣装である。(略)衣料費は、その人の財政状況を誰にでも一目でわかるように示すという点で、他の大半の方法に比べて例示として優れている。

p190

そもそも衒示的消費や衒示的閑暇が評判になるのは財力の証明になるからであり、財力が評判になり称賛されるほは、結局のところ、成功と能力の証だからである。

p210

良心の呵責、同情、誠実、生命の尊重といったものとは無縁な人は、たいていにおいて、金銭文化の中で個人として成功できるだろう。成功の尺度が富や権力でないなら話は別だが、そうした稀有な場合は除き、その時代でも大成功を収めるのはこのタイプだ。「正直は最善の策」と言えるのは、ごく狭い範囲や特殊な場合に限られる。

p246

競争する個人の場合には、野蛮時代の人々のエネルギー、意欲、利己心、不誠実と同時に未開時代の人々のような一匹狼の精神を持ち合わせているとうまくいく。

p248


集団の利益に最も寄与するのは、誠実、勤勉、温和、善意、利他心、因果関係の理解と認識なのである。アニミズム的な自然崇拝やものごとを超自然現象で説明する傾向がないことも大切だ。

p249


競争環境における個人の直接的利益に最も役立つのは、あつかましさや抜け目ない才覚である。競争環境における個人の直接的利益に適う特性は、役に立つどころかむしろマイナスだ。

現代産業社会の成員は、競争制度の下ではみなライバルであり、隙あらば良心の呵責なく仲間を平気で出し抜いたり傷つけたりするときに、自己の利益を最大化する。

p250

平和な現代社会における営利活動で養われるのは、掠奪的な習慣と能力なのである。とはいえもちろんそれは、平和裏に行なわれる。つまり力による強奪といった古いやり方ではなく、不正や詐欺まがいのやり口全般に熟達させる。

p251

究極の営利追求人間は、人や物を平気で自分の目的に利用し、他人の感情や願望を顧慮せず、自分の行為がもたらす影響も考えない。この点で、究極の無法者とよく似ている。ただし、身分意識が高い点や、通り目標を目指す先見性と一貫性を備えている点では、無法者と異なる。営利追求人間と無法者の気質は。「娯楽」や賭博を好むという共通点もあり、またさしたる目的もなしにむやみに競争したがる点も似ている。究極の追求人間は、掠奪的な性質につきものの次のような傾向を備えている点でも、無法者と奇妙に一致する。無法者はだいたいにおいて迷信を信じ込むたちで、縁起を担ぎ、呪文に頼り、占いや運命を信じ、神のお告げやら呪術の儀式やらをありがたがる。場合によっては、この傾向は熱烈な献身や教義の遵守という形で現れる。おそらくこれは、宗教心というよりは信心と言うべきであろう。この点で無法者の気質は、労働者や役立たずの怠け者よりも、営利追求人間や有閑階級の人間との共通点の方が多い。

p258

他人と比較し差をつけようとする習慣の下で、勤労本能は武勇という特殊な形に変貌を遂げた。

p304

表向きは無私の公共精神を掲げた事業の多くが、実は発起人の名声を高めるとか、さらには利益を得るといった目的で運営されていることは間違いない。この種の相当数の団体や機関では、他人に差をつけ優位に立つということが、発起人やその協力者の主な動機となっている。

p345

だがこれは結局のところ、見栄の張り合いや財力の評判の要求が広く浸透している社会では、表向きは無私の精神ではじめられた事業であっても、この要求からは逃れられないことを証明している。

p353

体面を保つために浪費をせねばならぬということになると、人々の余ったエネルギーは他人に差をつけるための競争に吸い取られ、無私の精神を発揮する余地は失われる。
体面の維持という条件は他人と比較し差をつける欲求の洗練された形であるから、そうでない行動を妨げ、利己的なふるまいと促す方向に作用する。

p363

,,,てな具合にホモ・エコノミクスなカンジのオラついている金持ちの観察に満ち満ちている。ウェブレンは金持ちの文化を観察者としてただ記述しているだけなのだろうが、個人的にはそこで描かれる虚栄心や利己心にまみれた姿にある種の哀愁というか「人間の底の浅さの奥深さ」のようなものを感じた。自分に固有の物差し(=規矩)を持たず、ひたすら世間体や社会的評判を高めることに邁進するタイプの人間の行動原理を理解する上でとっても示唆深い一冊。
 あと、世間からの評価を気にしする心理や、他人と競ってより自分が優れていることを示したいという心理について論じられているが、この手の議論はマジでSNS時代に相性がよ過ぎるのではないかと思った。現代にウェブレンが蘇ってSNSについて論じさせたら相当面白い皮肉の効いた文章を書いてくれそう。
 全体的に面白く読んだけど、正直なところ私生活ではウェブレンが描いたような「金銭文化」を内面化して、日々「衒示的消費」に明け暮れるホモ・エコノミクスな方々にはあんま近づきたくないな、としみじみと思った。なんだったらこれが一番の感想かもしれない。(おしまい)

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